第4話 不本意ながらフラグが立ちました

 ジーナのレクチャーを受けた俺は階段を下りてネリーのいるカウンターへ向かった。さっき聞いた<スキル>のことが気になって足取りは重い。このままネリーに伝えるべきなのは分かっているのだが、説明を受けたことで今の俺にはある確信が生まれていた。感情の色が見えることが<ということが。


 『これから何が起きるのかな』


 感情の色が見えることは<スキル>顕現の前兆であることが何故か俺にはわかる。それ以上の何らかの能力が俺に備わっている、もしくは備わりつつあるのがはっきりとした確信として感じられるのだ。転生者はもれなく<スキル>に目覚めるそうだからそれ自体は特別なことではないのだろうが、どうしても今ここで監督署に報告することがこの先よくない事態に発展しそうな気がしてならない。遅くても数日中に顕現すると分かっているのだからいつまでも隠し通してはおけないだろうが、とにかくはっきりと<スキル>の本質が見えてくるまでは報告するのは待った方がいいような気がした。


 「お疲れさまでした、トーマさん。……大丈夫ですか?顔色が悪いようですが」


 ネリーが俺の顔を見るなり心配そうに言う。いかん、不安が顔に出てるのだろうか。


 「あ、平気です。色んなことをいっぺんに聞いたので頭が追い付かなくて」


 「無理もないですね、初めて聞くことばかりでしょうし。本当に体調は大丈夫ですか?」


 「え、ええまあ」


 どうも探りを入れられているような気がする。疑心暗鬼かもしれないが、ネリーは確実に<スキル>のことを分かっているだろう。俺の異変を見逃すまいとしているように思える。カウンターの上の例の水晶球が目に入り、ドキリとする。しかし目立った変化は見られない。正確に言えば俺は嘘は言っていない。<スキル>の兆候があるか、と訊かれたわけではないのだから。


 「ただちょっと汗をかいたので不快ですかね。昨日から着の身着のままなので」


 これも正直な気持ちだった。昨日から何度も冷や汗を搔いたので、シャツにべったりと張り付いて気持ちが悪い。何せ着替えなど全く無いので、どうにも出来なかったのだ。


 「ああ、そうですね!気がつかなくてすいません。すぐ着替えをご用意します」


 「あ、ああ、いえ、そんな急がなくても大丈夫ですよ。何か検査があるんでしょう?」


 「はい。精霊魔法の種類の判別と魔力量の測定です。でも気分が悪いと正確な値が出ないかもしれませんし、やはり先に着替えられた方が。……その前に体を洗った方がいいですね」


 「いいんですか?」


 「はい。職員用のお風呂とシャワー室があります。お風呂は今の時間沸いてないですが、シャワーなら使えます。この時間はみんな勤務しているので空いているはずですから汗を流してきて下さい。その間に私がサイズの合いそうな服をお持ちします」


 「そんな。自分で取ってきますよ」


 「衣類倉庫はちょっとわかりにくい所にありますし、近くに関係者以外立ち入り禁止の場所もありますから」


 「すいません。何から何まで」


 「お気になさらず。仕事ですから」


 リリアと同じようなことを言う。ネリーがカウンターの外に出て俺を案内してくれた。


 「この先の突き当りを右に曲がって、それから左手に延びた細い通路の二本目を入って下さい。しばらく行くとシャワー室の看板があります」


 「わかりました」


 俺は指示に従って歩いて行った。ネリーは反対方向へ。俺の着替えを取りに行ってくれたのだろう。


 「二本目の通路、っと」


 言われた通り細い通路をしばらく進むと、シャワーの絵のピクトグラムが描かれた看板が目に入った。一目でシャワー室とわかるデザインだ。ピクトグラムは日本人が発明したらしいが、もしかしてこれも転生者が描いたのだろうか。

 入口のドアには「空き」と書かれた(勿論この世界の文字で)プレートが掛かっている。こういうのは異世界でも同じなんだな、と変なことに感心し、プレートを裏返して「使用中」にする。ドアを開けると狭い更衣室だった。とはいっても数人が一度に着替えられるくらいはある。汚れた制服を脱ぎ、いざ入ろうとしたときにタオルもないことに気付く。しかしネリーはそこらへんも抜かりがなさそうだから、着替えと一緒に持ってきてくれるだろう。俺は勝手にそう期待し、シャワー室のドアを開けた。


