遭遇、シベリア郵便鉄道特急編 第二話 ポストカリプス(後)
ガブリエルとトライの完全に同期した前後同時攻撃――ローラは斜めに振り下ろす手刀、ナツキは崩拳――がおよそ120Gもの加速度で放たれる! 両者共に先端の速度は音を遥かに超え、空気は断熱圧縮で眩く煌めき、その瞬間のみを切り取るならば絵画的とも言える絢爛たる有様!
迎え撃つミネルヴァは、ガブリエルの攻撃を弓手に持つ流体金属状の剣の鞘を用いて背後で受け、正面のナツキには馬手にドアノブを回すように握ったホワイトホールブレードを捻じりながら突き出した。刀身である事象の地平面から吹き出す反粒子! 重力制御で大半を逸らすが、僅かな〝飛沫〟がトライの装甲を確実に削り取っていく。
重力制御された戦場は、普通はもっと〝静か〟なものだ。通常兵器しか持ち合わせていない相手ならば、アルティメット・カブは音も熱もなく圧し潰し、押し止め、崩壊せしめる。だがアルティメット・カブ同士の戦いならば、お互いの機体の制御AIが演算戦を行い、どちらの重力制御が優越されるかを水面下で激しく競い合う。打ち消し合った重力制御の結果として顕れるのは、空間の末摩を断つが如き軋みと、正しき法則を己が手に取り戻した大地の引力による咆哮! 狂奔! 絶叫!
今戦っている場所――帝都・霞が関に存在する郵政省庁舎の、カンポ騎士団本部の地下施設が震え、天井と床に多数の裂け目が発生する。この地下施設は耐核爆撃にも耐えられる造りだが、戦闘の余波は徐々に無視できないダメージを与えつつあった。
空気が固体とも思える速度の中、それを割りながらトライは軽く跳ねてからの三日月蹴りを浴びせにかかる。同時にガブリエルは地面を這うほどすれすれまでしゃがみこんで水面蹴りを放ち、攻め立てる。
中段と下段、躱すならば上へと飛ぶしか無い。だがミネルヴァはそちらへは逃げなかった。足を、捨てた。
更にはナツキの蹴りすら避けず、最も装甲の厚いコックピット部の横で受け止める。足先に纏わせていたダークエネルギーの陽炎が装甲を吹き飛ばし、コックピットのキャノピーにヒビが入る。
ナツキは、ほぼ至近距離でヒソカと目が合った。今の衝撃で頭部から出血しているヒソカはしかし何の動揺も示さず、狂信的とまで言えるほどの冷静さでこちらを見つめ返している……。
膝関節から下を蹴り裂かれたミネルヴァは、しかし倒れ臥すことはなかった。ホワイトホールブレードを床に突き刺し――出力を全開にする。
『……っ!?』
ナツキはもちろん、ローラも咄嗟のことに反応が一瞬遅れ――
CRAAAAAASH!!!!!
戦闘で脆くなっていた床が広範囲に渡り崩落し、三機のアルティメット・カブは地下の闇へと落ちていった。
『ナツキ、気づきましたか。意識の途絶は48.9秒です』
トライの声。周囲は暗黒。サーチライトで照らしても直ぐ側の闇に飲み込まれ、落下の衝撃で故障したのか暗視モードも上手く働かない。ただ、レーダーでの計測によるとこの空間が非常識なまでに広いことが分かった。その広さ、直径凡そ……
「3470Km……!? 本部の地下にこんな空間があるなんて聞いたこともないんだけど」
『私がアクセス可能などのデータライブラリにも載っていません』
周囲はほぼ真空。重力制御もされているようで、僅か0.165Gしかない。
「ミネルヴァとガブリエルは……?」
『8Km先に重力制御反応があります』
スラスターを吹かし、移動する。大量の埃のような物が舞うのが探索灯に照らされて見えた。
『重力異常と磁気異常を検知』
トライの警告。僅か数秒で到達したナツキは、そこに異様な光景を見た。
絡み合うように倒れこんだガブリエルとミネルヴァ。その二機がまるで芥子粒に見えるかのような巨大な、あれは――。
「なに、あれ……」
『私には銀色のポストのように見えます。サイズ測定結果出ました。厚み方向に1Km、幅は4Km、高さは9Kmです』
そう、それは巨大な、途方も無く巨大な、銀色の郵便ポストだった!
