第11話 不本意ながらお泊りです

 さて困った。


 俺の見るところアリーシャは勢いに任せて言った自分の言葉に引っ込みがつかなくなっている気がする。少し時間を置いて冷静になればさっきの言を取り消してくれそうな気もするが、いかんせんフェルム支部長が無駄に煽ってしまっている。


 『ハンナには今夜君が帰らないことは伝えておくから、心配せずにアリーシャのところに泊まりたまえ。ふふふ……』


 部屋を出るときにかけられた支部長の言葉が頭をよぎる。あの人絶対楽しんでるよなー。エルフは長く生きてるから刺激を求めてるのかもしれないが、こっちとしてはいい迷惑だ。いや、正直言って美少女の部屋にお泊りするのが嫌なわけではない。むしろ大喜びする状況だ。だがこれはフェアではない。これではまるで俺が女の子の部屋に泊まるために<スキル>を使ったみたいではないか。俺は決して立派な人間ではないが、人の弱みに付け込んだように思われるのは心外だ。

 

 とはいっても自分から言い出して<スキル>を使った以上、その結果を確認することに協力するのは義務と言えるだろう。しかしなー。一緒に寝ることはないだろうが、すぐ近くにあんな美少女が寝ていて理性を保てるだろうか?あまりにも刺激が強すぎる。……だがこれは向こうが言い出したことなのだ。ならば前の世界で別の意味で魔法使いになった俺にとっては千載一遇のチャンスなのではないか。

 いや!いかんいかん!!何を考えているのだ俺は。それでは本当に弱みに付け込む格好ではないか。第一アリーシャにはそんな気はないだろう。血迷った真似をすれば叩きのめされるのがオチだ。そして本当に恐ろしいのはそれからなのだ。

 

 よくあるハーレム系のアニメやラノベなどで、美少女に囲まれモテモテの主人公が誰にも手を出さずにいることを不自然に感じたことがあるのは俺だけではあるまい。しかし実際に自分がその立場に置かれてみると、それが何故なのかがよく分かる。俺にとって今のこの世界は現実であり、アリーシャを始めリリアやメイビスたちは現実に目の前にいる存在なのだ。そんな女の子と万一にも間違いを起こせば、その後の生活がどうなるか。特に身近にいる人間であればそれからも毎日顔を合わせるのだ。気まずいったらないだろう。一人と恋人になって付き合うことになればまだいいが、自分に好意を持った複数のヒロインと関係を持とうものならその先の修羅場は容易に想像できる。ましてや俺の場合、ハーレム系主人公でもなければ周りの美少女たちが自分に好意を持っているわけでもないのだ。おかしなことをすれば変態扱いされ、最悪手が後ろに回りかねない。


 大体異性に肌を見せることすら気にしているくせに、どうもアリーシャは脇が甘いように思えてならない。昨日のシャワー室の件だってそうだ。いくら使用時間外だからと言ってプレートを「使用中」にしておけば俺だってうかうかと入っては行かなかったはずだ。誰かに気付かれたにしても「許可を取った」と言えばいいだけの話だ。わざわざ庶務課まで確認に行く暇人もおるまい。初めて勤務日に寝坊して焦っていたのは分かるが、少し危機感が足りなかったとしか思えない。


 「やっぱりなんとか思い止まらせんとな」


 書類を見ながら俺は呟いた。俺は今休憩室で明日からの清掃シフトを作るべく考えをまとめている。しかしアリーシャのことが気になってちっとも考えがまとまらなかった。この分では明日の提出は無理だろう。


 「あれ、まだいらっしゃったんですか?」


 「うわあああっ!」


 いきなり声を掛けられ、俺は思わず大声を上げてしまった。椅子がひっくり返りそうになるのを何とか抑え、慌てて視線を上げると、目を丸くしたパタラがテーブルの向かいに立っていた。


