第10話 初めてのレッスン
僕がピアノを始めたのは小学1年の冬。
初めてレッスンに行ったのは、あまり雪が降らないこの地方で、珍しく雪が積もった日だった。
「よりによってタケルの初レッスンの日に、こんな雪が降るなんて…すべらないように気を付けてね」
お母さんに手を繋がれ、レッスンスタジオまで歩いていく。
本当は車で向かうつもりだったけど、雪の日の運転に慣れていないし、チェーンも持っていないため徒歩になったのだ。
レッスンスタジオに入り、玄関で長靴を脱ぐ。
お母さんは僕の体をタオルでサッと拭いて、雪を落とした。
「タケル、レッスン室に入るから静かにね」
「うん」
レッスン室では、中学生くらいだろうか、年上のお兄さんが演奏していた。
はるか先生は、お母さんと僕が入ってきたのを確認して、軽く笑顔を向けてから、演奏しているお兄さんの楽譜に何やら書き込みを始める。
「音の間違いが多い!こんだけ弾けてて、なぜこんなに多いの!間違っている音、全部マルつけておいたから、さらい直し!」
演奏が終わったお兄さんにダメだし。
「え~そんなにダメっすか?合ってませんでしたか?」
「合ってない!いい加減に楽譜読みすぎ!ショパンに呪われるわよ!!」
「枕元に出てくっかな~~?」
「枕元に出てきて、首絞められる!!」
「え?そんなにマズイ音間違い?」
「ハイ、もう今日のレッスンはここまで!!」
漫才のように、お兄さんと先生は話す。
話の中に出てくるショパン、という作曲家の名前はさすがに僕も知っていた。お母さんが好きでよくCDをかけていたから。
「ごめんなさいね、急にこんな会話でビックリしたでしょう。初めてのレッスンなのにね」
「先生、次男のタケルです。ツヨシ同様、どうぞよろしくお願いします。ほら、タケル」
お母さんは、僕に家で練習させたセリフを言えと促してきた。
「はるか先生、僕にピアノを教えてください」
ボソッと言うと、はるか先生は僕の方に歩いてきて、しゃがんで僕に目線を合わせた。
「タケルくん、一緒に素敵な演奏ができるように頑張ろうね!
今日は最初のレッスンだから、はい、これ」
渡されたのは、大きなスケッチブック
「1番最初のページに、今のタケルくんの手の形を残しておこう。ほら、ここ座って、まずは右手からね、こうやって置いて?」
僕は真っ白なスケッチブックの上に右手を乗せる。
「指はこうやって開いてね」
先生が僕の指をパーの形になるよう開いていく。
…!!
くすぐったい!!
「ごめん。くすぐったかった?そのままでいてね、お母様、この鉛筆でどうぞ」
お母さんが勝手知ったる感じで、僕の指に合わせて鉛筆を滑らしていく。
「よし!右手いいよ!」
右手をスケッチブックから離すと、僕の手の形が鉛筆で描かれている。
「あら、膨れたみたいな手になりましたね」
お母さんが笑いながら言う。
「左手は記念にはるか先生に書いて頂けますか?」
「いいですよ、タケルくん、右手みたいに左手もスケッチブックに置いてね」
僕はおずおずと左手の手を広げてスケッチブックに乗せる。
はるか先生は手慣れた手つきで、鉛筆を滑らせていく…
「あ、動かないでね」
くすぐったくて、ずれそうになった左手を上からそっと押さえる。
「もうちょっと…もうちょっと…よし!」
スケッチブックから手を離すと、まさに今の僕の手と同じサイズの手形が残されている。
「さすが!左手と右手で手のサイズが違う〜右手も先生に書いて頂けば良かったわ…」
「あら、これもいい記念ですよ、で、ここに…」
手形の右下にさらさらと書かれる。
20◯◯年2月4日
「タケルくん、この日にちの横にお名前書こう」
僕に鉛筆が渡される。
『なかみち たける 7さい』
これが僕とはるか先生のレッスンの始まり。
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