第25話 裁判と制裁と

 女神の住まう神殿は一様に美しい場所だった。屋内の大理石はまばゆく、室内の水路を流れる水は清らかだ。円柱には細やかな意匠。庭園は色とりどりの草花が、己の命を最大限に輝かせている。まさに楽園と呼ぶに相応しい光景であった。


 そんな美的空間に一同は集結し、エルイーザとピュリオスを囲んだ。王様は場が整った事を確かめると、手元の木槌を高らかに打ち鳴らした。神聖なる響きが一帯に木霊する。


「ではこれより始めるとしよう」


 被告人席には顔を青ざめさせたピュリオス。そして不貞腐れた顔で酢漬けタコを口に咥えるエルイーザの姿があった。更にその背後には、慈愛に微笑む彼女の彫刻が見えるのだから、対比効果は強烈だ。


(チェンジで。像の人とチェンジで……!)


 そう心で叫んだ者は少なくない。


「マリウスよ。早速ではあるが、事件発生時の状況を語って貰えんか?」


 裁判長に扮した王様が説明を促した。だが、真っ先に口を開いたのは、悪態を晒し続けるエルイーザだった。


「テメェら、いい加減にしろよな。バグによる騒ぎは、被害に関わらず無罪っつう暗黙のルールがあるだろうが!」


 確かにそれは正論である。前回のマリウスが引き起こした災厄は、何の追求もなく済ませたのだ。彼女が納得いかないのも、ある意味では当然の理屈だった。


「我らが審議したいのは、別件についてである」


「何だと?」


「マリウスよ、頼む」


「承知しました」


 マリウスは咳払いをひとつ零し、耳目を集めた。これにはエルイーザも口をつぐみ、とりあえずは聴く姿勢になる。


「エルイーザさんがバグに侵される前の事です。幕間の演技中、彼女に失神させられた僕は、いつの間にか厳重に拘束されてしまいました。それはミーナさんも同様で、この時はまだ正気だったはずです」


「しょうがねぇだろ。あん時は気が動転してたんだから」


「介抱しようとは考えなかったのですか?」


「何言ってやがる。証拠隠滅した方が手っ取り早いだろ」


 本当にお前は女神か。そう罵りたい気持ちを、一同はグッと堪えた。きっと無意味な批判だろうから。


「そしてピュリオスさん。君にも明白な罪がありますよ」


「わ、私にですかーぁ?」


「君は保身に走るあまり、我々を窮地に追いやりましたね。今回は幸運にも難を逃れる事が出来ましたが、針に糸を通す程に危ういものでした。あの裏切りさえ無ければ、より安全に解決した可能性が高いのです」


「結局は全員が無事だったのですから、それで良いではありませんかぁ? ほら、大団円ってヤツですよーぉ」


「それは詫びる気持ちなどない、という事ですか?」 

 

「裏切り行為も、身の危険を感じた故にですからーぁ。すなわち緊急避難というもので、その罪を問うのはいかがなものかと」


 ピュリオスの顔色が次第に明るくなる。でまかせの自己弁護だったのだが、そこそこ正論だと思えたらしい。最終的には落ち着きを払うようになり、所作も滑らかさを取り戻していた。


 王様は埒が明かないと感じ、新たな証言で切崩そうとした。しかしここで無言のまま立ち上がる者が居た。ルイーズである。


 彼女は被告人の席まで歩み寄ると、おもむろに口を開いた。放たれた言葉は、思わず身の毛もよだつ程に低く、冷たい口調であった。


「あなたたち。本当に謝るつもりは無いの? 確かにバグが原因の騒ぎだったけど、形だけでも言うべきなんじゃないの?」


「何を聞いてたんだよボケが、アタシの意見は変わらない……」


 振り向き様に見下ろしたエルイーザだが、そのまま表情を固まらせた。眼にした顔は別人のようであり、見慣れた仲間のものから遠く感じられたからだ。ピュリオスなどは、実際に小さな悲鳴をあげて慄(おのの)いた。


「私達はね、別に被害者ぶりたい訳じゃないの。でもアナタ達から何の謝罪も聞けないのは、正直言って辛いのだけど」


「知るかよ。ありゃあ事故だったんだ。トラウマになったんなら、それぞれが勝手に乗り越えやがれ」


「そうですそうです。私らにはコレッぱかしの責任もありませんよーぉ!」


 威圧された程度で言を左右するほど、聞き分けの良い2人では無かった。むしろ清々しい居直りを見せる始末。


 これを受けてルイーズは、あるか無きかの溜息をひとつ吐く。そしてエルイーザ達の首根っこを掴むと、そのまま引きずって行った。


「おい、何しやがる! 離せよコラ!」


「何ですかなこの力! 何ですかなこの力はーーッ!?」


 そのまま彼女たちは神殿の外へと連れて行かれてしまった。面食らった一同が呆気に取られていると、リリアが気怠げに呟いた。


「あーぁ、やっちゃったね。知らないっと」


「今のは何だったんだ?」


「ルイーズってね、普段はすっごく優しいし気が利くし、面倒見も良いんだけどさ。怒らせるとメッチャクチャ怖いのよ」


 ふとメリィの方にも眼を向けてみると、こっちは机に突っ伏し、両手で耳を覆い隠しながら何かを繰り返し呟いていた。


「私は関係ない、私は関係ない、全然関係ないです」


 メリィにとっては生易しい記憶では無いらしい。


「……よっぽどな目に合わされたのか?」


「まぁ、アタシやメリィは体験済みなんだけど。二度とゴメンだって思えるくらいには」


「なるほど。そんな感じか」


 事態を理解したリーディス達だが、いつまでも待ち呆けるのも退屈である。誰かがお茶を勧め、その案に全員が乗った。裁判所を模した一画は、早くも座談会の様相へと塗り替えられていく。


