第6話 (相手が)不本意ながら?和解しました

 「まあ、君の気持も分からないではないよ。君たちは特に異性への肌の露出を気にするからね。しかし今回の場合、トーマ君を一方的に責めるのはいかがなものかと思うね~」


 「はあ……」


 気の抜けた風船のように縮みこみながらアリーシャが言う。さっきまでとは別人のようだ。俺とアリーシャはフェルム支部長に連れられ、訓練場の一角にやって来ていた。どうやら支部長はすでに事情を察しているらしい。あのステッキのせいか。


 「君がトーマ君に裸を見られた時間は、勤務時間だったはずだね。あの時間のシャワー室の使用は庶務課への届け出が必要。理由を書いた紙を出すのが決まりだ。君は出したのかな?」


 「ええと……」

 

 「出してないよね。だから君はプレートを「空き」のままにしておいた。「使用中」にして誰かに不審に思われたら困ると思ったんじゃないかい?普段は厳しい君が規定を破ってシャワー室を使っていると他の職員に知られたくなかった。そうだろ?」


 「もう勘弁してくださいよ、支部長。全ておわかりなんでしょう?」


 プレートが「空き」になっていたのはそのせいか。しかしなんでアリーシャは届けを出さなかったのだろう。時間外とはいえ職員なんだから、届けを出せば堂々とシャワー室を使えたではないか。


 「トーマ君が不思議に思っているよ。理由を教えてあげた方がいいんじゃないか?」


 読心術でも使えるのか、この人。


 「ああ、もう!わかりましたよ。寝坊です、寝坊!朝、部屋でシャワーを浴びる時間がなかったんです。朝礼で点呼があるので、そのまま出勤したんです」


 「でもそれなら休憩時間まで待てば良かったのでは?」


 「それがそうはいかないんだよねー。ダークエルフ、中でもアリーシャの一族は夜の間に特殊なフェロモンが体内に蓄積して、それが一種の匂いになって発散されるんだ。それをそのままにしておくと、自分の意思と関係なく見境なしに異性を誘惑しちゃうのさ。だから毎朝シャワーでそのフェロモンの匂いを落とす必要があるんだ。教官室の連中がさっき不思議がってたよ。君が今朝の点呼の時ドア越しにちらっと顔を出しただけで何も言わずいなくなったって。普段は他の教官に苦言の一つ二つ言わないと気が済まない君がね。部屋に入ったら男性の教官を誘惑しちゃうからねー。急いでシャワーを浴びに行ったんだろ?」


 「そんなに大変なら点呼に遅れてもシャワーを浴びてから出ればよかったのに」


 「そんなことが出来るか!私は今まで無遅刻無欠勤が誇りだったのだ!他の教官や職員にも散々注意をしてきた立場だ。それが寝坊してシャワーが浴びれなかったなどと言えるものか!」


 「届けを出しに行こうにもそこで誘惑しちゃうからねー。まあ君の境遇には同情するが、それでシャワー室に入ったトーマ君を責めるのは気の毒というものだよ。もう少し手加減をしてあげてもよかったんじゃないかな?いくら途中までは本気で殺そうなんて思ってなかったにしても、ね」


 「え?」 


 殺そうとしてなかった?あれで?


 「何だ、最初から本当に殺されると思ってたのかい?いくらなんでも転生後初めての実地訓練で教官が転生者を殺したりしたら大問題だよ。私が見ていた限り、ぎりぎりで致命傷にならないよう魔法をコントロールしていたはずさ」


 最初から見てたのか、この人。


 「だが最後の『聖なる癒しの光サーナーティオ』はいただけないね。あれは本当にトーマ君を死なせるつもりで放ったんだろう?その訳を教えてもらいたいな。流石に看過は出来ない。肌を見られただけであそこまでするのはいくらなんでもやりすぎだ」


 いーや、こいつは裸を見ただけで万死に値すると言ってました。


 「危険だと思ったからです」


 「危険?」


 「こいつは私の本気の魔法や剣技を二度も防ぎました。支部長のおっしゃる通り、それまでは少し痛めつける程度に手加減していましたが、それでも転生してきたばかりの魔法初心者に出来る芸当ではありません。うまく言えないのですが、こいつの<スキル>に関係していると思い、それが危険な予感がしたので……」