投函口があり、表面には「〒」マークがある、見た目は極普通のポスト。全体が仄かに発光している。不気味なのはその巨大さと、取り出し口に何重にも取り付けられた多数の南京錠だ。絶対に中身を取り出させない――いや、あれはまるで絶対に中身を〝外に出さない〟ためにつけられているかのような……。
『副団長、無事ですか!』
ミネルヴァに対して警戒を向けたまま、ガブリエルに呼びかける。返事がない。まさか、二人とも落下で……?
『ナツキ。団長と副団長を発見しました』
コックピットにトライの視界がオーバーラップする。そこには、簡易全環境服を着たローラとヒソカが、機体の外に出て並んで巨大ポストを見上げている姿が映っていた。
……どうしてこちらに返事をしない?
『副団長、いったいなにがあったんですか。これは、なんなんですか』
ローラと、ヒソカがゆっくりと振り返る。
ナツキは悲鳴を押し殺した。
二人の顔に浮かぶ、全く同じ表情。
諦観の、笑顔。
『ナツキ。もういいの。全部、分かったの』
ローラからの通信。
『な、何が分かったんですか。なんで、そんな顔を――』
『かつて一つだった月。それがある時期を境に急に二つに増えた。世界中の誰も、そのことに違和感を覚えなかった』
ヒソカが会話に割り込んできた。
『うるさいな! 今は副団長と話してるんだ! 黙っててもらえる!?』
だがナツキの言葉を無視して、ヒソカは続ける。ひょっとしたら、ナツキに向けて喋ってすらいないのかもしれない。
『何故人類は有史以前から郵便事業を行ってきたのか。世界中の古代宗教のシンボルに「〒」マークが使われていたのは何故なのか。どうしてK-Pg境界の地層から大量のハガキが見つかるのか……その答えが、これだ』
ヒソカは、巨大な鍵のかかった白銀のポストを指差す。
ポストが、激しく揺れた。
『……!?』
バン! バン!とポストの内側から何者かが激しく叩いている。南京錠がガチャガチャと揺れた。
『〝奴ら〟が出てくる門にして、奴らを封じ込める鍵。モノリス・ポストだよ』
ヒソカが厳かに告げる。
『奴ら? モノリス・ポスト? 何を言ってるの?』
ナツキの声は上擦る。なんだろう――あれは、あれの中身が、恐い。人が闇を恐れるように、死を恐れるように、宛先不明の手紙を恐れるように――根源的かつ窮極的な、それは恐怖の具体だった。
『驚くのも無理はない。だが歴史の真実を直視するべきだ。このポストに遺された〝彼ら〟――〝
ヒソカは、世界樹かと見紛う太さのモノリス・ポストのに手を触れる。ドクン。巨大な鼓動が一つ響き、取り出し口を揺らしていた内側の〝何か〟が静かになった。
『月が二つになったのも、ポスト・ヒューマン達の遺した
〝奴ら〟は、月から来る』
『つ、月が二つになったなんてそんなバカな事が……』
『事実だ。今我々が立っているこの空間こそ、その二つ目の月――位相をずらして〒空間上に再現された地球の衛星なのだからな。〝奴ら〟を月ごと滅ぼした後のアフターケアといったところか』
『ここが、月……!?』
ナツキは辺りを見渡す。暗闇はあまりにも深く、視界はほぼゼロだった。
『事実かと思われます。観測で得られた諸データは月面上のそれとほぼ一致しています。重力異常のパターンからして、ここは南極エイトケン盆地の永久影のどこかだと推測します』
トライが淡々と告げる。
『月の南極に埋もれていた巨大な金属塊の存在は、既に昔から知れらていた。その正体が巨大なポストであると判明したのはつい最近の事だがな』
ナツキに聞かせているのか、それとも隣で薄っすらと笑むローラに語りかけているのか、或いは単なる独り言か。ヒソカは感情の起伏を見せずに喋り続ける。
『〒空間に到達し、ポスト・ヒューマンの様々な遺産を手に入れた人類は、この第二の月も発見し、驚愕と歓喜の中調査を開始した。そして――禁忌に触れた』
モノリス・ポストはただ荘厳に、聳え立つ。
『奴らを月に閉じ込めておくための仕掛け。誰も回収せず、どこにも配達されない荷物として放置しておくための処方。そうした目的のために創造された反ポスト。それを、人は訳の分からぬままに掘り出し、覚えたての猿の様に弄くり回し――猿よりましな知能を持っていたのが災いし、その機能の一部を解除してしまった』
バン! バンバンバンバンバン! 再び内側からの激しい打擲音。気のせいだろうか――先程より叩く音数が増えている。あの中に、複数、居る。
『我らはポスト・ヒューマンの力を手に入れた者達の務めとして、奴らと戦わねばならない。ポスト・ヒューマンたちですら封印するだけで倒すことが出来なかった相手だ。戦力のコマは多いほうがいい』
『矛盾しているぞ! じゃあなんで騎士団のみんなを――殺したんだ!』
『俺にあっさり殺されるようでは、奴らの相手は務まらない。演算機関と重力制御機関を俺が有効活用したほうが勝率が上がる。だがナツキとローラ、お前たちは中々強い。俺とともに奴らと戦え』
なんて、身勝手な――! 弱いから殺した? 俺とともに戦え!?
