第20話 不本意ながら危険な状況です
郊外にある一軒の宿屋。小鹿亭と同様、一階は食堂兼酒場となっており、半分くらいの席が埋まっている。俺はそんな席の一つに座り、ジュニアショットのジョッキを傾けていた。
「失礼」
帽子をかぶった一人の男が俺のテーブルの横を通り、後ろの席の椅子を引く。通り過ぎるとき、男と目が合い、俺はおや、と思った。この人、どっかで……
『そのまま振り向かずに聞け』
男が俺の真後ろの席に座った途端、アリーシャの声が聞こえて俺は驚いた。思わず辺りを見回しそうになり、慌ててジョッキを煽る。
『私は今、木霊魔法を使い、この男を通してお前と話をしている。そのまま前を向いたまま話せ』
後ろの男を仲介して声を飛ばしているのか。そうだ、思い出した。この人は
『どういうことだ?監視されているとポルトに言ったらしいが』
「言葉の通りです。俺は今監視されています。それも小鹿亭の女将さんと同じ<スキル>で」
『何だと!?バカな、あの<スキル>はお前が……』
「はい、確かに消しました。でも今感じている視線は間違いなくあの時と同じものです。感情はまるで別物ですが」
『感情?』
「俺を見ている、つまり<スキル>を使っている者の感情です。殺意や悪意と言ったものを強く感じます。今俺を見ているのは間違いなく敵です」
『侯爵家の者か?』
「おそらく。といっても侯爵家の人間ではなく、屋敷にいる者、という意味ですが」
『例のメイドか?』
「多分間違いないでしょう。あの親子は普通じゃない。メイド本人も異常ですが、その子供はもっと異質な感じがしました。支部長の考えは当たっていると思います」
『屋敷で見たことを手短に話せ』
俺は侯爵家の人間に黒い
『あれほど無暗に<スキル>を使うなと言ったのに、お前という奴は……』
「すいません。でもシャルロット様の様子を見ていたら放っておけなくて」
『まあ今マクシミリ候が亡くなるようなことがあれば混乱するだろうしな。……それが敵の狙いか』
「メイド親子もそうですが、屋敷で働いていた人間が次々にいなくなっているのを放置している執事さんも気になります。もしかすると……」
『かなり以前から奴らの手の者が侯爵家に入り込んでいたのかもしれんな。既に侯爵家の人間は篭絡、あるいは操られているのやも……』
「シャルロット様は正気のようでしたが」
『催眠魔法のようなものを使っていたとすれば理解出来る。貴族の中には精神系魔法に耐性がある人間が稀にいるのだ。シャルロット嬢は操ることが出来ないのかもしれん』
「となると逆に危険ですね」
『うむ、奴らにとっては邪魔者だからな』
「ユーティリスに実際会ったんですが、そのメイドに操られたような所がありました」
急に怒りが消えて去っていった時のことを思い出す。
『確かにあの男はろくでなしだが、父親が瀕死の状態でいるときにメイビスを嫁に寄越せと言ってくるのは流石に異常だしな』
「そうですね。まともな判断が出来なくなっているのかもしれません」
『敵の思惑通りに動かされているわけか。明日のお披露目、只では済まんかもしれんな』
「俺もそう感じています」
『万が一の時、ゴーレムを止める手を用意しておく必要があるな』
「それなんですが、考えていることがあるんです」
俺は自分がやろうとしていることをアリーシャに伝える。
『本当に出来るのか?そんなことが』
「あまり時間が経つと難しいかもしれませんが、午前中に実験した時は成功しました。訓練場全体にやるのは無理ですが,何とか向こうが魔法を発動する範囲を限定出来れば……」
『それはこちらで準備しよう。仕込むのはお披露目の直前、ということだな?』
「はい」
『監視の気配が無くなったら、泊まっている部屋から合図しろ。この男を張り付かせておく』
「分かりました」
会話が終わると査察課の男は黙って席を立ち、去っていく。俺は追加で軽い食事を頼み、腹ごしらえをしてからさっき取った二階の部屋へ入った。
することがないというのは本当に退屈だ。考えてみれば公国の
「……」
ベッドに入ったものの、時間が早いせいもあって中々寝付けない。悪意のこもった視線をずっと感じ続けているのだから余計だ。それでも先ほどまでの疲れもあって、知らないうちに俺は意識を失っていった。
ふと目が覚めた。どれくらい経ったのだろう。まさかもう翌朝じゃないだろうな、と焦りながら体を起こし窓を見ると、外は真っ暗だった。まだ夜か。少しほっとする。
「……」
神経を集中して辺りの気配を窺うと、あの悪意に満ちた視線は感じなくなっていた。俺が寝てしまったので、<スキル>を解除したのだろう。助かった。