 「だ、大丈夫ですか?」


 「あ、ああ。パタラさんか。部屋に戻るよりここの方がはかどるかと思ってね」


 「あまり根を詰めない方がいいですよ?」


 「そ、そうですね。そろそろ帰りますよ」


 できれば自分の部屋に帰りたいところだ。


 「そうして下さい。私も今日は上がります。お疲れ様でした」


 「あ、そうだ。その前に」


 「どうしました?」


 「帰る前に借りたいものがあるんですが、いいですか?」


 「はあ」


 長い耳をぴょこん、と横に倒し、パタラが不思議そうな顔をした。


 

 目的のものを借り受け、パタラが去っていくのを見送って俺は大きく息を吐いた。しかし改めて思うがパタラやニブ、それにコニーも十分すぎるほどの美少女だ。これではまるで本当にハーレム系主人公の立場みたいではないか。まあ彼女らが俺に興味を持つとも思えないし、単に眼福としてこの状況を享受しておこう。

 そんなことを思いながら時計に目をやるともう6時になるところだった。本当にこのまま小鹿亭に帰りたいところだが、そうもいくまい。とりあえずはアリーシャを説得しなくては。


 「遅いぞ。6時に帰ると言っておいたろう」


 エントランスを出ると、アリーシャがしっかり待っていた。昨日の模擬戦の時は動きやすそうな格好をしていたが、今はピシッとしたツーピースを身に着けている。いかにもデキる女、といった印象だ。


 「あの、やっぱりやめませんか?部屋を教えてくれれば明日の朝早く伺いますよ。それでも検証は出来るでしょう」


 「なんだ、やっぱり私と過ごすのは不満か?」


 「いや、そういうことではなくて。やっぱりマズイですよ、これは」


 「何がマズイ?……貴様の能力を誰にも知られんためにはお前自身が効果を確かめる以外なかろう」


 声を落とし、耳元でアリーシャが囁く。息が耳にかかり、思わずゾクッとする。


 「ですからそうではなくて、若い女性の部屋に若い男が泊まるっていう状況がですね……」


 実のところ俺もアリーシャも若い、というほどの年齢ではないのだが。


 「心配するな。もし貴様が血迷った真似をしても返り討ちにしてやる。魔法が消されても体術で圧倒する自信くらいあるぞ」


 予想通りの反応だが、そこが問題ではないのだ。劣情に身を任せてしまった自分を見せるのが怖いのだ。今日からここで働き始めたばかりなのに、明日からどんな顔をしてあなたと顔を合わせたらいいのだ。とても耐えられそうにない。


 「先生、俺だって男なんですからね。間違いが起きなかったとしても、そういう目で見られるのはその……一族的にダメなんじゃないですか?」


 「ほお。つまり貴様は私に欲情しているわけか?これは興味深い」


 「茶化さないでください。今はそうじゃありませんが、同じ部屋で一晩過ごしたりしたら、理性が持つ保証はありませんよ。先生は自分が可愛いことをもっと自覚すべきです」


 「自覚はしているさ。言ったろう?結構イケてると思わないかと。しかし自他ともに厳しく生きてきたのでな。これまで男に言い寄られた経験がないのだ。町で軽薄そうな輩にナンパされることはしょっちゅうだが、そんなものは論外だ。皮肉なもんだ。幼いころはサキュバス呼ばわりされたのに、今は周りの男はちっとも寄ってこん」


 「同じ部屋で一晩過ごせばどんな男だって妙な気を起こしますよ。少なくとも俺はそうなる自信がありますね」


 「変なことに自信を持つな。とにかくこんなところで長話をしていると目立つ。そろそろ行くぞ」


 「ちょ、ちょっと待ってくださいってば!」


 俺の言葉を無視し、アリーシャはさっさと歩き出す。慌てて追いかけながら何とか説得を続けてみる。


 「これだけ忠告したんですから、これ以上はそっちが誘っていると判断しますよ!」


 「私がそんなに軽い女に見えるのか?貴様」


 「とてもそうは見えませんが、男というのは物事を都合よく解釈したがるんです。特に女性に関しては」


「変な奴だな。これから不埒なことをします、と本人に向かって言う男がどこにいる?普通は警戒されないよう無害なところをアピールするのではないか?」


 「俺は……あなたにそうなった自分を見せたくないんです。これから先恥ずかしくて合わせる顔がないじゃないですか。もし欲望に負けるようなことがあったら俺はここを出ていきますよ」


