第5話 幕間2
アクションステージを突破したなら、次は幕間の演劇である。前回の公演ではマリウスの熱演がたたり、プレイヤーに悪感情を煽ってしまったのだが、今回のシーンは果たしてどうなる事やら。
◆ ◆ ◆
王都より北に行けばリンクスという名の田舎町がある。規模は比較的小さく、建物の数もまばらだ。かと言って閑散とはしておらず、行商人や旅人などが訪れるので、それなりの活気に包まれてはいる。傷心のリーディスもフラリとこの町に訪れた。特別な目的など無く、ただただエルイーザとの思い出から逃げたい一心で。
夕暮れに染まるリンクスは、それなりに賑やかだ。生業を終えた職人や商人などは帰路に着く前に、腹ごなしと言っては酒場へ雪崩れ込み、今日という日の労働を労うのだ。
――アッハッハ、もっと飲めよオイ!
――馬鹿野郎が、テメェこそ酒が足りてねぇぞ!
窓から漏れ伝わる光、そして談笑。リーディスには遠いものに感じられる。それどころか見ず知らずの人たちに対して、言葉にならない怒りがこみ上げてきた。
「いい気なもんだ。何がそんなに楽しいってんだ」
八つ当たりだとは本人も理解している。それでも、何かケチをつけねば居られない心境だった。愉快そうな気配が耳に痛い。だから一刻も早く立ち去りたかったのだが、彼の腹の虫が絶叫して足止めをした。それこそ横を通り過ぎた通行人にも聞こえてしまう程に特大のものが。
そこでリーディスはウロウロと徘徊しては悩み、その内もういいやと、ヤケを起こしつつ酒場の敷居を跨いだ。
「いらっしゃいませ、お好きな席にどうぞ」
リーディスは店員の言葉などロクに聞かず、目の前にあるカウンター席の端に座った。うっかりテーブル席につこうものなら、そのうち相席を求められそうな混雑ぶりだ。それだけは何としても避けたかったのだ。
「ご注文は何になさいますか?」
カウンターを挟んだ向こう側からエプロン姿の女が尋ねた。店員に扮したリリアである。
「とりあえず酒。料理はそのうちで良い」
「お酒はぶどう酒、他に麦酒がありますけど」
「麦酒をくれ」
「はぁい、少々お待ちくださいね!」
リリアが過剰なまでの愛想を振り撒いた。鼻歌交じりに麦酒を注ぎ、それを差し出した時などは小首を傾げ、はにかみ顔を見せるという媚び様だ。役柄に徹したというよりは私情が入り込んだだけなのだが、本人にその自覚は無い。
「今日もお疲れ様、存分に楽しんでくださいね」
「……どうも」
注文した酒やグラスが非常に良く冷えているのは、氷魔法による冷却法が用いられているからだ。歩き通しで疲れた体には心地よい冷たさだ。しばらくは両手で感触を楽しみ、それに飽きれば一気に呷る。舌先に走る苦味、腹を貫く冷たさと、みぞおちを掘り返す様な炭酸の蠢き。多少なりとも気が紛れた想いがして、追加の麦酒を要求する。
だが飲めば飲むほど現実の境界線は曖昧になり、記憶が一層強く蘇る。店内で騒ぐ連中の声などは耳に残らないのに、エルイーザが残した最後の言葉は不思議なほど色濃く、鮮やかに脳裏を過るのだ。まるで耳元で囁かれたかのように。
——私の事はもう忘れて。
その台詞を思い浮かべるなり、リーディスは胸中で悪態をついた。勝手な事を。簡単に忘れられるはずが無いだろう。その伝えようのない言葉が、更なる重石となって彼の心にのし掛かる。耐えきれなくなれば酒に手を伸ばす。後に待つのは悪循環。何度も何度も麦酒の注文を繰り返し、杯を重ねた。
「お客さん。ご飯もちゃんと食べてくれないと」
酒に溺れようとしている男に掬い上げるような言葉が降りる。リーディスはその時になって、目の前に2品の料理が出された事に気づいた。
「えっと、これは?」
「お酒ばっか飲んでちゃ体に毒だから。とりあえず食べてみてよ。闇イカのマリネ、ゴルゴン姉妹のペンネ、どっちも看板商品ってね!」
食欲は無い。それでも期待の眼差しに根負けして、マリネをひと摘みだけ口に放りこんだ。
「どう、美味しいでしょ?」
ここは味つけについて感想を述べるシーンである。だが酒を飲みすぎた。演技に勢いがつきすぎた為に不必要な量を飲んでしまい、味覚を完全に麻痺させているのだ。
(やべぇ失敗した。どうしよう)
妙な間が空いてしまう。そうなると焦りに拍車がかかり、リーディスは一層しどろもどろになってしまう。何か言おうと考え込むほどに脳内の語彙データは漂白されていくのは、現実の人間となんら変わりはない。
(勇者様、こちらをご覧ください!)
