第31話 コンクール当日の朝

いよいよ、コンクール当日。

僕の演奏予定時刻は14時から。


ゆっくり起きて朝ごはんは8時に、と言う約束をはるか先生としていたけど、緊張のためか5時半に目が覚めてしまった。


「なんか、以前このゲストハウスに泊まった時と似たような状況だな…」


先生が酔っぱらった夜、僕も色々考えてしまいほとんど眠れていなかったから、昨日は睡眠不足でたくさん寝られると思っていたのに。


外は寒そうだけど、今回も買いに行くか…


ぼんやりしていても不安になるだけだし、ピアノの練習は10時から2時間、スタジオを予約している。


僕は、ドミトリーになっているベッドの階段を静かに降り、そーっと着替える。

8人部屋だけど、まだみんな寝ているみたいだ。


外を見ると、2月の東京だ。寒そうに見える。

コートはもちろんマフラーもして、手も冷やさない方がいいな。

枕元に置いておいたグレーの手袋をはめて、しっかりと防寒をしよう。


…この手袋は、各段に温かい。


ゲストハウスを出ると、途端に吐く息が白くなり、昨夜は冷え込んだことが分かる。

東京23区でも下町風情の残るこの地域は、特に朝は歩いていて気持ちがいい。

霜が降りているのを見て、そうか、やっぱり寒いんだな、と思う。

僕の住む地域では、あまり霜が降りないからだ。


少し歩くと、5人くらい人だかりになっている。

そう、あのパン屋さんで食パンを求める人が、早朝から並んでいるのだ。


今回も3つ食パンを購入し、2つはお土産に。ひとつははるか先生に渡そう。

並んでいたわりには、みんな食パンを買うからすぐに購入できて、散歩しながらゲストハウスに戻る。


6時半になり、出発した時には暗かったゲストハウスの共用スペースに明かりが灯っていた。


「あれ?タケルくん?」


ソファーには、はるか先生が座っていた。


「おはようございます…あ!」

つい、いつもの敬語で挨拶をして、周りを見渡す。姉弟設定を忘れていた。


「大丈夫よ、人がまだ誰もいないの」

「ああ、そうか。早いですもんね」


ゲストハウスの中は暖かい。

「どこ行ってたの?」

「食パン買いに」

「あ!あの食パンね」

「先生の分もありますよ」


食パンの袋を持ち上げてアピールした。


「やった!ありがとう!!」

「東京の冬は寒いですね」


僕は、手袋やコートを脱ぐ。

先生が手元を見てにっこりと笑う。


「寒いよね~私、寒いの嫌いなのよ。なのに緊張して早くに目が覚めちゃって、余計寒いの。あ、そろそろみんな降りてくるかな?」


階段の音がギシ、っと鳴るのが聞こえた。


「ほら!姉さんに変更!」


いたずらそうに言う先生に、小声で話す。


「どうして、姉弟って設定になってるんですか?」

「チェックインした時に、タケルくんの分も一緒にしたら、どういうご関係ですか?って聞かれたからよ」


そうだ。このゲストハウスののチェックイン時間は夜8時まで。初日は学校から空港に直接向かって東京入りした上、ピアノスタジオで2時間の練習をすることになっていたから、先生が僕の分までチェックインしてくれていたのだ。


「でも、それで弟って。生徒っていえば」

「う~ん、先生と生徒だと怪しまれるかなって?ほら、世の中色々あるじゃない。それだったら家族の方が自然でしょ?」

「苗字が違うのに?」

「私が結婚してたら、苗字違うじゃない」


確かに、それはそうだけど…。


「ほら、そろそろ朝食食べられるかもよ。タケル!」

「はい、姉さん…」


なんだか、このゲストハウスでは、いつも以上に先生に振り回されっぱなしだな…

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