 「!?」


 信じられないものが目に飛び込んできて、俺は硬直した。目の前に女性がいる。空室のはずのシャワー室に、全裸の若い女性、少女と言っていいだろう、が立っていた。褐色、というより灰色がかった肌に肩まで伸びた輝くような銀髪。そして長い耳。あれ、これってもしかして……


 「な、な、な……」


 俺が目を丸くして立ち尽くしていると、目の前の少女の顔がみるみる真っ赤に染まり、同時に体から同じように真っ赤な光が立ち上る。


 あ、ヤバい。


 俺は我に返り、慌ててドアを閉め、あたふたと脱いだばかりの服を抱える。


 「す、すいません!」


 反射的にそう叫び、入り口のドアを開けて通路に飛び出す。


 「待て、こらーっ!!」


 中から少女の叫び声が聞こえるが、ここで待つバカはいない。服を抱えたまま走り出し、元来た廊下に出る。と、自分が裸のままなのに気づき、後ろを気にしながらあたふたと服を着直す。あの子が追ってくるのも怖いが、裸で廊下をうろうろしているところを見られるのはもっと怖い。何とか着終わり、あの子が追ってこないうちに、とまた走り出す。多少着崩れているが気にしている場合ではない。が、慌てていたのか最初に曲がった角を通り過ぎてしまい、そのまま見たことのない通路に迷い込んでしまった。

 

 「あれ?やばいな。迷ったか」


 今来たところを引き返すとあの子と鉢合わせしそうで怖いし、このまま進んでもどこに行きつくかわからない。さっきネリーが言っていた立ち入り禁止の場所に迷い込んだりしたらそれはそれで面倒なことになりそうだ。


 「あれ?トーマさん?」


 悩んでいるといきなり声をかけられ、俺は飛び上がった。恐る恐る振り向くと、衣服を持ったネリーが立っている。


 「どうしたんです?こんなところで。シャワー室分かりませんでした?」


 「あ、いえ、その……」


 本当のことを言うわけにもいかず、俺は動揺した。ネリーは不思議そうな顔をしていたがすぐに笑顔になり、


 「でも丁度よかった。着替えお持ちしましたから、ご案内しましょう」


 「あ、いや、ええっと……」


 女の子が入ってるから行けないんですよ、とはどうしても言い出せず、俺は結局ネリーに付いてシャワー室に戻る羽目になった。しかし考えてみればネリーは誰も使っていないと言っていたし、実際にプレートは「空き」だった。俺が一方的に悪いというわけではないのではないか。とはいってもこういう場合、男の方が責められるのはどんな世界でも同じなのだろうなと、俺は思った。

 

 「着きましたよ。ってあら?変ね、使用中になってる」


 さっき俺がひっくり返したままになっているのだ。ということはあの子はまだ中にいるのか。


 「ちょっと見てきますので待ってていただけますか?」


 そう言ってネリーが中に入っていく。俺は心臓の音がはっきり聞こえるほどドキドキしながら緊張して待つ。


 「やっぱり誰もいませんね。ちゃんとプレートは戻すように言ってるのに」


 ネリーがそう言いながら帰ってきたときは心底ほっとした。あの子はもう出て行ったようだ。まったく寿命が縮む思いだ。


 「それではごゆっくり。あんまりのんびりされてもこの後の予定があるので困るんですけど、ふふっ」


 「はい、ありがとうございます」


 「着替えとタオルは中に置いておきましたから。帰り道は分かります?」


 「あ、ああ、大丈夫だと思います」


 「ではまたカウンターの方へいらして下さい」


 ネリーが会釈をして去り、俺は緊張から解き放たれて息を吐いた。やれやれえらい目にあった。大体あんなラッキースケベなイベントは主人公に起こるもんだ。俺のようなモブキャラを目指すものにあってはならないことなのだ。もし万が一この後であの子とバッタリ再会、なんてことになったら完全にフラグのようではないか。冗談ではない。美少女とのフラグなど立ててなるものか。監督署では出来るだけ動き回らないようにしよう。

 俺は今度こそ熱いシャワーを浴び、転生してから初めて汗を洗い流した。疲れた体と心にお湯が染み渡る。生き返ったような気分だ。更衣室に戻ると予想通りネリーが用意してくれていたタオルで体を拭き、着替えの服に袖を通す。上はアイボリーの麻の半袖シャツ、下は薄いグレーの同じく麻のズボン。足首のあたりが膨らんでゆったりしていて、ベルトではなく腰に通した紐を結んで締めるようになっている。どこにでもいるような平凡な市民のスタイルと言った感じで素晴らしい。さすがネリー、分かってる。


