遭遇、シベリア郵便鉄道特急編 第四話 悪魔と悪魔 

 アイザック・ニュートンが優れた科学者として、観察と数式から万有引力の法則を発見し、己の著作「プリンキピア」にまとめたことは広く知られている。

 だが彼は同時に優れた錬金術師でもあった。彼は錬金術で作り出した薬品を用いた瞑想、そして自作望遠鏡による月の観測から、もう一つの重大な発見を成し遂げていた。ニュートンはそれを「裏プリンキピア」に著したが、その事実は今日では隠蔽・忘却され歴史の闇へと葬られてしまっている。

 それは「全ての物体は郵便をする力を持つ」という法則。郵便的特異点を迎えた種族ですら操れなかった電・弱・強・重に次ぐ、第五の力。彼方より来たりし者たちが消費し、欲する物。人類の遺伝子に刻み込まれた郵便番号の根源。

 名を「万郵便力」という。


「ガブリエル……あれが……? だが確か聞いた話だと色が……」

「そう、アルティメット・カブ『ガブリエル』は白銀の機体――だった。でもあの曲線が多用されたシルエットと、なによりあの11個の人工マグネター。間違いない、あれは、ガブリエルだよ」

 ナツキの白い肌から更に血の気が引いてゆく。更にナツキは僅かに震えだした。

「降ろして、ヤマトくん」

 そんな気弱げな様子とは裏腹に断固たる口調で、ナツキは言った。

「副団長と、話さなきゃ」

「却下だ」

 俺は深呼吸と同時に血液分配モジュールを最適化し、身体中の隅々にまで新鮮な酸素を取り込むとスプリントの速度を一段と上げる。グレート・ハイエースによる空爆のごとき砲撃は未だ継続中であり、この爆煙に紛れて離脱を図るつもりだった。

「この前聞いた話が嘘でなければ、あれはもうナツキの知ってる副団長ではなくなってる」

『ナツキ、ヤマト様の言っていることが正しいです。ガブリエルからの敵味方識別郵便番号は発信されておらず、さらに言えば重力制御すら行っていません』

「えっ? でも今、空から……」

『インカン状態の私では計測不能な、なんらかの力によるものと思われます。ただいま解析中です』

 当然この時の俺達はまだ知らない。あのダーク・ガブリエルを動かしているエネルギーの正体を。郵子力を、知らない。だがそれが超常の何かであることだけは、明白だった。

「――っと!」

 キュゴンッ! 俺が跳躍する寸前まで居た地面を、歪曲空間が射抜いた。

『おやおや。逃げるのはいただけないなあ』

 ダーク・ガブリエルを無視してあくまでナツキに狙いを定めるパトリック。ストーカーかよこいつは。

『まあせっかくナツキちゃんに会えたんだし、連れて行くよねやっぱり。副団長は恐いから逃げるけども』

 言葉だけは飄々としているが、声の響きには焦りが見て取れた。やはりダーク・ガブリエルに対して最大限の警戒を払っているようだ。だが、肝心のダーク・ガブリエルは空中に静止したまま動かない――いや。

「なんだ、あれ――」

 ダーク・ガブリエルの周囲の空間が、。他の表現方法が思いつかない。咀嚼されるようにランダムな輪郭を見せながら、〝黒い光〟が拡がっていく……。

『解析結果、出ました』

 トライだけがひたすら冷静だった。俺はそれに救われ、足を再度動かし始める。

『あの黒光は、〝真の真空〟です。全く別の物理定数による新しい宇宙です』

 ――真空の相転移!? だがそれを発生させるにはブラックホールをも超えるエネルギー源が必要な上、発生した真の真空は光速で広がるはずだ。確かに拡大を続けてはいるが、その速度はオーロラが広がるようにゆったりとしていた。

 空間膨張砲による歪曲をも黒光は飲み込んでいくのを見て、ようやくパトリックも俺達を追いかけるどころではないと気付いたようだった。

『副団長、あなたどうしちゃったんですか? あのふざけた大郵嘯以降、団長にも会ったんですよ僕。彼も結構変わっちゃってましたけど、あなたほどじゃあなかったなあ』

 全身からハリネズミのように砲塔が迫り出し、さらにその砲塔から砲塔が迫り出し――フラクタルな数百もの空間膨張砲全てにエネルギーラインが接続さていく。

『団長は人間をやめてましたけど、あなたはそもそも人間じゃないですよね?』

 ダーク・ガブリエルは、応えない。ただ静かにモノアイをメリクリウスに向けると――全ての人工マグネターを発射した!

