第8話 目の下のホクロ
険しい山の悪路を、一台の馬車が健気に駆けていた。御者は自らの苛立ちを二頭の馬にぶつけるように、乱暴に鞭を打つ。
「くそっ!何でこうなっちまった!これで俺はお尋ね者だ!バリーザンから世界の果てまで追われる身になっちまった!」
馬を操るロッサムは、自分の行動。そして確実に訪れる未来の運命に嘆き悲しんでいた。
「今更泣き言を言わないで。全く。首尾一貫しない人ね」
馬車の荷台には二人の人間が乗っていた。冷めた口調でロッサムを責める黄色い髪の女と、その様子に苦笑する黒髪の騎士だ。
「······アーズス。俺がこうする事も、ロシーラの予言で知っていたのか?」
落ちれば助からない高さの崖。その狭い道幅を巧みに馬を操りながら、ロッサムは騎士に質問する。
「まさか。ロシーラは何でも教えてくれる訳じゃない。けど。俺はロッサム。お前を信じていたよ」
荷台に座りながら、アーズスは微笑みながらロッサムに返答した。ここ迄アーズスに信頼されるロッサムに対して、ロシーラは嫉妬に近い感情を覚えていた。
「······俺は世界を旅して分かった事がある。この世は救いようが無い。人間も魔族も。戦争ばかり繰り返す。戦火の被害者はいつも女子供だ。こんな世界は一度壊さなければならないと思った。だから俺はバリーザンの考えに同調した」
ロッサムは自分に語りかける様に呟く。傭兵部隊に所属し、多くの戦争に参加しその現実を見てきたアーズスは無言だった。
「ロッサム。貴方は間違っているわ。勿論バリーザンもね。一度世界を壊す?貴方達は忘れいるの?その過程でどれ程の犠牲者が生まれるか?」
ロシーラの容赦ない指摘に、ロッサムは一瞬だけ顔を荷台に向けた。
「そんな事は分かっている!だがな。その後選ばれた者達で平和な世界を創ればいいんだ
!そうすれば、二度と戦争の無い平和な世界が創れる!」
「荒唐無稽もいい所だわ。最初は平和でしょうね。でも。その選ばれた者達がいずれまた争いを起こすわ。そして再び戦争が起きる」
ロシーラの鋭い視線と断言に、ロッサムは絶句する。
「······未来を視たのか?ロシーラ。そうなる未来の世界を」
ロッサムは恐る恐る巫女の力を持つ黄色い髪の女に尋ねる。
「いいえ。ロッサム。予言する迄も無い事よ
。人間も魔族も。戦争を無くせる程利口じゃないわ」
人間達は沈黙し、山道を走る一台の馬車は、二頭の馬の激しい呼吸音のみが聞こえていた。
「······物見櫓が見えて来た。目的地に着いたようだな」
アーズスが注意深く道の先を視認する。三人にはこの山を訪れる目的があった。この山を本拠地にする盗賊。マキシム盗賊団の首領に面会する為だった。
······月曜日の朝。麻丘あかねはベットの上で慎重に身体を動かす。起き上がろうとした時、恐れていた事が起きた。
二日前の農作業が原因の全身筋肉痛は、まだ十七歳の身体を蝕んでいた。
「うう。普段の運動不足が原因かなあ」
壁に手を当て身体を支えながら、あかねは階段をゆっくりと降りる。無視する訳には行かないとばかりに、六畳間の仏壇に何とか正座する。
東海正晴の写真に手を合わせながら、あかねは正晴の右目の下のホクロから目を離せなかった。
そのホクロを見た瞬間、あかねの鼓動が早くなる。正晴の顔にときめいていたのか。それともホクロを連想して別の誰かに胸を高ならせていたのか。
あかねには容易に判断出来なかった。放課後、農業研究会の部室を訪れると、椅子には岡山翔平が座っていた。
翔太はあかねを一瞥すると、黙ったまま手にした本に視線を戻す。以前までだったらその態度に憤慨したあかねも、バイクとの接触事故から助けてくれた恩人に対しては、気勢も削がれてしまっていた。