『誰が、お前の言うことなんて聞くものか!』
『ローラは賛同してくれた』
空っぽの笑顔のローラは、ただ頷いた。
『――嘘だ! 大体、さっきから奴ら奴らって――一体何と戦うっていうんだよ!』
『決まっている』
完全に諦めて、心折れた者の声で、しかし表情だけは静かなまま、ヒソカは答えた。
『〝
響きだけで鳥肌が立つような、呪いを引き寄せるような――それこそが絶対なる『敵』の呼び名であった。
『ナツキ。お前もモノリス・ポストに触れろ。そしてポスト・ヒューマン達の遺志を聞け』
副団長――ローラは相変わらず。ナツキは無力感に呑まれかける。このまま〝あちら側〟に行ってしまったほうが、楽なのでは? 二人を相手にして自分が勝てるわけがない。諦めてしまっても責める者はこの場には――
『ナツキ。団長の――いえ、元団長の言葉に耳を傾けてはいけません。私がアクセス可能などの深度のデータベースにも〝
トライは機体のFCSをハックすると、ヒソカにぴたりと標準を合わせた。
『引き金を引いて、それでおしまいです。何故だか知りませんがアルティメット・カブから降りている今しかチャンスはありません。死んでいった仲間の仇を、ナツキ』
叱咤するようなトライの声に、ナツキは我に返る。そうだ、奴は敵。取り敢えず排除してから副団長のことは考えればいい。
ナツキは、引き金を――
『ガブリエル』
ローラが名前を呼んだ瞬間、それまで完全に機能停止していた配送機ガブリエルは急激に作動状態へと移行、オレンジ色のパワーラインの残光の尾を引きながらトライに全力で体当たりを仕掛けてきた。
『なっ――!?』
完全に組み付かれた。重力制御で振りほどこうにも距離が近すぎてうまくガブリエルだけを排除できない。ガブリエルはそのままスラスターを全力噴射。相対論的ジェットの眩い光が偽の月の永久影を照らし出す。
頭上には、ナツキ達が落ちてきたと思しき穴――テレポートする際の〒空間ゲートが存在していた。そこへ向けてガブリエルはトライを抱えたまま上昇していく。
『離せ、このっ』
『ナツキ。このままここから離れて。手遅れになる前に』
『――副団長!?』
目の前のガブリエルからローラの――正気そのものの声が聴こえてきた。トライが視界をズームする。今や遥か下方。超巨大郵便ポストの根本で揉み合うローラとヒソカ。ミネルヴァに搭乗しようとするのを邪魔しているのか。
『演技だったんですか? じゃあそう言ってくださいよ心臓に悪いんだから……』
ナツキは安堵のあまり涙が溢れそうになるのを慌てて抑えた。だが、その喜びを打ち消すようなことをローラは言った。
『いいえ、残念ながらあれは演技ではないわ。もう時間がないからよく聞いて、ナツキ。私は、ミーム汚染された』
――ミーム汚染?
