第7話 ゴマの告白

 風の吹かない程の深い一室で、青い目をした蟻がゆっくりと目を覚ました。


 体の怠(だる)さを感じながら体を起こしてゆくと、フラつく体に少しの違和感を覚える。


(あれ? 僕は確か、女王様に蟻酸を教えて貰って、それから…)


 大分眠っていたのだろうか、記憶がはっきりしない。アスが部屋の隅を見るとヤンが眠っている。傷は大分塞がってきている様だ。


 そこでようやく、自分が育児室で眠っていた事を理解した。ふと、この部屋で療養中のハズのケマが居ない事に気付いてキョロキョロと見回した。


(あれ? ケマさんは2~3日は療養のハズじゃ?)


 そう思ったアスだが、このままこの部屋に居ても何も判らない為、フラつく体にムチ打って部屋から出て行く事にした。通路を歩いて行くと、途中に有る作りかけの通路で足を止める。奥に誰か居る様だ。


(あそこに居るのは……シシャモ?)


 シシャモはアスの存在に気付いていない様で、掘りかけの壁をただじっと見つめていた。アスが近寄ると、足音にビクリと体を震わせたシシャモが振り返った。


「アス…」


 俯(うつむ)きながら小さくぼそりと言ったシシャモにアスは聞いた。


「なんかさ僕随分(ずいぶん)と眠っていたみたいなんだけど、シシャモは…」


 言いかけるとシシャモは俯いたまま無言でアスの横を過ぎって行ってしまった。

仕方無く、大広間へ向かうと途中で種子を背負ったアロンに遭遇した。


「アス、もう大丈夫なのか?」


 まるで病人の様に聞かれた事にアスは疑問感じた。


「僕はどれくらい眠っていたの? あと、さっきシシャモに会ったんだけど、何か様子がおかしかったんだけど……」


 アロンは少し考えて、種子をアスに差し出した。


「とりあえずこれを食え、2日間眠りっぱなしだったんだ。腹減ったろう?」


 2日間も眠っていた事に驚くアスだが、それよりも食欲が先行していて、アロンから種子を貰うとガツガツと食べ始めた。


「その幼い体で一度に大量の蟻酸を出せば命にも関わるからな。だが、女王様から聞いたが大した威力だったらしいな」


 ガツガツと食べながらも、アロンの言葉に少し照れてしまい、ふと思う。


「こんなにガツガツ食べてるとフトシみたいとか言われそうだね」


 笑顔で言うアスだが、途端にアロンの表情は暗くなりアスから目を逸(そ)らした。そしてアロンは、アスに何かを言おうと顔を向け口を開くが、止めてしまった。


「アス、ついて来てくれ」


 目を逸らしたまま言うアロンに、何か有る事は容易に察する事が出来るが、何も教えてくれない為、何とももどかしい気持ちにさせられたアス。そしてアロンに着いて大広間へ行くと、部屋の隅にシシャモを見つけるが、こちらを見てすぐに卵部屋への通路へ消えて行ってしまった。


「アスが目覚めたらゴマが皆に伝えたい事が有ると言っていた。しばらく此処で待っててくれ。もう少しでハンターの仕事が終わるだろう」


 言われるがままに待っていると、収穫した餌を食糧庫に置きに行っていたオテモが大広間へ戻って来た。


 アスと目が合うとオテモは嬉しそうに言う。


「お! アス、復活したんだな。蟻酸使える様になったらしいじゃん? 良いなー」

「お陰で2日も眠っていたみたいだけどね」

「オテモ、悪いが仕事を終わりにして、シシャモを連れて来てくれるか? 卵部屋に居る筈だ」


 アロンの言葉にオテモが通路へと消えて行くと、程なくしてゴマとケマが帰って来る。オテモとシシャモ、そしてモグが大広間へと入ってくると、アロンが口を開く。


「皆揃ったな。ゴマいつでも良いぞ」

「待って。この話しはヤンにも聞いて貰いたいわ。育児室に行きましょう」

「皆? フトシがまだ戻って無いけど」


 アスが疑問を口にすると、ゴマが「いいのよ」と小さな声で呟(つぶや)くと育児室の方へ行ってしまった。不安を感じるアスだが、首を横に振ると皆の重い空気に引きずられる様に着いて行った。


「うるさくて眠れねーよ!」


 アスが育児室へと戻ると、ヤンが皆に悪態をついていた。まだ全身傷だらけだと言うのに、その余裕ぶりに皆驚いている。


「ヤン! 良かった元気になって!」

「まだ元気じゃねーよ! 昨日起きたらアスが脇で横になってるし、くたばったのかと思ったぜ」


 アスの言葉に楽しそうに反論するヤンに、少し空気が和んでいた。


「アスもヤンも聞いて。大切な話しが有るの」


 ゴマがそう言うと、俯いたままのシシャモ以外は、皆黙ってゴマの目を見つめた。


「まず最初に、アスとヤン以外は知ってると思うけど、一昨日ハンターの仕事をしていたフトシがとあるハリアリによって襲われ、亡くなったわ」


 淡々と話すゴマの言葉に衝撃を受けるアスは血の気が引いていた。悲しみはまだ湧いて来ない。突然の事に頭がついてこないのだ。


 3日前に弱肉強食を知った。自分より前に産まれてきた兄、姉の殆(ほとん)どが亡くなっている事も知っている。マサキの覚悟を見て、自分も覚悟をしているつもりだった……。だが実際に起こった現実を受け止められない。もしかしたら悪い夢、もしくは皆何か勘違いをしているのではと考えずにはいられなかった。


