第12話 労働の意義

 ······林の中で壮絶な追跡戦が続いていた。

ネウトス教の大司教であるバリーザンは、配下の五鬼将にアーズスの抹殺を命じた。


 バリーザンは五人の腹心達に、必ず五人でアーズスを倒す事を厳命した。五鬼将達はその命令を忠実に守り、巫女の予言からアーズスの居場所を割り出し、標的を林に追い詰めた筈だった。


 だが、迷路の様に入り組んだ林の中で、五鬼将達はいつの間にかバラバラに別れてしまった。


「······五人の中で俺が一番運が良いらしいな


 五鬼将の一人。バニクトは兜の中で残忍な笑みを浮かべていた。バニクトの前には、息を切らしたアーズスが立っていた。


 バニクトはアーズスの後ろにいる黄色い髪の娘を一瞥した。巫女の力を持つこの娘は、必ず生け捕りにする様バリーザンに命令されていた。


「一度拾った命をまた粗末に扱うとはな。アーズスとやら。お前は余程自殺願望があるらしいな」


 バニクトは腰から長剣を抜き放った。その刀身に、木々の隙間から漏れてくる陽光が乱反射する。


「俺も運がいい。前回とは違い、今回は一対一で戦える」


 アーズスは不敵に笑い、同じく長剣を腰から抜く。以前、アーズスは五鬼将全員と戦い

、瀕死の重症を負った。


「気に入らんな。若造。一対一なら俺に勝算があると言いたいのか?」


 バニクトは長剣の鋒をアーズスに向けながら、不快げに問いかける。


「五鬼将バニクトよ。勝算では無い。もう既に分かっている事だ」


 アーズスは自信に満ちた表情で返答する


「分かっているだと?若造。貴様何を言っている?」


 苛立ちを含んだバニクトの声色に、アーズスは更に笑う。


「忘れたのか?ここに居るロシーラは、お前達が血眼になって探している巫女の能力を持つ者だ。ロシーラが予言したのさ。今日お前はここで俺に倒されるとな」


 アーズスの宣言にバニクトは絶句する。バリーザンの元に居る巫女達の未来を見通す力は、五鬼将達なら知悉していた。


「······残念だったな。その予言は間違いだ。俺に倒されるのは貴様だ。アーズス」


「声に勢いが無くなったな?天下の五鬼将と言えど、巫女の予言には流石に心担を寒からしめたか?」


「ほざけ!若造が!!」


 落葉を蹴り上げ、バニクトはアーズスに向かって突進する。


「退がっているんだ!ロシーラ!」


 アーズスがロシーラを後方に置き、バニクトを迎え討つ。バニクトはその体格も腕力もアーズスを凌駕していた。


 バニクトの重く強烈な斬撃を、アーズスは巧みに受け流す。バニクトは守勢に回ったアーズスに、畳み掛ける様に攻撃を加えた。


「······アーズス」


 予言を口にした張本人は、心配そうにアーズスの背中を見守る。ロシーラは無意識の内に予言を行うので、本人には何の確信も無かった。


 アーズスとバニクトの斬撃の応酬は五十合に及んだ。絶え間なく長剣を振り回していたバニクトに疲れが見えた時だった。


「うぐつ!?」


 その一瞬の隙を逃さず、アーズスの唸りを上げた突きがバニクトの胸部を襲った。自らの胸に刺さった刀身を見て、バニクトはうめき声を漏らす。


「······まさか。この俺が?予言は正しいと言う事なのか?」


 アーズスは剣先をバニクトの胸から抜く。五鬼将の一人は貫かれた甲冑の中から大量の血を流す。


「予言など無かったさ。俺の虚言に平常心を乱したのがお前の敗因だ」


「······な、何だと?」


 バニクトは驚愕した表情のまま倒れ、そのまま絶命した。アーズスは油断する事無く

周囲を警戒し、ロシーラの手を取り再び走り出す。


 林の中の追走劇は、まだ終わってはいなかった。



 



