第2話パリは今も煙っているか

1986年 初めてパリへ行った それはプライベートでは無く仕事であった


まだパリコレクションがルーブル美術館の庭に白い大きなテントを建ててまるでサーカス小屋の様に開催していた頃である。若い私に初めてパリコレの撮影依頼がきた 曇った重い空と古い町並み 全てがプレッシャーであった様な気がする

確か5日程の撮影だったと思うが詳細は忘れてしまった。テントは大中小と三カ所あり 小テントは小ぢんまりと程よいサイズであったが大テントともなると

びっくりするくらいの広さであった。もっとも世界中からファッション関係者が集まって来るのだからその位スペースは必要なのだろう ショーが始まると大音量のBGMと大量なフラッシュの閃光に度肝を抜かれた 照明が少しでも暗くなるとスチールキャメラマン達が「ルミエール!」と叫び出す、もっと明るくしろよー写んねえだろ的な怒号を浴びせるのだ

まさに当時の私にとってカルチャーショックそのものであった

其れまでも国内では東京コレクション 原宿コレクション等をビデオ撮影していたのだが全くもってパリコレは規模も雰囲気も臭いも其れとは大きく違っていた

当然ルールも全く違う、モデルたちが歩くランウェイからかなり離れた会場の一番奥にビデオ撮影用の大きなひな壇が組まれ、そこからの撮影となる。当然どのチームもひな壇のセンターからど真ん中からの撮影を狙いたいので壮絶な場所取り合戦がくりひろがる事は必至である。 

そして其れこそが撮影の成功不成功を決める最重要なポイントとなるのである。同行しているパリコレ百戦錬磨のプロデューサーとショー前夜に綿密な作戦会議が行われた。まさに世界大戦の体である。 そして次の日作戦は実行された 

三脚は二本持って行き、ひとつは撮影用もう一本は場所取り様と言うわけだ。中テントでショーの撮影の次には大テントのショーが始まる 大テントの準備中は誰もが自由に出入りできる その時を狙い別動のスタッフが三脚をひな壇のど真ん中に置いてしまう。その時点では同じ様な作戦を実行してるチームは僅かしか居ないのでスキスキな状態である 嵐の前の静けさと言ったところであろう

そして中テントのショーが終わるや否や状況は一変する。中テントから大テントへの民族大移動が始まるのだ。それに呼応して大テントの一斉規制が始まるのである。テントの入り口には、がたいのデカい数名の警備員がまだ入るんじゃないとばかりに立ちはだかる 三脚は場所取りが出来ては居るが早くキャメラをセッティングしないと他のチームにぎちぎちに幅寄せされて撮影どころでは無くなってしまう 一刻も早く中に入らなければ ここで作戦2のスタートである 先に入っていたスタッフと予め決めておいたテントの脇の場所に回りる テントをドンドン叩きながら「どこだ〜」と叫ぶ「ここでーす」中からもドンドンと叩き返す お互いの場所を確認し合いながらテントの裾をグイッと持ち上げ、そこに先ずキャメラを滑り込ませる、中の別動がキャメラを受け取り三脚にセッティングしに走る 間髪入れずに今度は自身を又もテント裾を持ち上げねじ入り匍匐前進の体で中に這いずり込む そしていよいよミッション成功と言う時に何者かが私の足をぐっと押さえた 警備員だ 見つかった! 「ノー ノー」と大きな声が足下から聞こえる凄い力で外へ引き戻される こんな経験味わった事などない

映画じゃ有るまいし何でパリまで来て足引っ張られて居るんだ 「ノーノー」

声は一段と大きくなりああダメだ戻されると思ったその時 先のスタッフが戻って来て私の手を捕まえる「大丈夫ですか〜」「早く引っ張ってくれー」「足ばたつかしてください バタバタやってください」彼の言うとおりにバタ足の如く動かすと一瞬ひるんだ警備員 隙を突いてエイヤーとばかりに滑り込むことが出来たのである。ホット一息 横を見れば上半身だけテントに入るも外から引っ張られ入るに入られない色々な国の連中がもがいていた 「でも中に居て追い出されないの」と質問するとパリ在留のアシストしてくれた彼いわく「彼ら中に誰も入れるなって命令されてるけど中に居るやつを追い出せとはボスから言われてないから大丈夫なんです」