 迎え撃つメリクリウス! 全ての空間膨張砲から超光速の衝撃波を放つと、背中にマウントされていた巨大火器をアクティベートし、躊躇なく発射した!

 あれこそが配送機メリクリウスの主砲、『鉄砲ステラコアカノン』! 巨大恒星の核融合の最終生成物である鉄を発射する単純な武器だが、その温度実に――百億度! プラズマ化した鉄は大気を灼き焦がしながら、歪曲した空間を縫うように迸った!

 だが。

『――馬鹿な!?』

 如何な破壊力を有していたとしても、それはの中での事だ。異なる法則を持つ、別の宇宙である真の真空に触れた途端、プラズマ鉄は黒い粒子となって散った。

 11個の人工マグネター群とダーク・ガブリエルは、メリクリウスを中心にそれぞれを頂点とする正二十面体を形成すると、お互いを超磁力線で結びつける。そして、

『おいおいおい。ふざけんなよ』

 正二十面体の檻の中に、黒光が充ち始めた。

『副団長ォ! あなたは何を望んでんだ!? ただの処刑ならこんな回りくどいことする必要ねえだろうが! クソッ、メリクリウス! メリクリウス! どうした! 動け!』

 パトリックは喚くが、ダーク・ガブリエルは一切反応を返さない。粛々と黒光により侵襲を続け――メリクリウスがエンジンブロックとコックピットを残すのみとなったところでぴたりと停めた。

 パトリックは最早声も出せないようだった。随分とこぢんまりとしてしまったメリクリウスを、ダーク・ガブリエルは――丸ごと呑み込んだ。そんな機能は、機構は、存在しないはずなのに――ダーク・ガブリエルの頭部がバックリと裂け、生じた〝口〟にメリクリウスを取り込んだのだ。

「なに――あれ……」

 ナツキが絶句している。俺はそちらを見ている余裕などなく、ただ一ミリでもあの化物から離れるために足を動かした。明日は筋肉痛確定だな、これは。もし俺に明日が存在するならばだが。

『メリクリウスからの敵味方識別郵便番号ロスト。――ダーク・ガブリエル、離脱していきます』

 トライの報告に俺はつんのめりそうになって、慌てて背後を振り向く。

 11個の人工マグネターが今度は円環を作ると……そこに郵便ポストの中とよく似た景色が生じた。あれは――テレポートする際に通り抜ける、〒空間だ。だがあり得ない――郵便ポストの形をした物以外でのテレポートは理論上不可能なはずなのに。

 ダーク・ガブリエルは悠々とその門を潜り抜け、姿を消した。人工マグネターも空間ごと〝裏返って〟後を追う。

 結局、ダーク・ガブリエルはこちらを――ナツキの方に視線一つ寄越すことはなかった。

 黒光も、徐々に薄れて消えていく。真空相転移を維持するエネルギー源を失い、再び宇宙が準安定状態に戻ったのだ。

「ローラ――一体何が、どうして」

 あとに残されたのは、無惨に破壊されたモスクワの街並みと、呆然と立ち尽くすナツキだけだった。


 メリクリウスとダーク・ガブリエルの襲撃から5日が経過した。攻撃を受けたモスクワの街区は急速に再建されつつある。破壊痕を放っておくと、そこから大量のポストが生えてきて街が飲み込まれてしまうので作業は迅速に行わなければならないのだ。

 砲撃のクレーター内に既に顔を見せているポストの芽を丁寧に手で摘み取る。ポストの芽は未分化で無垢なマテリアルであり、利用価値が高いので機能を殺してから一夜干しにする。しかし何度も芽のうちに刈り取ると、ポスト側も深層学習ディープラーニングにより危険な高電圧ポストや毒ポスト、更には発狂ポスト等を生やして対抗してくるので注意が必要である。

 芽を摘み取り、均した地面にハガキを敷き詰めてその上からアスファルトやコンクリートで舗装していく。ハガキ埋める理由は、原因は不明だがこうするとポストの成長を抑制できるからだ。『ハガキはポストの中にあるもの』と定義されているので、ハガキの上では成長が出来ないのではないかと推測されている。ちなみにハガキ自体もエピック級の資源なので、人類の生息可能域はこの300年間それほど増えてはいない。世界は未だに、ポストの物だ。