 ······期末テスト終わりの放課後、農業研究会の部室では、四人の部員が激論を交わしていた。


 話題は何故労働をしなくてはならないのか。という論点に絞られていた。


「労働と納税。これは憲法に明記された国民の義務よ。つまり私達はこの国に生まれた瞬間、労働から逃れる事は出来ないの」


 厳しい表情も美しい桃塚ひよみが、労働の背後に鎮座する大きな前提を口にする。


「逆説的ですが、それから逃れている人達もいます。言わいる引きこもりと路上生活者です」


 岡山翔平がひよみの前提論に例外を述べる


「それらの人達は、意図的に労働と納税から

逃れているとは言い難いですね。やはり僕達がやろうとしている意志ある行動こそ、この社会システムから離れる方法だと思います」


 荒島亮太の発言に、ひよみと翔平が頷く。その光景を、あかねは呆然と見守る。新人のあかねは、三人の議論に付いて行けなかった


「麻丘さん。そう難しく考える必要は無いわ

。この前訪問した丸尾さん。彼を見てどう思った?」


 あかねの考えをお見通しと言わんばかり、桃塚ひよみは優しく微笑みながら問いかけた。


「え?あ、はい。丸尾さんはお金が無くても幸せそうでした」


 あかねは弛緩したあの丸尾の表情を思い出し、思った事を答えた。


「麻丘さん。何故丸尾さんは幸せそうだったと思う?」


 荒島亮太の質問にあかねは考え込む。丸尾は週に三日だけ農家でバイトをしている。やはりそれは、労働時間が短いからだろうかと思った時だった。


「時間ですよ。麻丘先輩」


 あかねが答えを口にしようとした時、岡山翔平が長い前髪の下にある両目をあかねに向けた。


「え?じ、時間?」


 その翔平の視線にあかねの鼓動は高鳴る。翔平の答えと同時に、桃塚ひよみがテーブルを叩く。


「そうよ!麻丘さん。丸尾さんは、労働に割く時間を最小限にしている。そして残りの時間は自分の好きな事に費す。だから彼はあんなに穏やかで幸せそうなのよ!翻って一般の労働者はどうかしら?一日の労働は朝起きた時から拘束が始まるわ。そしてそれから解放されるのは帰宅した瞬間よ。例えば朝六時に起床し帰宅は十九時とすると、一日の拘束時間は十一時間よ。睡眠時間を七時間として二十三時就寝とすると、一日の残り時間はたった五時間よ!入浴、食事を済ませたらあっという間にもう寝る時間よ!これって。一日が仕事だけで終わるって事なのよ!!」


 桃塚ひよみの熱弁に、あかねはただ圧倒されていた。


「労働時間がもっと長い人達は更に悲惨です

。休みの日は身体の疲れを取る為だけに使うでしょう。これでは、一年中仕事に支配されているのと同じです」


 翔平が冷静な口調で過酷な条件下の労働者の現状を代弁する。

 

「労働と言う鎖から逃れるには、やはりこの作られた社会システムから降りる必要があります。丸尾さんはそれを体現している一人です」


 荒島亮太の発言に、あかねは恐る恐る意見を述べた。


「······でも。それはお金が無くても。つまり貧乏しても大丈夫な人しかで出来ませんよね

?そしたら。家を買ったり。結婚して妻子を養う事も難しくなるんじゃないでしょうか?


 あかねはこの発言を深く考えて口にした訳では無かった。だが、三人の視線はあかねに集中する。


「······そうよ。麻丘さん。あなたは本質的な事が分かっている。丸尾さんの様に社会システムから降りるには、過度な物欲を捨てなければならないの。物欲がある人には、私達のやろうとしているこの方法は無理な話よ」


 ひよみは我が意を得たりと言った表情で嬉しそうに頷く。


「どちらを取るかと言う事です。お金の為に人生の限られた時間を長時間労働に費すか。物欲を捨て自由な時間に費すか。こればかりは両方得る事は不可能です」


 翔平がひよみの説明を補足する。三人の熱を帯びた論議を聞きながら、あかねは部室内の温度が上がったような錯覚に陥っていた。


 


 


 


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