邂逅、サハラ死闘編 第四話 誰よりも三倍偉大なるもの

 ――後に聞いた話である。

 21世紀初頭、国際ヒトゲノム参照配列が決定されたのと時を同じくして、『それ』は発見された。配列決定に用いられた検体全ての遺伝コードに、『それ』は刻まれていた。発見した科学者たちは一様に跪き、ヘルメス神への祈りを捧げたと伝えられている。

 それこそがDNA郵便番号Postal Code。通称、概念住所。

 全ての人類は、生まれた時からDNAに郵便番号を持っている。

 この事実が判明して以降、郵政省やそれに相当する各国の行政機関は絶大な権力を握ることとなった。窮極の個人情報たる概念住所を用い、お中元や年賀はがきの送り先などの機密情報を追跡出来るようになった郵政省は国家転覆のクーデターを図り――失敗した。聖域なき改革により肥大化した郵政省は解体、民営化の憂き目に遭う。

 だがそこに、皮肉にも郵政民営化により崩れたパワーバランスが切っ掛けで第一次環太平洋限定無制限戦争が勃発。郵政省の強力な情報統制能力と通信能力が求められ、再度官営化された。人々は、郵便局に自らの郵便番号を再び預けることを良しとしてしまったのである。

 基本的に概念住所はユニークだ。郵便番号は64bit長であり、人類が何百億いようと決して被ることはない。だがここに、概念住所を共有する者たちがいる。それが第二次カンポ騎士団の配達員ポストリュードと、定形外二輪輸送車型決戦配送機プレリュード──通称アルティメット・カブだ。

 人類最後の戦争の、その裏で戦っていた彼らは、兵器としての質を高めるためにありとあらゆる処置を施された。アトセカンド単位での反応を切り詰める為に概念住所の共有は行われた。

 動物実験や人体実験の結果では概念住所共有は思考の混濁、物理的融合、即死等の問題を惹き起こすことがわかっていたが納期が迫っていたため実装は強行され――結果劇的な性能の向上が見られた。

 同じ概念住所を共有する彼らはどれだけ時空を離れていようと常にお互いの呼び出しが可能であり、思考を共有するが混濁はせず、お中元や年賀はがきすら同じ数が届いた。まさに人機一体だ。

 ――配達員かアルティメット・カブの片方が死ねば、もう片方も同じく死ぬという問題は、納期が迫っていたため仕様として実装された。


 ミネルヴァは引きずりだしたコックピットを躊躇なく握り潰した。

「ナ、ツキ……?」

 俺の呟きと同時にミネルヴァは僅かに怪訝そうにその動作を停め、手を開く。重力制御により部品は四散すること無く粘土のように滑らかに六本指の跡がついていた。だがそこに、予想されるような無惨な形状の配達員は見受けられなかった。

 何故なら、ナツキは――意識を失ってはいるものの――俺の腕の中に生きた状態で突然現れたからだ。ありえない――半端に知識を持っているからこそ俺は驚愕した。テレポテーションが実用化されたとはいえ、それはあくまで郵便ポスト同士の間でのことである。

『ヤマト様』

 突然脳裏にトライの声が聞こえた。

「トライ!? お前まだ壊れてないのか!? いやそれよりもナツキがいきなり――」

『およそ十五秒で私の全機能は停止いたします。だから、単刀直入に申し上げます。ナツキを、頼みます』

「いや頼むってどういう、」

 ミネルヴァの青いモノアイが、俺達のほうにひたと向けられる。そして何かしらの攻撃を行おうとした瞬間、その動作をキャンセルし超音速で30メートルほど後ずさった。

 CRAAAACK!!

 全身のパーツを剥離させ、血のようなアーク放電を穴の空いたコックピットから放ちながら、トライがミネルヴァに殴りかかったのだ!

『これから緊急転送を行います。エネルギー不足のため跳躍到達限界距離は凡そ5000Km。行き先の指定は出来ませんので出来る限り備えてください』

 ミネルヴァの放つ無数のマイクロブラックホールに全身を貫かれようが、トライは俺達への攻撃を全て防ぎ、片腕と片足を喪失し基礎フレームを剥き出しにしつつも、なおも果敢に突撃を繰り返す!

