第2話 ココロと心
静まり返る教室の空気が張り詰めているのを肌で感じる。普段は忘れていることを改めて思い知らされる。
君たちはライバルなのだと。
(それでも私は…)
「分かっているとは思いますがそれだけが大切な行事ではありません。一番近い行事だと強化合宿があります。細かい詳細はプリントで各自確認しておいてください。」
ピリピリとした空気を微かに残したまま授業は幕を閉じた。
「じゃあいつもの所で待ち合わせね。」
「うん。いってらっしゃい。」
アスカと別れて向かった先は人気のない小さな中庭だ。そこにあるベンチに腰を下ろすと
ポカポカとした心地よい陽気を肌で感じる。ふと空を眺めると、薄い雲が広がっていて青い空が朧げに見えた。
(将来自分に必要なものかぁ…。そんなのたくさんあって選べないよ!アスカたちはすごいなぁ…もう何にするか決まってるなんて…。カイトはもう何にするか決めたのかな?)
「何してるの?」
「カイト!えっと…アスカの用事が終わるの待ってるの。」
突然のカイトの出現に何か悪いことをしたわけでもないのに緊張する。
「隣いい?」
頭を縦に強く振って答えるとカイトがベンチに腰を下ろした。2人の間に沈黙が流れる。
(あれ…。何か用事があって座ったんじゃないのかな?何か話したほうがいい??)
「今日は暖かくて気持ちがいいね。」
「そっそうだね!」
「「………。」」
(どうしよう…会話が続かない!!言いにくいこととか?もっもしかして別れ話!?)
ショックを受けながらも震える手をぎゅっと握りしめると声を絞りだす。
「あの…何か話があるんじゃ…?」
「ないよ?」
「えっ…。」
「ただココロと一緒にいたかっただけ。」
きゅっと胸が締め付けられながらも不安な気持ちが溶かされていく。
「カイトは魔法使いだね。」
「え?」
「いつも私の心を暖かくしてくれるから。」
「そう思ってくれてるなら嬉しいな。」
カイトの大きな手が頭を優しく撫でた。途端に心地よい陽気が暑く感じる。
(いつも優しくてたくさん迷惑かけても助けてくれて…本当はもっと伝えたいことがあるのに…。)
横目でカイトを盗み見る。整った横顔に細マッチョな程よい体型。見れば見るほど自分には勿体無く思えてくる。ふとカイトの手がベンチに置かれていることに気がついた。
(私から握ったら…少しは気持ち伝わるかな…?びっくりするかな?)
少し汗ばんだ手を軽く衣服で拭う。あとは手を伸ばすだけ…だがそのハードルが高すぎる。
「かっカイトは専攻何にするかもう決めた?」
「決めたよ。演技Ⅱと殺陣にするつもり。」
「へぇ~殺陣取るんだ!意外!」
会話をしながら少しずつ手の位置を近づけていく。
「一応俳優志望だしいろいろな動きができた方がいいと思ってさ。殺陣はやっておいて損は無いかなって。」
「確かにいろいろできた方が幅は広がるよね。」
手の距離が縮むたびに胸の鼓動が早くなる。
「みんなちゃんと考えててすごいなぁ…。私はそんなにはっきり決められないや…。」
「早く決められるかどうかじゃなくてココロが何を学びたいかが大切だと思うよ。ココロがやりたい事が出来る様に。」
「私のやりたい事…。」
チラリと手の距離を確認すると、もう手を握れる距離まで縮まっている。
(どうしよう…。手握ってもいいのかな?大丈夫かな?嫌がられたりとかしないかな?)