俺はランプを灯し、窓から外へ向けてぐるぐると回した。これで外にいるはずの査察課の人に伝わるだろう。俺はそれからランプを上から下へと動かし、これから下りていく、という意思を示した。すると、道の向かいでランプが上下に動くのが目に映る。よし、通じたようだ。
下の酒場はまだ何人かの客がいて盛り上がっていた。俺は目立たぬようそっと外に出る。と、道の向こうから男が駆け寄ってきた。
「お疲れ様です。アリーシャ教官はずっと監督署に詰めていらっしゃいます」
「分かりました。監視の目は無くなったようなので、俺も監督署に戻りたいんですが」
「なら私が代わりに部屋に泊まりましょう。万一の時のダミーとして」
「お願いできますか」
「はい」
俺は彼に礼を言い、監督署へ急いだ。いつまた監視が始まるかもしれない。しかし一度途切れればそこから俺を追跡することは出来ないはずだ。
「待っていたぞ、トーマ」
支部長室に入ると、いつも通りに支部長とアリーシャがいた。もう残業どころの話じゃないな。
「アリーシャに君の作戦は聞いたよ。無茶ばかりしようとするねえ、君は」
呆れたように支部長が言う。我ながら無茶だとは思うが、俺も積極的にやりたいというわけではない。他にいいアイデアがあったらそっちを採用してほしいものだ。
「残念ながらそれ以上にいい作戦は思いつかないね。まったく、君に<スキル>を使うなと言っておきながら、結局その<スキル>に頼らざるを得ないとは。ハンナを苦しめた職員を責められないな、これは」
「あんなひどい奴と一緒にしたら、支部長だけじゃなく女将さんにも失礼ですよ」
「そう言ってくれるとありがたいがね」
「あっ!」
「どうした?」
「いえ、思い出したんです。支部長がマクシミリ候を転生者嫌いと言ってたのをどこかで聞いたことがあると思ってたんですが、女将さんの旦那さんが通っていた町の貴族というのが……」
「ああ、そういえばそういう話だったね。うん、待てよ?今のマクシミリ候は婿養子だったね。たしか出自は……」
「私の記憶ではベルーナと言う町を管轄していたナバル伯爵家の子息だったかと」
「ベルーナか。やはりそうだ。ハンナの旦那さんが通っていた町だよ」
「何ですって?」
「マクシミリ候の出身地近くに住んでいた転生者の<スキル>が暴走し、それが今敵の手によって利用されてるってことかい?これまた偶然と片づけるには怪しすぎるね」
「お前を監視していたのは新しく入った例のメイドだと言っていたな?」
「証拠はありませんが、おそらく。屋敷で睨まれた時の視線と同じ悪意を感じましたから」
「ちなみにそのメイドはなんていう名前だい?」
「カテリーナと名乗っていましたが」
「カテリーナ?」
支部長が眉間に皺を寄せる。
「どうかしましたか、支部長?」
アリーシャの質問に答えず、支部長は例の浮き独楽に乗ったまま、ふよふよと移動し壁際の書架に手を掛ける。
「支部長?」
「ちょっと待っててくれたまえ」
支部長は書架にずらりと並んだ書類を綴じたファイルを何個か取り出し、ページをめくる。何番目かのファイルに目当ての記述を見つけたらしく、それを持って机に戻ってきた。
「やはりそうか。聞き覚えがある名前だと思ったが……」
「知ってるんですか?カテリーナを」
「直接は知らないがね。……ハンナの旦那に<スキル>を使わせ死の原因を作った例の監督署の職員だよ」
「な、何ですって!?」
その職員は女だったのか!先入観で男だとばかり思い込んでいた。
「まさかその職員が!?」
「いや、それはあり得ない。そのカテリーナというメイドはまだ若いんだろう?」
「はい。見た目は20代、若く見えるにしても30代後半とは思えません」
「ハンナの旦那の事件が起きたのは20年以上前だ。その頃そのメイドはまだ幼かったろう。いくら田舎でも幼子が監督署の職員を務めるはずもない」
「ですが、これも偶然と言うには……」
アリーシャの言う通りだ。<スキル>の暴走の原因を作った女と、今その<スキル>を悪用している女が同じ名前。これが本当にただの偶然なのか。
「ポルトもその女の顔は知っているんだな?」
「勿論です」
「ポルトの泊まっている宿に使いを出してそのメイドの似顔絵を描かせよう。あいつは絵が得意なんだ。そしてそれを小鹿亭のハンナに見せる」
「おいおい、本気なのかいアリーシャ。さっきも言ったが……」
「念のためです。もし二人のカテリーナが同一人物だとしたら……」
「考えたくない事態だね。もしそうならこの一件には……」
「はい。魔族が関与している可能性があります」
魔族だって!?カノンを狙い、侯爵家に魔の手を伸ばしているのが魔族だと言うのか?