 「お待たせしました。このお借りしたタオルはどうすればいいですか?」


 さっぱりした気分でカウンターに戻り、ネリーに尋ねる。


 「あら、そのままシャワー室に置いておいてくださればよかったのに。そちらの服と一緒に洗濯しておきますよ」


 「いいんですか?本当に申し訳ないです」


 「お気になさらず。とりあえずここに置いてください。早速魔法判定をします。こちらへ」


 ネリーに案内され、カウンターの奥のいくつか並んだ部屋の一つに入る。椅子に座るよう言われその通りにすると、テーブルを挟んだ反対側にネリーが座った。


 「いつもは判定をする担当がいるのですが、今日はあいにく休んでますので、私が行います」


 ネリーがそう言いながら絵が描かれた大きな木製のボードを取り出してテーブルの上に置く。


 「これが精霊魔法の種類を判別するマジックボードです。この中心の円の上に手を載せて、意識を集中してください。上下左右に各精霊魔法に反応する玉を置きます。するとトーマさんの属性の玉が円から延びたこの矢印に沿って動く仕組みです」


 なるほど。いかにもそれっぽいアイテムだ。俺は姿勢を正して深呼吸をし、言われた通りボードの中心に書かれた円の上に右手を差し出す。アニメやラノベだとこういう時主人公がこういうことをやると全部の玉が動いて、全属性の精霊魔法が使えることが分かって周りが驚くとかそんな展開がお約束だが、俺はそんなことにはならない……と信じている。頼むぞ。一個しか動くなよ。


 「目を閉じて意識を集中してください」


 もう一度大きく息を吐いて目を閉じる。意識を集中すると、頭の中に何かのイメージが浮かび上がり、体が熱くなってくる。これは魔力か?俺の中の魔力を感知しているのか。それにこのイメージは……


 「あら、これは……」 


 ネリーの声が聞こえ、ハッと我に返る。恐る恐る目を開けると、左側に置かれた球が動いて行っているのが見える。


 「はい、結構です。トーマさんの属性は水ですね。水魔法が使えるはずです」


 「そ、そうですか」


 よかった。第一関門はクリアだ。


 「続いて魔力量の測定をします。今度はこれに手を当てて、魔力を注ぎ込むようなイメージをしてください」

 

 次に取り出したのはあの嘘を見破る水晶球のような球体だった。透明だがどこかザラッとした感じがする手触りだ。


 「魔力量によって玉の色が変化します。ではお願いします」


 これも主人公がやると色が変わるだけでなく、膨大な魔力で球が割れるとかそういう展開になるのだろうが、間違ってもそんなことにはならんでくれよ。とは言っても手を抜いてやるわけにもいかないだろう。正確な自分の力を知っておくことは必要不可欠だろうしな。

 手を球に押し当て、エネルギーを注ぎ込むイメージをする。と、ゆっくりと透明な球の色が変化し始めた。目を閉じてさらに集中する。……5秒、10秒、これ以上はもう無理だろう、と思ったとき、ネリーが俺の手を軽く叩いた。


 「はい、もういいですよ。レベルC、ですね。平均的な魔力量です」


 よしよし第二関門もクリアだ。俺が平凡な転生者であることが証明された。これで安心して異世界ライフを送ることが出来る、はずだ。


 「この結果は監督者で記録し、保存させてもらいます。それでこの後実地訓練でトーマさんに自分が使える水魔法を発動してもらい、使用の制限などを判断します。出来るだけ多くの種類の魔法を出せるよう頑張って下さい。で、最後に質問ですが、先ほどのレクチャーで<スキル>については説明を受けましたよね?」


 来た!胸がドキン、と高鳴る。


 「転生して一日経ちましたが、何か異変というか変化のようなものは現れていませんか?」


 「え、ええ。今魔力を球に込めた時、何かのイメージみたいなのが浮かんだんですが、よくわからないまま消えちゃって……」


 「ふむ。能力顕現の前兆ですかね。何かあったらすぐ教えてくださいね」


 「は、はい」


 後ろめたさを感じながら俺は頷く。せっかく洗い流した冷や汗がまた背中に伝うような感じがした。


 「では少し休憩してから実地訓練に入りましょう。ロビーで休んでて下さい。準備が整ったらお呼びします」


 俺は一礼をしてから部屋を出てロビーに向かい、昨日リリアとメイビスが座っていたソファに腰を掛ける。魔法属性の方は問題なかったが、気になるのは<スキル>だ。この先どんな能力が顕現するのか、不安が治まらない。