 「ふむ。私も見ていたが確かにあれは気になったね。それにしたってやはりやりすぎだろう。君らしくもない」


 「申し訳ありません。今朝は寝坊したり、こいつに肌を見られたりと自分でも信じられないことが続いたので、少し冷静さを欠いていました。ああ!なんで寝坊なんか。ここ百年あまりしたことがないのに!それも勤務日にだなんて人生で初めてだ」


 それはそれですごいな。


 「謝る相手が違うんじゃないかい?」


 「あ、あの、ええ……」

 

 アリーシャが俺の方をちらりと見る。反省はしているようだが、それでも裸を見られた相手に謝るのは抵抗があるらしい。プライド高そうだもんなー、この人。


 「ふむ、ではとりあえず代わりに私が謝っておこう。すまなかった、トーマ君」


 フェルム支部長が頭を下げる。


 「お、おやめ下さい。私のためにそんな……」


 「そ、そうですよ。フェルムさんが謝る必要は……」


 「ではアリーシャを許してくれるかね?幸い命も無事だったし、文字通り怪我の功名で傷も治ったようだし」


 怪我の功名って例え、この世界にもあるんだ。


 「それに君から見れば遥か年上とはいえ、一応見た目はまだ可愛い女子の裸が見れたんだ。その役得と相殺ということで……」


 「一応まだ可愛いとか言うな!800歳過ぎたやつに言われる筋合いはない!」


 それまでしおらしくしていたアリーシャが反射的に叫ぶ。は、800歳!?


 「!」


 ハッとしたアリーシャが自分の発言がまずいと気付いたのか、慌てて口を押える。


 「ん~、そういう悪いことを言う口はこれか~!?」


 笑顔のまま、しかし明らかにこめかみに青筋を立てた雰囲気で支部長がアリーシャの口に両手を伸ばし、口角を左右にぎゅーっと引っ張る。


 「す、すひまへん、すひまへん、ふい……」


 口を引っ張られながら必死にアリーシャが謝る。何だか二人とも最初と印象が変わってきたな。それにしても800歳とは驚きだ。アリーシャはまだリリアやメイビスたちと同じかやや年下くらいに見えるが、フェルム支部長の見た目はどう見ても10歳以下だ。いくらエルフが長命とはいえ、この見た目は普通では考えられないと思うが。


 「どうしたのかね、トーマ君。あまりじっと見つめられると照れるんだが」


 俺の視線に気付いた支部長がこちらを振り返る。


 「い、いえその……そういえばあの杖はなんなんですか?支部長はあれで俺とアリーシャ……先生のことを知ったようでしたが」


 「ああ。『真実の瞳フリスズキャルブ』のことかね。あれは私の秘蔵のアイテムでね。簡単に言ってしまえば他人ひとの隠してることを暴いて頭に直接伝えるものさ」


 「怖いですね、それ。支部長の前ではプライバシーは丸裸ってことですか」


 「いやいや、あれの効果には条件があってね。暴けるのはその人が罪悪感を感じている出来事だけなんだ。さっきのアリーシャの場合は寝坊をして不正にシャワー室を使っていたことに罪悪感を感じていたから知ることが出来た。だから自分が正しいと信じて行ったことや、最初から罪悪感のない純粋な悪人には通用しないんだよ」


 全く罪悪感を持たずに悪事を働く人間がそうそういるとは思えないが、そういう者がいたら、最も恐ろしい存在だろう。


 「さて、それで今の君に使ったら一体何が分かるのかな?」


 支部長の言葉に心臓が飛び出しそうになる。にこやかな顔の下、エメラルドグリーンの瞳が鋭い光を放っている。この人は全て気付いているのか。


 「分かりました。全てお話しします……」


 ことここに至っては隠しおおせることは無理だろう。それに正直もう誰かに話してしまいたい気持ちにもなって来ていた。俺は今の時点で起こったこと、気づいたことを支部長に打ち明けた。


