29、運を使い果たしたでござる


 九月になっても、街は当然のように暑かった。コンクリートが照り返す、うだるような暑さの街を歩いていって、俺はようやく学校にたどり着いた。


 教室に入ると、楽しそうに話していた福男と猪苗代が俺を見て、手を振った。


「お、佐良、おっはよー!」


「おはようでござる」


「……おはよう」


 人と話すのが随分と久しぶりな気がする。

 ぼうっとした頭のまま席に座ると、猪苗代が心配そうな顔でのぞき込んできた。


「佐良、どうしたの、元気ないじゃん」


「いつものことだよ」


「それもそっかー。登校日も一度も来なかったしねー」


「登校日?」


「あ、やっぱ忘れてたんだね。ラインも返事しなかったし」


 そう言って、猪苗代は勝手に人の机の中を漁ると、あったあったと言って、A4のプリントを取り出した。


「文化祭の役決めと練習」


「……そういえばこんなものを見た気がする」


「まぁ、佐良以外にも来なかったやつも一杯いるから、しゃーないよ。佐良は私と一緒で小道具係だよ。がんばろーね」


「おぅ……」


 改めてプリントの内容を見る。ほとんど、目も通していなかったが、うちのクラスは演劇をやることに決まったらしい。


 題目は『美女と野獣』。


「野獣は拙者でござる」


「ぴったりだよねー」


「いつの間にか決まっていたでござる。皆々、部活が忙しいから、暇な拙者におはちが回ってきたでござる」


「図体だけで決めたな……」


 文化部は各々の出し物で忙しいし、運動部は秋の大会で手一杯だ。所詮しょせん、保護者とか身内だけの祭りだから、積極的に力を入れる生徒は最上級生を除けば、ほとんどいない。


「ヒロインは誰がやるんだ?」


「それがね……」


 実に楽しそうな顔で猪苗代が口を開く。だが、その名前を聞く前に、張本人が現れた。


「おはよー」


 さぁっと俺の横をさわやかな風が通り過ぎる。


 久しぶりに会った春姫は、以前よりも、少し髪が伸びていた。長い髪がさらりと視界を横切った。


 歩いていく春姫に、猪苗代が声をかけた。


「おはよー、主役プリンセス


「う……ちょっと恥ずかしいよ。マリーちゃん」


「なんでよー、すごい似合ってるよ」


 春姫は「そんなことない」とふるふると首を横に振って、自分の席についた。


「福男と春姫が?」


「そう、美女と野獣」


「……まじか」


「運を使い果たしたでござる」


 目に涙をにじませて福男が腕を組んだ。


「春っちがやるって言ったら、男子たちがこぞって主役やりたいとか言い出してね。まぁー、先に決まっていた来栖は強運だよ」


「待て。あの春姫が、自分から?」


「うん。そうだけど」


「……まさか」


 福男のことはどうでも良い。

 ただ、あの春姫が自分から主役を買ってでたことに、俺は驚くしかなかった。どちらかと言うと、春姫は目立ちたくない性格のはずなのに。


「さぁ、ただ、やりかったんじゃない?」

 

 俺の疑問に猪苗代は肩をすくめて、言った。

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