へ〜と頷きながら後ろを見れば 密入室成功者達がズボンの膝を払いながら

何事も無かったように歩いて行く 貴重なのかこの経験 でも人生で文字通り

足を引っ張られる事なんて二度と無いかも知れないと妙に感じ入っていた。


機材車を運転してくれたのは映画バック・トゥ・ザ・フューチャーの

マイケル・J・フォックス似の小柄な青年であった 名は確かフランソワと言ったと思う。少しシャイな彼は日本人と仕事するのが珍しいらしく私たちの行動にちょくちょく興味を示していた。パリコレ2日目だったろうか ショーの空き時間に昼食を食べに行こうと言うことになった。当時でも日本食店はかなり有ったように記憶している 結局パパッと食べられるラーメンがいいんじゃないかと言う風に決まったと思う そして車で5分くらいで行ける豚骨ラーメン屋に行く事となった。ところでフランソワは豚骨ラーメンは大丈夫であろうかと心配したが 本人は食べたことは無いけどチャレンジしてみたいな事を言っていた気がする

店は日本人街の外れに有る 地下に降りてカウンターだけの小さなラーメン屋

別段混んでも居なかったが思っていたよりも時間が無くなっていた 横並びに皆で坐り早く出来るようにと同じものを頼む事とした。程なくして全員に同じタイミングで着丼となった。

数名のスタッフが一気にラーメンをずりこむ ズルズルズル〜

無言のままで皆ひたすらラーメンをすすり込む ズルズルズル〜

10分も経たず順番に天井を向きア〜と言いながら鼻水を吸い込む 食った〜

味はまあこんなものだろうと言う程度であった気がする。

何気なく横を見ると、フランソワが大変なことになっていた

色の白いフランス人が茹で蛸のように真っ赤に成っていたのである

あんな赤い顔のフランス人は今もって見たことが無い

すすれないのだ ズルズルズル〜が出来ないのだ そんな文化はヨーロッパには無いのである 当然パスタを食べるが如く口に入れる 時間が無いので冷えるのも待たずに熱い麺を口に入れてしまうフランソワ  

一生懸命に熱い麺と格闘するフランソワ  悪いことをしてしまった

結局食べるのを諦め車に戻ったのであった 本当にごめんフランソワ


パリコレの撮影も無事終わり ファッション番組のロケでパリ郊外のバルビゾンの森へ行く事となった。ミレーの落ち穂拾い等で有名なバルビゾン派の森である

何を撮影したかなどは全くもって忘れてしまったが 事件は帰り道にあった

スタッフを乗せたロケバスは快調にパリにむかって走っていた。

田園風景の中ポツンと現れたガソリンスタンド フランソワは給油したいらしくロケ車を給油所に停車させた 殆どのスタッフが朝早くからの疲れで寝てしまっている。フランソワだけが車から降りると給油を始めたのだが 暫くすると

ガタッ ガタッ 何やら車のボディーを叩くような音が車内に響く 皆うっすらと状況を気にし始める。しかしドンドンと異音はさらに続く 

車の後ろでフランソワがしきりに何かしている どうしたのであろうかと皆起き始める フランソワはコーディネーターの女性に「この車変なんだよガソリンがちっとも入らないんだ こんなにメーターが減っているのに」と話していたらしい取りあえずキーを差してエンジンを掛けて見る事にしたフランソワ

キュルキュル ブーン エンジンが掛かる ブーン ヴォーン ヴァーーン

次第に大きくなるエンジン音 なに空ぶかししてるんだこいつ 車内の全員がそう思ったに違いない そしてさらにエンジンは回転数を上げ ビーーーーンと甲高い音へと変わっていく

