第32話 全国大会ー会場入り

全国大会の会場に入ると、外との寒暖差で頭がぼんやりする。

人も多くて、地方の予選や本選なんかとは、やっぱり雰囲気も異なっていた。


スマホを見ても、先生からのLINEは届いていない。

一緒に朝食を食べ終えた後、僕はレンタルスタジオで2時間ピアノを弾いて、先生はシェアオフィスで仕事をしてから、この会場で落ち合おう、という話になっていた。


まだ到着していないのかも…。


あたりを見回す。

今日は一日ずっと高校生の部だからか、人は多いけど落ち着いた静かな雰囲気。

受付時間まで、あと30分くらいある。


僕は、ホールの扉に歩いていき、後ろに置いてあるテレビ画面を見た。

このホールは、舞台の様子が分かるようにテレビに映されている。

扉には係の人がいて、演奏者が交代するタイミングで、スムーズに入退室するように案内してくれるシステム。


今演奏している人が終わったタイミングでホール客席に座り、受付まで数名の演奏を聴けば、全国大会のおおよそのレベルが図れるだろう。


「ドアを開きますが、退室される方が先となります」


係の人が小声で僕たち数名に話しかける。


退室してくる人たちを待って入室する。

しかし、席に歩いていくほどの時間はなく、僕は立ったまま次の演奏を聴くことになった。


あれ…


コンクールでは名前はアナウンスされず番号のみだけど、あの姿は…


遠目で見る姿に見覚えがあった。


B durベードゥアの主音が低音部で鳴り響く。


!!やっぱり間違いない!


ベートーヴェンのピアノソナタ第28番「ハンマークラーヴィア」の第1楽章。

そしてこの響きは…


昨年のアナリーゼ講習会で一緒だった楠木さんだ。


あの公開レッスンで聴いた時もすごいと思ったけど、今回はホールということもあって、演奏に圧倒される。


そうか…楠木さん、低音の響かせ方とかすごく上手なんだ。フルコンサートピアノをしっかり鳴らせているというか、ホールの方が映える演奏をする人なのかも。


以前に入賞した時の演奏を動画で見たことがあったけど、生演奏の方が迫力が倍増している気がする。


第1楽章を演奏し終わり、楠木さんは挨拶をして舞台袖に戻る。

残念…第1楽章しか弾かないのか。もっと聴きたかったな。

まぁ、ハンマークラーヴィア全楽章なんて弾いたら30分超えるか…


次の演奏者との入れ替わりの隙に、空いた座席に座る。


リストの超絶技巧か。

思ったより弾けてない感じだな。これなら、予選と似たようなレベルの演奏だ。

受けた予選会場のレベルが高くなかったのかな。


その次は、ショパンのバラード3番。

これも、そんなにすごいレベルの演奏とは思えなかった。


楠木さんのレベルが高すぎたのか、他の予選会場に比べて、僕が受けた予選会場の演奏レベルが高すぎたのか。


ここまで聴いたところで、受付時間が近づいたため、ホールから一旦出る。

ホールの扉を開けたら、偶然楠木さんがいた。


「え?中路くん?」


僕は楠木さんの演奏を聴いていたから驚かなかったけど、楠木さんは僕を見て、いわゆる『破顔』の表情を見せた。


「中路くん、受けてたんだ!久しぶりだね、元気だった?」


「はい、楠木さんの演奏、さっき聴きました。ハンマークラーヴィア、ホールで聴くとさらにいいですね」


「聴いてくれてたの?ありがとう」


ふと、向こうの方で人がザワザワし出した。僕の演奏する部の受付時間になっているようだ。


「あ、受付してくるので」

「僕も一緒に行くよ。どうせ並ぶだろうし」

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