第9話 オペラ
結局、録画は3回行い、後で聞き直して一番いい演奏を提出しよう、という話になった。
「タケルくん、少し遅くなっても大丈夫?」
「はい」
「お母さまが心配するといけないから、LINEするね」
はるか先生が階段を上がる音が聞こえる。
このレッスンスタジオは、1階にトイレと洗面所、そしてレッスン室がある。トイレの横にもう一つ扉があって通常カギがかけられているが、どうやらそこを開けると階段があって2階に行けるようになっているようだ。
2階は恐らくはるか先生の居住スペース。
レッスンスタジオの横には、はるか先生の叔母さんが住む家がある。
ピアノを拭き、楽譜をしまっていると先生がカチャカチャと音を鳴らしながらレッスン室に入ってきた。
真っ白な器に淹れられたコーヒーと、僕が持ってきたケーキをお盆に乗せて
「タケルくん、そのテーブルの上、ちょっと片づけて~」
そうか、お盆を乗せる場所がないのか。
僕は慌ててテーブルの上を片づけた。
「美味しそうなケーキね。このお店の住所、高校の近くだよね?」
「はい、お母さんがお店の人と知り合いで」
「そうなんだ、バイト楽しい?」
「思ったより…」
そう、バイトというのはもっと嫌なことがたくさんあると思っていたんだけど、今のところ笑顔が作れないとか、レジ打ちが慣れないとか、ケーキを箱に入れるのが難しいとか、そういう問題はあるにせよ、楽しさの方が上回っている。
きっと、カナコ先輩とトシさんのおかげなんだろう。
「うん、今日タケルくんを見た時いい顔してたから、きっと楽しいんだろうと思った。よかったね」
「はい」
「お店の方によくお礼言っておいてね。でも、こんな風にケーキを持たせてもらえるなんて、タケルくん、可愛がられてるじゃん」
「はい、色々良くしてもらってて…」
「そうなんだ~嬉しいね!」
先生は笑顔で、僕の前にケーキとコーヒーを置いてくれる。
「いただきましょう!」
「あ、多分、こっちのケーキが先生です」
僕のケーキ皿を先生の方に動かした。
「え?」
可愛らしいピンクとベージュの色合いのケーキは、僕が伝えた「かわいいタイプ」を聞いたカナコ先輩が、先生をイメージして選んだものだと思ったからだ。
一方、僕はブラックのオペラが乗ったお皿を自分の方に持ってきた。
「オペラを選ぶとは、大人っぽいね、タケルくん!」
先生が茶目っ気たっぷりに話してくる。
「そんなこと…」
大人っぽいなんて、先生に言われたことあったかな…。
「あ~美味しい~甘すぎなくて軽いのに、しっかりとした味わい!パティシエ、すごい人なんじゃない?」
「すごい人です、色々と」
僕は笑いながら言った。
カナコ先輩、すごいです。
パティシエとしての腕はもちろん、会ったこともない先生をイメージしたケーキをドンピシャで選んでくれて、しかも僕が食べるであるもう一つのケーキはほろ苦い大人な味のオペラ。
もう…何もかも、完璧です…カナコ先輩!!
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