それに伴い車の下から青白い煙が立ち登る 煙は直ぐに全ての窓を覆い囲み辺り一面を真っ白な世界へと化してしまった しかし更にエンジン回転は上がっていく 状況を掴めない日本人たちはただ呆然としているだけであった。その時運転席から後ろを振り向きフランソワが何とも情け無い顔をして 車のキーを親指と人差し指に挟み皆に見せたのであった 一同頭が真っ白の成った。エッ?どう言うこと

「キー抜いても止まらないんだよ」そんな感じであろう そしてフランソワが叫んだ  『ゲラ〜〜〜』 GET OUTである 頭の中では爆発するぞと訳していた

ガラーっとドアを開け 皆一斉に飛び出した もはや車はすっかり煙に包まれてその姿を見ることも出来ない   爆発はせずに済んだ

結局スタンドの従業員が車をノッキングさせてエンジンを止めた次第であった

マニュアルのギアで良かった 

どうやらフランソワが車の給油口が分からず間違ってオイルの口にガソリンをガバガバと流し込んだ結果らしい  Oh〜フランソワ

車は使えないのでタクシーでパリに向かう事となった


フランスにはタクシー業界の規則で郊外からのタクシーはパリ市内には入れない事となっているようである。面倒臭いがルールなので仕様がない 私たちはパリの外れでタクシーを乗り換える事になった。その時分、多くのパリを走るタクシーは助手席に大きな犬を乗せていた どうやら防犯の為らしいがそのタクシーの犬ときたら 多分ご主人様が強盗に押さえつけられたとしても知らぬ存ぜぬで寝たふりを決め込む様な老犬であった タクシーに4名乗らなくてはならず老犬君にはステーションワゴンの荷台に移って頂くことにした。運転手はやはり助手席には人を乗せたくないらしくブーブー言っていたがチップを弾むと言うことで交渉成立と相成った。車内は流石に獣臭い 運転手の親父も良い感じで老犬君とワンセットな雰囲気を醸していた 色々あったが無事パリまで戻ってこられた。

窓の外の流れる景色もすっかりバルビゾンの郊外のどこまで走っても変わらぬ田園風景と違いオシャレな都会の姿が次々と現れる

「パリか」と呟き酔いしれる       んっ? 何か聞こえる

グッツ  何か聞こえる  ググッ

嫌な予感とともに後ろを振り返ると なんと老犬君がゲボしているのである

乗り物酔いか まさか 毎日車に乗っているのだから まさか 

老犬君のゲボはゲル状態で車の動きに副うように荷台の床を流れていく

その先には ヤバい 機材が置いてある その溶岩のようなゲボはゆっくりと

しかし確実に機材に向かって進んでいく 車内の日本人はこの事態を早くこの太ったドライバーに知らせたいのだが フランス語を喋られるコーディネーターは

別のタクシーに乗ってしまっているのだ。日本人は総出で運転手に説明を始める

「ヘイ ユアードッグ ゲーゲー」と身振り手振りで説明すると 始めは何言ってんだい的な親父も 「あーそうかい そう言うことかい」とばかりに頷き

車を停車させた そして ハーまったくと言う雰囲気で車の後ろに歩いて行く

どんな手段があるんだろうと皆注目していた 仲間に連絡してちょっと見ていてくれないかとか それとも犬用の酔い止め薬みたいなのを与えるとか

どんな手段があるのだろう ハッチバックのドアを勢いよく持ち上げた親父は

直ぐ老犬君に向かい怒り始めた 指で犬を差しながら「ジュトジュデ・ニジューアトジュデ・サンジュー」的な感じで老犬君を叱っているのだ 多分「この役立たずの老犬が 今度ゲボしてみろ夕飯抜きにしてやっからな」的な感じだろう

そしてドアを勢いよく閉め 運転席に戻ると私たちになにやら話したかったのであろうが 言葉が通じないことに気付き大きくため息をついて車を出した

「おいおい オッツァン 犬 わかんないでしょう 大丈夫なのかよ」

日本人の抗議も聞き入られること無く車は暫くするとホテルに到着した

しかし不思議なことにその後 老犬君はゲボをすること無く頑張ったのであった

ああ あのパリの煙は忘れない            日々これ口実にして

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