第5話 新たな兆し

ジリジリと肌を刺激する朝日を浴びながら砂浜を走る。汗が顔の輪郭に沿って滑り落ちていくのを感じながらひたすら走っていると携帯のアラームが鳴り始める。アラームを切ると今度はそのまま浜辺を歩き始めた。

(やっぱりビーチって走りにくいなぁ。また怪我しないように気をつけないと。)

すでにココロの手足には数カ所の擦り傷が付いている。合宿が始まって2日が経った。幸い大きな怪我はしていないが段差につまづいたり転んだり、何かにぶつかったり…何かと怪我をしている。

(このままじゃ帰る前にアザと擦り傷だらけになっちゃう…。)

昨晩同室のナギサにも心配をかけてしまったことを思い出す。ナギサに誘われ大浴場に行った時のこと…


「ココロちゃんそのアザどうしたの!?」

「え?あっこれ?私ドジだからいろんなとこにぶつかったり転んだりしてたらいつの間にか増えちゃってて…。」

「言われてみれば…確かに何度かそんな場面を見かけた気がするよ…。」

「こんなになるのは小さい時以来だけど。合宿に来てから急に増えたんだよね、何でだろ?」

「理由はわからないけど気をつけないと帰るまでに本当にアザだらけになっちゃうよ。」

「うん。そうならないように気をつけるうわぁっ!!」

「ココロちゃん!?」


思い出すと恥ずかしくなってくる。

(石鹸踏んづけて滑って転ぶとか何処のギャグ漫画なの…!また授業ができないような怪我だけはしないようにしないと。ただでさえ見張られてる気がするし…。)

合宿に参加する際先生に捻挫は完治したことを伝えたのだが、何度も転んだりつまづいたりするココロを見て本当に怪我が治ったのか疑っているらしい。昨日は足の具合について2回も質問された。

(本当に大丈夫なのになぁ。でも普通の人はこんなに転んだりとかしないもんね…。)

小さくため息を吐くとハッとして両頬をパンパンと叩いた。

(ネガティブはダメダメ!!)

気合を入れ直したところで再びポケットに入っている携帯から音がなり始めた。アラームを切るとココロは砂に足をとられながらも砂浜を走り始めた。




「「「1!2!3!4!5!6!7!8!」」」

生徒の声がホールに鳴り響く。まだ午前中だというのに夏の日差しでホールは蒸し風呂状態となっている。そんな中練習が始まって2時間ほど経過した生徒たちのホール中に響く声がまだまだ元気な事を物語っている。この合宿では普段よりも細かいところまで見て指摘しらえるということもあり、こんな機会は滅多にないと生徒たちもやる気に満ちているのだ。今はラインダンスでやるような足上げの練習をしている最中だ。ココロは自主練習をしながら前半のグループがカウントに合わせて足を上げるのを横目で見ていた。上がる高さに多少の差はあれど、みんなの足が綺麗に上へ上がる。

(みんな揃っててすごいなぁ。)

しかし先生の声がして全体の動きが止まった。

「前列左から2番目と、後ろの列の真ん中の人は脚を上げる時体が傾きます。姿勢をまっすぐに保ちなさい。前列右から2番目と3番目、後ろの右端の2人は軸足が曲がっています。気をつけて。」

「「「はい!」」」

(先生すごい…1人であれだけの人数を見てるのにそんなとこまで見えてるんだ。)

次は自分の番だと練習をしながらも先生の言葉に耳を傾ける。

「それからあげる足はまっすぐに。膝が曲がっている人がまだ半数近く居ます。」

「「「はい!」」」

「あと足を上げる高さですが個々で今綺麗にあげられる限界の高さまでしっかり上げること。これは練習ですが練習だからといって手を抜いてはいけません。練習でやっていないことは本番ではできないからです。ではもう一度やってみましょう。」

「「「はい!」」」

「5!6!7!8!」

(確かに…練習でできないこともやってないことも本番で出来るわけ無いよね。いつでも最高のパフォーマンスが出来る様に!!)

