第9話 インディードバットの活用法

 ここで私は、ひとつの質問を投げかけてみた。

 「ところで君、私の言った「喧嘩文体」、上手く活用したようだね」

 「え? そんなこと、意識してなかったけど・・・」

 「確かに君は、意識していなかったかもしれない。だけどな、私が密林レビュー欄に書いた、イェーリングの本のレビューの内容、君は確かに、読んだだろう」

 「はい。確かに、読みました。それで実は、文章を書くコツが、つかめたような気になりました。気のせいかもしれませんが・・・」

 「そうかね。気のせいとばかりでもないと思われるがね。実は、文章の書き方、特に、小論文などの書き方は、この「喧嘩文体」を応用すれば、身につくようになっている。もっとも、この「喧嘩文体」というのは、ある小論文の先生の書き方の「型」を応用したものなのだがね。そんなことは君も知らなかっただろうが、私のこの「喧嘩文体」の書き方を知ることで、上手く応用すれば、元の「小論文」などの書き方につなげていけるようになっているのだよ。私はそんなことを意図して「喧嘩文体」を作ったわけじゃないけど」

 「なんだか、卵が先か鶏が先かの話みたいだね。卵を先に見てこの鶏とみるか、鶏を見て、ここから卵が産まれてくるとみるか、そんな感じだよ」

 面白い表現ではある。

 確かに私は「卵」を活用して「鶏」を見たが、彼は「鶏」を軸にして、「卵」を見つけたわけである。

 「卵」を小論文の書き方とするならば、「鶏」はまさに、この「喧嘩文体」というわけである。

 「そういうことだな。鶏をお見せした以上、卵を、お見せする。君なら、この本の内容も理解できようし、読めば、文章の書き方もさらにわかるだろう」

 そう言って私は、小さな受験参考書と、私の書いた密林レビューを彼に手渡した。

 「今度のレビューは、短いから、すぐ読み切れるだろう」


 新「型」書き小論文 総合編 (大学受験ポケットシリーズ)

 樋口 裕一 著 学研 2003年


出色の小論文の参考答案集

 

 小論文指導の第一人者である樋口裕一氏の手による、樋口氏提唱の書き方にのっとった参考答案集である。理論を学ぶのは同氏の他の著作を読めばよいだろう。何よりこの手のものは、参考答案をいくつも読み込んだ方がより効果的である。そうして読んでいるうちに、書き方も身についてくるものである。

 私がこうして文章をどんどん書けるようになったのは、実は、樋口氏の著書によるところ大である。本書を受験参考書だけにしておくのは実に惜しい。大学受験生だけでなく、文章を書くすべての人にお勧めの一冊である。 (引用終り)


 「この樋口先生のおかげで、私は、文章をスラスラ書けるようになった。小論文の組立て案を提示して、それに従って、まずは書けるようにしなさい、ということだ。ある意味「付け焼刃」的な要素もあるにはあるが、種明かしすれば、なんてことはない。いつも、私たちが人との会話で使っている話法を、上手く文書作成術に落とし込んでいるわけだよ。さっきの話で行けば、この先生の紹介する文章を書く上での「型」を盗ませてもらった、ってことである」

 「なんとなく、それ、ぼくも感じたよ」

 「それは結構。あなたのその考えはよくわかるけど、それはいろいろな面で問題があるでしょう、だから私は、こうだと思うのだけど。どうですか? そういう流れを、見事に使っているだろ。英語で言えば、インディードバットというかな。確かにこうだ、しかしそうではなくああなのだ。そういう流れの入った段落を入れることで、反対説を考慮に入れることを意識させているわけだよ。そうすれば、説得力も増す、ってわけだ」

 「なるほどね。喧嘩文体との最大の違いは、相手に対して批判はしても、罵倒や非難はしない、ってことかな? むしろ、反対説にはできるだけ敬意を払う、ってことだね」

 「その通りだ。一方的なのは当たり前だから、交渉する、話をする、なんてことを言って、筋が通るわけもないだろ? そうそう、ひとつ、面白い文章を作っているから」


 私は甥に、昨日暇つぶしに作った文章をプリントアウトしたものを見せた。


 確かに、母親としては、いくらとっくに成人になっているとはいえ、息子が酒ばかり飲んでいるのを見過ごすわけにもいかなければ、飲み過ぎないよう注意することも必要であり、親の責務であると言われればそれを否定することもない。

 しかし、息子はすでに成人となっており、本人の酒量に応じて適度に飲んでいると主張し、現に酒を飲んで喧嘩などをしたこともないわけであるから、これをもって酒飲み呼ばわりすることはいかがなものか。

 なお、息子は生まれたときよりこの方日本国籍の日本人であり、成人後はその日本国の法令に違反しない範囲でかねて飲酒しているが、そのことについて息子の側がとやかく言われることに反感を持つことは無理もないことである。(引用終わり)


 「これ何? 酒飲みのおじさんの自己弁護の作文だね。ぼくには、そのようにしか読めないけど」

 「まあ、そんなものだ。君が小さい頃、私の母方の祖母、まあつまり、君から見て、ひいおばあさんの葬式のときに、母に向かって、そんなことを言った覚えがある。それをもとにして書いた。確かになあ、2歳か3歳のかわいい盛りの息子を事情があって手放して、その後会ったのは18歳から先、すでに酒は飲むし、大学に入っただけのことはあって、それなりの知識と知恵は持ち合わせている、ってことになれば、そのギャップ、親としては、特に母親なら、大きいだろうな。あいにく私は独身だから、そういう経験はしていないがね。でもまあ、こういう能力はこういう形でも使える、ってことやね」

 「その話を聞いてふと思ったけどさ、勉強して能力を高めることが大事なことは確かだけど、使い方を間違えたら、大変なことになる、ってことだね」

 「その通りだ。これはまあ、半分お遊びだから、おばあさんが読んでも、酔っ払いの馬鹿息子がまた何か言っとるわ、で終わりだ。それはともかく、先日、オウム真理教の元教祖と信者の死刑囚の死刑が執行されただろう、ニュースで、見たかね?」

 「見たよ。あの人たち、頭のいい人たちだったんでしょ?」

 「何をもって頭がいいというかはともかくとして、まあ、そうでなければとても入れないような大学を出た人たちが、多かったね。そのうちの一人、Nさんは、三石さんより少し後輩で、私のいた大学のサークルのある先輩の高校時代の同級生だ。高校時代のNさんを、卒業アルバムで先輩の同級生だった他の人に見せてもらったことがあるよ」


 私は、Nさんと同級生になる先輩たちのことを、彼に話した。

 Nさんがもし、オウム真理教の教祖である麻原彰晃こと松本智津夫氏ではなく、社会活動を積極的にしている医師や政治家に出会えていたら、ずいぶん違う人生になったことだろう。あれだけ社会を恐怖に陥れ、人を何人も殺してもいる以上、この「死刑」という罰は、止むを得まい。それでも、それで割り切れない何かを感じさせられるところがあるのは、なぜだろうか?


 「この話は始めるときりがないから、話を戻すよ。言葉を作り出し、それを文字という媒体で残す。そしてそれをひとまとまりの文章にし、読み解いていくという能力は、人類が生み出した最高の叡智の一つである。少なくとも私は、そう思っている。しかし、それは使い方を誤ると、とんでもない事態をも引き起こす。私の先ほどの文章は、まあ、しつこいけど、お遊びだから、どうでもいいけどね、この能力を悪用することだって、その気になれば、できると思うが、どうだ?」

 「確かに、できるね。それこそ、おじさんの言う「喧嘩文体」なんか使えば、気に入らない奴をバッサリ、とか・・・」

 「その通り。できるよ、その気になればね。だからこそ、使う場所や相手には、細心の注意を払わなくてはならん。少なくとも私は、弱い者いじめや、例えば犯罪の被害者や災害の被災者のような、ひどい目に遭っている人たちに対しては、そんな論法を使ってモノを言ったりはしない。誰にでも、いつでも、どこでも、どんな場合でも、使えばいいというものではない。逆に、そういう人たちに対してわかった口を聞いてくるような人間に対しては、決して、容赦しない。そういうときには、遠慮なく「喧嘩文体」を使って表現するまでのことである。もっとも、こんなことばかり言っているから、周りから、やくざ者のように思われたり冗談めかして言われたりしているのだがね」


 「今ふと思ったけど、この文体、例えば、「お笑い文体」にも応用できるかな?」

 「できないことも、ないだろうね」

 そこは私の管轄外だが、人を心の底から笑わせようというのは、実は、ものすごく難しいことである。だが、「喧嘩」の方向から「お笑い」の方向にベクトルの方向を変えれば、できないことでもないだろう。

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