第3話 自己紹介

 え~っという反応がクラス中に蔓延した。先生は黒板に書いてあった自分の名前の横に一から五まで番号を振り、そこに文章を書きながら口頭で説明していく。


「何も恥ずかしがることじゃないぞ。社会に出たら大勢の前で自己紹介するなんてよくあることだ。一人ずつ、出席番号順に前に出て。名前、趣味、自分の好きなこと、嫌いなこと、今年の目標を言っていくように」


「先生、社会に出てから自己紹介がよくあるんだったら、今無理してやる必要ないと思います」


 どこからかそんな男子の声があがり、そうだそうだと調子を合わせる声が広がった。


「社会に出たとき恥をかかないために、今練習しておくんだ」

 九間先生は取りつく島もなしに答えた。やがて発表内容の順番が書き終わる。

「紹介が終わったらみんなで拍手をすること。いいね。では一番から」


「ええ、俺かよ~」

 クラスの右端に座っていた坊主頭の男子生徒が立ち上がり、しぶしぶと言った表情で教卓も前に立った。代わりに九間先生は出席簿を持ったまま窓際に寄り、まだ小言を並べる生徒を注意する。気持ち悪いぐらいクラス中が静まり返ったところで、九間先生が促した。


「え~、出席番号一番、あ、番号は言わなくていいのか。え~、粟斗健太あとけんたです。え~…」

 粟斗は黒板を振り返り、二番のところに書かれていた趣味という字を見た。

「えっと趣味は…、特にないっす」


 九間先生が急遽言い足した。


「趣味がなかったら自分の特技でもいいぞ」


「特技? え~余計ねえし。……あ、特技、ハンドボール投げ」


 粟斗は思い出したように言い、勢いに乗って喋り続けた。

「好きなものは野球。嫌いなことは勉強全般。今年の目標は、とりあえず野球部に入ってレギュラーを取ることっす。よろしくお願いします」


 クラス中に拍手が沸き、粟斗は大きい吐息をついて自分の席に戻っていった。続いて二番目に座っていた女子が立ち上がり、もぞもぞと自己紹介を始める。順番はやがて、先ほど関西弁の少年にツッコミを入れた癖毛の生徒の番になった。


千ヶ崎栄太ちがさきえいたです」


 これまで自己紹介してきた男子生徒の誰よりも低い声だった。千ヶ崎は百六十センチぐらいの身長で、このクラスの中では最も背が高い。体形は太り気味で、顎が広く、髪は天然パーマがかった癖毛であり、外見は癖毛のある雪だるまといった印象だ。千ヶ崎が名乗った途端、男子生徒の野次が飛んだ。


「出た~エロタ」


「エ・イ・タだ!」


「趣味はエロ本集めだろ」


「違う。趣味は…」


「セクハラとワイセツ」


「勝手なこと言うな!」


 クラスの中で主に男子に笑いが起こり、千ヶ崎はムキになって反論した。その様子を九間先生は出席簿にある注意書きと照らし合わせながら見守る。地元の小学校からあがってきたこの千ヶ崎という子は、小学校にいるときから周囲の男子による冷やかしが多いと申し送りを伝えられている。注意書きには、〝友達が悪ノリしやすい〟と自分でチェックを入れていた。深刻なイジメにつながらないよう慎重に見守らなければと思いつつ、野次を注意しようと口を開けたとき、誰よりも大きな声で教卓の前の背の低い少年が叫んだ。


「あ~! ETや!」


 クラス中が水を打ったように静まった。大半の生徒が少年の言った意味がわからない様子だったが、徐々に浸透していく。


「ETだ」


「ホントだ」


「イニシャルがETだ。栄太、千ヶ崎」


「ETって?」


「あの宇宙人の映画のやつだろ?」


 いつの間にか男子の野次が収まり、変わりに失笑が多くなった。


「よっ、地球外生命体!」


 止めを刺すように少年が言うと、クラス中が笑いに包まれた。千ヶ崎自身、初めて自分のイニシャルの意味を悟ったようで戸惑っている。

「ETじゃねえよ」


「いやETやん」


「だからそういう意味じゃなくて」


「何しに地球来たん?」


「生まれも育ちも地球だよ」


 クラス中にどっと笑いが広がり、ここにきて初めて千ヶ崎自身も口元が揺るいだ。


「ああ、とにかく!」

 千ヶ崎がキッパリと言った。


「趣味は漫画を読む事、好きなものは漫画、嫌いなものは毛虫、今年の目標は…」


「自分の星に帰ることやな」


「ここが俺の星だ!」


「そんなこと言って、乗ってきた宇宙船に置いてけぼりくらったんちゃうん?」


「なわけねえだろ! もしそうだったとしたらなんで中学生として入学すんだよ! 迷子にしちゃ暴走しすぎだろ! 以上!」


 今年の目標を告げぬまま、千ヶ崎はあっという間に自分の席に戻った。忘れていたように拍手がパラパラと沸き起こる。席についてからも、千ヶ崎は周りの生徒からETとからかわれ、それにいちいち反応していた。意表を突かれた形の九間先生だが、すぐに教室内を鎮めて、背の低い少年が満を持したように立ち上がった。

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