第4話 作家のレビュー 一人ぼっちの私が市長になった

 甥は、ずいぶん熱心にレビューを読んでいる。

 私は引き続き、以前印刷していた関連書のレビューを渡し、それも読ませることにした。こちらの本も、三石さんに勧められて読んだとのこと。

 次に紹介する本は、児童養護施設出身者でその施設のある市の市長を2期にわたって務めた人の半生記である。

 

 書籍名 一人ぼっちの私が市長になった  草間 吉夫 著 2006年 講談社

 

 養護施設=(相対的)弱者と松下政経塾(=圧倒的)強者のくらしから


 養護施設(現在の法令上では「児童養護施設」と表す)出身者が大学を出て(この世界ではそれ自体が奇跡のような側面さえあった)、その後松下政経塾で学んだ後、幼少期を過ごした養護施設のある茨城県高萩市長になるまでの半生記である。


 実は私自身も著者同様、6歳から18歳までの間、某市のとある養護施設で生活した。著者と同じではないが、おおむね同じような経験をしている。しかも、著者同様、養護施設から大学に進んだが、その後の生活というのは、もちろん違う点もあるが、よく似た点もある。ただ、感覚的なものとしては、共通点がかなりあるなというのが正直な感想である。


 養護施設の常識は、社会の非常識でもある。

 

 そのような場所で「群れ合い・馴れ合い・甘え合い」の生活を「押し付けられた」あかつきには、その場限りのことはどうにかなっても、社会的にはむしろ不適応を起こしかねない。著者や私の時代の児童福祉にはまだ古い体質がずいぶん残っており、それゆえに施設を出て社会に適応せず潰れていったような元入所者も随分多い。「同じ釜の飯を食った仲」だの「同輩」など、安っぽげな仲間ごっこの言葉を並べて語れるような世界などでは決してないのだ。もちろん、個々の現場の職員らは一所懸命に、目の前の子どもたちのためにできることを必死でやっていこうとしていたし、今でもそうであろう。幹部職員諸氏にしてもそうである。しかし、施設の生活というのは家庭のそれとは似て非なるものであることもまた事実である。ただ、そのことの是非は述べない。私がいた当時の養護施設関係者に対し恨み節や罵倒もしないが、免罪符を与えることも、当時の個々の職員の言動に対する論評もしない。

 

 ところで、施設をいったん出て、社会に出たらどうなるか。本来、そここそが「普通」であり、「自由」な場所である。施設の生活というのは、いくら述べたところで所詮、檻の中のじゃれ合いのようなものでしかないことに嫌でも気づかされる。

 さて、著者は縁あって松下政経塾で学ばれたという。松下政経塾というのは、その賛否や是非はともかく、おおむね、将来の政治エリートを育成する場である。社会的には、言うまでもなく「エリート」の学び場である。そして現に、そこで学んだ者はもともとエリートというべき経歴を持ち、そういうポジションに向かっていく者がほとんどである。彼(彼女)らを指導する者もまた、その世界では名の知れた人たち、日本を動かすといっても過言ではない人物たちとも会おうと思えば会える立場の者となる。著者は自ら運命を切り開き、「松下政経塾生」という肩書を得た。だからといって卒業生のすべてが政治家になっていくわけでもない。とはいえ、著者のもとにも、政治家として活動してほしいという声がいくつか入るようになった。

 そして著者は、高萩市の市長選出馬を打診された。前回の幼少時は、「押し付けられた」上での高萩市との縁であったが、今度は、「強く望まれての」縁である。高萩市長というのは、施設に入所していたころから終生可愛がってくれた人物の職でもあった。選挙戦を戦い、現職候補を破って市長に就任した。ちなみに著者は、現在2期目を務められている。

 松下政経塾は、社会的には「強者」の学ぶところである。そこらの地域や組織の有力者程度のものなどではない。松下政経塾をもって、「普通の世界」などと言い切るつもりはない。しかし、この経験があるからこそ、養護施設という、「弱者」の置かれる環境、立場、そしてそこでの矛盾が逆に際立つのである。


 本書が単なるお涙頂戴の安っぽげな話に仕上がってないのは、この松下政経塾時代のエピソードあるが故でもある。本書をお涙ちょうだいの浪花節でとらえたり、著者が「ひとりぼっち」でなくなったことを「よかったね」と手放しで祝って終わらせたりしてはいけないことを、養護施設出身者の一人としてあえてここで申しあげておきたい。

        (引用終)


 甥はこの2つのレビューを読んでいたが、読み終えて、一言。

 「これだけの文章書けと言われても書けないけど、まあ、何とか、原稿用紙だけは埋められる材料ができた気もする。おじさんにとってはビールをひっかけながらでも書けるものかもしれないけど、今のぼくには、逆立ちしても書けないよ、ここまでは」

 「私だって、これくらい酒飲みながらでもすらすら書けるわい、とでも言いたいのはやまやまだが、そうでもない。日々何がしかの本を読んで、それをさらに自分なりに消化しないと、たかが本のレビューでさえも、そうそう書けるものではない。密林レビューにはちょっとした感想だけを書いている人も多いが、しっかりした文章を書いている人も多い。私がそのうちの一人だとは言わないがね。だけど、しっかり書こうと思えばそれなりに本を読み続け、文章を書き続けていかないといけない。確かに私は養護施設で育った。その点において、養護施設の子どもたちの暮らしはそれなりに分かる立場にある。だが、養護施設の生活をしていない君には、これらの本の感想さえも書けない、というわけでもないだろう。こういう本を通して、君だって、養護施設で生活する子どもたちの追体験ができるのだ。もちろん、私のように経験がない分、わからないところもあるだろう。だが、知っているからこそ、逆に、書けない、触れられない、という部分があることも、また一面にはある。これだけでも、参考になるようなら、参考にして、何なり、書いてみな。話は、それからでも、遅くはあるまい」

 「いや、ちょっと待ってよ。そりゃ、書くヒントみたいなものはもらえたかもしれない。いや、何とか、書けると思うけど、何かが・・・」

 「何かとは、何なのか?」

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