第17話 一番大事な事
居城で政務を終えたバリーザンは、身体から疲れの色を払い落とし、私室に入った。部屋の中では、黄色い髪の女が窓際で花瓶の花を入れ替えていた。
「その花は秋桜か。シャロム」
バリーザンの問いかけに、揺れるカーテンと共に長い髪をなびかせ、シャロムは微笑む
。
「まあ。世界を変えようと多忙な日々を送る御方が花の知識をお持ちだなんて。教養ある方は素敵ですわね」
「持って回った様な事を言うな。正直に意外だと言えば良いだろう」
バリーザンは不機嫌そうにそう言うと、シャロムの横に並び今しがた花瓶に生けられたピンクの花びらを見る。
「何か仰りたい御様子ですね。地下遺跡からの兵器の発掘を終えたのですか?」
シャロムの青い目に見つめられ、バリーザンは自分の全てを見透かされた気分になる
。
「シャロム。そなたは何もかもお見通しだな
。いや。巫女に隠し事など無意味な事か。その通りだ。かつて天界人が地上に残して行った兵器の発掘が完了した」
シャロムは黙ってバリーザンを見つめ続ける。バリーザンはため息をついて部屋の入り口に立った。
「······そう無言の圧力を私にかけるな。兵器が見たいのだろう。ついて来るが良い」
バリーザンの半ばの諦めた様な口調に、シャロムは柔らかい笑みを返した。窓から入るそよ風に、花瓶に生けられた秋桜が揺れていた。
······そこは、城にある地下牢屋より更に下層に位置していた空間だった。四方に設置されている蝋燭が頼りない灯りで巨大な空間を照らす。
「······これが。天界人が残した兵器」
シャロムが見上げるそれは、女神の石像だっだ。高さは十メートル程あり、女神は自分の両腕で肩を抱くような格好をしていた。
そして、女神の背中から六本の棒状の様な物が伸びていた。その棒先には、大きな球体の形をした魔法石が視認出来た。
「この女神に人柱の魔力を注ぎ込む。その代償に、背中に生えている六本の杖から雷撃が発生する。その威力は一日に一国を滅ぼす力があるらしい。文献によればな」
バリーザンは世界を変える為の兵器を見上げながらシャロムにそう説明する。
「······バリーザン様。ですが私達人柱の巫女は、魔法など使えませんが?」
シャロムの怪訝な表情からの質問に、バリーザンは憂鬱そうな顔をする。
「心配は要らぬ。私が魔法陣を敷き、そなた等の内に眠る魔力をこの女神の像に送り込む
」
「······そうですか。ほっと致しました」
自分が確実にバリーザンの役に立てる事を確信し、シャロムは心から安心した。
「······そなた等を魔法陣に立たせ、魔力を強制的にこの女神の石像に送れば、魔力の供給者である人柱の寿命は確実に削られる。普通の魔力では駄目なのだ。巫女の力を持つ者の魔力で無ければ、この女神の石像の力を発揮出来ぬ。世界を一掃する頃には、そなた達人柱は間違いなく命を落とす」
バリーザンは歯を食い縛りながら、巫女達人柱の過酷な運命を宣言する。
「······文献によれば。ですね?」
シャロムが優しく。そして穏やかにバリーザンに微笑む。
「······シャロム」
バリーザンのその声は、逡巡と脆弱さが入り混じっていた。
「バリーザン様。御判断に迷いが生じ無きよう願います。私はとうに覚悟を決めています
。貴方も御覚悟を」
自ら愛する者の命を奪う。その行為に躊躇いが生まれたバリーザンに対して、シャロムは冷酷なまでに嗜めた。
薄暗い地下空間の中で、邪神教団の大司教は俯き項垂れていた。
······学校が夏休みに入り、八月も上旬が過ぎようとしていた朝。麻丘あかねは蝉の大合唱で起こされた。
寝起きの覚束ない足取りで部屋の窓まで辿り着くと、あかねは窓を開けた。すると、蝉の鳴き声は更にその音量を増してあかねの聴覚を刺激する。
『······やっぱりおかしい。夢が日ごとにリアルに感じるようになってきた』
