遭遇、シベリア郵便鉄道特急編 第一話 ポストカリプス(前)
ポスト・ポストカリプス世界に昇る月は、赤い。郵便ポストの赤色だ。
月にも郵便局があったのがまずかった。
真空や宇宙線、微小隕石にも耐えるように設計されていた頑丈さと、月の低重力環境が何らかの反応を起こし、地球の三倍の密度で生えたポスト群は月の質量を数%増やして、地球の自転と公転にすら影響を及ぼした。大郵嘯後の文明崩壊を加速させた一因とも言われている。
そもそも、それがかつて『月』と呼ばれていた天体であることを知る者自体が、今は少ない。
その赤さと表面に刻まれた巨大な『〒』マークから、今では人々はそれを
俺は赤くて丸い郵星を見上げながらくしゃみをした。季節的には秋の入り口のはずだが、さすがにモスクワ近郊は夜になれば底冷えする。ポストは夜間に放熱を行うのでなおさらだ。
「ん……寒い? もう少しくっつこうか?」
配達員の青コートを共有していたナツキがうとうととした浅い眠りから目覚め、こちらに距離を寄せてきた。俺はさり気なさを装って同じだけ距離を取る。
「照れ屋だね! オトシゴロってやつ?」
『ヤマト様の心拍数と体温の上昇を検知。ナツキは魅力的な女性ですから仕方のない事です』
普通に気づかれて俺は溜息をつき、自分から肩を寄せた。300年前と現代でデリカシーの基準が違うのか、こいつらが特別変なのか。どちらかと言えば後者のような気がする。
焚き火のぱちぱちという音と、胡座をかいたまま眠るタグチのイビキを除けば、百万光年先の恒星が燃焼する音すら聞こえてきそうな夜だった。
ポスト・ポストカリプス世界では、昆虫を含めた野生動物の一切は絶滅している。代わりに我が物顔で地上や空を闊歩してるのは宅配ドローンや宅配ボックスたちだ。ポストカリプス前分明のテクノロジーで創られた自律型配送システム群は野生化し、独自の改良と進化・分化を遂げて今や生き残っている人類よりも繁栄を遂げている。昼間出会ったような肉食性の奴らは、食える肉が人類しか残っていないので積極的にこちらを襲ってくる。だが基本的に野生化配送システム群は夜間は充電しているので、辺りに気配は存在しなかった。
郵星の柔らかな光と焚き火の明かりに照らされたナツキの横顔はほんのりと赤く闇に浮かび上がり、〒型に赫く瞳を際立たせている。夜明けまでおよそ8時間。夜は長い。
昼間、
俺は再び郵星に視線をやる。全く想像できないことではあるが、かつてあの星は一ヶ月単位で満ち欠けをしていたという。明るさがそんなに頻繁に変わると夜が不便ではないのだろうか?
「変な月」
ナツキが隣でぽつりと言った。もう寝たものと思っていた俺は少し驚いて隣を見る。郵星を見上げていたナツキがこちらを見て、少し笑った。
「あんな所までポストが増えるなんて思ってもみなかったよ」
「今は月じゃなく郵星って呼ぶんだ」
「ゆーせい。なにそれウケる。……結局私が守りたかったものは一握りしか守れなかったなあ」
タグチの方を見ると、完璧に寝ていた。聞くなら今だろう。
「なあ――どうして青ポストの中にいたんだ? 俺の秘密を教えたし、答えてくれ」
「いいよ。約束だしね」
もったいぶっていた割には、ナツキはあっさりと答えた。
「ただし眠くなるまでね」
「なんじゃそりゃ」
「まあまあ。これからの楽しみというか、ヤマトくんの秘密を聞き出すには小出しにしたほうがお得だと気付いたのですよ」
「お前なあ……まあいいや」
「どこから話そうかな。最初から話すと長いしなあ……」
「眠くなる前に話せる長さで頼むぞ」
「じゃあ、途中からだ。私と、ローラ――ローラ・ヒル副団長が、ミネルヴァを追い詰めた時、ヤマトくん達が大郵嘯って呼んでるあの災害が起こったの――」
郵西暦2205年、12月25日。奇しくもこの世の全ての罪とスパムメールを背負い、天へと昇られた三位一体(投函・配達・受け取りを指す)の救世主が誕生した記念日。喜ばしきその日に、史上最悪の災害は発生した。
だが実際は違う。
それは、一人の男によって引き起こされたものだった。
ZGOOOOOOM…………!!
