第8話 不本意ながらお話を伺います

 「あー楽しかった」


 結局俺はリリアのお薦めという名の食べ歩きに付き合わされた。食事をしたばかりの俺は当然そんなに食べられるはずもなく、ただリリアが自分の好物をほおばる姿を眺めるだけの時間を過ごすことになった。それにしてもこいつは大食いだ。串焼きからスイーツまで次々に平らげていく。この細い体のどこにこれだけの食べ物が入っていくのか不思議でならない。若さゆえか、それともこいつが単に特異体質なのか。


 「おい、そろそろ俺は帰るぞ。まだ食う気なのか?」


 これ以上遅くなったら本来の目的を行う機を逸してしまう。


 「え~!もう帰るの?まだお薦めの所があるのに」


 「何がお薦めだ。全部自分が食ってるだけじゃねえか」


 リリアはぶつぶつ言いながらもようやく大食いをやめてくれた。小鹿亭の近くで別れ、彼女が帰っていくのを見送る。


 「さて」


 小鹿亭の入口で俺は大きく深呼吸をした。緊張で足が震える。だがもう覚悟は決めている。入り口には予想通り食堂の休憩中の看板が掛けてあった。ランチタイムが終わり、夜の食事時までは彼女も少しは暇があるだろう。


 「ただいま」


 ドアを開けて中に入ると、中は薄暗くひっそりとしていた。食堂に中に入り、厨房の方を覗くと、お目当ての人物がぼーっと椅子に座っているのが見える。


 「女将さん、ただいま帰りました」


 「あ、ああ……トーマ君か、おかえり」


 女将さんは俺の顔を見てやさしく微笑む。その笑顔に俺の胸が痛む。


 「女将さん、少しお話があるんですが、お時間を頂けませんか?」


 「え、あたしにかい?……監督署で聞いた方が早いんじゃないかい?」


 「いえ、女将さんとお話ししたいんです」


 「ま、まあ今は空きの時間だから少しくらいなら構わないけど」


 「ありがとうございます」


 俺たちは厨房の奥にある小部屋に移動し、向かい合って座った。部屋の中はしんと静まり返っており、自分の心臓の音が聞こえるほどだ。


 「で、何の話だい?こんなおばちゃんに」


 俺は大きく息を吸ってからゆっくり口を開いた。回りくどいことはせず、いきなり核心を突く。


 「昨夜俺を監視していたのは女将さん、あなたですよね?」


 「なっ……」


 俺の言葉に女将さんの顔色が変わる。同時に集中していた俺の目に、勢いよく立ち上る紫とオレンジが混ざり合ったようなオーラが映った。


 「な、何のことだい一体。大人をからかうもんじゃないよ」


 「俺も中身は大人なんですよ。まあそんなことはどうでもいいです。俺は女将さんを責めるつもりなんかはこれっぽっちもありません。監視の理由も今の俺には分かりますし、それが必要なことだということも理解できます」


 「い、いい加減にしておくれ!私は泊り客を覗き見するような趣味はないよ!」


 「ええ。女将さんの意思ではありません。監督署からの依頼、ですよね?」


 「……っ!」


 「正確には夜だけではない。おそらく俺がこの世界に転生してきた直後から、あなたは俺を監視していたはずです。本部のアイテムで俺が転生したことがわかってすぐ、ここに監督署から連絡が入った。それは部屋を用意してくれということだけでなく、大まかな転生場所を教えてそこにいる俺を監視する依頼だった。違いますか?」


 「い、一体何を証拠にそんなことを……」


 「さっき初めて他の転生者に会ったんですよ」


 「え?」


 「彼は転生直後、非常に空腹だったため、監督署の職員に頼んで、登録手続きをする前に隣の食堂で食事を摂ったそうです。同じようにここに来る前に他で食事をした転生者も一定数いたんじゃありませんか?転生してきた時間によっては今のようにここの食堂がやっていない場合もあったでしょう。でもあなたは俺がここで食事をしたときこう言いましたよね。『』と。あなたは俺がこの世界にきてからまだ食事をしていないことを知っていたんです。だから初めて食べるものが不味かったら、と断定した言い方が出来たんです」


 「へ、屁理屈だよ。あんたが今自分で言ったじゃないか。時間によっては食堂がやってないって。逆に言えばここに来た時間から食事を摂ったかどうか予想することだって……」


 「ここがやっているなら他の所もやっている。監督署の隣には職員御用達の『山羊の胃袋カペル・ストマクス』があります。俺が登録手続きをした後空腹を訴えたら、リリアたちが俺をそこに連れて行っても不思議ではなかったはずです。ここはあくまで泊まる場所として監督署が用意した宿ですからね。食いしん坊のリリアなら喜んで連れて行ったでしょう。しかしあなたは俺の顔を見るなりこう言った。『』とね」


 「……」


 「さっきも言いましたが、俺はあなたを責める気なんか少しもないし、怒っているわけでもありません。転生者を監視しなければいけない理由が<スキル>のためだということも分かっています」


 <スキル>という言葉を聞いた途端、女将さんの体がビクッ、と震える。


 「早い人では転生して数時間で<スキル>が顕現する場合がある。監督署としては一刻も早く転生者に説明をして、<スキル>がどういうものか分からせ、発動の前に把握しておきたい。しかし人によっては突然の転生で精神が不安定になって転生者症候群になってしまう。そんな人に<スキル>のことを説明すれば余計に混乱して最悪の場合能力の暴走を招きかねない。だから初日はせいぜい名前の登録くらいに留めておいて様子を見るようにしているんでしょう。だがその日の内に<スキル>が顕現し、パニックになられても困る。そのため監視が必要とされ、ここが最初の宿に指定された。それはあなたが対象の転生者を監視する能力をもっているからです。もし監視が魔法によるものであれば、わざわざ宿の女将であるあなたにやらせるとは思えない。監督署の職員がやればいいことです。つまり転生者を監視する能力は魔法じゃない。その人間しか使えない能力、つまり<スキル>です」


 もう女将さんは黙っている。こんなに長々と話をしたのは本当に久しぶりだ。それがこんな内容とは。しかしここまで言ってしまった以上、最後まで話さなければならない。


 「女将さん、あなたは転生者だったんですね?だから宿の名前にはこの世界にはいない『鹿』の名前が付いている」


 じっと俺の言葉を聞いていた女将さんが俯きながらゆるゆると首を振り、絞り出すような声で言う。


 「違う。それは違うんだ。あんたの推理は概ね正解さ。でもそれだけは間違いだ。私は正真正銘、ディール・ムースの人間だよ」


 「え?」


 どういうことだ?<スキル>は転生者特有の能力ではなかったのか?では俺の考えは間違っていたのか。だが女将さんは概ね正解と言った。訳が分からず、俺は畳みかけるように話を続けてしまう。


 「どういうことですか?教えてください。俺が口を挟むことでないことは分かっています。でもどうしても放っておけないんです。女将さん、?」


 「え……?」


 「昨夜あなたの監視している視線を感じた時、とても嫌な感覚がしたんです。悪意といった類ではない、何か重苦しい感覚でした。その時ははっきりしませんでしたが<スキル>が顕現した今なら分かる。あれは苦しみだった。そして嫌悪感、<スキル>に対してだけではない、自分にも向けられている嫌悪感がある」


 「あんた一体……<スキル>が顕現したのかい」


 「ええ。俺の能力は……詳しくは言えないんですが、とにかく俺には人の負の感情が見えるんです。色になってね。さっきから女将さんの体から立ち上っているオーラは昨夜感じたものと同じだ。転生者を監視することが監督署の正式な依頼で、その行為は正当性がある。転生したばかりの俺でもそれくらいは納得出来ますよ。だから女将さんは何も後ろめたい感情を持つ必要はないはずです。他人のことを覗き見るような行為に嫌悪感を抱くというのは分かりますが、今のあなたの感情はそんな生ぬるいものじゃない。そこまで自分を責めるのは何故ですか?あなたは苦しみながら今までずっと転生者の監視を続けてきたんでしょう?そんなに嫌ならどうして断らないんですか?監督署に脅迫でもされてるんですか?」


 「そうじゃないよ。そうじゃない……。これは私の罰なのさ。いや、罪というべきかね」


 「罪……」


 「まさか気付く人間が現れるとは思わなかったよ。しかも私の感情までね。やっぱり、<スキル>ってのは厄介な存在だねえ」


 「女将さん……」


 「でもやっと話せる。長い事心に溜め込んできた思いを……。ねえ、聞いてくれるかい?気持ちのいい話じゃないけれど」


 「はい。俺はそのために今日来たんです」


 「どこから話せばいいかね……。私はこのアレックより南にある村の出身でね。貧しくはあったが穏やかな村だった。畑を耕して家畜を飼って、平凡な幸せの中で私は暮らしていた。あの日までは」


 「あの日?」


 「ある日、村の近くで転生者が確認された。村じゃ大騒ぎでね。何せ監督署の支部もない田舎の村だ。とりあえず村長の家の離れに隔離して、近くの町から監督署の職員が来るのを待った。その間にその転生者は<スキル>が顕現しちまったんだ。それは。」


 「な……」


 「監督署の方じゃ問題になってね。その時点ではまだ村人には能力は説明されていなかった。というより<スキル>の存在そのものが隠されていたんだ。監督署はその転生者に<スキル>の使用を禁じた。当時、嘘を見破るという水晶球が王都で発明された直後でね。あんたも見ただろう?」


 「ええ」


 「貴重なそいつをわざわざ近くの町の監督署まで持ってきて、行動のある程度の自由を認める代わりにその転生者に毎日それを使った検査を義務付けさせた。<スキル>を使用していません、ということを確認するためにね。片道3時間近くかかる道を毎日通わされたんだ。徒歩でね。雨だろうと風だろうと関係なし。一日でも検査を受けなければ捕縛されても文句は言わないと署名させられていたらしい」


 「ひどい話ですね。そんなことをするなら最初からその町に住めばよかったのに」


 「ところがその町を治めていた貴族が大の転生者嫌いでね。彼の居住を頑として認めなかったんだ。監督署は王国を初めとする全ての権力機構から独立しているが、まだまだ小さな町では権力者の意向は無視できないものがある。彼は町にも住めず、村の人からも疎まれながらひっそりと暮らしていた。私も最初は親に近づかないように言われて、彼の顔も碌に知りゃしなかった。ところが不思議なもんだね。ひょんなことから私は彼と出会っちまって、それからあれよあれよという間に惹かれちまったのさ。ふふ、若いってのはいいねえ。私は初めて男の人に恋をして、嬉しいやら戸惑うやらでね。当然周りの人間は皆反対した。だが監督署の職員は家庭を持った方が精神が安定していいと言ってね、村の者を説得してくれたんだ。それでめでたく私はその人と結婚することが出来た」


 「それじゃその<スキル>は……」


 「ああ、。結婚してからも彼の検査は続けられた。せっかくの新婚生活なのに、半日は町通いで潰れちまう。夫婦で町に引っ越せるよう監督署から働きかけてももらったんだが、貴族はどうしてもうんと言わなくてね。それでもあの人といるだけで私は幸せだったよ。しかそんな幸せな日々は長くは続かなかった……」


 女将さんの瞳が曇る。俺はこの先を聞くことが怖くなった。しかしこれは俺の義務だ。彼女に辛い過去を話させた、自分の負わねばならない義務なのだ。


 「結婚してからしばらくして、村である噂が持ちきりになった。私より少し前に結婚して新しい家に暮らし始めた村長の息子が、奥さんを虐待しているというものだった。結婚してからその奥さんは滅多に人前に姿を現さなくなったんだが、たまたま目撃した人が言うには体中に青アザがあったという話だった。近所の人が息子が怒鳴っている声を何度も聞いたとも言っていた」


 いわゆるDVというやつか。どこの世界にもあるんだな。


 「まあ家庭の問題と言えばそれまでだし、ましてや相手は村長の息子だ。表立って何か言おうとするものはいなかったんだが、運と言うか間の悪いことに、その奥さんはうちの人が通っていた町の監督署職員の親戚に当たる人間でね。村長の威厳など微塵も関係なく、息子に腹を立てちまった。その町の監督署自体、それより大きな町の支部の出張所みたいなものだったから、当然ここみたいにエルフなんぞはいやしない。その人間のやりたい放題だった。だから散々うちの人に<スキル>の使用を禁じておきながら、今度は一転して<スキル>を使うよう命じたんだ。言うまでもなく村長の息子の監視さ。虐待の決定的瞬間を押さえて、警察に突き出そうってね」


