第8話 私の愛した料理たち 其の六
ブラジルは遠い 日本の真裏に有るから
行くのに丸々一日 二十四時間位掛かってしまう
名曲「イパネマの娘」のエピソードを追いかけてリオデジャネイロまで
やって来た。
作曲家アントニオ・カルロス・ジョビンは若かりし頃 イパネマ海岸を見通せるバーでよく飲んでいたらしい。
その海岸通りをいつも歩いているキュートなイパネマの娘にジョビンは心を奪われたのである。そして生まれたのが「イパネマの娘」
彼女をモデルとしたこの曲は世界的なヒットのボサノヴァ曲となった。
リオデジャネイロはボサノヴァが似合う街だ 抜けるような青い空の下 底抜けに明るいわけで無く少しの憂いを秘めている 陽の光を一杯に受けている訳でも無く木陰でじっと佇んでいる そんな感じがした。 その光と影
海岸線から後ろに目を移すと山の斜面に住宅が密集している ぎっしり建ち並ぶのは貧困層の住宅である。 私達はその住宅街の様子を撮影しようと斜面をロケ車で登って行く。細く折れ曲がった道を現地のドライバーは馴れたハンドル裁きでゆっくりと車を進める「危ないですから絶対に外へ出ないでください 撮影は車の中からお願いします」とブラジル二世のコーディネーター女史が言う
かなりの急勾配な地にコンクリートやレンガで粗末に作られた家々がある 中には家なのか倉庫なのか分からない物もある。ちょっとしたスペースではサッカーをしている小学生位の子供たちが数名いた。年上の子が下の子に何やら指導をしている 今の時間は学校に行っている時じゃ無いのかと女史に聞くと
「この子たちはサッカーでしか裕福になれる道は無いんです」と教えてくれた
普通にお母さんが赤ん坊を連れて歩き、お爺ちゃんが荷物を大変そうに運んでいる どこの国でもあるのどかな風景なのに もし私たちが外で撮影したらあっという間にキャメラや機材は強奪されてしまうのだと女史は語気を強めて言った
海岸に出れば世界的な観光都市なのに 少し山を登れば全く違う顔がそこにある
まさしくボサノヴァはそんな背景に生まれた音楽なのかも知れぬと合点した。
フェジョアーダ ブラジルに行かれた方ならばご存じであろう。
国民的代表料理である。黒い豆と内臓肉を煮込んだ物である。素焼きの壺で頂く
味はと言うと かなりきっちりと塩味が付いており 僅かに黒豆の甘さが感じられる 中の臓物肉が部位も分からぬほどに溶け込み その脂が重みを出す
まあ簡単に言えば こってり味の黒い色の煮込み料理ということであろう
しかし何が入っているか分からないがこの煮込み味の奥がなかなかに深い
パンに乗せながら食べると塩味が優しくになり豆と肉がトロリと口の中で広がる
油断すると直ぐに喉へと流れ落ちてしまう そこをぐっと堰き止めて咀嚼する
さらに黒豆の炭水化物が糖へと変わっていく 塩味と脂が舌をコーティングして行く もはや、ポルフェノールとイソフラボンまでいとおしくなる。
ってな感じだろうか
どこの国でも肉の良いところは金持ちか権力者に渡り 残った部位を労働者が頂く しかしながら残りの内臓部位はひと手間掛けなければ旨くはならない
日本でも庶民の味方「もつの煮込み」がそうだ
貧しい人々は知恵を出し合い臓物肉を逸品料理とするのである そしてそこには様々な物語が存在するのだ。フェジョアーダもアフリカから連れて来られた奴隷たちがその貧しい生活の中から作り出したものであるらしい。ブラジルの炎天下で作業する奴隷たちはさぞかし塩分を欲していたに違いない。だから塩味が強いのだ。フェジョアーダは毎日食べるものでは無く週末に食べるのが一般的だそうである。きっと週一のご馳走だったなのだろう
水曜日はレストランでフェジョアーダの食べられる日である
ランチタイムに素焼きの壺に入ったフェジョアーダを海岸を歩く陽気な観光客を眺めながら頂く。
ちょっと複雑な味がした。だから内臓料理は味も物語も奥が深いのである
フェジョアーダの黒い色は悲しみに沈む色
フェジョアーダの塩味は涙の味
ボサノヴァが聞こえてくる・・
なんか上手いこと言った気になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます