第4話 大阪から転校してきた少年

 クラス中の視線が教卓の前に立つ少年に注がれた。一人だけ関西弁を喋るこの生徒は、先ほどからいやがうえにも注目を集めている。少年は特に緊張した様子を見せず、口を開いた。


「つい先週、大阪から引っ越してきました、樋川舜也といかわしゅんやいいます。趣味はお笑い番組を見ることで、特技は短距離走とモノマネです」


 舜也がそう言うと、すくさま男子の一人が声を上げた。

「何かモノマネやって!」

 それを受け、待ってましたとばかりに舜也の表情が明るくなる。


「ええよ。じゃ、これからジブリアニメのあるシーンをモノマネするので、これがどのシーンなのか当ててください」


 そう言うと、舜也は教卓の横に立って顔を伏せ、下準備を整える。次の瞬間、顔をこの上なく猿顔に変え、声を濁して語りだした。


「人間寄こしてさっさと行け」


 クラス中が爆笑に包まれた。細部にまでわたって調べつくしたと思われるその動きは、軽妙且つ珍妙で、オリジナル以上にオリジナルだ。


「わかった! もののけ姫のあの猿だ!」


「正解。では次」


 今度は一転して生真面目に顔を変化させ、胸を張ってハキハキと喋る。

「きみ、ダメじゃないか! たとえ魔女でも交通ルールは守らなくては」


 爆笑に感嘆が加わる。

「あー、魔女の宅急便の警官だ!」


「正解」

 クラスの大半がひとしきり笑い、舜也はウケの良さに満足したように顔を元に戻し、もう一回やってくれという声には、一日二回きりやと断った。


「ほんで好きなことはやな、授業中に居眠りしてるやつの体が一瞬ビクッて動くのを見ること。嫌いなのは、十円玉をずっと握りしめていたときの手の匂い」


「あーわかる」


「臭いんだよな、あれ」


「今年の目標は、十一月十一日十一時十一分に何かやる」


「何やるの?」


「まだ決めてへんねん。覚えとってや」

 舜也は鼻をこすってから言った。


「それから、これは今年の目標っていうより中学校生活の目標やねんけど…」


 舜也は言葉を切り、力をこめるように一息ついた。教室の中のざわめきが若干収まる。舜也は自信に満ちた表情で、一気に言い放った。


「陸上部に入って、日本一足の速い中学生になったるわ!」


 クラスが一瞬静まり、それまでずっと黙っていた九間先生が静かに口を開いた。

「君…うちの学校に陸上部はないよ?」


 幽霊と出会いがしらに衝突したような表情で舜也は九間先生を見た。


「ウソやんっ! 何でないんですかっ!」


「八年前に不祥事をおこして休部になったんだ。それがそのまま廃部になって…」


「でも陸上部ですよ! 陸上部ってどこのどんな学校にもあるもんでしょう! なにそのアイスクリーム屋行ってバニラがないという状況!」


 クラス中に再度哄笑が渦巻いた。先ほどの自己紹介と違い、今回は決してボケているつもりではないのだろうが、必死さがおかしくてしょうがない。


「どうしても陸上をやりたいんだったら部を創設するっていう手があるけど、用具も足りてないし、部員集めからしなくちゃならないから今年一杯は大会に出られないと思うぞ。先生としては、他の部活に入ることを勧めるな」


「うお…」


 舜也は大げさに見えるほど落胆し、深海魚の目のように光のない瞳で教室中を見回した。


「今年の目標変更…生きる目的を探す…」


 最後にそう言って、とぼとぼと歩き舜也は席に着いた。本人の沈んだ気分は裏腹に、教室では今日最高の拍手が沸き起こっていた。


 全員の自己紹介が終わり、九間先生がプリントをいくつか配って、明日行われる実力テストのことを伝えたところで、ホームルームは終わった。新一年生はこれで下校し、今日は部活には見学にも行ってはならないという。ホームルームを終えた直後、舜也の席の周りには好奇心のある男子が数人集まり、お笑い芸人の話や舜也の住んでいた大坂について話が盛り上がったが、三十分もすると教室には五、六人の人しか残っていなかった。今日は入学式ということで、小学校からの友達同士が校門の前で写真を撮りあったり、入学祝いということで家族と用事がある生徒が多いのだ。舜也の母親も式には参加していたが、春休み中に引っ越した事情もあって、式のあと教師陣と少し話をすることになっていて、舜也は母親の用事が済み次第、校門で写真を撮る予定になっていた。やがて教室内に舜也一人きりの状態になると、舜也はおもむろに机に突っ伏して窓の方に顔を向ける。


「なんでないねん…」


 思い描いていた夢と希望あふれる中学生ライフが入学式の日に水の泡となった。妄想では、陸上部のエースになり、ちっさいウサイン・ボルトとして一年から活躍する予定だったのに…。沈んだ気分でボーっとしていると、教室の入り口から声がかかってきた。


「あれ、まだ残ってたの?」


 上体を起こして入り口に目を向けると、サラサラに下りた髪の毛に、口元のホクロが印象的な優しい雰囲気を持つ男子が立っていた。確か、さっきの自己紹介のときに見た、同じクラスの子だ。


「ああ、オカンがいま教師たちと話してて、それが終わるまで待ってんねん。ええと…、自分、なんて名前やったっけ?」


おきだよ。沖広宣おきひろのぶ


「ああ、そっか。ごめんな、覚えとらんで。陸上部ないって聞いてから、一気にモチベーション下がってもてな」


「そんな陸上やりかったんだ」


「そやねん。部そのものがないってないわー」


 舜也は一旦天井を見上げてため息を一つついてから、荷物を持って立ち上がった。

「まあ、しゃあない。学校探検でもするか…。そいえば、自分は何で教室戻ってきたん? 忘れもん?」


「いや、友達と写真撮り終わってこれから体育館に行くところだったんだけどさ。トイレに寄ったらたまたま君の姿が見えたから」


「体育館? 何しに行くん?」


「俺、三年に兄貴がいてバスケ部のキャプテンやってんだけど、今日家から出るとき兄貴がバッシュを忘れてさ。それを届けに行くついでに、ちょっとシュートも打たせてもらおうと思って」


 広宣は手に持っていたバッシュケースを舜也に見せながら軽い笑顔を見せた。


「部活見学はまだしたらあかんのやろ?」


「ああ、本当はダメだけどな。そこはなんとかごまかすさ」


「自分もバスケ部に入るつもりなんやな?」


「まあね。この春休み中に何回か練習にも参加しに行ったし。もし暇なら君もちょっと見に行く?」


「そやな…」


 舜也はしばらく考えて頷いた。


「バスケか。面白そうやな。ちょっと覗いてみよか」


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