第4部 酒と泪と初老のピアニスト
第1話 お土産
東京のアナリーゼ講習会から帰った翌日、僕ははるか先生のレッスンスタジオに行った。
今日はレッスンの日ではなかったけど、お土産に買った食パンの賞味期限が短いのを理由に…
…ただ会いたかっただけだけど…
今日のレッスンが終わるのが夜の8時だとLINEがきて、その時間を見計らってレッスンスタジオに行くと、小学5年の太一くんの演奏が聴こえる。
今年もショパンか。
今の時期、ロマン派の課題曲で出られるコンクール予選がある。太一くんは昨年、その全国大会で銀賞をとっている。僕も何回か受けたことがあるけど、あまり大きな入賞はできていない。太一くんはそのコンクールが気に入っているのか、小学2年から毎年受けているはずだ。
レッスンでもないのにレッスン室に入るのは憚られて、しばらくスタジオの廊下で太一くんの演奏を聴く。
ショパンのポロネーズといえば、英雄や軍隊、幻想が有名だけど、小学生の太一くんが弾くものはそこまで大曲ではない。とはいえ、ポロネーズらしさが必要とされる左手の伴奏と、メロディーラインの強く優雅な感じは、立派にショパンのポロネーズを感じさせるものだった。
ああ、いいな、太一くんのショパン…。多分、ポロネーズ14番だろう。
演奏が終わり、少ししてからドアが開く。
レッスンが終わった太一くんが出てきたのだ。
「タケルくん!」
太一くんは、まさか僕が廊下にいたと思いもしなかったようで、驚いて僕を呼んだかと思ったら
「講習会どうでしたか?」
「詳しいね」
情報の速さに笑ってしまう。
「さっき、先生からアナリーゼ講習会にタケルくんが参加したって聞いて」
「うん、すごく勉強になったよ」
「いいなぁ…僕ももっと上手になって、参加したいな」
「タオくんも来てたんだよ、太一くんも中学に入ったら参加できるかも」
「タオくんも!そうなんだ」
「タケルく~ん」
なかなかレッスン室に入ってこない僕を、先生が呼ぶ。
「太一くん、お母さんの車、もう来てたよ」
「はい、それじゃまた」
太一くんがレッスンスタジオの玄関を出ていったのを見て、先生の待つレッスン室に入る。
「先生、お土産です」
「なになに?これが噂の食パン?!」
僕は、東京で美味しい食パンを見つけお土産に購入していたことをLINEで伝えていた。賞味期限が短いから、早く先生のところに届けたいと。
「そうです、並ばないと買えないらしくて」
「で、並んでくれたの?」
「はい、でも早朝だったので数名でしたよ」
「ありがと~!見た目にもふわっとしてるのが分かるよね」
自分の目の位置まで食パンを持ち上げるようにして、じ~っと眺める先生。
「ねぇ?夕食どうした?」
「食べてきました」
「だよねぇ」
「でも、まだ入りますよ」
僕の答えを聞いて、先生が食パンではなく僕を見る。
「一緒に、今、食パン食べてくれる?」
「はい」
「やった~!レッスン終わってお腹ペコペコなんだよね、早速焼いてくるね」
先生は食パンを持って2階に上がっていってしまった。
僕は、レッスン室のテーブルを片づけながら、東京でのあれこれの何から報告しようかと考え始めた。
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