 静まり返る室内で、シシャモは無言で部屋から出ようとするが、ケマが立ちはだかった。


「これからが本題だ、最後まで聞け」


 ケマにそう言われると元の場所に戻って行く。目を見開いたまま驚きの表情を浮かべていたヤンは、いきり立って言う。


「ハリアリって俺を襲った奴らだろ? 復讐しなきゃ気がすまねぇ! ……いてて」

「皆、判っているよ。重傷なんだから落ち着け」


 アロンに宥(なだ)められ、ヤンは渋々引くとゴマは静かに言葉を続けた。


「ハリアリによってヤンは怪我を負わされ、フトシが亡くなった。幼い蟻達には酷(こく)かもしれないけど、無関係ではいられないの」


 すると、オテモがずいっと前に出て言う。


「当然です。無関係だなんて言いません。復讐を……」

「黙って聞け」


 言いかけると、ケマによって遮られる。ゴマはコホンと咳ばらいをすると言葉を続けた。


「ヤン、アス、オテモ、モグ、シシャモ」


 幼い蟻達の名前を呼びながらそれぞれの顔を見遣(や)った。


「これから話す事はあなた達が産まれる一年も前の話しよ」

「私は1年位前に3期生の3番目に産まれたの。その時既に1期生はアロン1匹だけ。2期生は居なかったわ。理由はアロンも女王様も教えてくれないから判らないの」


 ゴマがそう言うと皆一斉にアロンの方を見た。そして、アロンは頭をポリポリとかくと「女王様を1匹にしておくと危険だな」と言って部屋から逃げて行ってしまった。


「まったくもう」


 ゴマがそう言うと、言葉を続けた。


「私達3期生が仕事を出来る様になるまではアロンが1匹でハンターの仕事をしていたみたい。私が最初に与えられた仕事はスイーパーだった。4番目に生まれたケマはハンターの仕事を与えられたわ」

「ゴマさんはスイーパーだったんですか? てっきりずっとハンターかと」


 オテモが聞くとモグもうんうんと頷き、ケマが答えた。


「ゴマは几帳面だからな。ハンターよりずっとスイーパーに向いている。ゴマ自信もスイーパーの仕事が好きだったしな」


 ゴマは笑顔で頷くとケマに答えた。


「そうね。でも、そうもいかなくなって来たのよね」

「そうだな…その頃からハリアリは冬眠から目覚め、近くに住む私達は事あるごとにちょっかいを出されて来たな。幼なかった私達に太刀打ちする術は無く、遭遇(そうぐう)する度に逃げ回っていた…」

「ケマさんでも勝てなかったんですか?」


 オテモが驚きの表情を浮かべて言うと、ケマは少し笑ってみせた。


「当たり前だろ。幼いうちは皆弱い。強さなんて一朝一夕で身につくものじゃ無い」

「それもそうか。しっかしアロンのハンターやってる所も見てみたいよな? ちゃんと出来るのかな」


 オテモが悪戯(いたずら)っ子みたいに笑いながら言うと、ヤンはフンと小さく笑った。ゴマの話しは更に続く。


「アロンは、私達が仕事を始めると直ぐにハンターの仕事を辞めてスイーパーになったわ。本来なら歳をとった者がハンターをやるものなのだけど何故かそうなったの。それでも日差しの照り付ける様な暑い季節まで、ハンター4匹、スイーパー3匹で頑張ってきたわ」


 そこまで言って、一呼吸置くと徐々に表情が険しくなってゆく。


「ある日の事。ハンター達は仕事の為に外へ出て、私は同じくスイーパーだった牝蟻のウニと一緒に、卵部屋で14個の卵を磨いていたわ。そしたら突然、入口の方から叫び声が響いてきたの。

『ハリアリの集団が直ぐそこまで来ている。何が何でも女王を守れ』ってね。何事かと思って大広間へ行くと、ハンターの牡蟻ショウユが傷だらけで倒れていたの。私とウニは慌ててショウユに駆け寄ったわ。

その後直ぐに女王様とアロンも来て、女王様の指示でアロンが外の様子を見に行ったの」


 アスはゴマの話しを聞きながらも意識の中で気持ちを落ち着かせようと必死だった。共に生まれて来た家族で有り仲間で有ったフトシとの永久の別れに、気持ちの切り替えや覚悟など出来ようハズも無い。


 だが今ゴマが話している事は自分の為、亡くなったフトシの為、回りの皆の為に聞いておかなくてはならない事は判る。真っ直ぐにゴマの目を見つめ、ゴチャゴチャした脳内に聞こえてくる一言一言を整理していた。