『あのモノリス・ポストに触れることで感染する。ミームに侵襲される瞬間に気付いてガブリエルのインカンに自我を退避させたけど、遅かった。私の肉体はもうミームに乗っ取られている。そして、ガブリエルと一緒にいる私も徐々に汚染が始まっている。今は汚染された部分を次々と物理的にパージして凌いでるけど、計算資源がどんどん減っていってるから〝私〟を維持できなくなるのも、もうすぐ』
『あの、副団長、何を言って』
『口を挟まないで。仕掛けられたミームは単純、〝
二機は空間の穴を突破、郵政庁舎の地下施設に戻ってくる。だがそれでもまだガブリエルは噴射を停止せず、天井をぶち破ってゆく。
『団長は完全にミームに呑まれている。もう肉体の死すら意味がなく、意志そのものが実体化して動いているような状態。だから貴女がさっき撃っても無駄だったの』
地上の庁舎に到達。建物を破壊しながら外に飛び出す。
だが――なにか様子がおかしい。
『ヒソカは今、完全にポスト・ヒューマンの遺志そのものになっている。だから、遺産を動かすのも訳がないってわけ。貴女に撃たれそうになった時、死ぬ可能性は限りなく低いけど万が一でも自分が遺志を遂行出来なくなった場合の予備プラン――切り札を発動させた』
破壊された庁舎――その表面が、赤い。
ポストが……生えている!!
トライの全周囲視覚が今世界に起こりつつある事を伝えてくる。
『ポストのテレポート網を封鎖して不罪通知の通り道を消す。そしてポストの無限増殖の結果による地球恒星化で、
赤い。
赤い。
赤い。
帝都が、日本が、世界が。ポストに埋め尽くされていく。まるでスパムメールだ。数億? 数兆? 数京? 単位など最早無意味と思えるほどのポストポストポストポストポスト!! 建物の表面に、海の底に、森の合間に、ポストが増殖していく。
その終末黙示録的光景はまさに、ポストカリプス――!
『なんとか、肉体の方の私が地球恒星化なんて馬鹿げた行為は止めてみせるわ。でも多分ヒソカを倒すことは出来ないから、それはナツキに託す』
『そんな――私に託すって!』
『貴女もミームの欠片を受信した可能性がある。だから貴女を冷凍処置して、徹底的に除染する。青ポストの中がいいわね。あそこはこういう緊急事態の場合でもスタンドアロンで接続可能だから』
ガブリエルが、トライを手放した。トライはすぐさま自力で重力制御し空を飛ぶが、ガブリエルは墜ちてゆく。
『トライ! ガブリエルを拾って!』
『出来ません。現在私は一時的な副団長権限下にあり、貴女を青ポストまで連れて行くことが第一優先事項となっています』
『そんな……!』
『いいの。もうこうやってことばを喋るだけでせいいっぱいだから』
重力制御もままならず、ガブリエルは翼をもがれた天使の様に墜落し、すぐにポストの津波に呑まれて見えなくなった。
通信だけが、辛うじて届く。
『なつき。かなしまないで。いつものあなたのままでいて。げんきにわらっていて。そんなあなたが、いちばんすてきで、つよいから』
『ローラ! ローラ! 返事をして! トライ、今すぐ引き返せ!』
『あなたが、めをさますじょうけんをせっていしておくわ。よくきいてね。
それは――』
「それは――なんだよ」
急に黙ってしまったナツキに思わず訊き返す。これまで一切口を挟めずただ圧倒されて聞き入ってしまっていた。
だがナツキから返事はなく、横を見ればこっくりこっくりと船を漕いでいた。こいつ――。
「トライ、続きを話せるか?」
『ナツキの許可無しではできかねます』
「そうか……」
俺は郵星を見上げる。どう見ても、それは一つにしか見えない。二つの月? モノリス・ポスト? 不罪通知? どれも信じ難い。
だが俺が秘密を差し出す代わりに、ナツキが喋ってくれたこの話がホラだとは、俺にはどうしても思えなかった。
「……また、秘密と引き換えに今度訊いてみるか」
俺は呟くと、ナツキと肩をくっつけたまま眠りに落ちた。
『あなたが、めをさますじょうけんをせっていしておくわ。よくきいてね。
それは、「まだいきのこっているほかのきしだんのだれかがあなたをみつけたとき」よ。
なかまといっしょに、ひそかをたおして』
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