第19話 夢との交錯

 バリーザンの居城では、近づく戦の為に臣下達は準備に追われ、城内は慌ただしかった。


 天界人の兵器を使用する為に、世界各地から捕われ集められた六人の人柱。シャロムを除く五人の巫女の力を持つその女達は、ある一室に軟禁されていた。


 行動の自由が許されていたシャロムは、度々この部屋を訪れ巫女達の世話を焼いていた。


「ああ。困ったわ。私はこんな所にいる場合じゃないのに。早く帰らないと、クロシード様に怒られるわ」


 黄色い長髪を揺らしながら、若い女が右往左往していた。クロシードとは女の仕える主人だとシャロムは知っていた。


「モナコ。落ち着きなさい。残念だけど、貴方の主人にはもう会えないわ」


 シャロムが落ち着いた口調で若い女の名を呼ぶ。不幸にも巫女の力を持つゆえに捕われたモナコは、悲しそうに項垂れる。


 シャロムは五人の巫女達に何かと便宜を図った。だが自分達がこの先どんな運命を迎えるか、その事実は隠そうとはしなかった。


 この城の一番高い塔の上から、波打つ金髪の男が鋭い目つきで地上を眺めていた。石造りの道を、兵士達が軍需物資を抱え往復している。


「いよいよ御出陣ですか?バリーザン様?」


 背後からシャロムに声をかけられ、邪神教団ネウトスの大司教は振り向いた。


「ああ。私はひと足早くバスタル要塞に向かう。シャロム。そなた達は手はず通り行動せよ」


 黒い軍服の姿のバリーザンは、シャロムにそう伝えると足早に下り階段に向かって歩いて行く。バリーザンの両手に白い包帯が巻かれている事をシャロムは見逃さなかった。 


「······また禁術の研究をされていたのですか

?」


「ああ。得られたのは呪いの類の禁術だけだ

。やはり死んだ人間を甦らせる禁術は容易に会得出来ぬ」


 シャロムの言葉に立ち止まったバリーザンは、悔しそうにそう言うと再び歩き出す。


「お待ちを。バリーザン様。これをお持ちください」


 シャロムはバリーザンの前に立ち、自らの首に付けていた首飾りを外し差し出す。それは、麻の紐で繋がれた黒い真珠だった。


「この黒真珠は、私の先祖代々から受け継がれた物です。私は娼館に売られてからも、これだけは手放しませんでした」


 シャロムは両手でバリーザンの右手に黒真珠を握らせる。大司教は不思議そうにその黒真珠を見つめる。


「巫女の加護。と言う訳か?シャロム」


 普段からの鋭い両目を和らげ、バリーザンはシャロムを見つめる。


「この黒真珠を身に着けた物は、死後三度生まれ変わると伝えられております」


 シャロムの説明に、バリーザンは絶句した

。これまで数々の予言を的中させてきたシャロムの言葉は、バリーザンとって絶対だった


「馬鹿な!ならばそなたが持っておれ!そなたはこれから死を待つ身なのだ!せめて来世で。今度こそ幸せな人生を送れ!!」


 バリーザンは絶叫するように黒真珠をシャロムに返そうとする。だが、黄色い髪の巫女は譲らなかった。


「バリーザン様。貴方は世を変えられる御方です。生まれ変わった時代がまた歪んでいたなら。その世に存在する民達の為に尽力なさって下さい。貴方にはその力が。いえ。力を持つ物の義務があります」