 「やはり<スキル>の前兆があったのか!?なぜもっと早く言わん!」


 「やめたまえ。転生したばかりでいきなりこんなことが起これば不安になるのは当然さ。ジーナから<スキル>の説明を受けた後では尚更言い出しにくかったろう。ふむ、感情の色が光になって見える、か。そして見える人と見えない人がいる。なるほどね」


 支部長は少し考え込むとアリーシャの方をちらりと見やり、


 「ちなみに光が見えなかった人はどういう様子だったか、覚えてるかね?」

 

 「ええと……この監督署の中の人にはほとんど見えなかったんですが……そういえばここの人も街の人も、見えなかった人は笑ってることが多かったような……」


 「やはりか。ではまず間違いなかろう。トーマ君、君に見えているのは人間の『負の感情』だ」


 「負の……感情」


 「うむ。怒りや悲しみなどの感情は人間の心のマイナスの波動が生み出す。それがオーラとなって体の外に漏れだしているものが君に見えているんだ。逆に喜びや幸福感はプラスの波動で、同じように体から出てるはずなんだが、そっちは見えていない。君の能力はマイナスの波動、つまり負の感情だけが視認できるもののようだね。つまりうちの職員はほとんどいい感情を持って働いてくれてるわけか。責任者としては嬉しい限りだが、ちなみにこのアリーシャはどう見えているのかな?」


 「は、はい。模擬戦の最中はずっと赤い光が激しく噴きあがっていましたが、支部長が来られた途端、それが濃い紫色になって……今はまた赤みが増した感じです」


 「赤は怒り、紫は恐怖や畏怖といったところか。何だ、まだトーマ君に怒ってるのかい?アリーシャ」


 「そ、そうは言いましても……」

 

 「とにかくずっと人の感情が見えるというのは落ち着きませんし、他人の心を覗いているようで嫌なんです」


 「それはそうだね、分かるよ。しかし魔法をコントロールした今ならそれは解決できるかもしれないよ」 


 「本当ですか!?」


 「うん。まずリラックスして、目を閉じてから体内の魔力を全身にスムーズに流すようなイメージをしてごらん」


 俺は目を閉じて深呼吸し、支部長の言った通りのイメージをしてみる。


 「それからゆっくりと体に力を入れず、目を開ける。目には特に力を入れちゃダメだよ。自然に朝起きた時のように目を開けて前を見てごらん」


 言われた通りにする。


 「さ、アリーシャを見て。どうだい?」


 「……消えてる。オーラの光が消えてます!!」


 「うん。今の感覚を忘れないでくれたまえ。いつもその感じでいられるように。最初は意識的にでもリラックスした状態を続けるんだ。そのうち自然に今の状態をキープ出来るようになる。さてそれでは今度は逆に目に意識を集中して、じっとアリーシャを見つめるんだ。嫌かもしれないけど頑張ってね」


 「どういう意味ですか。支部長!」


 「そんな怖い目で睨まれたら誰だってビビっちゃうってことさ。ふふ、しかし顔は可愛いんだから、普段から笑っていれば、他の教官から煙たがられずに済むんじゃないか?」


 「大きなお世話です」


 二人が話してる間も俺は意識を集中し、アリーシャを見つめる。……じっくり見る余裕がなかったけど、確かにかなりの美少女だな。年齢的に少女と言っていいかは別として。


 「あっ!」


 「どうしたかね?」


 「ま、また光が見えました。赤い光が」


 「よく出来ました。今度はまたリラックス。自然体を意識して」


 「あ、また消えた」


 「うん、完璧だ。これで意識したときだけオーラが見えるようになった。普段は見えないようになるだろう。しばらくはうまくいかない時もあるだろうが、すぐ慣れるよ」


 助かった。一流の霊能力者は幽霊などが見えるのを意識的にオンオフ出来ると聞いたことがあるが、それと同じような感じか。


「しかし君が感じた通り、オーラの色が見えることが君の<スキル>の本質ではないだろうね。<スキル>は転生者が前の世界で得た知識や技術に関連が深い能力が多いんだが、トーマ君、君が前の世界でやっていたことは何かな?」