あかねの見る夢には二種類あった。夢の中のもう一人の自分であるロシーラの目を通して見る夢。
そして、昨夜バリーザン達を見ていた様な夢自体を俯瞰して見る夢。そのどちらも、夢の世界の色彩を色濃く認識し、夢の登場人物達の息づかいまで感じる様になって来たのだった。
『······何だか恐い。これから夢はどうなるの
?そして······』
自分の身に何かが起きる。あかねは水色の寝間着の上から自分の胸に手を当てながら、漠然とした不安に駆られた。
仏壇で東海正晴に手を合わせ、余り食欲が無かったが粥の朝食を済ませ、あかねは外出し電車に乗った。
確固たる目的があった訳では無かった。だが、あかねの足は何故か自然と丸尾の住む家へと向かって行った。
駅から徒歩四十分。以前、農業研究会の四人で通った道をあかねは一人で歩いた。田んぼの稲は前回見た時より成長しており、あちらこちらで出穂している稲もあった。
稲の周りに白っぽく見えるのが稲の咲いた花だと、荒島亮太が以前教えてくれた。稲はこれから更に成長し、来月の下旬から稲刈りの時期に入ると言う。
農家から田んぼを借りている農業研究会にとって、年間を通して最大のイベントが稲刈りだと、あかねは桃塚ひよみから教えて貰っていた。
獣道に入り歩くと、程なくして平屋住宅の屋根が見えて来た。前回同様、庭から大音量のクラシック音楽が聴こえて来た。
どうやらここの家主は在宅の様だった。丸尾は縁側で寝転びながら、ラジカセのクラシック音を気持ち良さそうに聴いていた。
「あれ?君は確か、この前ひよみちゃん達と一緒に来た······」
あかねに気付いた丸尾は、ラジカセを切ってゆっくりと半身を起こした。
「は、はい。麻丘あかねです。突然来てしまってすいません」
「別にいいよ。連絡しようにも、俺は携帯電話を持っていないしね」
丸尾は相変わらず弛緩した表情で笑い、あかねを縁側に手招きした。そしてあかねにグラスに入れたさんぴん茶を差し出す。
丸尾はあかねに来訪の理由も聞かず、三十代半ばの男と女子高生は暫く無言で縁側でお茶を飲んでいた。
「さっきの音楽。かなりうるさかったでしょう?」
庭の畑に育っている茄子や胡瓜を眺めていたあかねに、丸尾はのんびりとした口調でそう言った。
確かにあの大音量は近所迷惑極まりないレベルだった。
「でもね。この平屋の周辺に他の家はないんだ。好きな音楽を思いっ切り大きな音量で聴ける。それだけの事なんだけど、すごく贅沢な事だと思うんだ」
丸尾の言葉には、何か他の意味が含まれている様にあかねには感じた。
「······丸尾さんは、今の。この生活に何の不満も無いんですか?」
「住めば都って言葉があるでしょう?正にそれだね。小さい不満や不便を並べたらきりが無いよ。俺の場合は一番大事だったのが自由な時間。それを充分に使えるこの生活に不満は無いね」
水滴が落ちるグラスに入ったお茶を飲み干し、丸尾は穏やかにそう言った。
『······一番大事な事』
あかねは今日、丸尾を訪問した自分の意図が分かった。社会システムの鎖から開放された丸尾なら、そのシステムの中に生きる自分が抱える悩みや不安を解消してくれる答えを持っていると思ったのだ。
最も。あかねの目下の悩みは夢の出来事と岡山翔平の事であり、丸尾にその解消方法を聞くのは無理な話だった。
だが、あかねは丸尾の言葉から何かを感じ取った。一番大事な事を大切にすれば、他の小さな事は気にならないと。
その決意は、突然あかねに胸の中で生まれた。あかねは直ぐに行動すべく、縁側から立ち上がった。
「あれ?翔平君?」
丸尾の間の抜けた口調に、あかねは固まった。丸尾の視線の先を追うと、そこには岡山翔平が立っていた。
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