 理路整然と。迷いなくシャロムはそう言い切った。バリーザンは肩を震わし、無言でシャロムを抱きしめる。


「······御武運を」


 シャロムは両目を閉じ、聞き取れない微かな小声でそう呟いた。バリーザンが去った後、突然シャロムは後ろを振り返った。


「······貴方は、誰ですか?」



 ······夢の終わりは突然だった。麻丘あかねは、文字通り飛び起きた。あかねは激しく息を切らせ、額からは玉の様な汗が流れ落ちる


『······偶然?違う。見ていた。シャロムは確かに私を見ていた!』


 夢全体を俯瞰していたあかねに、シャロムは気付いた。そして姿も見えないあかねに対して「誰?」と問いかけた。


「······どうして?これはただの夢の筈よ。なんで夢の中のシャロムが私の存在を感じるの

?」


 高校生になってからよく見る夢。あかねにとって、アーズス達の世界は心踊る夢物語に過ぎなかった。


 だが、最近になって感じていた夢が背後から近づく感覚は、日に日に強くなって行く。


「······恐い。恐いよ」


 これから自分に身に何かが起きる。あかねはそんな漠然とした不安に駆られていた。起き抜けにそのまま階段を下り、和室の仏壇の前に座る。


 東海正晴の写真の前で両手を合わせる。途端にあかねの両目から涙が流れる。理由は分からなかった。


 だがここ最近、正晴の写真を見るとあかねは必ず涙を流してしまうのだった。それは、夢が自分の背後に近づくと感じていた頃と時を同じくしていた。


『······訳が分かんないよ』


 あかねは途方に暮れた。それで無くとも自分は失恋したばかりだった。岡山翔平に告白して振られた後、荒島亮太が現れ落としたコップを渡してくれた。


 亮太は口数少なく、帰り道をあかねと一緒に歩いた。何故亮太はあかねが落ち込んだ時に姿を見せるのか。


 そして亮太はいつも静かにあかねの隣に並ぶだけだった。確かなのは、傷ついたあかねは亮太の存在に救われた事だった。


 ただ誰かが隣に居るだけで、人は救われる事があるとあかねは学んだ。ため息をつきながらあかねはスマホのカレンダーを見る。


 夏休みの間にも、農業研究会の集まりがある。あかねはもう部活自体を辞めたいと思っていた。


 もう岡山翔平と顔を合わせられないあかねにとって、辞める他に選択肢は無かった。だが、万事消極的で大人しかったあかねの心にもう一人の自分が問いかけてくる。


『······このままでいいの?岡山君に振られて

。顔を合わせたくないから部活も辞めて。逃げた先に何かあるの?』


 あかねはこれまで、自分が負けず嫌いだと思った事など一度も無かった。だが、この時のあかねに沸き起こって来た感情は、それに近い物だった。


 農業研究会の最大のイベント。九月終わりの稲刈り。それが終わる迄、あかねは部活を続ける事を決意した。


 その時、あかねのスマホに桃塚ひよみからラインメッセージが届いた。あかねは直ぐにメッセージを読む。


 あかねの決意に呼応する様に届いたひよみからのメッセージは、農業研究会部員の集まりの知らせだった。

 

 世間はお盆休みに入り、街全体が心無しか静まり返っているようにあかなには思えた。

半袖のシャツとズボン姿のあかねは、夏休み中の校内にいた。


 裏庭にある畑には、農業研究会の面々が既に揃っていた。あかねに気付いた桃塚ひよりが、笑顔で手招きする。


「今日は」


 あかねは努めて部活のメンバーに挨拶をする。畑で黙々と作業をする岡山翔平の前にあかねは立った。


「こんにちは。岡山君」


 それは作り笑い以上、心からの笑顔未満の挨拶だった。


「······こんにちは。麻丘先輩」


 中腰だった翔平は、あかねを見上げながらいつもの愛想が欠けた挨拶を返す。


 これからも同じ部活の仲間としてよろしくね。荒島亮太は、あかねの翔平への挨拶はそんな意味が込められているように感じた。


「さあ!野菜を収穫して丸尾さんの家に行くわよ!」


 桃塚ひよみが軍手をはめた両手を叩き、今日の予定を説明する。農業研究会の四人は、畑作業を終えた後、学校から丸尾の家に移動した。


 丸尾宅の庭先では、家主がバーベキューの準備を終えていた。収穫した野菜や裏山で生け捕りにしたと言う猪の肉を焼き、ささやかな夏の宴は賑やかに過ぎて行った。


 夜の帳が下りた頃、五人は裏山にある小川にいた。鈴虫の鳴き声だけが響く静かな夜だった。


 そして、長草の隙間からそれは現れた。黄緑色の光体が、ゆっくりと光の軌跡を描き浮遊している。


「······蛍?」


 あかねは思わず感嘆の声を上げた。蛍の光を間近に見るなど、あかねにとって初めての体験だった。


「数は少ないんだけどね。ここら辺では辛うじてまだ蛍が見れるんだ」


 丸尾が両手を腰に当てながら説明してくれた。ひよみも。亮太も。小さな光の夏虫に見惚れていた。


 あかねは一瞬だけ翔平の横顔を見た。翔平の瞳は、何故か憂いを帯びた様にあかねには見えた。

 


 


  



 

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