 「はあ。死ぬ直前まで清掃の仕事をしていました。それ以外は特に……特技とかはなかったですね」


 「清掃か。もう長いのかな?」


 「ええ。二十年近くになりますか」


 「ならそれに関係性がある能力の可能性は高いね。清掃、負の感情、ふうむ。どう結びつけたものか」


 「清掃とはどのようなことをしていたのだ?」


 「そうですね。色々やりました。日常清掃に定期清掃。日常清掃というのは毎日行うもので、トイレ掃除やゴミ回収、バキューム掛け、などです」


 「バキューム?」

 

 「電動掃除機のことです。ええと、小さなゴミや埃を吸い込む機械ですね」


 「それは便利そうだな」


 「定期清掃というのは月に一度とか半年に一度とか期間を決めて行うもので、主に床の洗浄や高層のガラス清掃などですね。専用の機械や道具を使います」


 「共通するのは掃除をして綺麗にするということか」


 「はい。色々な汚れを落として、美観を維持するのが目的です」


 「汚れ、か」


 支部長が難しい顔をして考え込む。


 「支部長、何か?」


 訝しげにアリーシャが尋ねるが、支部長は黙ったままで虚空を見つめている。


 「……トーマ君。もう一度意識してアリーシャを見てくれたまえ。オーラが見えるように」


 「はい」


 じっとアリーシャを見つめると、彼女は少し戸惑ったような表情を見せ、ふっと目を逸らす。柄にもなく照れているのか?いや、まさかな。


 「どうだね?」


 「はい、見えますが……大分オーラの光が小さくなって、今にも消えそうです」


 「怒りが収まってしまったか。仕方ないな。……すまんな、アリーシャ」


 「え?」


 いきなり目の前で支部長がアリーシャのスカートをめくる。彼女を見つめていた俺は自然とその下の下着に目が行ってしまう。


 「ぶっ!?」


 「きゃあああっ!な、何の真似です、支部長!!貴様!み、見たな!?」


 「あ、いやその……」


 「一度ならず二度までも辱めを!殺す!やっぱり貴様は殺す!!」


 「そう騒ぐなよ。裸を見られた後なんだ。下着くらい大したことなかろう。トーマ君を殺しかけた侘びも込めて我慢したまえ。で、どうだ?トーマ君。オーラの方は」


 「真っ赤な光が爆発したみたいに迸ってます……」


 「結構。ではトーマ君、清掃人として、この光を汚れだと認識してみてくれ」


 「汚れ?」


 「うむ。それを汚れと思って、清掃人の立場からどうしたいかを意識するんだ」


 汚れ……負の感情……掃除……


 何かが体の中から湧き上がる。イメージが頭に浮かび、それを自分の掌に集中させる。すると水の塊が手の先に生まれ、球体になって浮かぶ。


 「な、何だ、それは?」


 訝しげに水の球を見つめるアリーシャ。俺はほとんど無意識に手を伸ばし、アリーシャの前で指を弾く。


 「え?きゃっ!?」


 水の球が破裂し、水滴となってアリーシャの体に降り注いだ。……え?


 「な、何の真似だ、きさ……ま」


 「どうだい?トーマ君」


 「ひ、光が……あんなに勢いよく出てたオーラの光が……消えました」


 見えなくしたのではない。意識は集中したままだ。


 「アリーシャはどうだ?怒りの方は?」


 「ふ、不思議です。あんなに腹が立っていたのに、今は落ち着いています」


 「やっぱりそうか。これが君の<スキル>だよ、トーマ君。人の負の感情を視認し、それを消し去る能力だ」


 「負の感情を……消し去る」


 「うん。様々な負の感情を色で識別し、それに合わせた魔法の水でそれを除去する。といってもその人から完全に負の感情を消し去るわけではないだろうがね」


 汚れの種類に応じて洗剤も種類を変えるようなものか。それに清掃をしても時間が経てばまたそこは汚れる。床にしろ壁にしろ清掃と汚染の繰り返しだ。それと同様に生きている限り人間には負の感情が湧いてくる。そういうことか。