ガブリエルに相対するミネルヴァもまた酷い有様だ。収束した超電磁場フレイルによる幾度にも渡る攻撃で、フレームが剥離しそうになっているのを、重力制御で辛うじて抑えている。
ガブリエルとミネルヴァ――第二期カンポ騎士団の団長と副団長をそれぞれ務める最強の郵聖騎士たちのぶつかり合いに、ナツキは『トリスメギストス』の中で介入するタイミングを見出だせずに歯噛みしていた。
ローラとガブリエルは日本が唯一同盟を結ぶ国家、USBA──グレートブリテン及び北アメリカ連邦──軍からの出向者だ。アルティメット・カブのコンセプトが日本の物と異なるのはその為である。重力制御を主とする日本機に対して、重力制御に割くリソースを減らし、他の三つの基本相互作用を強化するというのが英米流だった。
ZZZZZMMMMMM……残った2機の人工マグネターがその自転速度を自壊寸前まで加速し加速し加速していく。同時にマグネターの周囲の磁場が捻じれ、ひしゃげ、凶弾の威力を極限まで高める。
先に仕掛けたのはミネルヴァだ! 必壊の攻撃の出鼻を挫く、ホワイトホールブレードによる閃制の居合い! 反宇宙より呼び込まれた反粒子流が、連鎖的対消滅シャワーを引き起こし、円錐状の軌道にあるもの全てをガンマ線光子に変えながら迫る!
ガブリエルは殺到する滅却の奔流を眼前に、撓みきったマグネターの磁場を――解き放つ! 基本相互作用制御によりうねり、しなる磁場は宇宙最強の鞭と化し、ガンマ線光子はおろか反粒子をも絡めとりながら螺旋を描き、ミネルヴァへの逆襲をかける!
だが次の瞬間――ミネルヴァが、消えた。少なくとも同じ重力ポテンシャルの底にいるガブリエルからはそうとしか見えなかったであろう。少し離れた観測者であるナツキだからこそ、それを把握できた。
重力波の波長に合わせた運足と量子テレポーテーションを合わせた、相対論を裏切った人類が得た武の極北。魔術的とすら言える超科学的歩法、即ち縮地である!
『ローラ!!』
ナツキの全帯域の叫びは虚しく戦闘ノイズに呑まれ、魔法の様にガブリエルの背後に出現したミネルヴァはエンジンとコックピットを諸共に一閃斬撃――動作をキャンセルし全力離脱。
目の前からミネルヴァが消えたのを認識した瞬間、ガブリエルが残った人工マグネター2機を衝突させ、超新星爆発を引き起こしたのだ。制御されていない、剥き出しの爆燃現象は強制的に戦いを仕切り直しさせる。
だがこれでガブリエルの武器である人工マグネターは残りゼロ。
『ローラ。お前では俺には勝てない。そこで立っているナツキを加えようがな。降伏して俺と共に来い。こんなところで戦力を消耗している場合ではないと、お前なら分かるはずだ』
ミネルヴァの配達員、マエシマ・ヒソカがオープンチャンネルで呼びかけた。ナツキの腹の底に昏い怒りが沸き立つ。『アイリス』も『アラハバキ』も配達員ごと斬って捨てた男が今更何を言うのか。
『私には分かりかねますわ、団長閣下。仲間を殺して、その演算装置を奪うことを正当化するに足る理由なんて、分かりたくもないですけれど』
ローラがにべもなく返した。ナツキはコックピットの中で獰猛に笑う。ローラはまだ闘志を失っていない。そしてヒソカは、この私を――カネヤ・ナツキとトリスメギストスを酷く見くびっている。それが間違いだと、教育してやる。
『ナツキ。今度は二人がかりで行きますよ』
『了解です、副団長』
ナツキは内息を深める。重力子がトライの機体中を循環するのを肌で感じる。
『貴様らは分かっていない。何故〝突破した者達〟がこの宇宙からも〒空間からも消えたのか。何故月が二つあるのか。何故〝鍵の掛かった銀のポスト〟がこの帝都の奥深くに隠されているのか――』
ヒソカはぶつぶつと呟きながら、ホワイトホールブレードの出力を上げてゆく。
『ごちゃごちゃうるさい! 第二ラウンド開始だ!』
ナツキは叫ぶと、ガブリエルと呼吸を併せて前後から飛びかかった!
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