 「それは困る。お前の<スキル>を野放しには出来ん」


 「だったら!」


 「しかし結果の検証はしなければならん。それをお前以外の男で行うことは出来ん」


 「ですから明日の朝……」


 「すまん。本当のところは少し嬉しいのだ」


 「え?」


 「成功するかは分からんにしても、私のこの体質をどうにかしようなどと本気で言ってくれたのはお前が初めてだ。面と向かって可愛いと言われたのもな」


 「う、嘘でしょう。先生ほどの美少女が今まで可愛いと言われてこなかったなんて」


 「嘘なものか。幼いころの話はしただろう。故郷を離れた後はとにかく厳しく自分を律し、剥き出しの刃みたいな雰囲気だったからな。恐れられることはあっても好意を持たれることなどなかったよ」


 「言い出せなかっただけですよ、きっと。先生が厳しいので。憧れていた男は山ほどいたと思いますね」


 「存外口が上手いな、貴様」


 自分でも意外だった。女性にこれほど流暢に話が出来るとは。転生前の自分には考えられないことだ。


 「しかしだからと言って油断しすぎです。理性を失った男というのは先生が思っているより遥かに危険です。いくら力に差があっても欲情に身を任せた男は一筋縄ではいかないかもしれないんです」


 「そんなに危ない男になるつもりか?」


 「なりたくはないですが……とにかく頭で考えるより体が動いちゃうものなんですよ、男ってのは!」


 「それだけ私が魅力的だということなら悪い気はせんな」


 「先生!!」


 「そう怒るな。……お前は本当におかしな奴だな」


 「え?」


 「それだけ相手に対して気を使い、自分を律しようとしているお前がそれほど破廉恥な男になるとは私には思えん。まあ本能に負けることがあるのは理解しているさ。長い事生きているからそんな奴はいくらでも見てきた。言い寄る男がいなかった、とは言ったが、体目当てで近づいてきた奴はごまんといたしな。全て返り討ちにしてやったが」


 ……目に浮かぶようだ。


 「だからお前がそうなったとしても驚かんし、実際倒す自信はある。そしてそうなったとしても私はお前を軽蔑などせんよ」


 「……その時は俺が俺自身を許せません」


 「難儀な奴だな。忘れたのか?お前は昨日私に殺されかけたんだぞ」


 「まさかその償いに、なんて思ってるんじゃないでしょうね?」


 「それほど殊勝な女じゃないよ、私は。しかしそうだとしたらお前にとっては嬉しい事じゃないか。私のことを可愛いと思ってくれてるんだろ」


 「それ以上言ったら本当に怒りますよ。肌を見せるのも嫌がる女性に償いでそんな事をさせるくらいなら、この場で舌を噛みます」


 「だから怒るな。そんな殊勝な女じゃないと言っただろ」


 「……もしかして俺を24時間監視したいって言ったのは……」

 

 「鋭いな。あれは半分以上本気だ。常に私の目の届くところにいさせれば情報の漏洩の危険は著しく低くなるだろう」


 「そのために自分を犠牲にすると?」


 「お前の<スキル>はそれだけ危険だと私は思っている」

 

 「確かにそれは王侯貴族並みの贅沢と遜色ない条件ですが、やはり本意でない相手にそんな真似をさせるのは御免こうむります」


 「ふ、本当に難儀な奴だ。ちょっと待て。ここで食事を調達する」


 そう言って立ち止まったのは路地の両端に品物を並べた路地商店街だった。野菜や魚などの食材に加え、調理済みの弁当も売っている。


 「私は料理が不得手なのでな。出来合いのもので我慢してくれ」


 アリーシャはそう言って魚の入った弁当と総菜を買い求めた。俺は紙袋に入れられたそれを受け取り、胸の前で抱える。


 「どうしてそこまでするんです。俺が本当に危険だと思うなら、それこそ昨日と同じように……」


 店を離れてから俺は話を続けた。アリーシャはふっ、笑みを浮かべ、やれやれといった感じで首を振る。


 「お前をもう一度殺せというのか?悪いがもうそんな気はない。だから厄介なんだがな」


 「何故です?俺にはわかりません。先生の考えていることが」


 「着いたぞ。ここだ」


 そう言われて目の前を見ると、二階建ての小さな家があった。


 「ここの二階の部屋を借りている。私以外は階下したにオーナーの老婦人しかいない。まあ上がれ」


 アリーシャに付いて階段を上がると、廊下の手前の方に木製のドアがあった。アリーシャがその前で何かを呟くと、カチリ、と音がする。それからドアノブを回し、ドアが外側に開かれた。


 「開錠魔法だ。施錠の時と同じ呪文を唱えることでドアが開く。そこらの鍵より安全だ。ついでに開錠と同時にランプの灯が灯るように魔法をかけてある」


 「お邪魔します」


 アリーシャに続いて部屋に入る。中は結構広く、独り暮らしとしては十分すぎるほどだ。二階のスペースが全てこの部屋一つらしい。初めて入る女性の部屋に俺は緊張し、ついきょろきょろと辺りを見回してしまう。


 「そうじろじろ見るな。殺風景な部屋だろう?」


 「い、いえ、そんな」


 とは言ったものの、確かに少し寂しい感じはする。奥に台所があり、その右手に引き戸。構造からしてその向こうがトイレとバスルームだろう。丸テーブルと木製の椅子二脚、それにベッドと箪笥が一つ。後は天井から下がっているランプくらいしかない。壁の一角には収納スペースだろうか、開き戸が一つ付いていた。壁紙は無地のクリーム色で女の子らしさのようなものはあまり感じられない。まあぬいぐるみだらけのピンク色の壁をしたファンシーな部屋だったらそれはそれで驚きだが。


 「まあ座れ」


 俺は椅子を勧められ、テーブルに上に弁当を置いてから言われた通りに座る。まだ胸のドキドキが治まらない。43のおっさんが女性の部屋に来たくらいでこんなに緊張するとは情けない限りだ。


「着替えてくるから少し待っててくれ」


 アリーシャはそう言って開き戸を開けてシャツらしきものを取り出し、右手のドアの奥に消える。開き戸の中はやはり収納スペースで何着かの服が掛かっているのがちらりと見えた。


 「お待たせした」


 存外早くアリーシャは戻ってきた。が、ドアを開けてこちらに入ってきた彼女を見て俺は思わず声を上げそうになった。


 「どうした?」


 顔を引きつらせる俺を見て、アリーシャが不思議そうに言う。彼女はツーピースを脱ぎ、股下まである大きな長袖シャツを身に着けていた。だがその下には何も見えない。太腿の辺りから下の素肌が丸見えなのだ。まさか下着だけということはないだろうが、はっきり言って眼福、いや目の毒だ。


 「ちょ、ちょっと先生。下、下!」


 「あ、あまり見るな!」


 「だったら何か履いてください!異性に肌を見られちゃいけないんでしょう!?」


 「い、家ではいつもこの格好なのだ。そ、その……下の部屋着は持ってなくてな」


 そんな状況で男を部屋に呼ぶな!これじゃ誘ってると言われても言い訳できんぞ!


 「仕方ないだろう。急なことだったし。それにこの程度は昨日貴様に見られたことに比べれば……」


 わあ!なんてことを言い出すんですか!否でも昨日のことを思い出しちゃうじゃないですか!只でさえ理性を保つのに必死なのに!


 「あああ。いや、今のは無し!今のは無しだ!わ、忘れろ!」

 

 無理言わないでください……。


 「と、ととにかくあまり視線を下にするな。私も出来るだけ意識しないようにする」


 ……男にその注文は無理ってもんです、先生。


アリーシャはそれからも何度も見るなを繰り返した後、透明な液体の入った瓶とコップを二つ台所から持ってきてテーブルに置いた。椅子に座ることで下半身が見えなくなり、ようやく俺はホッとする。


 「炭酸水だ。飲め」


 コップに炭酸水を注ぎ、弁当を開ける。ささやかな夕食が始まった。


 「いただきます」


 使う食器はやはりフォークとスプーンだった。まあ箸はないよな。


 「美味いですね、この魚」


 「ボノアラだ。今が旬だからな」


 ブロアさんの言った通り、固有名称は聞いたことのないものだ。


  「……」


 食事中は二人ともほとんど話さなかった。ただ黙々と食べ進める。俺もようやく落ち着きを取り戻しつつあった。


 「容器はそこに捨てておいてくれ」


 食べ終わると、台所の横にあるゴミ箱を指してアリーシャが言う。俺は言われた通りにし、また椅子に掛ける。


 「さて、まだ寝るには早いな」


 「……アリーシャ先生、さっきの話の続きですが」


 「とりあえずその話は止めないか。家に帰ってまで仕事の話はしたくない」


 「ですが……」


 「家主の言うことは聞いておけ。その代り他の質問には答えてやろう。答えられる範囲でな」


 俺は渋々引き下がり、ため息を吐いた。……沈黙が重い。女子と二人きりってどうすればいいんだ?ああ、コミュ症だった前世が恨めしい。


 「せ、先生はその……どうして監督署の教官に?」


 沈黙に耐えきれず、まずは無難そうな質問をしてみる。


 「う~ん、どこから話せばいいかな。私は故郷の村を離れ、武者修行に明け暮れていた。魔法に剣技、体術、自分で言うのもなんだが、ダークエルフの中でもかなりの腕前になったと自負していた。そんなある時、帝国との国境近くで私は一匹の、いや一人の魔族と遭遇した」


「魔族?」


 「うむ。魔族というのは上級になればなるほど知能が高く、人間の形態を取りたがる。私が遭遇した奴もまさにそんな奴で、強大な魔力を持った上級魔族だった。魔法と剣技には自信があったが、かなりの苦戦を強いられ、もう少しでやられるところだった」


 王国内にそんな魔物が?話が違うじゃないですか、ブロアさん。


 「そこへ一人の男が現れた。その男は見たこともない技を使って魔族に痛手を追わせて撤退させた。私は驚き、その男に興味を持った」


 「まさか、その男って……」


 「ああ。当時は分からなかったが、間違いなく転生者だろう。私はそれからほどなくこのアレックの町にたどり着き、そこで偶然支部長と出会ったのだ。転生者と<スキル>の存在を知った私はまたあの魔族が現れた時、対抗できる力をつけ、協力してくれる転生者を見つけるために監督署に入り、実技教官となった」


 「それじゃ俺を殺さないというのは……」


 「昨日は冷静さを欠いていたからな。お前の<スキル>があまりにも異質だったためあのような真似をしてしまったが、落ち着いて考えればお前の<スキル>ほど魔族に対して有効なものはなかろう。奴らの攻撃はほぼ魔法だ。闇魔法にもお前の<スキル>が有効かはまだ検証の余地があるが」


 「冗談じゃないですよ!魔族と戦うなんて願い下げです」


 「奴らが無差別に町を壊し、人々を襲ってもお前はそう言って逃げるのか?」


 「……俺じゃなくても戦える人はいるでしょう。むしろ魔族と戦いたがってる転生者も多いって聞きましたよ」


 「そいつらの能力が役に立てばな。残念ながら私がここに赴任してからそういう<スキル>にはほとんどお目にかかっていない」


 「それでも……俺は……」


 「まあいいさ。今のところそういう事態になる危険は低い。私が遭遇して以降、上級魔族の目撃例は報告されていないしな。それに私がお前を殺さないのはそれだけの理由でもないし……」


 「え?」


 「ああ、いや、何でもない。気にするな」


 「気になりますよ。まだ何か知られたくない事情でもあるんですか?」


 「そんなものはない」


 「……本当ですか?」


 「ああ、本当だ」


 「じゃあその理由を教えてください。知られて困るものじゃないなら」


 「だから気にするほどのことではないと」


 「大した理由じゃないなら話してくれてもいいでしょう」


 「ああもう!お前というやつは鋭いのか鈍いのかどっちなんだ!?まったく面倒な!!」


 「は?」


 「だから、な。私はお前を気に入ったんだよ。少なくとも自分で殺したくないと思うくらいにはな!」


 「え?ええ??それって……」


 「あ、あくまで個人としてというか、性格的にというか……け、決して異性としてどうこうという意味ではないからな!う、自惚れるなよ!」


 「え、ええ。それは分かってます。それでも嬉しいです。そんな風に言ってもらえるなんて」


 「そ、そうか」


 心なしか顔を赤らめアリーシャが言う。異性としてではなくとも女性に好意を持ってもらえたというのは初めての経験かもしれない。俺は素直に嬉しかった。


 「ちっ、結局仕事の話になってしまったな。お前のせいだぞ」


 「すいません」


 俺は焦りながら別の話題を探した。しかし上がってしまっているのか上手く頭が回らない。


 「で、でも今帰るのにそこそこ時間かかりましたけど、昨日はよく誰にも会わずに監督署まで来れましたね」


 「あん?」


 ぎゃーっ!またやってしまった。決してわざとではないのだが、どうしてもあのシャワー室事件に関連した話題を振ってしまう。しかし考えてみればアリーシャとは昨日会ったばかりなのだから、話題の幅が狭いのはいかんともしがたいのだ。


 「まあ飛翔魔法を使ったからな。それより監督署に着いてからの方が大変だったよ。他の男性職員に近づかないよう教官室の前まで行くのには苦労した」


 「そ、そうですか。はは……」


 「貴様、本当に自惚れているのではあるまいな?」


 「め、滅相もない!」


 「ふん、まあいい。それよりそろそろ休むか。清掃は朝が早いのだろう?」


 「ええ、まあ。あ、それでお願いがあるんですが……」


 「何だ?」


 「俺の手をどこかに縛り付けておいてもらえませんか?」


 「何だと?」


 「<スキル>の効果がなかった場合、朝になって先生に襲いかかる危険がありますし、そうでなくても夜の間にその……我慢できなくなるようなことがあれば大変ですし……」


 「き、貴様まさか私と一緒に寝るつもりか!?」


 「ま、まさか!俺は床で寝ますよ!だから近くに手を縛っておけるような場所を……」


 「ふむ。何度も言うがお前がたとえ欲望に屈したとしても、私なら……」


 「だから大変じゃないですか。俺の方が」


 「ぷっ!ははは……!そうだな、確かに!」


 俺の言葉にアリーシャが思わず吹き出す。彼女のこんな笑顔を見るのは初めてだ。笑うとますます可愛さが増し、胸の鼓動が否が応にも高まる。


 「それでは寝るか。お休み」


 「お休みなさい」


 結局俺は入り口のドアノブと右手を太い紐で繋がれ、床に毛布を敷いて寝ることになった。部屋の中央付近にあるベッドにはまったく手が届かず、ひとまずは安心だ。寝る前にシャワーを勧められたが流石に断った。これ以上何か起きてはたまらない。


 「しかしまさかこんなことになるとはな」


 ベッドに横たわるアリーシャを見ながら俺は呟いた。手が届かないとはいえ、すぐ近くに美少女が寝ている状況など、ほんの三日前までは思いもつかなかったことだ。おかしなことをするつもりは毛頭ないし、そもそも物理的に出来ないが、それでも俺は目が冴えて中々眠りに付くことが出来なかった。




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