「ん……」

 腕の中でナツキが目覚めた。だが俺はそれに構わずまくし立てる。

「おいトライ、お前も来るんだよな!?」

『ナツキ、貴女の配送機〈プレリュード〉であれたことを誇りに思います。貴女は誰よりも誰よりも誰よりも、素晴らしかった』

「トライ……?」

 ナツキの呟き。

 ミネルヴァのペーパーブレードが、トライの腰を両断した。だが上半身が地面へと落下する寸前、残った片腕でミネルヴァの手首を掴む。

『貴女の人生に後奏曲ポストリュードはまだ早い』

 振りほどこうとするミネルヴァに対して、トライはしつこく食らいつき、そして胸の重力エンジンが破滅的な輝きを放つ。

『だから、』

 ミネルヴァは腕を自切して距離を取ろうとする。だが、遅い。

『貴女のこれからの門出を、前奏曲プレリュードとして祝いたいと思います』

「トライ、馬鹿な真似はやめ――」

 KA-BOOOOOOOOM!!!!!!!

 配送機、トリスメギストスは自爆した。

 吹き荒れる重力嵐。その時空の揺らぎとエネルギーを利用して、俺達は何処とも知れぬ場所へとテレポテートした。


『……』

 ホワイトホールブレードから漏れ出づる反宇宙のエネルギーでトリスメギストスの自爆を相殺したミネルヴァは、辺り一帯をスキャンする。少なくとも周囲1000kmに反応はない。

 足元に転がったトリスメギストスの残骸を見やる。ミネルヴァの配達員――マエシマ・ヒソカはコックピットの中で眉根を寄せた。

 破裂した重力エンジンの中から、縮退演算装置と重力制御モジュールを抜き取る。〝突破ポストした者達ヒューマン技術テクノロジー〟によって創造されたそれらは、自爆にも傷一つついていない。

「ナツキ――貴様にもいずれ分かる」

 ヒソカは独りごちた。

 ――ミネルヴァの梟は黄昏に飛ぶ。このポスト・ポストカリプス世界という人類の黄昏に。やがて来たる郵星からの物体に備えるには、まだ力が足りない。

 ミネルヴァは配送機モードを解除し、カブの形に戻ると、青ポストの中へと消えていった。


「……いっ! おい! 貴様! 配達員  《サガワー》! 起きんか! 我輩をこんな寒空の下で訳の分からん女と二人きりにするなど許さんぞおい!」

 まず感じたのは風邪の時にアルコールを摂取して小一時間頭を小突き回されたかのような頭痛。次が寒さだった。バカでかい声が頭痛に拍車をかける。

「うっ……」

 俺が薄目を開けると、モヒカンヘアーと陽に灼けた厳つい顔が飛び込んできた。まだいたのかこいつ。

「まだいたのかこいつ」

 思ったことをそのまま口にした。

「き、貴様ァッ! 我輩を愚弄するかぁっ!」

 俺はこめかみを抑えながら身を起こす。雪がちらついている。一瞬、未だにあの異常な戦いがあったサハラから移動していないのかと疑ったが、曇天の空から篩いにかけたような粉雪が降り注いでいるのを見てすぐにその可能性を打ち消した。

「どこだ、ここ」

 ポスト・ポストカリプス世界では、地形や植生の特徴から土地を類推する事は困難を極める。地平線の彼方までポストに埋め尽くされ、その間を縫うように踏み固められた細い道が存在している。下生えの草すら疎らで、世界中どこに行っても同じ風景が延々と続く。方位磁石も乱立するポストの影響で狂い、ポストカリプス前文明で存在したような測位衛星による現在位置把握などもちろんありはしない。

「計器類はテレポート時に全て故障したのでまるで役に立たん」

 撤去人がぶすっとした顔で答えた。

「――そうだ、ナツキは?」

 俺は辺りを見回す。いない。まさか、はぐれたのか。

「あの胡乱な女か? そいつならほれ、そこの大ポストの陰だ」

 大型物資搬送用ポストの下に、ナツキは座り込んでいた。薄手の患者服は見るからに寒そうだ。俺は少し躊躇ってから、サガワー御用達の青いコートを脱いで被せてやった。

「――あ」

 ナツキが顔を上げ、俺は息を飲む。元々白かった肌の色は血の気が引きすぎて青褪めており、しかし目元だけが赤く腫れていた。

「ありがとう」

 ナツキは礼を述べ、口の端を持ち上げて笑おうとして失敗し、再び俯いてしまう。俺はどうしていいのか分からずに立ち尽くす。ほんの数時間前に出会った300年前の騎士の、しかも可愛い女の子を、どうやって慰めろというのか? 俺にはそんな芸当はどうやっても無理である。