 皆の胸中に様々な思いが有るのを感じながらゴマは話を続けた。


「アロンが巣から出ていってすぐ女王様と怪我を負っていたショウユには食糧庫に隠れて貰ったの。それからしばらくして、1匹のハリアリが巣に侵入してきた……」


 場の空気の重さか緊張の為か、オテモの触角は後ろにピンと立ち、恐る恐る口を開いた。


「そ…それで、女王様はやられちゃったんですか?」


 オテモの言葉にケマはため息混じりに言う。


「アホか?今生きてるだろ」

「あ、そうか」


 オテモ達のやり取りを気にする素振りも見せず、ゴマは憎しみに震わせた声で話し続けた。


「現れたハリアリから巣を守る為、ウニと一緒に必死で戦った。でも、手も足も出なかった…。私は……目の前で倒れていくウニを見てる事しか出来なかった…」


 ゴマの告白を聞いたシシャモは、俯(うつむ)いていた顔を上げてゴマを見ると、その瞳には水滴が見えた。


 ドクンとシシャモの鼓動が脈打つと、「見ている事しか出来なかった」という言葉に何かを思い出した。しかし、シシャモの闇は消える事無く、また俯(うつむ)いた。


「その蟻によって、せっかく女王様の期待を込めた14個もの卵も全て駄目にされ、私も覚悟を決めた。だけどハリアリは突然何かを感じ取ったのか、何処かへ行ってしまったわ。

それから暫(しばら)くして、アロンとケマが帰って来たの。そしてケマは言ったわ『ハリアリの進行は食い止めた。だがハンター二匹は亡くなった』と……。

私は誓(ちか)ったわ。残されたこの命でハンターとして成長して仲間達の敵を討とうって」


 俯(うなず)くゴマに重い空気を感じながら、ケマは目を細め言う。


「そのハリアリの名前は『ザンギャ』ハリアリのナンバー2だ」


 突然発せられたケマの言葉に大きく目を見開いて驚くゴマ。


「随分前から知っていたが言わなかった。仇(かたき)はそいつだけじゃ無いからな」

「ケマ…。そう、ザンギャね。昨日フトシを襲った奴がそのザンギャだったの。仲間の仇を打てないどころか、また…」


 やり場の無い怒りと悲しみに駆られるゴマへオテモは力一杯に答えた。


「ゴマさん! 俺もやるよ! 俺もフトシの敵を討ちたい」

「俺もこの傷の恨みを晴らさないと気がすまねぇ」


 オテモの意気込みに便乗する様に答えたヤン。幼い蟻達に元気を貰ったのだろうか、笑顔を見せたゴマ。そして更にアスも気持ちを載せ様とする。


「僕もフトシの、か…かた…」


 …が、声にならなかった。仇の名前がはっきりした事によりフトシの不幸を確信した為だろうか、脳裏に浮かぶフトシの記憶。


『ご飯だあぁぁぁー!!』

『覚える事が一杯だぁ』

『スイーパーって大変だね。』

『あっ! アス良いところに』

『なになにイメチェン?』

『アロンに怒られるんじゃない?』


 涙が止まらないアスに皆も同調する様に、悲しみと敵への怒りで一杯になると、モグが駆け寄り心配そうに背中を摩(さす)った。


 幼い蟻達は仕事4日目にしてハリアリによる2度目の襲撃と初の不幸に晒(さら)される事となった。このままだと、第3、第4の犠牲者が出る事は明白で有った。


 緊迫(きんぱく)して淀(よど)んだ空気がチョコファミリーの間に流れていた。


 ゴマの告白はそこで終わり、フラフラと部屋をあとにしたシシャモ。


 ケマにハリアリについて知っている情報を聞き出そうとするゴマ。


 トレーニングだと言って巣中走り回るオテモに「うるせえ」と悪態(あくたい)をつくヤン。


 瞳を潤ませてアスを見つめるモグ。


 少ししてアスは泣き疲れると、その場にゴロリと寝転び、眠らず時間を過ごした。


✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝


 ――そして、皆が寝静まり、外が闇に包まれると、アスは覚えの有る感覚に体を持ち上げた。


「またこの感覚……?」


 アスは育児室から大広間へと体を運ぶと、アロンの姿が無い事に確信を深め、外への通路へ向った。


 聞こえてくる覚えの有る声にまた来ていた事を確認すると、迷いの無い目で引き返す。アスは育児室まで戻らず、作りかけの通路で足を止めた。


 二日間も放置していた掘りかけの壁に僅(わず)かに懐かしさの様な愛着を感じると、真夜中だというのにも関わらず、覚えたての蟻酸を慣れないながらも前回程の勢いの無い様に抑え、一心不乱に掘り進めてた。


 やるべき事が増えた――。


 しかし、新たに出来た目標を叶える為には自分は力不足だ。


「ザンギャ……」


 そう呟(つぶや)いたアスは掘り進める牙に更に力を込めた。

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