第10話 難しそうに思わせる文章を書くコツ

 「そうそう、せっかくだから、最後に、質問だ。相手にとって難しそうで分かりにくく、内容も高度そうに見せるにはどうしたらいいか、わかるかな?」

 「え? 文章は読む人にとって分かりやすく書くものじゃないの?」

 「普通はそうだ。だがあえて、逆の方向から考えてみなさい。どんな文章が、内容が高度で難しそうな文章に見えるか、ってことだ。単にわかりにくい文章なら、めちゃくちゃ書けばいいだけだが、この条件を付けたら、そうは簡単じゃないぞ」

 「そうだね・・・、例えば、難しそうな言葉をたくさん使うとか。法律用語とか医学用語とか何とか・・・結構、相手はひるむでしょ。他にも、外来語、例えば漢字をたくさん使ったり、あるいはカタカナの外来語をたくさん使ったり。そうすれば、何か高度なことを書いているようなイメージにはなるかな?」

 「そうだな、そういう言葉を使っていれば、知らない人間はそこで一瞬ひるむ。もちろんわかっていれば、そんなことではひるまないがね。他にはどうだ? 例えば、句読点、いわゆる「、」や「。」を極力減らし、文を長くするのも手だ。これで、主語と述語がわかりにくくなって、読みにくくなる上に、いかにも高度そうな言葉が、わかりにくさをアシストしてくれるというわけさ」

 「でも、文法から外れちゃ、駄目なんでしょ、そこで「バキャク」を・・・」

 「そう。馬脚を現しては意味がないからね。よほどの目的などでもない限り、文法は、形だけでもきちんと守る。その範囲内で、徹底的にやるわけだ」

 「そこまでして書いた文章、相手は、どう読むのかな?」

 「頭のいい人は、ムズカシゲナ言葉なんかものとせず、一番言いたいことが何なのかぐらいはすぐ読み解く。逆に、そういう知識はなく、一見「頭の悪い」ように思われている人は、わかりにくい言葉なんか読み流して、要はこんなこと言いたいのだろう、と、読み取ってしまう。問題は、その中間にいるの多くの人たちだ。文章の見た目だけでビビってしまって、高度な文章かと錯覚を起こして、頭を混乱させられてしまう。そうなれば、わけわからないと開き直るか、あるいは、何かすごいことを言っている文章だということでありがたがるか。おおむね、そのどちらかだ」


 ここで私は、かつて裁判所に提出した書面を書棚のファイルから取り出し、甥に見せた。その書面は、ある裁判の相手方に対し訴えを起こし、後に取り下げた際に添付した「準備書面」である。その全文を紹介しよう。


岡山簡易裁判所

平成**年(ハ)第 *** 号 損害賠償請求事件

原 告  甲

被 告  乙


原告準備書面(1@ハルノート的「蛇の足」)


 上記当事者間頭書事件訴取下ニ際シ原告ハ下記ノ通弁論準備セリ

 本書面米国元大統領フランクリン・デラノ・ローズヴェルト氏ノ下国務長官務メシコオデル・ハル氏ヲシテ1941年當時大日本帝国ニ對シ提示セシメタル所謂「ハルノート」ニ類セシ性質ノ文書ナリシコトヲ此処申上候

 猶本文書文語ト雖モ日本語也本邦裁判所法第74条ニ違反セズ


平成**年 4月 4日

岡山簡易裁判所 民事M係 御中

原  告 甲 表示略

被  告 乙 同


第一 本件訴取下覚書

1 被告ハ別件O地方裁判所(ワ)第***号損害賠償請求事件(以下「別件」)被告丙(以下「被告丙」)ノ訴訟代理人之一也シガ原告ハ本年3月29日岡山地方裁判所担当書記官自被告丙別件訴取下ニ同意セシ旨連絡頂戴セリ因テ原告ハ原告考ヘシ本件訴訟目的既ニシテ十二分ニ達成セリト思料シ本日本件ニ於テモ亦訴取下ヲ御庁ニ対シ提出ス

2 今更論ズル迄無ク本件訴取下ハ所謂「武士の情け」也別件、本件共々昭和53年4月4日後楽園球場ニテ開催セラレシキヤンデイーズ解散コンサアト**周年ヲ記念シ原告ヲシテ被告他ニ対シ一種恩赦ヲ与フル趣旨也

3 此度被告ニハ別件被告訴訟代理人トシテノオツトメ誠ニ御苦労デアツタ

原告ハ先ズハ被告ニ労ヒ申上グルニ吝デ無シ別件ハ火中ニ在シ栗拾フガ如難件ニシテ訴訟経済等小賢シキ言用フル迄無ク時間的金銭的引合無カリシヲ顧ズ貴殿出身校一タル某大学同窓生被告丙ニ對セシ友情、正義感何処ヲ以テカハ格別引受ケシ被告ヲシテ同窓生を後生大事に思ふ被告の崇高かつ友愛溢れたる其精神に原告は限りなき敬意を表する次第也