あと少しというところで体が強張る。さっき拭いたばかりの手がもう汗ばんでいるような気さえする。
「触るな!」
一瞬、昔の記憶が蘇る。身体中に寒気が走って小さく震えた。
(やっぱり…ダメ…。)
「ココロはさ、もっと自分の声を聞いていいと思う。例えばこうやって手を繋ぎたいとかね?」
カイトの手が自分の手に重なってぎゅっと力が込められた。突然の出来事に少し混乱していると、カイトは楽しそうに笑いながらこっちを見た。
「喋りかたがちょっとおかしかったしバレバレだったよ。」
「そっそんな…。」
恥ずかしくて一気に顔が熱くなった。
「いつでも手を繋ぎたいと思ったら繋いでくれていいよ?なんならキスしてくれてもいい。」
「きっキス!?」
「まぁそれは難しいだろうからいつかココロから手を繋いでくれると嬉しいな?」
「わっ分かった…。」
「ココロがそうしたいって思った時でいいからね。」
コクリと頭を振ってカイトを見ると、ほんのり頬が赤くなっている気がした。
(自分の声…心ってことかな…。)
再び2人の間に沈黙が流れる。まだ少し残る恥ずかしさを手から伝わる温もりが和らげていくのを心地よく感じながら叶わぬ願いを抱くココロであった。
「そういえば授業は何にするか決めた?」
数日続いていたオリエンテーションがもうすぐ終わろうとしていたある日の午後。授業が半日で終わったのでココロは部屋でアスカと2人でお茶をしていた。
「それがまだ決まってなくて…何がいいのか考えたんだけどどれも私には必要だと思うんだよね。」
ココロの夢はミュージカルの舞台に立つことだ。夢のきっかけは子供の頃両親に連れられて見に行った舞台。それはココロにとって衝撃的なものだった。まるで知らぬ間に別世界に来てしまったのかと思ったほどだ。目の前のステージがキラキラ輝いて見えて、その光景が目に焼きついている。そんなステージに憧れて自分もミュージカルの道を歩むことを決めたのだ。
「ココロはさ、どうしてミュージカルがしたいの?」
「え?子供の頃観たミュージカルがすごく感動して自分もやってみたいって思って…」
「どうしてやってみたいの?ただ感動するだけなら観に行けば済むよね?」
「それは…あんまり考えたことなかった…。」
(どうしてだろう?)
自分でも答えがわからずに少し考え込む。
「ココロがミュージカルを好きなのは分かってるよ。好きだからやってみたいと思う気持ちもね。でもそれだけじゃ前に進めない時もあるんだよ。ココロはもっと自分の気持ちを知らないとね。」
「それって自分の声ってこと?」
「ん?まぁそうだね。自分の心の声は自分にしかわからないからね。」
自分にしか分からない声。みんなはそれがいつもわかるのだろうか?今の自分にはその声の聞きかたも分からなかった。
「どうしたらわかるかな?」
「方法はいろいろあるけど…簡単なのだと自問自答とか?」
「うーん。そういうの苦手かも…。」
自問自答するにもまず何から質問すればいいのか、そこから分からない。突然の難問に頭を悩ませているとアスカが口を開いた。
「じゃあ質問!ココロがミュージカルで一番感動したことは?」
「えっと…ドキドキと鳴り響く音楽が身体の中で一つになって全身が熱くなるっていうか…一体感?みたいな?」
「その一体感ってどんなの?」
「会場のみんなが一つになって楽しいのが伝わってきて、私も楽しくて…。」
(そっか、私みんなで楽しめたことが嬉しかったんだ。)
今まで知らなかった気持ちがはっきりと分かって少し安堵する。
「じゃあココロがステージに立った時にお客さんに伝えたいことは?」
「…みんな一緒に誰でも楽しんでいいんだよって、嫌なことがあってもステージを見てる時はそれを忘れて楽しんで欲しい…かな。」
「それをどんなミュージカルで伝えたい?」