ココロは鏡に写る自分の姿を見ながら脚を高く上げた。ふと気になって自分の軸足をチラリと見てみると

(あっ、私も軸足少し曲がってる。)

今まで上にあげる足ばかり気にして軸足を見たことすらなかった。

(そうだよね。他の人がたまたま言われただけで自分がそうじゃないとは限らないもんね。)

今度は軸足を気にしながらもう一度脚を上げる。少しだけ足がまっすぐになった。しかしまだ軸足は曲がっている。

(もう一回!)

(もう一回!!)

(まだできてない!)

何度も繰り返してみるもののなかなかうまくいかない。汗が首筋をダラダラと流れていくのが分かった。汗を拭き喉を潤す。もう一度練習をしようと鏡の前に立つと交代の時間がやってきた。

「はい!では交代します!次のグループはこちらへ!床に印がついているのでその上に立ってください。」

駆け足で指示された場所へ移動する。全員が床の目印の上に立つと先生が口を開いた。

「では、これから先程のグループと同じようにカウントに合わせて脚を上げてもらいます。3回やり終わったら一度やめて下さい。では始め!」

「5!6!7!8!」

カウントが始まりそれに合わせてみんなが脚を上げる準備をする。足や腹筋など全身に力を入れて姿勢を崩さないように注意しながら脚を上げる。さっきのグループのことを思い出して体が少し強張る。練習していたことがちゃんとできているだろうか?鏡で姿を確認できないというだけでこんなにも不安になるものなのか。鏡のことを思い出してハッとする。

(軸足を曲げないように!)

そんなことを考えているうちにあっという間に3回の足上げが終わる。

「前列右から2〜4番目後ろの列左端2人は軸足が曲がってます。前列の右端以外の人は脚を上げた時に足が曲がらないように。それから…」

(私どっちもできてない…。軸足気にしすぎて上げる方の足が曲がっちゃったのかな…。どうしたらいいんだろう。)

「ではもう一度!」

カウントが始まって足上げの準備をする。いつもと違う場所、いつもと違う練習、いつもと違う…。最初は新鮮だったそれらが今は重圧のように重く身体にのしかかっている。自主練習をしていた時より身体が何倍も重く感じながら懸命に足を上げた。

(上げる足と軸の足!)

どちらも意識しようと努めるものの二つを同時にこなすのは難しい。どうしたらいいかわからないまま時間だけがすぎていく。結局何度も同じことを注意され交代の時間となった。




「「「1!2!3!4!5!6!7!8!」」」

「はい!そこまで!これからお昼休憩にします。午後は13時から始めますのでそれまでにここに集合してください。昨日と同じ事を今日もやってもらいますのでペアで固まって集合してくださいね。では解散。」

「「「ありがとうございました。」」」

午前のトレーニングが終わり生徒が食堂へと移動する。その集団の最後尾をトボトボと歩きながらついて行く。

「はぁ〜。」

あれから鏡を見ながら何度もチャレンジしてみたがどうしてもうまくいかない。

(単に筋力が足りないのかな?でも意識すれば軸足も何とかなりそうだし…。ただ軸足を意識しすぎるとあげる足が曲がっちゃうんだよね…。あ〜…どうしたら両方とも上手くできるんだろう…。やっぱり回数重ねないと無理なのかな…。)

どうしたものかと頭を捻っていると後ろから声をかけられた。

「ちょっと何入り口で突っ立ってるの?邪魔よ。」

みんなの後ろについて食堂の入り口で列に並んでいたのだが、考え事をしているうちに前にいたはずの人が居なくなっていた。

「えっ?あっリカさん!ごめんなさいちょっと考え事してて…。」

(よりによってリカさん!!)

