第9話 初めての待ち合わせ

 その部屋は、太い丸太の木造りの部屋だった。部屋の中は広く、床には虎の毛皮が敷かれていた。


 男の汗と酒気が混じった匂いが部屋中に充満しており、ロシーラは手拭いで鼻と口を抑えたい衝動に駆られた。


「······話は分かった。要するに俺達に戦えと言うんだな?あのバリーザンと」


 椅子に深く腰を沈めた巨漢の男が、片手に酒の入った大盃を持ちながら口を開いた。その鋭い眼光に、アーズスとロッサムの後ろに立つロシーラは緊張する。


 男の名はマキシム。この山を根城とするマキシム盗賊団の首領だった。筋骨逞しい四十代半ばの男は、伸び放題の髭を指で撫でる。


「それで?見返りは何だ?命を賭けてバリーザンと戦って俺達は何が貰える?」


 マキシムは真っ直ぐにアーズスを見ていた

。アーズスは微笑し、迷いなく返答する。


「世界を救う英雄になれる。マキシム。貴方達の盗賊団全員がだ」


 アーズスの余りの実直さに、マキシムは一瞬放心したように目を見開き、その後周囲にいる手下達と大口を開けて哄笑する。


「若造よ。頼む相手を間違えているでは無いか?この国の王にでも頼めばよかろう」


 ようやく笑いが収まって来たマキシムは、ぶ厚い手を振って面倒臭そうに言い捨てた。

アーズスの言葉に耳を貸さないマキシムのその態度に、ロシーラは腹立だしくなる。


「マキシムの旦那。それは無理な話だ。この国の軍はバリーザンに負けっぱなしだ。頼りにならんよ」


 ロッサムが必死にマキシムに説明する。ロッサムはこの盗賊団の首領と面識があり、そのお陰で今回の面会が叶ったが、当の本人はまるでその気が無かった。


「マキシム。貴方達の盗賊団だけではバリーザンに勝てない。だが、貴方は他の盗賊団に顔が利く。盗賊団の連合軍を作り、バリーザンに対抗する。残念ながら、奴に対抗する手段は他にないんだ」


 アーズスは相変わらず真っ直ぐな瞳でマキシムを見る。だが、マキシムは鬱陶しそうに

舌打ちをする。


「ロッサム。お前には昔借りがあったから話は聞いてやったが話にならんな。その黄色い髪の娘が巫女の力を持つと言うのも胡散臭い。太陽が傾かない内に山を下りるんだな」


 話は終わったとばかりにマキシムは椅子から立ち上がった。その巨漢の首領の前に、一人の娘が立ちはだかった。


「手を貸してくれるなら、お礼に貴方の未来を視てあげるわ。どう?悪い話では無い筈よ


 マキシムの前に立ったロシーラを見て、アーズスとロッサムが驚いた表情になる。


「その能力が本当ならな。娘。お前に未来を見通せる力があるのか。今ここで証明出来るのか?」


 マキシムは殺気がこもった両目でロシーラを睨む。アーズスにはそれは無理だとわかっていた。


 ロシーラが予言を口にする時は、決まって彼女が無意識の時だからだ。マキシムの迫力に、ロシーラは内心震え上がっていた。


 だが、何としてもアーズスの役に立つ為に

、ロシーラは虚勢を張り通す事を決意する。


「いいわ。貴方の未来を予言してあげる。マキシム。貴方は私とこれから大酒飲みの勝負をする。そして私に負けるわ」


 小柄な小娘の挑発に、盗賊団は再び大笑いする。その瞬間、ロシーラはマキシムが使用していた大盃を手にし、その酒を一気に飲み干した。


 その光景に盗賊達は絶句する。ロシーラは口を拭い、大盃をマキシムに突きつける。


「貴方はこの勝負から逃げられないわ。マキシム。手下達の見ている前でね」


 ロシーラの好戦的な態度に、マキシムは口の端を吊り上げた。


「······良いだろう。小娘。お前の挑発に乗ってやる」


 アーズスとロッサムは、大慌てでロシーラの身体を引き寄せた。そしてマキシムに勝負を挑んだ無謀な娘に小声で確認する。


「ロシーラ。何て無茶な事をするんだ!」


「おい!ロシーラ。勝算はあるのか?マキシムの旦那の酒量は底無しだぞ?」


 アーズスとロッサムの言葉に、既に顔を赤くしているロシーラは力強く自分の胸を叩く


「任せて二人共!お酒は匂いが嫌いでまともに飲んだ事は無いけど。何とかして見せるわ

!」


 ロシーラの根拠の全く無い勝利宣言に、アーズスとロッサムの顔から血の気が引いて行った。


 