 「しかし自分でやらせておいてなんだが、トーマ君。この力は無暗に使うべきではない。というか出来る限り使わない方がいい」


 「何故です?」


 「怒りであろうと悲しみであろうと、感情は人間を支える精神の糧だ。強い怒りや時には憎しみでさえ、生きるためには必要な場合がある。それがいい事かどうかは別としてね。それは他人が立ち入ってはいけない領域だ。一時的にせよその感情を奪ってしまうことは、その人の心を却って苦しめる結果になるかもしれない。忘れてはいけない、無くしてはいけない感情というものがあると、私は思うんだ」


 支部長の言葉に胸がズキン、と痛む。長い事忘れていた、いや忘れようとしていた苦い記憶が頭をよぎる。くそ、今頃思い出すなんて!


 「しかし支部長。その能力がこいつの<スキル>だとして、それでは私の魔法を防いだのはどうなんでしょう?怒りの感情のまま放った魔法が、負の感情そのものと同じように除去された、ということですか?」


 「それなんだよねー。トーマ君が魔法を防いだ直後、君は怒りを忘れたかね?」


 「いえ、驚きはしましたが、今のように落ち着いた気持ちには……」


 確かにアリーシャの体からは模擬戦の最中、赤い光が出っ放しだった気がする。


 「そうなるとトーマ君がアリーシャの魔法を防いだのはまた別の能力ということになる、か。しかし通常<スキル>は単独の能力しか持たないんだがね。……どうだいトーマ君。アリーシャの魔法を防いだ時と、今怒りの感情を消した時で感覚というか<スキル>に違いのようなものは感じたかね?」


 「よく……分かりません。あの時は必死でしたし」


 「魔法も汚れとして認識した、ということは?」


 「ありうるね。どうかな、トーマ君」


 「はい。そういえばアリーシャ先生に四種の精霊魔法を見せてもらったとき、なんというか分別が出来たような気がしました」


 「分別?」


 「うまく言えないんですが、地、水、火、風それぞれの属性がカテゴリー別に識別出来たというか……ああ、説明が下手だなー俺」


 「怒りと悲しみの感情が色で識別できるように、魔法の属性も何らかの形で識別した、ということかね?」


 「そんな感じです」


 「なるほど。ではトーマ君、今度は私を意識して見てくれたまえ。オーラを視認出来るように」


 「は、はい」


 「……どうだね?」


 「光は見えません」


 「私は今負の感情を発していないわけだ。アリーシャ、さっき君がトーマ君に防がれたのは風魔法だったね?」


 「はい。『暴風狂殺陣マッド・ストーム』でした」


 「ではこれで行くか。『紅蓮灯球クリムゾン・サーチ』!」


 支部長が魔法を唱え、手のひらを上に向けて伸ばす。と、その掌の上の空中に直径20cmほどの火の玉が現れる。


 「夜道でランプなどがない時に便利な火魔法だよ。さて、この魔法を消してみたまえ、トーマ君」


 「え?火を消せばいいんですか?」


 「ああ、しかしこれは魔法の火だからね。しかも私なりのアレンジが加えてある。ただの水を掛けても消えはしない。


 そういうことか。俺は心を落ち着かせ、じっと宙に浮かぶ火球を見つめる。火の魔法……言葉では言い表せないが、その属性がどういうものかが頭に浮かび、言葉が自然に紡ぎだされる。


 「反火魔滅業アンチ・フレイム


 その言葉とともに水が俺の手のひらから落ち、火球に降り注ぐ。と、火球は見る間に小さくなり、消えていった。


 「消えた!」


 アリーシャが驚きの声を上げる。


 「これで決まりだね。君の<スキル>は人間の負の感情だけでなく、精霊魔法も消し去ることが出来る。しかも魔法に関しては相手の心の状態に関係なく、だ。これは中々面白い能力だ。興味深いよ」