「どうでもいいけど午後のレッスンではぼーっとしないでよね。」

そう言ってリカはさっさと食堂の中へ入っていった。

(そうだった…。午後からはリカさんとペアなんだよね…。)

既に下がっていた気分がさらに急降下していく。もはやこれ以上下がる余地はないと水面ギリギリを飛んでいる飛行機のように気分は低空飛行である。

(リカさん私のこと嫌ってるからすごく気が重い…。くじで決まったから仕方ないけど…。)

合宿初日に引いたくじ運の悪さを呪いながらお昼ご飯を受け取って開いている席を探す。すると長テーブルの端に一つ空席を見つけた。

(あそこしか開いてないな…。)

辺りを見渡すが何処の席も満席で空いている席はそこだけのようだ。長テーブルへ行き隣の席の人に座る前に声をかける。

「あのここ開いてますか?」

「開いてるけど?」

(えっ!?リカさん!?どーしよう先に誰が隣か見ればよかった。でもここしか開いてないし…。)

一瞬にして頭の中で今の状況についていくつもの考えが浮かぶ。声をかけたまま固まるココロをリカは不審そうに見ている。

「何してるの?」

「えっ!?」

「早く座って食べないと時間なくなるわよ。」

リカが指した食堂の時計が動いて12時20分を過ぎた。

「えっと…その…。座ってもいいの?」

「はぁ?ダメなんて一言も言ってないでしょ?」

(言ってないけどいいとも一言も言ってません!)

リカは自分のことを嫌っている。そのこともあって隣に座るのは気が引ける。今こうして話しているだけでも少し緊張しているくらいだ。どうしたらいいのか分からずにテンパっていると

「他もいっぱいでしょ?早く座りなさいよ。」

「あっありがとう。」

そう言われてはもう座るしかない。実際他は何処も満席だ。トレーを机に置き椅子に座ると早速ご飯を食べ始めた。

「いただきます。」

(ご飯がうどんでよかった…。今この状況でカレーとかカツ丼なんて出されたら食べられない自信がある…。)

隣に座っているリカは友達と楽しくお喋りをしている。こちらのことなど微塵も気にしていないとは思っていても、やはり自分のことを嫌いと分かっている人の隣に座るというのはどうにも落ち着かない。

(よし。早く食べてさっさと出て行こう。)

急いでうどんを口に流し込むとすごい音がした。


ズズズズズ


そんなことはお構いなしでひたすら麺を吸い込んで食べる。なるべく噛む回数を少なくしてほぼ丸呑み状態のうどんが、まるで飲み物でも飲んでいるかのようにすごい速さで器から消えてゆく。周りの生徒が少し引き気味でこちらを見ている。

(あと少し…!!)

「ちょっ…ちょっとあんた…そんなに急いで食べると…」

「っ!んぐっ…!!ゴホッゴホッ!」

「もうやっぱりそうなるじゃない!ほら!水よ!」

「ゴホッゴホッ!っ!!…っ…っ…っ…っはぁ!!あっありがとう…。」

「まったく…ご飯くらい落ち着いて食べなさいよ。」

「うん…そだね。次からそうするね。」

言われた通り落ち着いて最後の一口をつるんと口の中に吸い込んだ。

「ご馳走様でした。リカさんお水ありがとう。」

「いいのよ。またレッスンで会いましょう。」

「それじゃあまた後で。」

「ええ。」

リカは返事はしたもののこちらを振り返りはしなかった。食堂を後にしたココロは特に行くあてもなくホールに戻ってきた。日が高くなったからかホール内の温度もさっきより暑くなっているようだ。ただそこにいるだけで汗がじわじわと出てくるのがわかる。鏡に写った自分の姿を見て鏡に近づく。そのまま鏡の前に立ち脚を上げた。

(やっぱりどっちもは無理だ…。上げる方の足だけならまっすぐ出来るんだけどなんで出来ないんだろ…。)

何度か繰り返していると生徒がホールに集まってきた。時計を見るともうすぐ13時になろうとしていた。

(リカさんを探さなきゃ。)

「ちょっと、もう始まるわよ。」

「あっリカさん。丁度今探しに行こうかと思ってたところで…。」

「あっそう。」

会話が途切れてお互いに黙ってしまった。気まずい空気に耐えかねて口を開きかけた時、先生の声が響いた。

「みなさん集まっていますか?午後からは引き続きペアでレッスンしてもらいます。それでは各自始めて下さい。」

「さっき何か言いかけてた?」

「えっ!?あっいや、何でもないよ!」

「そう?じゃあ今日は私からやるからしっかり見てなさいよ!」

「はい!」

リカが午前中に教わった事を順にやっていく。まずはターン、足上げ、ステップなど一通り終わると講評の時間だ。

「それで?どうだった?」

「えっと…。どれも綺麗ですごかったよ!」

それを聞いてリカがため息をついた。

「そうじゃないでしょ!あんた昨日もそうだったけどね!私は悪いところを聞いてるのよ!」

リカと大きな声と勢いにビックリして怖くて目が合わせられない。

「ええ!?悪いところ!?だって本当に綺麗で悪いところなんて…。」

「一体どこ見てるのよ!今のターンは顔の残し方が甘かったし止まる時に少し位置がずれてたわ!それに足上げだって体を引き上げ切れてなかったしステップだってまだまだキレが足りないでしょう!?」

「えっと…。」

勢いに圧倒され言葉が見つからないでいるとリカが小さなため息をついた。

「あんた何のためにペアでやってるか分かってる?」

「え?互いに練習を見合う為…かな?」

「それはそうなんだけど…はぁ…。ダンスはねただ何回もやれば上手くなるってもんじゃないのよ。確かに練習しただけ上手くなるけどそれじゃそこまでなの。」

「…?どういうこと?」

「あんた急に紙とペンを渡されてあの有名な猫型ロボット描いてって言われたら描ける?」

「大体ならかけるけど…。」

「でも見比べてもどっちが貴方が描いたかわからないようにそっくりに描いてって言われたらどう?」

「それは…ちょっと…。見本があっても難しい…かな。」

「でもそれをどうしても描かないといけないってなったら?あんたは何をする?」

「うーん。とりあえずよく見て描いて…それと見本を見比べて違うところを少しずつ直していくかな?」

「ダンスも同じなのよ。一度見たくらいじゃたいして覚えられないし、何がどうなってるかなんて全部は分からないわ。それを他人と全く同じ動きをしようと思ったら一つ一つ何がどう違うのかを見て覚えて違うところがあれば直していく。」

「なるほど…。」

(そういえば先生も最初の授業で同じようなこと言ってた…。確か…)


「みなさんいいですか?何事もそうですがダンスはただ練習するだけではうまくなれません。上手な人を観察することも大切です。自分と何がどう違うのか考えることをやめずに練習に励んでください。」


すっかり忘れていた先生の言葉を思い出した。まさに今リカが言っていたことと同じことだ。リカはずっとこの言葉を忘れずに授業に励んでいたのだろう。

「すっ…すごいねリカさ…。」

「まぁ、あんたはまだど素人!絵描きでいえば悪い意味で画伯よ!」

「あっ…うん…そうだね…。」

(そんなにハッキリ言わなくても…。)

上がりかけた気分が突然の威嚇射撃によって再び低空飛行し始める。あと少しで本当に心の飛行機が海に沈みそうである。

「まぁ、私と一緒になれてラッキーだったわね。」

「うん。いろいろ教えてくれてありがとう。」

「そうじゃないでしょ!」

「え!?じゃあどういう…。」

「私があんたの見本になってあげるって言ってんのよ!」

「え??」

「周りのペアもみーんな上手い人とそうじゃない人がペアになってるでしょ?初めからそういうくじ引きだったのよ。私はあんたに教えることで、あんたは私を見て目を養いながらテクニックを盗むのよ!!」

「はっはい!」

「分かったら早く続きやるわよ。私があんたをこの合宿でうんと上手くしてあげるんだから!」

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