 ······梅雨明けした七月のある土曜日。麻丘あかねは駅前の商業ビルの入り口に立っていた。そわそわした様子のあかねは、何度もスマホに目を落とし時間を確認する。


 今日のあかねは肩まで伸びた髪を縛っておらず、白いブラウスに紅いスカート姿だった


 ヘアースタイルも服装も。前日から何度も試行錯誤し、お陰で昨夜は良く眠れなかったあかねだった。


 あかねは今日これから、異性と二人きりで会う。それはあかねにとって、人生初の事だったのだ。


「お待たせしました」


 その無愛想な声を聞いた瞬間、あかねは心臓が飛び出しそうになった。あかねの待ち合わせの相手は、岡山翔平だった。


 翔平は黒いポロシャツにジーンズ姿だった。あかねは何故か、翔平の目の下のホクロに釘付けになる。


「こ、こんにちは。岡山君。み、店はすぐそこだから。い、行きましょう」


 言葉も歩き方もぎこちないあかねは、翔平と並んで人混みの中を歩いて行く。その二人の姿を、建物の陰から覗く者がいた。


「よし。動き出したわ。後を付けるわよ。荒島君」


 ピンクのワンピースに身を包んだ桃塚ひよみは、側に立つ荒島亮太に声をかける。


「······桃塚先輩。本当に覗き見をするんですか?止めた方がいいですよ」


 亮太はため息を漏らしながらひよみの行為を嗜める。だが、超絶美女は自らの行動を改めようとしなかった。


「部活内の恋愛は自由よ。でもね。惚れた腫れたで貴重な部員同士が喧嘩別れするのは避けたいの。部活を辞められたら困るもの。その為のフォローよ!」


 ひよみの最もらしい理由に、亮太は同意でき兼ねていた。だが、麻丘あかねが男子と二人で会うのを目の当たりにすると、亮太は何故か無視出来ない気分だった。


 帽子とサングラスで変装し、意気揚々とひよみは歩き出す。亮太は仕方なくその後に付いて行った。


 あかねと翔平は、ビルの一階に店を構えている和食店に入る。魚が旨いと評判のこの店は、昼時とあって混み合っていた。


 時刻は十三時。丁度ランチのピークが過ぎた頃だったので、多くの客が食べ終わった所だった。


 空いた席に通されたあかねと翔太は、ランチメニューを見ながら互いに沈黙する。


「お、岡山君は好き嫌いとかあるの?」


 ランチメニューの内容が全くか頭に入らないあかねは、必死に会話の糸口を探ろうと質問する。


「······魚がちょっと苦手です」


 翔平の衝撃的な返答に、あかねはパニックに陥る。目を血走らせメニューを凝視するが

、五種類のランチメニューは全て魚がメインだった。


 魚嫌いの相手を魚メインの店へ連れて来てしまった。あかねは酷く狼狽し、店を出るべきかと迷い始めた。


「刺し身や焼き魚は駄目ですけど、煮魚だったら平気です」


 翔平はそう言って、店員に煮魚定食を注文する。あかねも慌てて同じ物を頼んだ。


「······そうか。岡山君。魚が駄目だったのね

。麻丘さんにこの店を紹介して悪い事をしたわ」


 あかねと翔太達の斜め向かいの席に座るひよみは、二人の会話に聴力を全開にして聞き耳を立てていた。


 帽子を深く被った荒島亮太は、ため息をつきながらメニューを見ていた。


「あ、あの。岡山君。今日は来てくれてありがとう。改めてこの前のお礼を言わせて。助けてくれてありがとう」


 あかねは両手を膝につけ、翔太にお礼を述べる。桃塚ひよみにけしかけられたとは言え

、あかねは翔太が食事の誘いを了承してくれるとは思わなかった。


「······これも。必要な過程だったので」


 翔平のそのか細い小さな声を、あかねは聞き取れなかった。翔平は視線を一瞬だけ斜め向かいの席に移した。


 そこには、帽子を深く被った桃塚ひよみと荒島亮太が座っていた。


 極度の緊張の中、あかねは煮魚定食の味など分からなかった。店を出ると、この後どうすればいいのか全く考えてなかった事に気づく。

 

「お、岡山君は何の食べ物が好きなの?よ、良かったら今度食べに行かない?」


 あかねの慌てて飛び出した言葉は、次回の約束を取り付ける物だった。言った瞬間、何と大胆な事を口にしたのかとあかねは赤面する。


「······行く理由がありません。じゃあ。僕は帰ります」


 岡山翔平は冷然とそう言い残し、あかねの前から立ち去って行った。その翔太平の後ろ姿を、あかねは呆然と見送る。


「······ちょっと良くない空気ね。荒島君。今日の所は私達も解散しましょう」


 桃塚ひよみは親指の爪を噛みながらそう言った。ひよみが去った後も、荒島亮太は店の前で立ち尽くすあかねを見ていた。


 そして、亮太の足は自然とあかねの元へ向かう。


「······麻丘さん」


 肩を小さくしているあかねの背中に、亮太は話しかけた。振り返ったあかねの頬には、大粒の涙が流れていた。

 


 

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