遭遇、シベリア郵便鉄道特急編 第五話 シベリア郵便鉄道
自己増殖した数京個のポストにより、文明が崩壊してよりおよそ300年。一時は存亡の淵に立たされた人類だったが、現在はある程度の安定性を保って市井の人々は暮らしている。ポスト・ポストカリプス世界がまがりなりにも存続出来ている要因は幾つかあるが、シベリア郵便鉄道の存在がその主な一つであることは論を俟たないであろう。
ユーラシア大陸中の国家群が歴史上後にも先にも唯一団結して執り行った大事業、それがシベリア郵便鉄道建設である。技術を、資材を、人員を惜しみなく投入し、30年もの歳月をかけて大陸の東西を一直線に結ぶ総延長一万Kmにも及ぶその大鉄道は完成した。その間ポストに呑まれ幾つもの国家が滅び去り、建設事業団は統廃合を繰り返し、後にAPOLLONと呼ばれる超国家組織へと発展していくこととなる。
ハガキを使ったポスト成長抑制方法はこの大工事の最中に経験則的に見出されたものだ。最初期は金属分解ナノマシンを散布したり、プラズマ共振兵器で崩壊させたり、果ては熱核兵器を持ち出してまで無限に続くポストの海を開拓していったというのだから、先人たちの不撓不屈の精神には頭が下がる思いである。
全26両編成のその長大な車列は、かつてのソビエト・ロシア二重帝国の国旗の色である赤白青に塗り分けられており、秋のモスクワの深い青空と、地に満ちるポストの一面の赤に挟まれてなお堂々とその威容を晒している。
「おっきいね~」
ナツキが気の抜けた声を上げる。
『私も大きいですが? 今はこんな姿ですけど』
「? 知ってるよ?」
トライが謎の対抗心を見せた。貨物車両と運転車両を除いた客車は全て2階建てであり、こじんまりした家ほどの大きさがある。アルティメット・カブも確かに巨大で太古の巨神像を思わせる迫力があったが、二機の常温核融合炉によって泥臭く地を這うこの巨体は別種の圧力を放っていた。ちなみに常温核融合炉の燃料は鉄より軽い元素ならなんでも構わないので、空気を取り込んで発電を行う。そしてその強力な電力で常温超伝導磁石を励起させて浮遊し、最高時速およそ800Kmでポストの間をかっ飛んでいくのだ。
「あれ、あそこだけなんか赤い」
ナツキが首を傾げながら見つめる先にあるのは郵便車両だ。中はポストカリプス前文明に存在したと言われる『ユービンキョク』と呼ばれる施設を模した内装になっている。この車両が必ず連結されているのがシベリア郵便鉄道と呼ばれる所以だった。
「――そうだ、聞きたいことがあるんだが」
前から疑問だったのだ。『ユービンキョク』が何をする場所なのか。300年前の人間であるナツキならその答えを知っているのではないか。
「え、郵便局知らないの?」
俺の質問にナツキは目を白黒させる。そんなに意外か?
「郵便局はね――」
「おーい! お前ら早く搭乗手続きしに来んか! チケットは手配してやったが他の作業までは知らんぞ吾輩は!」
「今行くよ―! ヤマトくんも急がないと!」
ナツキの歩幅に合わせて歩きながら、俺は重ねて訊ねた。
「なあ、だからユービンキョクってなんなんだよ」
「これは宿題にしておきます。期限までに自分で考えをまとめてくるように」
「はあ? なんだそりゃ」
それから何回か尋ねても「宿題」の一言でかわされてしまい、そこまで詳しく知りたかった訳でもないので俺はすぐに諦めた。
タグチに急がされたが、それから搭乗開始するまで一時間近く寒空の下で待たされた。理由は貨物の積み込みの遅延だ。シベリア郵便鉄道の主賓は貨物であり、人はあくまでオマケだ。物資の豊富なモスクワから地方へと生活必需品を送り、代わりにモスクワ周辺のポストからは取れない物資を持って返ってくるのがこの列車の至上命題である。
待っている間にタグチは缶ビールからアルコールを抽出して作り出されたウォトカもどきを飲んで顔を真っ赤にして出来上がっていた。酒臭い息を吐きかけながら大声で絡んでくるタグチに辟易した俺とナツキは、搭乗待ちの列を抜けてホーム内を少し探索することにした。大郵嘯後に建てられたモスクワ駅第一ホームは、限りある非ポスト資材を用いて可能な限り豪奢に見えるように造られており、その白麗な佇まいは300年の歴史を感じさせるものだった。ナツキはしきりに感心して眺めまわっている。丸っきりただの観光客にしか見えない。
「昔のほうが立派な建物が多かったんじゃないか?」
俺の言葉に、ナツキは分かってないなあこいつはという顔をして答える。
「分かってないなあヤマトくんは。そりゃ確かに積層建築都市とか発芽型DNA制御ビルディングとかの方がずっと複雑で大きかったけど、歴史の重みが違うよ重みが。私にとってここは300年後の未来なんだから、見るもの全部新鮮で楽しいよ」
俺からしたら逆で、ナツキの語る言葉は全て300年前の歴史的、いや神話的内容として聴こえるのだが、それを言ったらまた分かってないなあと返されそうなので黙っておいた。
そうやって二人でぶらぶらと歩いていると、いつの間にかホームの端にまで着いてしまった。ポストボタ山の上に建つモスクワ駅からは、市内の様子が一望できた。まだ破壊の爪痕生々しいが、そろそろ夕餉の時刻、街のそこかしこでは炊爨の煙が立ち上り、仕事帰りの人々の陽気な声が雑踏から聞こえてくる。
「ダーク・ガブリエル……また俺達の前に出てくるかな」
俺がぽつりと漏らしたその一言に、ナツキは一度俯き、だがすぐに顔を上げて陽気に言った。
「その時はまたヤマトくんに守ってもらうよ!」
「それは勘弁ねが――」
「それは勘弁願いたい?」
俺とナツキは黙りこんだ。突然、俺のセリフに被せて第三者の声が背後から聞こえてきたからだ。
「変わってないねえ、その性格」
俺はナツキを咄嗟に背中にかばいながら、後ろを振り返る。
そこには奇妙な男が立っていた。
何をどう表現すればいいのかすら分からない、まるで認知能力の落とし穴のような男だ。その穴は底無しで、認知という水が音もなく吸い込まれていく――。
いや、こいつは見覚えがある。
確か、名前は、
「あれー!? 僕のこと忘れちゃった? やだなあ、マナカだよ。マナカ・タダナオ!」
そうだった。何故こんな特徴的なやつを忘れていたのだろう。こいつはマナカ・タダナオ。俺の知り合いだ。
「なんだ、お前か……急に声をかけてくるから驚いたぞ」
「ごめんごめん。後ろの子は、ナツキちゃんって言うんだね。はじめまして」
人の良さそうな笑みを浮かべて、マナカは挨拶した。ナツキはボーッとマナカの顔を見つめていたが、どことなく困惑した感じでぺこりと頭を下げる。
「そろそろ列車が出発する時間だから呼びに来たんだよ、一緒に行こう」
「あれ、もうそんな時間か。悪いな、マナカ」
――?
なんだろう。何か、違和感が。
横を見る。知り合いのマナカが当然のようについてきている。
そうだった。俺達は4人でヤマト朝廷まで行く約束をしていたのだ。
何もおかしなことはない。耳元で何かうるさい声が聴こえる気がするが、ここ最近の疲れから来る幻聴だろう。シベリア郵便鉄道の客車、それもAPOLLONが取ってくれた一等客車はホテル並みの設備が整っている寝台列車だ。ゆっくり休めばこの違和感も消え失せるだろう。
マナカ・タダナオは、俺とナツキを眺めながら、笑顔を深めた。
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