第14話 見学練習3

 部活見学した翌朝。

「おかーさん、舜兄しゅんにぃがトイレから出てこうへん」


 樋川といかわ家のトイレの前で舜也しゅんやの妹、まいが困った声で訴えた。皿洗いをしていた母親がトイレの前へとやってくる。

「舜? どうしたん? はよ出たりいや」


「ちょ、ちょっと待ってや。あと十秒…」


 トイレの中からうめくような返事がしたあと、しばらくしてドアが開き、舜也が痛みをこらえるように顔を歪ませて現れた。母親が眉をひそめる。


「お腹でもくだしたん?」


「いや…筋肉痛やねん。足からケツにかけて。昨日のバスケの練習のせいやな」


「なんや、しょうもない」


「しょうもないことない。こんな筋肉痛初めてや。母ちゃん、もし俺がこのまま死んだら、まいのこと頼むで」


「筋肉痛で死んだりしたら葬式で爆笑したるわ。アホなこと言うとらんで、はよ学校行きなさい」


「薄情な親やな」


 舜也は鬼の形相で痛みをこらえつつ、部屋のカバンを取りに行った。床にあるカバンを持つために屈んだとき「へゃ」という声が漏れ、肩に掲げたカバンの重さで体がぐらついたとき「ふぉ」と放つ。


「そんなに痛むんやったら湿布貼ったら?」


「ケツに湿布貼るなんてカッコ悪すぎやろ。銭湯のおじいちゃんでも見たことないわ」


「はいはい」


 舜也は母親に見送られ、よたよたしながら登校した。

 舜也が一組のクラスに入ると、沖広宣おきひろのぶが先に登校していた。舜也と違い、平然とした表情をしている。沖は舜也を見ると席を立って近づいてきた。


「筋肉痛? 昨日マッサージとストレッチしてなかったんだろ?」


「ああ、まあな」


 正直なところ、昨晩ふくらはぎの筋が張っている感覚はあったので、風呂上りに軽いマッサージをしたが、たとえ入念なケアをしたところで焼け石に水だったろうなと舜也は思っていた。


「ちょっとバスケの練習甘く見とったわ。便座に座ったとき思わず変な声が出てもうた」


「こればかりは慣れるしかないよ。でも意外だけどさ、今日また見学で同じフットワークのメニューやったら、明日痛みは半分ぐらい引くよ」


「ウソや~ん」


「ほんとほんと。俺、春休みのときそうだったんだ」


 半信半疑ではあるけど、どのみち舜也は今日もバスケ見学へ行こうと決心していた。筋肉痛に負けて休むのはなんかカッコ悪い。

 やがて始業の時間を迎え、今日から本格的な授業が始まった。


 大多数の先生たちの予想通り、樋川舜也といかわしゅんやは授業の中でも言動が目立つ存在だった。ウケを取ろうと十五分に一回はボケるし、それがまた教師も吹き出してしまうほど面白い。しかし授業を妨害するだけでなく的確な質問も多く、先生がその授業の中で一番伝えたい重要ポイントを説明するときは察して発言も控える。授業中、悪ふざけに心血を注ぐ生徒のことを先生たちの間でピエロと比喩することがこの学校の慣わしだったが、樋川舜也の場合は〝十年に一度のピエロ〟という見解で教師陣は一致した。 

 

 授業が全て終わり、二日目の部活見学の時間がやって来ると、舜也と広宣は体育館へ向かった。十七、八名の先輩たちがすでに練習着に着替えてシュートを打っている。昨日のフットワーク練習で音を上げたのか、コートの隅にいる一年生の見学者数はずっと少なくなっていた。長塚ながつかはすでに来ていて、浦瀬うらせは今日テニスの見学へ行ったらしい。そのほか今日は舜也が見覚えのある顔を見つけた。


「あれ? ETもバスケ部入るん?」


 ETこと千ヶ崎ちがさきが不機嫌そうに顔を向けた。舜也が自己紹介の場で放ったETというあだ名は瞬く間に広まり、今では違うクラスの生徒からもETと呼ばれている。ただ本人はもともとのエロタというあだ名よりマシなので、咎めずに放っているみたいだ。


「ただの見学だ。ついでに俺は地球人だ」

 千ヶ崎が面倒くさそうに言った。


「ええなあ。自分、背高いもんな。身長なんぼなん?」


「百六十一」


「一センチ十円で売ってくれへん?」


「十万円なら考えてやるぞ」


「たっか! ぼったくりすぎやろ! 五センチ売ってください」


「買うのかよ!」


 一年生全体に笑いが広まった。舜也が千ヶ崎の名前をネタにし、千ヶ崎はお返しに舜也の身長をネタにする漫才さながらの会話もまた、一組の名物としてすでに他のクラスに広まっている。

 最終的に一年生は昨日より十人以上少ない二十人が集まって二日目の見学が始まった。今日もまた顧問の九間先生は姿を見せず、沖キャプテンが練習メニューを考案してこなしていく。ETこと千ヶ崎は一年生の中で最も身長が高く、先輩たちからもそこはかとない注目を浴びていたものの、残念ながら運動できないタイプだった。走り方はぎこちなく、その場でもジャンプしても体が固い。極めつきはボールの手さばきが下手で、パス練習では常にボールをキャッチできず、手からこぼしていた。


「ET、運動神経ゼロなんやな」


 二列に向かい合った状態から交互にパスを出していく練習の中で、舜也は悪いと思いながらも前に並んでいた千ヶ崎に言った。


「ゼロというか、マイナス五十三万やな」


「何でフリーザの戦闘力なんだよ。ここはドラゴンボールの世界か?」


「戦闘力は変身するたびに弱くなる。そしてその変身はあと三回残している。この意味がわかるな?」


「わざわざ変身してこれ以上弱くなる必要あんのか? マイナス五十三万の時点で激弱じゃねーか。そよ風に当たっただけで即死だろ」


 近くにいた生徒たちが吹き出した。ツッコミの才能なら天下一品なんやけどな、と舜也は思わず唸った。

 結局今日のところも、先輩たちが休憩の間だけシュートを打ったあと、一年生は解散となった。舜也が広宣に聞くと、部活見学一週間の間は必ず一年生を途中で解散させる方針らしい。ただ明日はドリブルの基礎をやるつもりだと広宣は言った。


「それはそうと、足の筋肉痛はどうよ?」

 広宣にそう聞かれ、舜也は改めて自分の足の感覚に気がついた。


「そういえば昨日よりマシやな。てかフットワークする前より楽になった気する」


「言ったとおりだろ? 筋肉痛を効率よく取るには、部屋でじっとしているより軽く運動させる方がいいんだ」


「ほお~」


 二回目でもフットワーク練習はやはりきつく、とても広宣が言うような軽い運動ではなかったが、筋肉痛が多少和らいでいるのは間違いない。

 二日目の部活見学にて、バスケ部の練習は他の運動部より並外れてキツイことが一年生の間に広まり、残りの部活見学期間は、主に舜也を始めとする入部を覚悟した二十名前後の一年生たちが通いつめた。

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