「あ。あの岡山君。この前は助けてくれてありがとう」
あかねは翔太にお礼を言いながらも、翔平の右目の下のホクロに視線を向けていた。
『何で?夢で会える愛しのアーズスも。私の命を救ってくれた正晴さんも。そしてこの生意気な後輩も。何で皆、右目の下にホクロがあるの?そして私は、何でこの三人にドキドキするの?』
自分はこんな節操の無い女だったのかと、あかねは自分自身が分からなくなっていた。
「······麻丘先輩。身体は。怪我は無かったんですか?」
岡山翔平は手にした本から視線を外さず、あかねに質問する。それは、翔平のいつもの
無愛想な声とは僅かに異なっていた。
それを感じ取ったあかねは、また胸が苦しくなる事に気づく。
「う、うん。全然大丈夫だよ。農作業の筋肉痛だけ。岡山君は筋肉痛は平気なの?」
「······農作業は慣れてますから。麻丘先輩も身体が慣れれば平気になりますよ」
二人の会話はそこで途切れ、部室には沈黙が流れた。
「あれ?麻丘さんに岡山君。二人とも早いね
」
部室のドアが開かれ、荒島亮太が入って来た。同時に岡山翔平が席を立ち、畑に行って来ると言い残して部室を出た。
「······ねえ。荒島君。岡山君はどうしてこの部活に入ったのかな?」
翔太の座っていた椅子を見つめながら、あかねは亮太に質問する。
「うん。一年前かな。岡山君がこの高校に入学して直ぐに入部して来たよ。正直、未だに岡山君がこの部活に本当に興味あるのか分からないんだよね。ほら。彼って無口で無表情でしょ?でも、畑作業や雑用は率先してやるしね。だがらこの前は驚いたよ。麻丘さんを助ける時の岡山君。あんな必死な彼を見るのは初めてだったな」
荒島亮太はそう言うと、先日農家から貰った種を早速植えると言い残し畑に向かった。
一人部室に残ったあかねは、ため息を漏らし椅子に座る。
「あら。麻丘さん。何か悩み?その表情はすばり恋患いね」
突然部室に現れた桃塚ひよみは、質問と断定を同時にあかねに言い放って来た。真相を乱暴に探り当てたひよみに、あかねは動揺し赤面する。
「麻丘さん。全部吐きなさい。胸が楽になるわよ」
あかねの隣の席に座ったひよみは、美し過ぎる顔を平凡な容姿のあかねに近づける。ひよみの溢れる美貌とその芳しい香りに、あかねは催眠術にかかったような錯覚に陥った。
「······なる程。ちょっと気になる人にお礼をする方法ね。それなら簡単よ麻丘さん。相手を誘って食事にでも行きなさい。駅前に安くて美味しい和食の店があるわ。そこに行くのよ」
迷えるあかねの悩みに、ひよみは迷いなく
その解答を教示する。躊躇するあかねに、ひよみは自信に溢れる表情で頷く。
「麻丘さん。人と人。人間同士はやっぱり会話を重ねないと相手の事は理解出来ないわ。お礼をしたいその相手の人とこれからどうしたいか。話してから考えたらどうかしら?」
ひよみの流れる様な説得に、あかねは魔術にかかったように同意する。時間が立つと決心が鈍る。
そう考えたあかねは、早速席を立ち岡山翔平の元へ行こうとした。部室を出ようとしたその時、桃塚ひよみがあかねに声をかける。
「麻丘さん。岡山君は和食好きよ。店に間違いないわ。頑張って!」
「はい!ありがとうございます。桃塚先輩」
あかねは思わずひよみに返礼して廊下に出た。そして立ちどころに顔が真っ赤になる。ひよみに岡山翔平の名前を一言も言わなかったのに、超絶美女には最初から露見していたのだ。
あかねは両手で頬を隠し、今の自分の顔を誰にも見られない事を祈りながら廊下を駆けて行った。
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