第2話 入学式

 群馬県のほぼ中央、赤城山の東側に位置する芦田あしだ市。人口三十万人のこの都市の端にあたるところに、芦田市立、江清こうせい中学校は構えてある。学業も部活も特に際立ったところはなく、自慢といえば、標高四百メートルある丘の中腹に校舎を構えているため、町全体を見下ろせる景色が堪能できるということぐらいだ。創立二十三周年にあたる今年。暖冬の影響で桜はほぼ散りきってしまったものの、申し分のない上天気の下で、第二十三期生の生徒百二十四名が、古さの目立ってきた体育館で入学式を行っていた。


 式は滞りなく進み、残すところ校長の訓示となったとき、新一年生の担当先生が座る教職席にいる和方おがたという背の低い年老いた女性教師が、隣にいる青白い顔の男性教師に小声で話しかけていた。


「ほら、またこっくりした。九間くま先生、やっぱりあの子…」


「……寝てますね」


 九間先生は困惑を隠しきれず、めでたい場だというのに眉間にシワを寄せた。全四組にクラスが分けられたこの二十三期生のうち、自分が担当する一年一組の中で、式が始まってから明らかにうたた寝をしている男児がいるのだ。出席番号順に男女二列に並んだ生徒たちのほぼ真ん中にいる背の低い少年。さきほど新入生起立の号令がかかったときには、周りの生徒たちが立つ中で三秒ほど座ったままにおり、後ろにいた男子生徒に小突かれてやおら立ち上がるという始末だった。


「緊張で倒れた子は何回か経験しましたけど、入学式で眠る子は初めて見ますね。神経が図太いというか何というか…」

 和方先生は無表情を装っていたが、口調にはどこかおかしそうな響きか感じられる。


「先が思いやられますよ」


 九間先生は慣れない正装で肩が凝っていくのを実感しながら、ため息交じりにつぶやいた。

 やがて式は終わり、新一年生は上級生の拍手で送られながら、みな緊張した表情で各担当の先生方に引きつられて教室へ向かった。


 北校舎、南校舎、体育館、柔道館の建物からなるこの中学校の中、一年生は四クラス全て北校舎の四階を割り当てられていた。トイレのすぐ横にある一年一組の教室は、各生徒が雑然とした様子で席につきはじめている。

 教卓のすぐ前の席で、関西弁で喋る少年を中心に三、四人の男子が雑談していた。

「いや~、さっきは起こしてくれてありがとうな」


「てかさ、入学式で寝るって面白すぎるだろ!」


「昨日の夜はゲームでもしてたの?」


「ちゃうちゃう、深夜にやっとったお笑い番組を見とってん。二時半からやる〝オスワリ!〟っていう番組なんやけど知っとう?」


「おお、知ってる知ってる! ボルボンズが司会やってるやつだろ?」


 ボルボンズとは、東北出身のお笑いコンビで、ゴールデンのバラエティー番組にもちょくちょく出演してきている、今人気急上昇中のお笑い芸人だ。談笑している一人の男子が好奇心にかられて関西弁の少年に尋ねた。


「大阪から引っ越して来たの?」


「せやねん。この春にな。こっち着いてまだ二週間しか経ってへんからこの辺の土地はようわからんわ。この学校の周辺って何があるん?」


「なんもない」

 少年以外の男子全員が異口同音に放った。「マジで?」と関西弁の少年が驚く。


「いや本当に何もないんだって。電車で前橋方面に行けば映画館とかショッピングモールがあるんだけどさ。田んぼの横に畑があるぐらいで…」


 そのとき担任の九間先生が教室に入り、「はい、全員席について」と一言発した。生徒たちはノロノロと自分の席につく。教壇に立った先生は、軽く一つ咳払いをした。


「みんな。まずは入学おめでとう。式の途中でも紹介されましたが、私が今年一年、このクラスの担任になった…」


 九間先生はそこで言葉を切り、黒板に縦書きで自分の名前を書き始めた。


九間芳樹くま よしきです。教科は理科を教えます」


 九間先生は一泊の間を置いて教室を見渡した。理科の先生のイメージ通り、肌が青白く細い体だ。身長はわりと高く、百八十センチはある。眉毛と眼が整っていて、顔面蒼白の表情と合わせるとまるで蝋人形みたいだ。


「私から君たちに言いたいことは一つ。入学式で校長先生もおっしゃいましたが、中学校は小学校とは全く違う新しい環境です。最初は戸惑うことが多いかもしれませんが、勉強や部活から得るものはたくさんあるので、学ぶことを楽しんでください。間違っても…」


 九間先生がちらりと教卓の前から二番目に座っている関西弁の生徒を一瞥してから言った。


「三年後の卒業式でも居眠りしてしまうような、乏しい思い出を作らないように」


 咎めるというより呆れた口調だった。関西弁の生徒の周りで微笑がもれる。九間先生が話を再開する前に、すかさず少年が口を開いた。


「さすがに式の途中で眠るやつはおらへんやろ。おったら見てみたいわ」


 どこか笑いのこもった、はつらつとした声だった。微笑していた周りの生徒が、おかしそうに笑いを増す。

 少年の前の席に座っていた癖毛の強い男子生徒が、後ろを振り向いて話しかけた。


「お前、入学式のとき寝てただろ?」


「寝てへん」


「うそつけ」


「寝てた記憶はあらへん。ただ、校長先生の話も記憶にあらへん」


「それが寝てた証拠だろ!」


 まるで示し合わせていたかのようなやりとりに、微笑がクラス中に広がった。九間先生が二人をたしなめ、話を再開した。


「私からの話は以上です。次は君たちが前に出て自己紹介してください」

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