 俺の隣を、痛酷な顔で写真が印刷されたビラを持って歩く市民が通り過ぎる。今回の襲撃の被害者の家族だろう。俺に責任があるわけではないのだが、見ていられなくなり黙々と瓦礫撤去の作業に戻った。モスクワの配達員サガワーたちも復興のボランティアに従事しているので俺も参加中なのだ。タグチはAPOLLONの方で撤去人ユウパッカー主導による復興に携わっている。

 ナツキは、ホテルで待機している。自分も復興作業に関わりたいと申し出てくれたが、あのサイコ野郎がナツキを名指しで呼んで襲い掛かっているのは多数の市民により目撃されており、余計なトラブルに巻き込まれかねないと判断したからだ。

『ヤマト様。お仕事中に申し訳ございません』

 急にトライの声が脳裏に木霊する。サハラで使用していた郵便用重力波通信ではなく、指向性超音波と共振による骨伝導交信だ。今の俺にはそれが分かる。あの『〒』型のターゲットマークによる射撃を行って以来、トライの操る超科学技術をようになってきていた。

 当然俺からは返事をすることは出来ないので、そのまま手を動かす。

『ナツキがホテルから脱走しました。私を所持していませんが、概念住所によって現在地は把握できています。メリクリウスとダーク・ガブリエルが激突した現場へ向かっているようです。残り300メートル』

「マジか」 

 そろそろ限界だとは思っていた。5日もの間ほぼ缶詰だし、犠牲者が出たのは自分のせいだと思いつめてもいたし、同行する俺はろくに慰めるようなことも言えないし。いっそ顔を隠して作業に従事させたほうが良かったか、等と後悔しても始まらない。俺は現場の監督に一言声をかけ仕事を抜けると、トライのナビに従ってナツキの方もとに急いで向かう。

 が、一歩遅かったようだ。

「お前のせいでなあっ! 俺の兄貴があのバケモノに殺られたんだぞっ!! 分かってんのかおい!?」

 怒声。それに続いて複数の罵声。まずいな、囲まれている。俺は路地の角を曲がり現場に到着する。ナツキが、6人の男に詰られていた。想定より多い。俺はコートの内側に吊ってあるシグサガワーの重みを意識する。

「おい、あんまり刺激するとあのバケモノをまた呼び出すんじゃ……」

 囲んでいた男の一人が、激高しているリーダー格と思しき男にやんわりと言った。メリクリウス達をナツキが呼び出したことになってんのか。

「ああ!? 呼べんのか!? なら呼んでみろよガキィ……!」

 興奮して支離滅裂だ。なにかあれば暴力にも訴えそうな剣幕だった。ナツキはただ俯いて罵詈雑言の中立ち尽くすだけ。長い髪に邪魔されて表情は見えないが、僅かに肩が震えていた。

「おいおっさん達、それくらいにしといたらどうだ? 相手は女の子一人じゃねえか」

 声をかけた俺を、男どもがじろりと睨む。戦力評価モジュールが一人ひとりの脅威度をタグ付けしていく。俺のように複数箇所に身体改造を施したり高度な機能を持ったモジュール群を埋め込んだりしているやつはゼロだった。それでもこの数に襲われたら銃を抜かねば切り抜けられないだろう。

「ああ? 関係ないやつは引っ込んでろよ! こいつはなあ、あのバケモノ共を呼び寄せた魔女なんだよ……!」

「おい待てよ。あの配達員、確かこの白い女を助けてたやつじゃ……」

 俺の顔も割れていた。これは予想外だ。出来れば血を流したくはないが……。ナツキの方を見ると、複雑な表情をしていた。

「おいナツキ、お前がこうやって面罵されてもなんの償いにもならないんだぞ。そもそも償う必要すらないんだからな、お前は」

 俺は男たちを敢えて無視して呼びかける。

「なんで……来たの……」

 ナツキが蚊の鳴くような声でぽつりと言った。想像以上に心折れてる感じだ。男たちはナツキを放置して俺を囲み始めた。

「お前は、ローラと約束したんだろ。どんな時でも笑顔でいるって」

 俺の言葉にナツキは目を見開く。

「なにゴチャゴチャ言ってんのか知らねえけどよ、今すぐとっとと立ち去ってくれたら痛い目合わずに済むぞニーチャン」

 男たちはめいめい壁に立てかけてあった角材を手に取ると凄んできた。俺はその場でぐっとしゃがむと、電位操作と血流操作で両足に最大限の力を溜めると――男たちの頭上を助走無しで飛び越えた! 治ったばかりの筋肉痛が再発するのは確定だぜこれは。

