第7話 もうひとつの青春 高校中退者短歌 詠み人の弁
(引用開始)
私が詠んだ「短歌」から
1993年3月、私はO大学法学部第二部法学科を卒業した。そしてしばらくの間、司法試験の勉強をするという名目で、しばらくの間アルバイトをしつつ勉強することにした。結果的にはその1年半後、アルバイトで入ったはずの学習塾の専従講師となったわけだが、それにしても、学生時代のように昼は正社員として印刷会社で働き、夜は大学に行くというきつい生活からは解放され、自由になる時間は増えた。実入りも、それなりにはよくなった。
その頃から私は、塾の仕事の合間を縫って、玉野市の真鍋照雄さんという、大検の普及や不登校、さらには高校中退の問題に取り組んでおられる方のお手伝いを本格的に始めた。不登校についてはここではさしあたり置いておくとして、高校中退者の増加は、この頃から社会問題化しつつあった。
それまでの「高校中退」に対するイメージは、家庭の事情やで働かざるを得なくなったりとか、あるいは本人がどうしてもやめて働きたいと言い出したりとか、はたまた、病気などによる療養で・・・、などといったことが主たる理由で、まあ、しょうがないことだろう、程度の認識であった。
確かにこの頃の中年以上の人たちには大学どころか高校も行っていない、あるいは中退したという人はそれなりにいたから、それが「社会問題」となること自体に違和感を持たれていたかもしれない。まあ、無理もないことだろうな、と。
しかし、高校進学率が9割を超えて久しくなり、中卒はもとより、高校中退という「低学歴」では、アルバイトとしてでさえも雇う側が二の足を踏むようになってきたこの頃、「高校中退」を「まあ、仕方ないこと」ととらえて済ませられるような状況ではなくなってきた。
もちろん中には高学力で大検などを通じて大学に行くような層もいるにはいるが、それはあくまでも例外であり、大半の「高校中退者」は、中程度以下の学力層のほうが圧倒的に多かった。とはいえ、こういう制度があり、それを、このように活用すれば道が開けるのだ、という「羅針盤」がないと、いくら高学力層の有能な人材であっても、そこで能力を開発して人生を切り開く道が閉ざされてしまう。
「大検」という制度は、当時の高校教育になじまない中程度以上の学力を保持する有能な人材を救済し、世に羽ばたかせる起爆剤となったことは間違いない。
学習塾の仕事に行く日の昼前、突如、真鍋さんから電話がかかってきた。
「実はね、高校中退者の短歌集を作ろうと思っとってね、あなたの場合はちょっと「中退者」の定義に当てはまるかどうか微妙なところがあるにはあるけれども、大学に合格して定時制高校を「中退」していることに変わりはないから、ぜひとも、「高校中退者」として、短歌を作って欲しいんじゃがな」
「そりゃあ、いいですけど・・・」
「それでな、今度の日曜日は時間があるかな?」
「ええ、ありますよ。特にテスト期間でもありませんし。じゃあ、伺いましょうか?」
話はそこで決まり。
その次の日曜日、岡山駅前から出ている特急バスに乗って約1時間、私は玉野市内の真鍋さん宅に向かった。
バス停から数分歩き、高台を登り切ったあたりに、真鍋さんの自宅がある。
すでに何度も通っているから、私は黙々と、目的地へと歩いて向かった。
真鍋邸に到着すると、真鍋さんが早速、話を切り出した。
「じゃあ、早速だが、書いてもらえるかな?」
ある程度覚悟していたこととはいえ、57577の文字数にしたがって思いを述べることは、存外、精神的に負担のかかることである。特に慣れないうちは。
だがとにかく、形に乗せて、書いてみた。
不思議なことに、書き出せば、意外といくらでも書けるものだ。
私は中学卒業後高校受験に不合格となり、定時制高校に籍を置き大検を受検していた当時を思い出し、短歌形式にのっとって、「高校生」当時の思いと、大学に現役合格し、卒業した後の今の思いをぶち曲げた。まさに、ここぞというチャンスやどうにもなりそうにないピンチの時に打席に立った長嶋茂雄選手のような心境で、私は真鍋さんに与えられた紙と筆記具(鉛筆だったかシャープペンシルだったかは忘れたが、ボールペンでなかったことは確かだ)を持ち、消しゴムを横に添えて、一気に十数種の歌を「詠んだ」。
そうして詠まれた短歌は、極端なほどの二面性が歌によって出ており、それも、どちらかに振り切ったような仕上がりになった。
他の人たちの短歌もそのとき読ませてもらったが、私の短歌は、かなり異質なものに仕上がっているように思われる。
