第23話 バグ大戦5

 邪神の塔の最上階。エルイーザによる審判は始まったばかりであり、決断は厳しく迫られた。服従か死か。死とは単なる致命傷を負うことではなく、アイデンティティの喪失。すなわち自我の削除である。


 リーディスを失った哀しみは、怒りは途方もなく大きい。それでも目前で蠢く困難を思えば、糾弾する声も鳴りを潜めていった。


「さぁて、次はケラリッサ。お前だ」


 エルイーザの両手には依然として同じグラスと漆黒の穴がある。憔悴するケラリッサは濡れそぼった瞳を左右に向け、何度となく往復させた。そのうち頭垂れると、顔を俯けたままで、引きつったような笑い声をあげた。


「何がおかしい。狂ったか?」


 まなじりをあげてエルイーザが問う。それから、おもむろに頭を持ち上げたケラリッサだが、意外にも朗らかな笑みを湛えていた。


「いえいえ、お気になさらず。決めました、グラスの方をお願いするッス」


「ケラリッサさん、早まってはいけない!」


「マリウスさんの言う通りよ! こんなヤツの手下になったって、不幸せになるって決まってるじゃない!」


 居並ぶ仲間たちは激しく反発した。賛同者は1人として居ないらしい。しかしケラリッサは臆した素振りも見せず、ゆったりとした調子で答えた。


「あぁ、勘弁して欲しいッス。アタシは非戦闘員なんで。命を張っちゃうようなキャラじゃないんで」


「そうだけど、だからって……」


 この中で唯一の一般人である。武器を手に取り、勝利に固執するタイプではないのだ。ならば意地や誇りよりも、生き長らえる事を優先させるのは自然な選択だろう。


「そんな訳でエルイーザさん。グラスをくださいな。でもその前に両手を解いて欲しいんスよ」


「……何の為に」


「お近づきの印に、献上品を差し上げようかなーなんて。リュックの中に入ってるんで、すぐお渡しできるッスよ」


「ふぅん。献上品ねぇ」


「ええ、そうなんスよ。そりゃあもう、お美しい貴女にピッタリの!」


 そう告げる顔は、主人に尾を振る犬のようだ。周りの仲間たちは聞くに耐えんと、顔を背けた。


 エルイーザはその様を眺める内、全身の闘気が萎んでいくのを感じた。


(信念も誇りも無い非力な女。大した事は出来ねぇだろうな)


 そう判断すると鼻息を鳴らし、ケラリッサの腕を強く睨んだ。それだけで縛めは解かれ、両手には久しぶりの自由が戻る。


「おかしな真似すんじゃねぇぞ。そん時はブッ殺すからな」


「えへへ。そりゃもちろん。分かってるッスよ」


 その場でリュックの奥深くをまさぐる。愉快そうな独り言に軽快な物音が、酷く場違いな風に響き渡った。


「フンフフ〜〜ンっと。あったあった、これッスよ」


 ケラリッサはそう告げた次の瞬間、手にした瓶を開封し、そのままエルイーザ目掛けて投げつけた。中の赤い粉末が上半身へと降りかかる。


「うわっ、何しやがる!」


「今のはカブレル・キノコの粉末ッスよ。直に触れるとただれるっつう毒薬でぇーす」


「騙しやがったなテメェ!」


「いやぁ、ほんと疑う事を知らないんスね。アンタ、悪党に向いて無いッスよ」


 ケラリッサが快活に笑ったかと思うと、間もなく止めた。そして神妙な顔つきで仲間たちの方を見た。


「そんな訳で皆さん。残念だけどお別れッス」


「ケラリッサさん、なんて無茶を……!」


「へへっ。リーディスさんの分も一矢報いてやりたかったんスよ。何も出来ない内に殺されちゃって、無念だったろうなーなんて」


「だからって」


「はぁ……笑った笑った。人生の締めくくりとしちゃあ上出来ッスかね」


 視線を再び前に戻すと、悶え苦しむエルイーザの姿があった。やがて上半身のあちこちが赤く腫れ上がり、顔も怒りから紅潮していく。宿主の感情に呼応してか、触手にも猛々しい闘気が籠もる。いよいよ潮時であるのは、戦に不慣れなケラリッサでも容易に理解できた。


「それじゃあ短い間でしたけど、楽しかったッスよ」


「逃げて、今の内に早く!」


「足はまだ繋がれてるんで無理ッスよ、すんません」


「そんなのダメよ、あぁ……誰か!」


 リリアは、ルイーズは思わず神に祈った。だが皮肉な事に、彼女らの仕える神こそが仲間を惨殺しようとしているのだから、何に縋れば良いのだろうか。


「ええい! せめて片手でも使えたら……!」


 マリウスも必死になって暴れ始める。縛めを魔法で解呪や破壊できないか試す、また試す。


「おのれエルイーザ! 無抵抗の婦女子をいたぶるのが貴様の正義だというのか! 今一度勝負せよッ」


「エルイーザさんよぉ、アンタは乱暴だけど、もうちっと話の分かるヤツだったじゃないか!」


 ソーヤにソガキス、ミーナも力任せに破ろうとする。しかし全てが無駄であった。バグによる拘束は未知なるものであり、彼らの手に負える物では無いのだ。


 そしていよいよ、その時は来た。態勢を整えたエルイーザの眼光は、身の毛もよだつ程に強烈だ。憎悪に染め上げられた瞳が、もはや問答無用と叫ぶようである。


 一方でケラリッサには抵抗の意思が見られない。ただ力の無い笑みを浮かべ、虚ろな視線を前に向けるばかりだ。


「それでは皆さん、さようなら」


「やめてエルイーザ! お願いだから!」


「アタシが消えても、どうか忘れないで」


「ケラリッサーーッ」


 マリウス達は見た。白んじる視界で、触手に襲われんとする少女の姿を。そして彼らは最期の時をその眼で見る事は叶わなかった。


 顔を背けたのではない。眩い閃光が辺りにほとばしり、耐えきれずに目蓋を閉じたのだ。


「これは、何事ですか……!?」


 強烈なまでに明るい。まるで傍に太陽でも出現したかのようだ。マリウス達は痛みと、そして説明のつかない安らぎが宿るのを感じた。


「皆、大丈夫か!?」


「その声は……リーディス!」


 無間の闇から飛び出し、姿を現したのはリーディスだ。彼は全身を金色の光に覆われ、再び戦場に躍り出たのだ。


「本当だ、勇者様だ!」


「あぁ、生きていてくれただなんて……神様!」


 輝きが落ち着きを見せると、誰もがリーディスの健在な姿を目の当たりにした。広々とした室内は直ちに歓声で揺れる。


 その声を背に受け、リーディスは敵と対峙した。抜き放った剣の切っ先を向けながら。


「お前の思う通りにはさせないぞ、エルイーザ!」


「この、クソ野郎が。死にぞこないめッ」


「だったら試してみるか? 本当に死にぞこないかどうかをな!」


 こうして局面は大きな転換点を迎えた。果たして勝つのはリーディスか、はたまたエルイーザか。それを知る者は誰一人として居なかった。


 

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