第7話 ファンタジア
「ジーグ、思ったよりいいね。以前だったらタケルくんには合わない感じだったのに」
12月のコンクール予選まであと1週間。
2ヶ月という限られた準備期間で、バッハのパルティータ3番の中から3曲をできる限り仕上げて予選に向かいたいと奮闘していた。
一番心配していたジーグは、はるか先生がOKを出してくれるくらいまでには仕上げられたみたいで、ホッとする。
「でも…ファンタジア。なかなか厳しいね」
当初、ファンタジアが一番楽に仕上げられるのでは、と思っていたが、仕上げの段階になって最も苦戦している。
パルティータは大バッハ、
組曲といえば、フランス組曲やイギリス組曲なんかも名曲だけど、パルティータはクラヴィーア組曲の最高峰ともいわれていて、難易度もそれなりに高い。
小学6年でフランス組曲、中学3年でイギリス組曲に取り組んだ僕は、ようやくパルティータに到達した、という印象。
6曲あるパルティータは、イギリス組曲と同様にすべて前奏曲的な導入楽章を持っている。
でも、すべて名称が異なり、
その中で、今回演奏する3番の導入楽章は
自由な作風に付けられることの多い
おそらく、この破片のような散らばり方が、僕のこの曲への理解を阻んでいる正体。
フーガのように、整然としてテーマが並べられた曲はスムーズに理解をして表現ができるのに、このファンタジアは、それを許してくれない。
出てきたかと思えば、ふいにいなくなって、そう思っていたら、左右逆転して登場したり、オクターブを変えて出てきたり。
「そういうのを、楽しんで弾くことよ」
先生は、横のグランドピアノで僕と一緒に演奏しながら、面白そうに曲を組み立てていく。
「ほら、こんなところで出てきた!次は、どうやって出てくるのかな~?あ!ここも面白いね!」
よくもまぁ、こんなに話しながら上手に曲を組み立てながら弾けるものだと、圧倒される。
一緒に弾き終えて、指は動くけど全然ついていけていないことに愕然として…
「う~ん、なんか真面目になっちゃうんだよね、タケルくん。もう楽しんじゃいなよ、だって、君が楽しくないと、聴いてる人も楽しくないよ?」
楽しむ…
楽しくないわけじゃないんだけど…なんだか展開の速さについていけてないというか。
「あ!あのね、例えばよ?タオくんならどう弾くと思う?」
意外な人物の名前にドキリとする。
2つ年下のタオくん。8月の全国大会の優勝者。
全国大会出場が決まった翌日から全国大会まで、はるか先生のレッスンを受けていたことは、後から知らされた。
しかも、はるか先生やタオくんからでなく、圭吾さんから知らされるという不本意な形で。
全国大会の演奏や表彰式には、はるか先生も引率していた。
2人の間で、優勝という特別な思い出を共有したのだろう、ということは当然のことながら僕の気になるところではあった。
嫉妬というか、そう、嫉妬ならまだ良かったかもしれない。
タオくんと僕では、嫉妬なんてできる演奏レベルじゃないことを重々承知しているからこそ、嫉妬とさえも言えない卑屈さが僕の根底にあることに、最近気付き始めている。
「タケルくん?」
黙ってしまった僕に、先生が心配そうに話しかけてくる。
「…楽しく弾くと思います」
「タオくんになる必要はないよ、でも、身近な人だからこそ、想像つくんじゃない?わ!次はどうなるんだろう?え~!そうくるか~!とか言いながら弾きそうじゃない、あの子」
たしかに。
タオくんなら、ひとつひとつの破片を驚きと楽しさを持って表現できるだろう。
でも僕は…
「タケルくんも、できるよ」
下を向いている僕に投げかけられた言葉は、ただの慰めの言葉かもしれない。
でも、ふとその言葉に僕はかけてみよう、と思えた。
それは、はるか先生から投げかけられた言葉だということと同時に、僕もこのままでいたくないと感じていたからなのか。
本番は、先生は東京に行くため僕の舞台での演奏は聴いてもらえない。
ただ、運よく、本人の演奏のみビデオ録画が可能、とエントリー用紙には書かれていた。
必ず、このファンタジアを仕上げよう。
僕は改めて決意した。
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