私の「詠んだ」歌のうち、真鍋氏が自費出版された短歌集「もうひとつの青春 高校中退者短歌」という題の冊子に掲載されたのは、これから述べる7首である。これらの短歌は、私の本名やペンネームではなく、「岡山県男子 23歳」と、現在居住している都道府県と当時の満年齢が記された形で紹介された。私個人は、実名を挙げられることに何のためらいもなく、むしろ大歓迎でさえあったが、これは私だけでなく、他の「詠み人」各位も、一律にこの扱いとされた。そのことに対する価値判断はここでは行わないが、いずれにせよこの短歌集は、広く一般に紹介され、後に北海道の元高校教諭である内山義一氏との共著「自分さがしの旅の始まり 高校中退者の青春嘆歌(1994年・学事出版)」でも紹介されることとなった。
なお、この冊子に紹介されていない歌の中にも、内山氏との共著や後に創刊された「高校中退通信」などで紹介されたものも少なからずある。
さて、私の詠んだ短歌で真鍋氏の冊子に紹介されたのは、次の7首であり、その順番通りに引用した。できれば、個々の短歌の内容だけでなく、相互の短歌の位置にも注目していただければと思う。
幼稚園高校共々中退でそれでもやれると司法試験に
ごたくなど聞くひまあれば勉強して結果つきつけ黙らせてやれ
高校の入試に落ちて八年間されど紙切れ学位を見たまえ
球場でマユミーマユミーホームラン中間捨てて大うさ晴らし
わが道を行く私にも味方あり学校で知った人の世の情
中学の大恩師宅に電話かけグチやぼやきを聞いていただく
これだけの人とは違う経験の積み重ねこそ我が身の財産
これらの歌の後に、私も含めて高校「中退」経験をもつ作者はそれぞれ、文の長短についてはいろいろあるものの、中退前後の心境などをしたためた一文を寄せた。
私はその文章の末尾に、このようなことを書いた。
「 (前略) 高校など行かなくても(落ちても)大学へは行ける。司法試験もやれる。高校なんて何なのでしょうね。学歴なんて「利用する」ものである。「利用される」ものではないと思います。形云々ではない。高校ごときにこだわっても結局何にもなりません。いかに生きていきたいか、そのために何をすべきか、それだけを考えて道を探り、動くことを考えるべきだと思います。」
今読み返しつつパソコンでこの文章を「書き直して」みると、あまりにも稚拙な文章に思えて、恥ずかしい限りである。例えば、「思う(思います)」という言葉、今の私なら、これだけの文章内で2度も使うことはない。密林レビューを書くときなどは、どんなに長くなっても一度使うかどうかだ。それはともかく、当時23歳の私はここに、10代で学ぶべき人生を乗り切っていくための指針を簡潔に表現したつもりだった。
内山氏は私の短歌を総括し、
「(前略)言葉の魔力の恐ろしさを知らされた思いがする。言霊説の受け売りではないが、一度自分を離れた言葉の独り歩きの怖さを改めて確認させられた。」
と述べられている。
個々の短歌の解釈はともかく、氏のこの言葉は今の私にとって、実に心すべきものと、改めて痛感している次第である。
それにしても、真鍋氏が編集されたこれらの短歌の並びは実に絶妙である。
まん中の、中間テストを放棄してプロ野球の観戦に行くという趣旨の歌は、その左側と右側の3首の「境界線」のような役割さえ果たしている。その左側についてはかなりの落ち着きのある歌であり、内山氏の文によれば、「高校時代を顧みた歌ではなく、次の中退した後の短歌の章に取り入れるべき」短歌であり、「落ち着いた表現で、作者の人柄が現れている」とのこと(ただし、「中学の~」の歌は除く)。
しかしここで問題にしたいのは、そちらではない。今回私が分析対象にしているのは、もちろん、右側の3首と、中心にある野球観戦の歌のほうである。
「「大うさ晴らし」「見たまえ」「黙らせてやれ」など他人に対して挑むような攻撃的な激しさ」を見せており、「何か挑むような純朴ではないような言葉の響きが見え隠れ」さえすると内山氏に評されたこれらの歌は、単なる歌い手個人の「喧嘩」を超えて、同じような環境にある人たちや辛い境遇にいる人たちを鼓舞さえしているようにも思われてくる(手前味噌なのはご容赦を)。
そもそも論として、自分自身の歌にこのような解説をするのもどうかとは思うが、読み手としての私自身の当時の思いはまさに、そんなところにあったことは確かである。これらの短歌からは、それこそ「啖呵」と言ってもいいほどの勢いさえも感じさせる(自画自賛もほどほどにすべきだが、ここもひとつご容赦を)。
「詠んだ」当の私でさえも、今読み返して、そうとしか言いようがないほどのえも言われぬ勢いを感じるほどである。内山氏の解釈には私自身は相当の異議を当時から持っていて、今もそれは変わらないのだが、わずか100字少々の歌4首で詠まれたこの言葉群は、私の「喧嘩文体」の原風景と言ってもいいかもしれない。
(引用終り)
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