 「トーマ!もう判定は終わったの?」


 突然声をかけられ、驚いて顔を上げると、リリアとメイビスが近くに来ていた。メイビスは丁寧にお辞儀をしてくれる。


 「あ、ああ。これから実地訓練だってさ」


 「そう。で、魔法属性は?」


 「水属性だって。魔力量はC]


 「ふ~ん、普通ね。ま、トーマならそんなもんだと思ったけど」


 「何だよ、それ」


 確かに理想の結果なのだが、他人にそう言われるとなんとなく腹が立つ。


 「そ、そうだよリリアちゃん。失礼だよー」


 「まあいいさ。最初からそんなもんだと期待………いや予想してたしな。お前らはまだ仕事か?」


 「まあね。初仕事のレポート作り。今聞いた結果も書かなきゃいけなかったから丁度よかったわ。じゃあ訓練頑張ってね」


 「おお、サンキュ」


 リリアが手を振り、メイビスがもう一度会釈をして歩き出す。本当に礼儀正しい子だ。流石お嬢様だな。


 「お待たせしました。訓練場へ、って。あら二人とも」


 そこにネリーが俺を呼びにやってきた。リリアたちに気付いて声をかける。


 「どうも。ネリーさん、今日のトーマの訓練相手って誰なんですか?」


 「アリーシャ先生よ」


 「げっ!トーマ、あんた運がないわね~。ご愁傷様」


 「え!?どういう意味?」


 剣呑なことを口走るリリアに不安がいや増していく。


 「厳しいのよね~、アリーシャ先生。真剣にやらないと本当に殺されかねないわよ」


 「おいおい……」


 「こらこら。トーマさんを怖がらせるんじゃないの!大丈夫ですよ、トーマさん。アリーシャ先生は腕利きのベテランですから。……確かに厳しいところはありますが」


 ――フォローになってないです、ネリーさん。


 「と、とにかく行きましょう。こちらです」


 「じゃあ頑張ってね、トーマ。生きていたらまた会いましょう」


 「だからそういう不吉なことを言うな!」


 怒鳴る俺を尻目に、リリアがからからと笑いながら去っていく。メイビスは困ったような表情をしてさらにもう一度頭を下げてその後を追って行った。


 「まったく、あいつめ」


 「本当に大丈夫ですよ。あくまで模擬戦という形を取るだけですから。ね」


 俺ははあ、と気のない返事をしてネリーの後に付いて行った。一度建物を出てから裏に回り、壁に囲まれた広い場所に着く。天井はなく、吹き抜けになっている。両開きの木の門を開けると、中は運動場のようになっていた。サッカーコートくらいはあるだろう。


 「周囲の壁は反魔法効果を付与した特別な資材で覆われています。空に向かって放たなければこの訓練場の外に魔法の効果が及ぶことはありませんから、出せる限りの力で魔法を発動してください」


 「どうしてもその先生と模擬戦をしないといけないんですか?ここでただ魔法を出すだけでも……」


 「初心者はある程度追い詰められないと本当の力が発揮できないことが多いんです。怪我をするようなことは極力避けますから大丈夫です。万一の時には治癒魔法を使える職員も待機してますから」


 「はあ」


 ゲーム以外では戦闘はおろか格闘もしたことがないのにいきなり魔法で戦えと言われても気が滅入る。しかし自分の使える魔法を把握しておかなければこの先暮らしていけないというなら仕方ない。出来るだけお手柔らかに願いたいが……。


 「まったく!他の教官はいないのか!私は見つけねばならない奴が……」


 「今日は実地訓練の出来る先生方は出払っておりまして。お願いしますよ、アリーシャ先生」


 背後から言い合う声が聞こえてきた。厳しいという先生がやってきたらしい。


 「ご苦労様です、アリーシャ先生。こちらが今日の訓練をする……」


 ネリーが俺を紹介するようなので、挨拶をしようと振り向く。


 「初めまして。トーマ・クリーナで……」


 「なっ!?」


 お互いが向き合った瞬間、俺とその先生は同時に絶句した。そして次の瞬間、


 「「あ―――――――っ!!!!!!」」


 二人の絶叫が重なった。俺の前に立つアリーシャ先生は灰色がかった肌と輝く銀髪の持ち主だった。


  そう、シャワー室にいた、あの少女である。


 ―――これって、フラグ?



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