「トライはね、」

 ナツキが口を開いた。その目は遥か遠くを見ている。300年前の過去を、見ている。


 ――トライはね、概念住所を共有する前から私の配送機プレリュードだった。初めて会ったのはアルティメット・カブのシミュレータの中。その時は配送機がどんな仕様になるのかすらまだ決まってなくて、シミュレータのセッティングも毎回変わってて大変だった。私は物覚えが悪くていつも郵便局員ポストクラートたちに怒られてた。

 六回目のドラフト版だったと思う。シミュレータに乗りこんだら前触れもなしに声をかけられたんだ。「なんだこのチビ」って。それまでの戦闘補佐AIは本当にただの機械って感じだったから、いきなり悪口を言われて私はびっくりして固まっちゃったの。そしたら「チビな上に臆病者とかいらね」って言って突然シミュレータからイジェクトされちゃって。郵便局員たちは全員慌ててた。

〝突破した者達の技術〟を解析して作られた初めてのAIだからこういうこともある。その代わり今までの物とは性能が隔絶しているって説明を受けても納得できなくて、配達員ポストリュードに逆らう配送機なんて絶対おかしいでしょって思った。なめられてたまるかって。

 だから私はまたシミュレータに乗り込んだの。「チビがまた来た」「漏らす前に出て行け」「貧乳」戦術モニタには稚拙な悪口が映ってて、それを見て私は笑顔でAIのコア演算モジュールがある部分に、こっそり持ち込んだショックガンを突きつけてやった。途端にコックピット内にレッドアラートが響いたけど、私が表情を変えずに、イジェクトしたら本当に撃つからねと言うと収まった。

 モニタリングしてた郵便局員たちが大声で怒鳴り始めたから、あいつらを静かにさせてくれたら銃はしまうよって言ったら、そのAIは実験基地のシステムをハックして司令室に逆位相の音を流し込んで無音にしちゃったの。あれは傑作だったな。みんな口をパクパクさせてて酸欠の魚みたいだった。

「はじめして、私はカネヤ・ナツキ。あなたは?」

「……トリスメギストス」

 私は少し笑っちゃった。子供みたいな性格の、口の悪いAIのくせにやたらと大仰な名前だったから。

「長いからトライって呼んでいい?」

「調子乗るな、ばーか」

 トライがそう言うと、私はさっきの三倍の勢いで外に放り出されて、壁に頭をぶつけて気を失った。

 とにかくそうやって私とトライはバディを組まされた。郵便局員たちの言う通り、トライの性能は次元が違った。私の成績もぐんぐん伸びていったけど、意地悪で失礼な性格には辟易してた。他の配達員の配送機たちは全員大人な性格で、私は何度もAIの変更を上申したけど聞いてもらえなかった。

 君たちはいずれ概念住所を共有して文字通り一心同体になる――そう教えられた時、私は堪らなくいやだった。トライのメモリを消してやろうとすら考えた。

 だからその日、私がトライに搭乗を拒否したのは偶然だった。たまたま、その日に私の我慢の限界が来ただけだったんだよ。郵便局員たちは怒鳴りつけて、なだめすかして、おだてたけど私は頑として首を縦に振らなかった。結局、業を煮やした大人たちは私を無理やり拘束してトライに押し込めようとした。

 ――テレポテートの実験事故だったって、後から教えてもらった。本当にそうだったのかは、良くわからない。

 アルティメット・カブの格納庫の壁を突如ぶち破って、君主ロード級のメーラーデーモンが突然出現したの。皮を剥がれた猿みたいな身体から茨の蔓が無数に生えてて、むき出しの筋肉からはジクジクと血と粘液が滲出してた。私を抱えてた兵隊が咄嗟に銃を撃ったけど当然そんなものは効かなくて、メーラーデーモンは四つある目を三日月形みたいに細めて、掌で兵隊を叩き潰した。

 私は確か泣きも喚きもしなかったと思う。確実な死を目の前にして、ああこれでもうトライにいじわるされないで済むって考えてた。

 メーラーデーモンの腕がこっちに伸びてきて――その腕が横から掴まれた。アルティメット・カブの、トライの腕だった。配達員による認証をどうやったのかキャンセルして一人で変形して、私を助けたトライは叫んだ。「何やってる! 死にてえのか!」「早く俺に乗れ!」って。

 そこから先は無我夢中でよく覚えてない。ただ戦闘中ずっと、トライと同じ事を考えて、同じ動きをしていたような、そんな記憶がかすかにある。

 私とトライは君主級討伐の功で配達員の中で一足早く郵聖騎士に叙勲された。いじわるな性格は変わらなかったけど、もう私はトライに乗るのは嫌じゃなくなってた。


 ナツキは遠い過去に向けていた視線を現代に戻して、少し笑った。

 

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