「うーん、ブロードウェイ…かな?難しい話だと子供はわからないし…でもそうするとブロードウェイよりも子供でも見やすいようなもう少し砕けた感じのがいいかも…。」
「ふふっまぁこれで何にするかは決まったんじゃない?」
「え?」
キョトンという顔をしたかと思うとすぐにハッとした。
「そっか!専攻授業!!歌とダンスに決まりだね!ありがとうアスカ!」
「どういたしまして。」
驚きと嬉しさが相まって高揚しているのが自分でも分かった。漠然と自分の中にあっただけの何かの形が少しだけ見えた気がする。
(もっと知りたい。)
そう思うとほぼ同時にもう口から言葉が出ていた。
「ねぇアスカ!他にも知りたいことがあるんだけど付き合ってくれる?」
「いいよ。何が知りたいの?」
「えっとまずは…」
この日の自問自答ならぬ質疑応答は2人のお腹が空くまで続けられた。
「ココロ!次移動だよ!」
「うん!すぐ行く!」
あれから数日が経ち、すでに通常授業が始まっている。この日は初めての専攻授業がある日。ココロの胸は期待で膨らんでいた。
「どんなことやるのか楽しみだね!」
「そうだね。でもダンスの先生かなり厳しいって聞いたよ。」
「そうなの?うーんでも誰に教えてもらっても頑張るし大丈夫!」
「ふふっ。じゃあ張り切って行きますか。」
そう言ってスタジオに入ると数名の生徒がすでに準備を始めていた。
「私達もストレッチとかしようか。」
「そだね。まだ少し時間あるし。」
アスカの提案でそれぞれストレッチを始めた。鏡ばりになっている壁で自分の姿勢をチェックしながら丁寧に伸ばしていく。スッと足を開くとほぼ180度の角度に足が開く。そのままゆっくりと身体を倒して胸を床につけた。
「相変わらず柔らかいね〜。」
「体だけは昔から柔らかかったからね。肝心なダンスはまだまだなんだけど…。」
「それは練習あるのみ!私も人のこと言えないけど…。」
他愛のない会話をしながらストレッチを済ませる。
(結構人多いなぁ…。20人は居るかな?)
全クラス混合ということもあって知らない人がかなり多い。
(意外と知ってる人いないなぁ。アスカと一緒になってよかった。)
ホッと胸を撫で下ろしているとドアの開く音がした。先生が入ってきたと思ってドアの方を向くとそこには知っている女の子がいた。
(りっリカさん!?ダンスとったんだ…。)
相手もこちらに気がついたようで、プイッと目をそらすと離れた場所へ歩いていった。
「リカも同じだったんだね…。ココロ大丈夫?」
「うっうん…頑張る。」
「いや、全然笑えてないから。むしろちょー引きつってて怖い。」
「ごっこめん…。」
心配かけまいと笑顔を見せたつもりが逆効果だったようだ。こわばった自分の顔を軽く叩いて気合を入れる。
「まぁ何かあったら直ぐにいいなよ。」
「そっそうする…。」
ガチャリと扉の開く音がすると、今度こそ先生が入ってきた。
「おはようございます!」
生徒達が挨拶をするとにこやかな挨拶が返ってきた。
「はい!おはようございます!少し早いですが授業を始めます。こちらに集まって適当に座ってください。」
言われた通りに集まって座ると先生がプレートと名簿をとりだした。
「今日は皆さんと初めて会うのでまずは名前を呼ばれたら手をあげて返事をしてください。こちらのネームプレートを受け取って左胸につけるように。」
全員にプレートが行き渡るとそのまま適度に広がって通常授業のダンスと同じストレッチを順にやっていくように指示が出された。
(なんかあんまりいつもの授業と変わらないな…。最初だからかな?それに厳しいって聞いたけどすごく優しそうだし…。ダンスの先生2人いるとか??)
そんなことを考えながら少しがっかりした気持ちでストレッチを続ける。ふと鏡に写る先生の顔をチラリと見るとさっきのにこやかな顔とは違って真剣な表情で生徒達を見ている。
(えっ?)