「おっ。この紅茶は美味いな。水がキレイだからか?」


「マリウス様、とびっきり甘くしときましたよ!」


「いや、僕は無糖が……。いや何でもありません」


「ミーナや。ワシにも、その可愛らしいおまじないを頼めるかね?」


「すみません王様。これはマリウス様専用なんです」


 さすが本職(メイド)の仕事ぶりは上々だった。急な申し出にも関わらず、ミーナは全員の紅茶を用意してみせたのだ。


「紅茶は美味しいけど、何かお菓子も欲しくなるわね」


「またですか。デブりますよ?」


「たっくさん運動したから平気よ。ねぇケラリッサ、何か持ってない?」


「うーん。手元にあるのはサクレツ煎餅くらいッスね」


「わぁ、それ大好きなの! ちょうだいちょうだい!」


 リリアは丸煎餅を受け取ると細かく割り、その破片を頬張った。その瞬間に小さな破裂音が鳴り、一瞬だけリリアの頬が膨らんだ。


「うんうん、やっぱり美味しい! デルニーアさんもどう?」


「いや、僕はその……」


 彼はせっかくの紅茶にも手をつけず、チラチラと出口の方を盗み見ていた。姉の様子が気がかりなのである。


 ちなみにもう1人の肉親クラシウスは我関せずを貫いており、裁判の行方も妹への叱責にも興味を示そうとしない。ただ花壇の側でモチうさぎと、それはもう甘い甘いひとときを堪能するばかりだ。


 同じ兄弟でも反応が大きく違うものだが、とにかくデルニーアは心配なのであった。


「まぁまぁ。何も命を取られる訳でもないし。ここはゆっくり待ちましょうよ」


「ですが、今頃どうなってるのかと思うと……」


「良いから良いから、召し上がれ」


「ガフッ!?」


 リリアは煎餅の欠片を、強引にもデルニーアの口に投げ入れた。すると彼の口は膨張した空気で膨らみ、その痛みからのたうち回ってしまう。


「うわぁ、熱い! 熱いぃ!」


「ええ!? もしかして辛いの苦手?」


「デルニーさん。うちのリリアがすいません。コイツは辛味と痛みの区別がつかないリアル阿呆なんです」


「何よぉ。ピリッとして気持ちいいのに……」


 それからもリリアは何度と無く頬を膨らませた。果たして煎餅のせいなのか、あるいは拗ねた結果なのかは、傍目にはよく分からなかった。


 そんな様子でお茶会を楽しんでいると、何やら人の気配が近づいてきた。ようやくお説教が終わったのだ。一同は大した期待も寄せずに出迎えようとしたのだが、居合わせた誰もが眼を見開いて驚いた。


「ルイーズ、その2人は誰だ?」


「嫌ねぇ。エルイーザさんとピュリオスさんじゃないの」


「嘘だろ……?」


 どちらも髪型や服装などの類似点を多く残すが、人相は全く別人だった。とにかく萎れているのだ。まるでヘチマやキュウリと顔をすげ替えたかのようにシワだらけで、細くやつれ果てていた。


(一体何が起きたんだ!?)


 そんな当然の疑問を問いただす間も無く、2つの震える何かはルイーズに促されて証言台の人となった。仲良く肩を並べてと言うよりは、互いに支え合うようにして立ち、掠れきった声で謝罪の弁を述べたのだ。


「このたびは、しゅいましぇんでした」


「すみません、でしょ。やり直して」


「しゅみませんでした」


「まったくもう……。ねぇ皆、これでどうかしら?」


 どうもこうも無い。誰もが首を激しく縦に振るばかりになった。あのエルイーザをどうしたというのか。ピュリオスに何をしたのか。聞きたいような気もするし、同時に知るのが怖いとも思う。


 この一件を境にリーディス達の意識は変わった。まず、エルイーザ達への怒りが喪失した事。そして、温厚な人ほど怒らせてはならない事だ。界隈のヒエラルキーが変動する音を聞いたような想いだ。


「ともかくだ。これで一件落着かな」


「ねぇねぇ、せっかくだからお祝いしない? 美味しいご飯とお酒で楽しもうよ!」


「良いなそれ。いつものやっちゃう?」


「異議ナーシ!」


「じゃあ移動だ! はじまりの平原目指して出発だ!」


「休暇さいこぉーーッ!」


 いくらか紆余曲折したものの、世界にはようやく平穏が訪れた。こうして間に合わせのお茶会は、飲めや歌えやの打ち上げへと切り替わっていくのだ。


 彼らが遂行すべき本来の目的を、完全に忘れたままで。


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