4 猶被告ニアツテハ本邦弁護士法第1条に定められし弁護士の職務上の使命に則り依頼者たる被告丙に對し年少者の火遊び寝煙草寝遊びの如き言辞はインターネット内外を問わず今後重々慎むべく秋霜烈日を極めし説諭為す可き事に加へ被告丙自身の妻子に対し顔向けできぬ行為は以後厳に慎むべき趣旨の訓戒をも同人に併せ与ふる事原告切願フ所存也

                                  以上

追記

 貴殿益益ノ事業發展・商賣繁盛祈念申上候

 

 甥は、笑いをこらえながらも、何とか読んでいる。旧字体の漢字や読めない漢字は私に読みを聞き、さらに近くにある電子辞書で意味を調べながら、何とかかんとか、それでもようやく、この得体の知れない文章を読み切ったようだ。


 「ところでおじさん、これ、本当に、日本語?」

 「あったりまえだ。これが日本語以外の何語に見えるかね?」

 「それはまあ、日本語だとは思うけど、ちょっとこれは・・・」

 「こんな文章は、見たことないかな?」

 「ないことはないよ。そういえば、小6のときの担任の先生、社会科が専門でね、昔の裁判所に提出した文章の写しを見せてもらったことがあるけど、それとよく似ている。ただ、筆書きじゃなくて、パソコンで打たれているところが違いと言えば違いかな?」

 「確かに、昔の裁判所への提出書面だけじゃなく、憲法や法律もすべて、このような「文語」で書かれていた。しかも気付いたと思うが、「。」はないだろう。「、」はあるにはあるが、それは、名詞などを羅列するときとか、そういうところでしか使わない。戦後、さすがにこれでは、ってことで、今のような「口語」をできるだけ使うようになったけど、法律の全部を改正して直すのは大変だというので、結構長い間、この文語体は法律には使われてきたし、今も残っていないわけではない。ただ、平成になってこの方、ひらがな体に改正する努力が相当されてきたけどね」


 「ところでこの文章、結構、楽しみながら書いたでしょう」

 「まあな」

 「こんな文体にしたのは、もちろん、わざとだよね」

 「もちろんだ。ちょっと、最後にあてこすってやろうと思ったわけや」

 「それはまあ、いいけど、相手はどんなふうに思ったのかなぁ・・・」

 「気づいたかな? 原告、つまり訴えたのは私だけど、被告、つまり訴えられたのは、というか、私が訴えたというべきか、その相手は、弁護士さんだ。私より少し年上のようだが。そんな人だから、当然、この手の文章は学生時代から何度となく読んではいる。だから、そんなに驚きはしないだろう。しかしまさか、裁判所を介してこんな文章を送り付けてくる奴は、いないだろうから、相当、面食らったかも知れんな。ただ、言っていることは、訴えを取り下げて、問題になった別件の被告の丙さんとやらに友人として説教してやれとか、そんなところや。普通に書いたのでは能も面白味もないから、ちょっと、遊び心を出してみたってわけやね。さすがに元の原文は当事者名が載っているから、あえて、名前を伏せたバージョンも作って入れている。もしよかったら、USBメモリに入れて、持って帰って読んでみるか? 学校で見せてもいいぞ、これなら」

 「じゃあ、お言葉に甘えて、データ、いただいて帰ります」


 それでは、ということで、氏名を一般化した、まるで大正時代の「大審院判例」のような文章を、私のUSBメモリから彼のUSBメモリにデータをコピーしてやった。


 甥は後日、自宅でプリントアウトして、わざわざ学校にこの文章を持って行って、先生に見せた。

 三石先生は、なんじゃこれは、あいつらしいな、とおっしゃったそうだ。


 三石さんからほどなく、私のもとに電話がかかってきた。

 君は一体全体、何を考えてこんな文章を作ったんだ、本当にこんな文章、裁判所を通して相手に送ったのか? ・・・などなどと、思いっきり呆れられた。しかしまあ、いくら嫌がらせとはいえ、よくこんな文章を作ったな、それも裁判所に出す文章を・・・といった調子で、大笑いされていた。


 三石さんの同期や前後の学年におられたサークルの先輩方にもこの文章のデータが回され、皆さん、大笑いされていた。

 別の先輩からも、そんなことを自分の甥に教える奴がいったいどこの世界にいるんだ、に始まり、いったい、何考えているのかと、そんなメールがいくつか入ってきた。


 三石さんはさらに、甥が教わっている社会の先生にも、この文章を見せられた。

 私よりも幾分若いその先生がおっしゃるには、こうだ。


 確かにこれは日本語には違いありませんから、裁判所法に違反するわけじゃありませんけど、ちょっと、すごいですね。

 こんな文章を書いて今時の裁判所に出すなんて、**君のおじさんは一体どんな人ですか・・・


 随分、感心しておられたそうな。

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