第3話 春休み

春休みに入り、受験中はあんなにピアノが弾きたい!とフラストレーションを感じていたのが嘘のように、ピアノに力が入らなくなった。

受験を終えて、ちょっと気が抜けたのかもしれない。


そんな時、LINEが入った。


「タケルくん、春休みで戻ってきたよ。遊びに来ない?」


汰央くんからだった。


僕より2つ年下で、県外の私立中学に合格した彼は寮生活だ。ピアノがすごく上手で、教室内で有名人だったけど、今はピアノを弾いているのだろうか。


「いいよ、今日もどうせヒマだし」


「今から遊びにきてよ!」


「りょ。」


汰央くんの家は歩いて10分ほど。

小学生の頃は連弾を組んでコンクールに出たこともあって、保護者同士もよく知っている。


自転車に乗って向かっていると、ピアノの音色が聴こえてきた。

汰央くんのピアノか。

なんだこれ、現代曲?


ガッツリというか、メロディーが掴み切れない曲が聴こえてきて、汰央くんも変わったな、と感じた。

以前は、チャイコフスキーやシューマンの小品が得意だったのに。


インターホンを鳴らすと、汰央くんのお母さんが出てきた。


「タケルくん!近くに住んでるのに、なかなか会わなかったわね!早く入って!!」


本当にそうだ。こんな近くに住んでいても、同じピアノ教室に通っているという共通点が無くなれば、不思議と会わないもの。


ピアノの部屋に向かうと、現代曲はますますガンガンと響いていた。


「タケルくん、この曲知ってる?」


ピアノの部屋を開けると、汰央くんが演奏を止めることなく聞いてきた。


「知らない。誰の曲?」


「バルトークだよ。今度のコンクール課題曲なんだ」


僕はピアノの横にあるイスに座って彼の演奏を聴いた。

汰央くんは演奏を終えてピアノから手を離すと、興奮気味に


「かっこよくない?」


随分気に入っている曲みたいだ。


「うん。ピアノ、弾いてるんだね」


「寮から電車で30分かけて通ってるんだ。やっぱりピアノは好きだからさ」


汰央くんは3歳からはるか先生の教室に通っていて、年中で全国大会に出場するほど優秀な生徒だった。

年長の時にはコンクールの全国大会で金賞を受賞し、それがはるか先生の教室では初の金賞受賞だったから、保護者もザワついたものだ。


「昨日さ、はるか先生に会いにいったんだよね。髪型変わっててビックリした」


「去年の秋、発表会の頃にショートにしてたよ」


「そうなんだ。正月明けにコンクールがあったから、こっち帰ってなかったからさ、夏休みぶりで。今弾いてる曲のこととか、今の先生のレッスンの悩み事とか、レッスンを受けてる時には話さなかった内容ばっかりで」


…そうなのか。

個人的なことって話したことがないな、と思った。

何の曲を弾くか、練習曲の進みが遅いとか、スケールちゃんと練習しろとか、次のコンクール日程とか、ああ、あとは学校のテスト期間はいつかとか、そんな話ばっかりだ。


自分もレッスンを辞めたら、個人的な話をするようになるのか?

そもそも、辞めた後に先生に会いにいけるようなキャラだろうか。そのまま音信不通になりそうだ。


「懐かしかったな~実は僕、初恋だったんだよね、はるか先生。お母さんと歳変わらないんだけどさ、年長で全国大会行った時に、引率で着いてきてくれたんだよね。演奏終わって、先生と手を繋いでエレベーターに乗った時が、僕の初恋だったよ」


「ピアノの先生に初恋、って多いのかね?」


「どうだろ?でも、ほら、あのジャニーズっぽい子とかも、絶対はるか先生に恋しちゃってると思うよ」


優弥くんのことか。やっぱり誰が見てもそういう風に見えるんだな。


「今の先生、年配でさ、おばあちゃんみたいなの。結構有名な先生で、レッスン受けてて、なるほどな~と思うことは多いんだけど、はるか先生に渡してもらった曲みたいにしっくりこないんだよね。

え?この曲、僕と合う?って感じ。その相談をはるか先生にしたんだけど、合う曲以外にも勉強して、音楽の幅を広げてほしいと思ってるのかもって。いろいろだね」


「汰央~!おやつ準備したから取りに来て~!」


汰央くんのお母さんから声が掛かり、取りにいってくるね、とピアノの部屋から出ていった。

汰央くんの初恋発言を聞いたのは始めてで、でも長い期間習っていれば、少なからずそういった感情を抱くこともあるのだと、少し安心した。

僕だけじゃない。

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