 俄かには信じられない話だ。監督署の職員が私情で<スキル>の使用を命じるとは。フェルム支部長などを見ているととてもそんなことをするとは思えない。


 「うちの人は最初断った。元々彼は自分の<スキル>を嫌っていた。人を覗き見するなんて嫌だ、とね。前の世界で警備員とかいう仕事をしていたせいでこんな能力を持っちまったんだっていつも零してたよ。でも職員は監督署の権威を笠に着て、うちの人に監視を強要した。お前らが結婚できたのは誰のおかげか、なんて言われて、私も悔しかったよ」


 聞いているうちに段々腹が立ってきた。そんな奴が監督署に勤めているとは本当に許しがたい。


 「結局、その奥さんを守るためだと説得され、うちの人は渋々監視を承諾した。それが悲劇の始まりだった」


 胸が苦しい。上手く息が吸えない感じだ。


 「監視を始めて二日目の夜だった。いきなりうちの人が『いけない!』と言って家を飛び出した。後から分かったんだが、その時村長の息子は刃物を持って奥さんを脅していたんだ。うちの人は彼女に命の危険が迫っていると感じ、居ても立っても居られずに息子の家に飛んで行ったのさ。なんとか息子をなだめようとしたんだ。でも逆上した息子は突然訪ねてきた彼に怒り狂い、持っていた刃物を…‥…」


 「そんな……」


 女将さんの嗚咽が漏れる。俺は言葉を無くし、ただそれを見つめることしか出来なかった。


 「私の知らせを聞いて村の人が駆けつけた時はもう手遅れだった。うちの人は胸を刺されて……。でも本当の悲劇はそれからだったのさ。あの人の<スキル>が暴走してね、村中の人間に伝播しちまったんだよ。私も含めてね」


 「な、なんですって!?」


 まさかジーナが言っていたケンカに巻き込まれて死んだ転生者というのは……。


 「任意も特定も出来やしない。村の人間がみんな他の誰かのことを勝手に見ちまうのさ。自分の意思に関係なく誰かを監視しちまう。村中がパニックになった。<スキル>のことを知らない村人でもこれが死んだうちの人の能力だとすぐに気づいた。それでうちの人が今まで村の者を覗き見していたという話があっという間に広がっちまったのさ。<スキル>の暴走は半日ほどで納まったが、村の人は私とうちの人を悪魔のように非難したよ。私は勿論否定した。毎日町に行って<スキル>を使っていないことを証明していたと何度も訴えた。でも肝心の監督署の職員は一向に村に現れず、そのことを証言してくれなかった」


 「何故です!?そもそも旦那さんが<スキル>を使ったのはそいつの命令で!」


 「だからそれを知られたくなかったのさ。私情で村長の息子を見張らせてたと知られれば、村の者からどんな目に遭わされるか分からない。だから町から出ずに知らぬ存ぜぬを貫いたのさ」


 「そんなバカな話があるか!!」


 俺は思わず怒鳴り、椅子から立ち上がった。怒りが体中を駆け巡る。


 「あんた……」


 「す、すいません。つい。誰より怒っているのは女将さんなのに……。本当にすいません」


 「いいんだよ。……ありがとう、あの人のために怒ってくれて」


 「女将さん……」


 「それでね、私は村を出たのさ。とても残れるような状況じゃなかったし、問題もあったしね」


 「問題?」


 「残っちまったのさ、あの人の<スキル>が私の中にね。他の人間は半日くらいで効果が消えたのに、私は消えなかった。それどころか忠実に受け継いじまったのさ、能力を。任意の場所にいる特定の人間を監視する能力、をね」


 そんなことがありえるのだろうか。俺は信じられない思いで女将さんを見つめる。


 「おまけに暴走の危険まで残っていた。特定の人間を意識していないと、勝手に誰かを見ちまうのさ。この町に来るまでは本当に苦労したよ、何度自分で自分の目を潰そうと思ったか。でも<スキル>で見える映像が目を潰しただけで消えるかどうかわからなかったからね」


 寂しげに微笑む女将さんに俺はかける言葉を持たない。


 「この町に流れ着いて途方に暮れていた私に、監督署のフェルム支部長が声をかけてくれた。私の話を真剣に聞いてくれた彼女はこの建物を提供してくれ、私の<スキル>で転生者を監視するよう協力を求めてきたのさ」


 「何故です!?望まないで得た<スキル>で何故協力を!?女将さんは現に苦しんでるじゃありませんか。本当はこんなことはしたくないんじゃないですか?」


 「したくないさ。大切な人を奪った<スキル>、大切な故郷を奪った<スキル>だ。何よりあの人が嫌っていた、私も大嫌いな<スキル>さね。でもね、あの人が残してくれたものでもある。……村長の息子の奥さんはね、助かったんだよ。息子は逮捕された。あの人は自分の能力で一人の人間を救った。それは確かなんだ。転生者はまだまだ差別されている。ここは本当にマシな方さ。フェルムさんたちが頑張ってるおかげでね。でも転生者症候群になって<スキル>が暴走するようなことになれば、転生者はまた迫害されるだろう。私は転生者の男性を愛した。本当に好きだったよ。だから彼と同じ、あんたたち転生者がひどい目に合うのは見たくないんだ。私の<スキル>がその危険を少しでも減らせるなら、私は協力を惜しむ気はない」


 「そんな……心に血を流し続けながら、ですか?」


 「……」


 「俺には見えるんです、女将さんの心の色が。そんな悲しい、そんな苦しみに満ちた感情を俺は見ていられません。あなたが、あなた一人がそんな思いを背負い込む必要なんてないですよ。他の町ではどうなんです?他の国では?ここ以外の場所に転生した人はあなたの監視を受けられない。同じ危険を皆が抱えているはずです。あなたがそんなに辛い思いを続けても、全てを救うことは出来ない」


 「そんなことは分かってるさ!でも私はせめて目に届くところにいる人間くらいは助けたいんだ。そうしなければこの<スキル>に押しつぶされちまうんだよ!!」


 「……その<スキル>を消したいですか?」


 「え?」


 「その<スキル>が消せるとしたら、もうこんなことはしたくないですか?」


 「そりゃ、もちろん。フェルムさんには悪いが、やめられるものならやめたいさ。今すぐにでもね」


 「試させて下さい」


 「何だって!?」


 「その<スキル>を消せるかもしれません」


 「何を馬鹿なことを!<スキル>っていうのは……」


 「お願いします」


 「いいさ。ダメで元々だ。やってみておくれ」


 「はい」


 俺は意識を集中し、女将さんを見つめる。俺の<スキル>は汚れを除去する。こんな悲しみの感情に塗れた能力が汚れでなくてなんなのだ。見つめろ、見極めろ。この汚れの性質を。水溶性の汚れと油脂性の汚れを判別するように、酸性洗剤とアルカリ性洗剤を使い分けるように、しっかり識別するのだ。


 ドクン!


 魂の奥で何かが湧きあがる。あの声がまた頭に響く。その声に従うように俺は言葉を紡ぐ。


 「反異能滅業アンチ・スキル


 俺の掌から水が溢れ、女将さんに降り注ぐ。急な出来事に女将さんが身をよじる。


 「な、何の真似だい!?」


 俺はしばらくぼーっとして立ち尽くしていた。体から力が抜け、膝ががくがくと震える。


 「あ、あんた、大丈夫かい?」


 女将さんが倒れ掛かる俺の体を咄嗟に抱き留め、声を掛ける。


 「ど、どうですか?」


 ふらつく頭で俺は何とか言葉を絞り出す。


 「え?」


 「<スキル>……です。試してみて、ください」


 「あ、ああ」


 俺を椅子に座らせ、女将さんが目を閉じる。……しばしの沈黙、そして


 「み、見えない」


 「女将さん……」


 「見えない!何も見えないよ!信じられない!ああ神様!!」


 「よ、よか……った……」


 「あんた!」 

 

 女将さんの叫びを聞きながら、俺の意識は急速に闇の中に引きずり込まれていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る