 驚愕する男どもを後ろに、やはり驚いた顔をしているナツキの手を取ると、表通りに通じる狭い道へと一息に駆け込んだ。だが、

「へへへ……通行止めだぞ」

 迂闊だった。まだ仲間がいたのだ。路地の出口を塞ぐ格好で二人。女一人囲むのに八人も集めたのか――いや、それだけ怨みが深いってことなのかもしれない。身内を理不尽に失った男の気持ちも分かる。俺の脳裏に幼い頃の弟の笑顔が一瞬浮かんで沈んでいった。故にあまりこいつらを傷つけたくないが――

「ふざけた真似してんじゃねえぞガキ共!」

 背後から追いついた男たちは、完全に怒り心頭な様子だった。手に持つ角材を振り上げようとする。俺がそれに反応して懐に手を入れたその時、大音声が割って入った。

「そこまでである!」

 全員の視線が表通りの方に注がれる。逆光の大柄なシルエット。棘のついたアホみたいな服。そして何より目立つのはそのモヒカンだ。

「市民! そなた達の身内を喪った悲しみ、怒り、嘆き……計り知れぬ! だがそこな白い女性はあのバケモノ共と戦っていたとの目撃情報がある。ついでに胡乱な配達員も女性を逃がそうとしていたと吾輩は聞いておる!」

 モヒカン――タグチはそこまで一気に捲し立てると、バッと……頭を下げた。

「撤去人中佐、タグチ・リヤがお願いする! どうかその者達を穏便に開放してくれぬか!」

 男たちはざわついたが、やがて全員手に持つ武器を下ろし、バラバラとその場を離れていった。撤去人と事を構える命知らずは、ポスト・ポストカリプス世界にはそういない。リーダー格の男は最後まで俺とナツキをきつく睨みつけたままだったが、とにかく流血沙汰は回避された。

 男たちが完全に去ったのを見届けると、タグチはふんと鼻息一発、いつもの傲岸不遜な態度に戻った。

「散々探しまわったぞお前たち! 余計なトラブルに巻き込まれおってからに!」

「その……すまない。助かった、感謝するよ」

 俺は素直に礼を述べた。タグチは露骨に嬉しそうな顔をしたがすぐに表情筋を引き締める。

「勘違いするなよ配達員。吾輩は何も貴様を助けた訳ではない。ナツキには命を救ってもらった恩があるからそれを返したまでのこと」

「ありがとう、タグチくん」

 ナツキもぺこりと頭を下げる。その声は心なしか元気を取り戻しているように思えた。

「それで、なんで俺達を探してたんだ? 事件の参考人としての証言は初日に散々しただろ」

 丸一日徹底的な取り調べで絞られたが一緒に戦った配達員たちの証言と、恐らくはタグチの口添えもあり無罪放免となったのだ。ナツキの正体と俺の出自は隠し通したが。

「ああ、うむ。お前たちは無罪となったが、厄の種であることは変わらないというのがAPOLLONの判断である。現にさっきも絡まれておったしな」

 ぐうの音も出ない。

「それで、お前たちには穏便にモスクワから退去願うこととなった」

「国外追放か。元より目的地はヤマト朝廷だから別に罰でもなんでもないが……」

「うむ。それで吾輩が貴様らの監視役として同行することとなった!」

 は?

「タグチくんが一緒だと心強いな」

 ナツキが嬉しそうに言う。待て待て待て。

「なんで付いてくるんだよ!」

「あのような胡乱巨大兵器の出現はAPOLLON創設以来初の大事件なれば、吾輩のような猛者が調査として関係者と思しきお前たちをしっかり見張るのも当然のこと」

 なにか問題が? と言った顔でタグチは言う。

「また三人で旅が出来て嬉しい」

『四人ですよ、ナツキ』

「ぬお、トライ殿もおったのか。挨拶が遅れてしまい申し訳ない」

『お気になさらず。今はホテルで留守番をしております』

「そうか。では早速出立の支度を整えるぞ! シベリア郵便鉄道の切符はきちんとAPOLLONが用意したので安心めされよ」

「楽しい旅行になりそうだね、ヤマトくん」

 ナツキがにっこり笑ったあと、耳打ちしてきた。

「――助けに来てくれて、嬉しかったよ」

 俺はため息をつくと、お喋りしながら先を行く二人を追って歩き出した。

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