「フォートン卿にも私から使いを出そう。明日のお披露目、不測の事態に備えて王国軍の警備を強化するよう頼んでもらう」
「卿は貴族の中でも我々に理解を示してくれていますからね」
「でなければ娘が監督署に勤めるなど許すはずもないからね。時間がない、急ごう」
「俺はどうすればいいですか?」
「お前はもう休め。今日は疲れたろう。それに明日はぎりぎりまで魔力を使ってもらうことになる」
「でも気になりますよ、カテリーナのこととか」
「結果が出たら応接室に知らせに行ってやる。とにかく少しでも休め」
俺はその言葉に甘え、支部長室から応接室に戻った。さっき少し眠ったとはいえ、やはりまだ疲れは残っている。
「おかえり。遅かったわね」
応接室に入ると、ベッドで眠るカノンに傍の椅子に座ったリリアが寄り添っていた。
「寝てるか。そりゃそうだな」
「さっきまで寂しがってしょうがなかったのよ。あんたが帰らないから」
「すまん、今日は色々取り込んでて……」
「どうだったの?首尾は」
「予想以上にまずい状況かもしれない」
「本当に!?」
「ああ。何が何でも明日のお披露目は成功させちゃいけない。メイビスだけでなく、侯爵家にも危険が及ぶ可能性が高い」
「侯爵家に?だって魔法を披露するのは侯爵の次男でしょ?」
「詳しい話は終わってからする。とりあえず明日の作戦なんだが……」
俺はリリアに明日の作戦を簡潔に説明した。
「本当に大丈夫なの?あんたの体、持つの?」
「持たせるしかない。もしもの時はお前にも手伝ってもらう」
「それは勿論だけど」
「少し横になる。もしアリーシャ先生が来たら起こしてくれ」
俺はソファに寝転がり、体を沈めた。明日のために体力を回復しておく必要がある。
しばらくの間、夢と現の間を行ったり来たりしていたような気がする。脳裏に幾つもの映像が浮かんでは消えていった。そんな中で何かが心に引っかかった。最近の出来事で何かに違和感を覚えているような……何だろう、これは?
……ノックの音が聞こえた。意識が急に現実に引き戻される。
「起きてるか?トーマ」
アリーシャがドアから顔を覗かせた。俺は体を起こし、ドアへ歩いていく。
「どうしたんですか?先生」
不安げな顔でリリアが俺とアリーシャを見る。
「少しな。カノンは大丈夫か?」
「はい、よく寝ています」
アリーシャがわずかに微笑んで廊下に体を出す。俺はそれに付いて部屋を出た。
「どうでしたか?」
俺の質問にアリーシャは真剣な顔をして口を開く。
「ポルトの描いた絵をハンナに見せた。……見た瞬間、彼女は真っ青になって気を失いかけたそうだ」
「そ、それじゃ……?」
「間違いない、そうだ。ハンナの旦那を死に追いやったカテリーナと侯爵家のカテリーナは同じ人間だ」
「そんな……」
「ことは思った以上に重大かもしれん。フォートン卿からも王国軍への要請を約束するという返答をもらった。明日はよほどの覚悟が必要かもしれん。……本来ならこれはお前たちが関わらなくてもよい案件だ。危険を冒してまで協力する義務はないぞ」
「今更手を引けって言うんですか?出来ませんよ、そんなこと。侯爵家の中を見てしまった以上、あんなところにメイビスを行かせることなんて考えられません。それにシャルロット様のこともあります。このまま放ってはおけません」
「リリアも危険かもしれんぞ」
「覚悟の上です」
いきなり後ろから声がして、俺たちは驚いて振り向いた。いつの間にかリリアが部屋から出てきて俺たちの傍に来ていた。
「危険ならなおさら、メイビスを助けないと」
「そうか。しかしくれぐれも無茶はするな」
「状況がそれを許してくれればいいんですがね」
「我々も万全の備えをする。お前たちはもう休め。明日は大変だぞ」
俺は頷き、リリアと部屋に戻った。ベッドに歩み寄り、カノンの寝顔を見つめる。この子に危険を近づけるわけにはいかない。俺は改めて気持ちを引き締め、もう一度ソファに横になった。
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