声のする方へ目を向けてみると、物陰に潜むメリィがカンペを用意してくれた。しかし地獄に仏と安堵したのも束の間。目に飛び込んで来た言葉は、とても口に出せるようなものでは無かった。
——家畜が料理とか笑わせる。黙って出荷を待ってろ豚ロース。
リーディスはすぐに視線を戻し、持ち前の根性で適切な台詞をひりだした。
「美味しいよ。良い奥さんになれると思う」
この言葉はリリアにクリーンヒット。
「やだそんな! お嫁さんにしたいだなんて!」
ちょっと台詞が効きすぎた。体をよじらせ、微妙な聞き間違いを誘う程度には。
それからリリアは、別の卓からオーダーが告げられると、すぐさま仕事に戻った。鮮やかな手並みがリーディスの席からは良く見える。包丁さばきや炒め方など、それらは実に手慣れたものだったが、尚更目を引いたのは独特の調理法である。
「なぁ、君さ。どうして料理人なんかやってんだ?」
リーディスは尋ねずには居られなかった。随所で扱われる魔法が熟練者のそれなのだ。いっそ魔術師になった方が活躍できると思える程に巧みである。
「どうしてって聞かれてもね。好きだからとしか」
リリアは微笑みを浮かべながら答えた。
「宮廷魔術師とか、もっと稼げる仕事があるだろ。それとも何か。酒場の料理人って儲かるのか?」
胸に刺さったままのトゲが、金への執着を強くする。
「別に金持ちになりたくて働いてんじゃないの。皆の顔を見てご覧よ。アタシの作ったご飯を、それはもう美味しそうに食べるじゃない。しかめっ面で来たお客さんも、だいたいは笑顔になって帰っていくわ。そこで『旨かったよ』なんて言われたらね、嬉しくって堪らなくなるの」
リリアは視線を巡らせてテーブル席の方を見た。そこにはエキストラ達が席を埋めており、陽気に『乾杯!』と叫びながら杯を呷っている。今回も配置の都合上、役目を魔物に委ねているので絵面には大きな問題があった。よりによってスケルトンに任せてしまったのだから。
喉骨に流し込むビールも、舌鼓を打つ数々の料理も、全てが胸骨からダダ漏れになっている。一応彼らは『美味い美味い』とご満悦に笑うのだが、どこか説得力に欠けるものだった。
「笑顔になる料理……ねぇ」
「だからね、アナタも帰る頃には笑顔を見せて欲しいわね」
リーディスにリリアのまっすぐな視線が向けられる。邪気が全くないものであるのに、何故か彼は不快に感じられた。胸の奥を掻き乱されて、カッと黒い苛立ちが燃え上がる。やがて激情に堪えきれなくなると、机に金貨を置いて逃げ出した。
「ねぇ、ちょっと! お釣りを返すから待ってよ!」
リリアは店の出入り口まで追いかけるが、闇夜が青年の行方をくらませた。どんなに左右を見渡しても見つからない。足音を確かめようにも店の騒がしさが邪魔をして、遂には足取りを見失ってしまった。リリアの手元に残された1枚の金貨。主人を失ったせいか、寂し気に松明の灯りを照らし返していた。
一方リーディスはというと、店から程なく離れた路地裏をうろついていた。口から漏れる悪態は酷いもので、悪い酒を飲んだと叫ぶようでもある。
「何が笑顔だ。どうせ世の中は金が全てなんだよ!」
通りに積まれた木箱を蹴り飛ばし、それでも気が収まらず、周囲の壁を蹴って回った。やがて足を滑らせてしまい、その場でひっくり返ってしまう。背中を走る痛みによって、ようやくは落ち着きを取り戻した。
空に浮かぶ青い月と独り向き合う。すると荒れた心が萎んでいくについれて目頭に涙が盛り上がり、次々と頬を滴って流れ落ちた。
「最低だな、マジで」
鼻水をすすり、次に大きな咳払いを晒した。周囲に人の目が無い為に騒ぎたい放題だ。
「明日はもう少しいい日に、次の夜はもっとマシな気分で過ごしてぇな」
そう呟いて、ひとしきり涙を流していると、目蓋に重みを感じた。抗いようの無い睡魔がリーディスを襲う。そうして酒の力を借りて眠りに就く事で、荒れた夜に終わりを告げた。
だから気付きようもない。寝入った彼の側に歩み寄る、その微かな足音に。そうして何者かがリーディスの傍で立ち止まった時、不意にシステムメッセージが割り込んできた。
——ロードが完了しました。
リーディスは飛び起きて移動する。リリアは戦闘メンバーにカウントされぬよう戦場マップ外へ駆け込み、それと入れ替わるようにしてマリウスとミーナが開始地点に着いた。
◆ ◆ ◆
「次なる攻略目標はリンクスです。リーディス、ミーナさん。敵を侮る事なく進撃しましょう」
今回もマリウスの台詞とともにアクションパートが開始された。すぐに戦闘の火蓋は切って落とされ、両軍は激突を始める。そんな最中、リーディス隊だけは前進できずにいた。
「おぇぇぇーーッ」
幕間で酒を飲みすぎた。その結果、彼はバッドステータスの1つである『悪酔い』に襲われているのだ。その影響はそこそこ重たく、真っ直ぐ歩けなくなってしまう。画面は歪むし、キャラクターは頻繁に吐いたりするなど、とにかく厄介な状態に陥っていた。
(しくじった。グラスの中身を水にしときゃ良かった……!)
悔やんでも後の祭だ。リーディスは血中アルコール度数を高めたままで戦場を駆け巡らねばならない。
果たしてまともに戦えるのか。ほぼ戦闘不能のリーディスに代わり、マリウス達がエリアボスを倒してしまうのか。そして、いつになれば絵面はキレイになるのだろうか。
懸念される問題は、開始間もなく山積するのだった。
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