 「そんな呑気なことを言ってる場合じゃありませんよ、支部長!他人の魔法を自由に消し去る<スキル>など、知られたら混乱が起きます」


 「だろうね。トーマ君、言うまでもないが君の能力については他言無用だ。使用も原則禁止させてもらうよ」


 「は、はい」


 「何を生ぬるいことを!やはり私の予感は正しかったのです。こいつは何らかの処分を……」


 ここに来てそうなるかー。まさか自分の<スキル>が危険視される代物とは。やはり死亡フラグだったな。モブキャラにラッキースケベは荷が重すぎるのだ。


 「まあ落ち着けアリーシャ。長く生きてると、対峙している相手がどういう人物かというのが分かるようになるものでね。トーマ君は危険な人間じゃあない。自分の<スキル>を無暗に使って自己欲求を満たすような真似はしないと思うよ」


 「しかし!」


 「勿論野放し、というわけにはいかんがね。すまないが生活に支障が出ない程度の監視は付けさせてもらうよ。後は定期的に監督署に顔を出して何か変わったことがあったら必ず報告する、と約束してくれればいい」


 「は、はい」


 「私は反対です!牢屋に入れろとは言いませんが、軟禁して外部との接触を断つくらいのことはするべきです」


 「それは投獄と変わらないよ。私は彼に興味がある。君が危険な予感を感じたように、私も彼に何かを感じているんだ。良い事になるかどうかは分からないが、彼がこの町で暮らすことが何らかの変化をもたらしそうな気がする。それを見てみたいのさ。責任は私が取る」


 ……やめてください。そんな主人公に向けるような言葉を言われては困ります。俺はここで町人Aとしてひっそり暮らしたいんです。


 「というわけで、とりあえず今日はお開きかな。もう一つ、君の<スキル>が光魔法や闇魔法にも有効なのかも知りたいところだが、これは試すのも危険が伴うからまたの機会ということにしよう。それでさっきも言った通り、君の<スキル>能力は他言無用だが、何もないというのも不自然に思われる。今の段階で分かっていることは私の方で記録しておくが、表向きには君の<スキル>能力は……そうだな。他人のマイナスの感情が分かる、とでもしておこうか。それくらいならそれほど恐れられはしないだろう。相手が怒ってるか、悲しんでるか、オーラの色で分かるというところまでは明かしてもいいだろう。自分から言い出すことはないが、どうしてもと他の人に訊かれたらそう答えたまえ。街中ではそうないことだと思うがね」


 「わかりました」


 「本当に大丈夫でしょうか?」


 「心配性だねえ、アリーシャ。私の人を見る目を信じたまえ。それより君はトーマ君と和解しなさい。君は裸を見られたのを水に流す。トーマ君は殺されかけたのを水に流す。それでお互い遺恨はなし、ということで、ね」


 ……字面だけ見ると俺の方が圧倒的にひどい目に遭ったように見えるな。まあ実際そうなんだが。


 「し、しかし」


 「まだ許せんかね?」


 「い、いえ、今回のことはこちらにも非があったことは認めます。それにさっきまでのような怒りも納まりましたし。……了解しました。今回のことは忘れます。お前も忘れてほしい」


 「ということだが、どうだねトーマ君。君はアリーシャを許してくれるかね?」


 「それはもう……こちらも隠していたことがありましたし。でもなんだかフェアじゃない気もして、これでいいのかなと」


 「フェア?」


 「アリーシャ先生の怒りが納まったのは俺の<スキル>のせいですから。能力を使って怒りを納めさせて和解するというのは少し卑怯な感じもして……」


 「ふふ、どうだい、アリーシャ。私の言った通りだろう?」


 「はあ。そうですね。確かにこいつなら危険性は低いかもしれませんね」

 

 「え?え?」


 「褒めてるんだよ。さて、じゃあ双方異論がないということでいいね」


 「貴様が負い目を感じることはない。どうしても気になるなら、私は本当は不本意だが、支部長の命令で仕方なく和解したと思っておけ。どちらにしても私はもうお前をどうこうするつもりはない」

 

 「はい、ありがとうございます」


 「ありがとうか。殺されかけた相手に言うセリフではないな。ふふ」


 「それじゃ仲直りの握手といこうか。二人とも手を出して」


 俺とアリーシャは支部長の目の前で握手をした。怒涛の実地訓練はこうしてようやく幕を閉じたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る