「はい!では次はウォーキングを3列でやってください。」
言われた通りにウォーキングをこなしていく。生徒を見る先生は先ほどと違ってにこやかに笑っている。
(見間違いだったのかな?さっきすごく怖い目してたし…。)
考えているうちに自分の番がやってくる。姿勢を正し、腹筋と足に力を入れて一本の線の上を歩くようにして爪先立ちで歩いていく。頭の先からつま先まで全てに意識を行き渡らせるのだが、これがなかなか難しい。
(前よりは良くなったと思うけどやっぱり苦手だな…。少しフラフラしちゃう。)
フラフラしまいと細心の注意を払いながら挑むが納得のいくウォーキングは一度もできないまま終わった。
「皆さんを見て感じたことですが…まるでダメですね。」
(えっ…。)
「しっかりできているのはせいぜい2〜3人といったところです。少なくとも1年間基礎を教わってきたというのに…これでは次のステップに進む以前の問題です。」
突然のダメ出しに皆がざわめく。先ほどのにこやかな先生はどこに行ってしまったのかと思うほどだ。視線で的を射抜けそうなほど鋭い目をしている。
「静かに!」
その一言でスタジオが静寂に包まれる。
「全く…皆さんはここに何をしにきているのですか?ただ学ぶだけや踊りたいだけならここでなくともどこでもできます。皆さんはプロになる為にここに居るのでは?そして私は皆さんをプロにする為にここに居るのです。遊び半分でこの授業を選んだのなら今後来なくて結構です。」
先生が突然歩き始めるとリカの前で立ち止まる。少し緊張しているのかリカが手を握りしめるのが見えた。
「あなたは良くできていましたよ。とても素晴らしいです。」
「あっありがとうございます!」
強張っていた顔がパッと明るくなりとても嬉しそうに笑っている。
「でも油断は禁物!これから厳しく指導して行きますので今の自分に満足せずに頑張ってください。」
「はい!」
「皆さんいいですか?何事もそうですがダンスはただ練習するだけではうまくなれません。上手な人を観察することも大切です。自分と何がどう違うのか考えることをやめずに練習に励んでください。」
「はい!」
(確かに言うことは結構厳しいかも…。ダメなとことかもズバって言われそう…。)
そう思った矢先に信じられない言葉が耳に入ってきた。
「今日はオリエンテーションですからあまり厳しいことは言いませんがこれから呼ばれた生徒は私のところに1人ずつ来てください。それ以外の人は課題のダンスの映像を流しますからそれを覚えてください。来週の授業で踊ってもらいますのでそのつもりで。」
(これでも厳しくないって…。来週からどうなっちゃうの!?)
不安に思いながらも早速ビデオの検証が始められた。しかし振り付けを見ようにも生徒が多くて画面が見えない。
「どうしよう…全然見えない…。アスカ見える?」
「いや、私も見えない。ちょっと待ってて!」
そういうとアスカは前の方へと進んでいく。人の隙間から何とか画面を見ようとするが断片的すぎてどんな振り付けなのか全くわからない。
(もう少し横の方に行ってみようかな…余計見づらいかな…。)
何かいい策はないかと考えているとアスカが戻ってきた。
「お待たせ!」
「前で何してきたの?振り付け覚えてくるには早すぎるし…。」
「みんなが一ヶ所に集まるから見えないんだよ。だから動画撮ってきた。」
「なるほど!それならちゃんと見えるし分からないところも巻き戻せるね!」
「ココロにも送ったよ。」
「ありがとう!」
早速動画を流して振り付けを確認するものの…
(えっこれすごく難しくない?)
「ねぇアスカ…これ結構難しくない?」
そういって隣を見るとアスカは既に踊り始めていた。
「それで…こうか!ん?どうしたの?」
「アスカは運動神経良くていいなって…。」
「まぁ一緒にやればいいじゃん!分からなかったら教えるしさ。」
「嬉しいような悲しいような…でもよろしくお願いします。とりあえず自分でできるとこまでは頑張ってみる。」
そう言って動画の再生ボタンを押そうとした時、
「次!ココロさん!」
ドキッと心臓が跳ね上がる。
「ココロの番だね。いってらっしゃい!」
「うっうん。頑張る!」
そうは言ったものの何を言われるのかと内心ドキドキである。
「よっよろしくお願いします!」
「はい、お願いします。」
緊張のあまりゴクリと喉がなる。
「あなたは体が柔らかいですね。姿勢もいいしストレッチはとてもよくできていました。」
思いもよらぬ言葉にびっくりして反応が遅れる。
「えっ…あのっはい!ありがとうございます!」
「でもウォーキングは全くダメ。点数をつけるなら…そうね、0点です。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます