第8話 シシャモの葛藤

 フトシの一件以来ふさぎ込んだまま仕事にも行かないシシャモは、ただため息ばかりの毎日を送っていた。


 ファミリーの何名かは何度かシシャモの闇を取り払おうと試みるが、全く聞く耳を持たなかった。


 そして何度目かの朝が訪れると、その日のチョコファミリーは少しばかり様子が違っていた。朝から大広間でハンター達を見送るアスとモグ。外からかすかに差し込む光に照らされたヤンは、ハンターとしての仕事を再開した。


「今日も平和だと良いねー」


 仕事に戻りながら和やかに口にするアス。


「そうだねー」


 返す言葉に柔らかさを含み、モグは笑顔で答えた。あれから懸念されていたハリアリからの攻撃も無く順調に餌をたくわえていたチョコファミリー。しかし、その平和を嵐の前の静けさと感じていたのはアスだけでは無いはず。


 そして、もう一つ気になるのがシシャモの事。


 そんな不安を振り払う様にアスは穴掘りに没頭し、その間ゴミ捨ての当番はアロンが代行していた。巣中のゴミを手慣れた動きで集め、餌の運搬まで瞬く間にこなしていく姿に関心するモグ。


「アロンってホントに器用だよね」

「スイーパーを始めて1年になるからな」


 と返って来た言葉に、それまでの3年間ずっとハンターをしていたのかなと考えたモグ。


✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝


『ケマさん、俺に戦い方を教えてくれ』

『構わないが、怪我人で有っても甘くは出来ないぞ』

『それでも良い。こんな怪我全然痛くねぇ』


 久しぶりに外へ出たヤンは数日前の出来事を思い出していた。吹き抜ける風にヤンの触角がパタパタと揺れ、流れる雲をじっと見つめていた。


 突然、ヤンは真上に跳躍すると雲を掴もうと前足を前に出す。3センチ程跳んだだろうか。


「へっ、こんな力じゃハリアリには勝てねぇな」


 着地したヤンの言い捨てた言葉には怒りが込められていた。


 心に有るのはハリアリへの復讐。誰の為でも無く自分の為。長い時間痛みに耐え続け、せいにしがみつけたのは「復讐」の為だ。思いにふけっていると、すぐ側にヤンの3倍程の大きさをした虫が居た事に気付く。


 丸く盛り上がった背面にはメタリックに黒光りした甲羅が何枚も連なっていて、その下から伸びる14本の足は6本の足しか持たない蟻には異形に見える。

しかし、以前食べた餌の形と一致した為驚きは殆ど無い。


 その虫はヤンの存在に気にする素振りも見せず黙々と落ち葉を食べていた。


「ダンゴムシか、俺の初めての相手には調度良いかもな」


 言い捨てると、背後を取ろうと回り込む様に動いた。ダンゴムシの背後を取ったヤンは勢いよく丸い背中に牙をたてる。…が、硬い甲羅によって守られた体に牙を通す事は出来ず。それどころか、衝撃に驚いたダンゴムシは名前のごとく球状にまとまると一切の動きを止めてしまった。


「か、かてえ! 牙が全く通らねえ」


 丸い虫の前で考え込むヤン。餌で食べたダンゴムシはここまで固く無かったハズ…。


「ケマさん達はどうやって倒したんだ!?」


✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝


「ずいぶん掘ったし、そろそろ部屋を作っても良いのかな」


 掘った土によって体中泥だらけになりながら一息ついたくアス。アロンに聞いてみよう。そう思うと自分の掘った長い通路を引き返していった。大広間に入ったアスは餌を運んでいるケマを見つけた。そして食料庫へ向かうのを見届けると、とある考えが脳裏を過ぎた。追い掛ける様に通路へ入ると、ケマと鉢合わせとなった。


「わ…わわ…」


 驚きの余り思わず変な声を出してしまった。


「何だ?」


 つんと空気を尖らせ、手短かに答えたケマ。


「何で分かったんですか」

「触角の感覚を常に張り巡らせているからな、同じ部屋に居る者位なら直ぐに気付く」


 流石はケマさん! と関心するアスはとある思いを口にした。


「ケマさん、僕に戦い方を教えてくれませんか?」

「何だ? スイーパーは強くなる必要無いんじゃ無かったか」


 わざとらしく意地悪に答えたケマに返す言葉が出ない。


「冗談だ。しかし残念だが仕事をしながら何匹も教えられん。アロンにでも教えて貰うんだな。最も、あいつは教えるのは苦手らしいが」


 話しの中に引っ掛かりを感じるアス。それに気付いたのだろうかケマは言葉を続けた。


「ヤンの強くなろうとする執念は相当なものだ、教えていく中で光るものを感じた」


✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝


「開け!!」


 叫んだヤンは牙でダンゴムシの体を挟むと、力任せに持ち上げた。そして、その牙を離すと同時に前足を軸にくるりと回りお尻をダンゴムシの身体にぶつけた。以前ゴマがハリアリに繰り出したのと同じ技だ。空中で軌道を反らされ横向きに落ちたダンゴムシは思わず体を開き、腹をヤンの方へと向けて倒れ込んだ。


 ここぞとばかりに覚えたての蟻酸を繰り出そうと上体を上げ、体内で蟻酸を練り込む。


 ――ぴぃぴぃ。


 突然聞こえた小さな泣き声に、目を奪われたヤン。ダンゴムシのお腹の下に有る小さな袋から白くて小さなダンゴムシが顔を覗かせていた。


 ――ぴぃぴぃ。


 しばしの静観の後、ヤンは静かに上体を下ろした。蟻酸の準備が出来た為だろうか下腹部が熱い。


(何をためらっているんだ俺は……)


 そうこうしている間にもダンゴムシは体を起こし、ノソノソと逃げるようにヤンから離れて行った。


「弱いなぁ俺って……」


 ボソリと呟く。確かに弱肉強食の世界においては弱いと言えるかもしれない。しかし、その心の強さをヤンは知らない。顔をプルプルと横に振ると、次の獲物を求めて駆けて行った。


✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝


 ケマに断られたアスは諦めてアロンを探しに卵部屋へと向かった。


『強さには色々有る。戦いに強いだけの奴にはなるな』


 ケマの言葉は難しい。そう思いながら通路を歩いて行くと、部屋の方から話し声が聞こえて来た。


「あなたは立派に立ち向かったじゃない。何をそんなに気にしてるの?」


(あれは、ゴマさんとシシャモ……)


 背を向けたままゴマの方を見ようとしないシシャモ。


「僕がもっと早くハリアリに立ち向かってればフトシは助かったかもしれない……」

「『かもしれない』だけでしょう? でも貴方もやられてた『かもしれない』のよ?」

「でも……」

「ハリアリはそんなに甘い相手じゃ無いのよ。

勝ち目の無い戦いならヘルプを出して待つか、逃げるのが定石(じょうせき)。

貴方は立派に自分のやるべき事をやった。それに私を助けに来てくれたじゃない?」

「ゴマさん……」


 そう言うと振り返るシシャモ。しかし顔はうつむいたまま地面を見つめていた。


「貴方の気持ちは十分理解しているわ。私も同じだから」


 聞くと同時に、胸の中に熱い思いが込み上げ、顔を上げたシシャモは、ゴマの瞳から一粒の滴が落ちるのを見た。シシャモは体中に電気の流れる様な痺(しび)れを感じていた。


 ――そうだ、ゴマさんも一緒なのだ。

 ――出来る事ならハリアリに立ち向かって仲間を助けたい。

 ――しかし、また同じ立場に立たされた時、一歩を踏み出す事が出来るのだろうか。


 自分自身への葛藤に頭を悩ませるシシャモに、ゴマは笑顔を作ると。


「無理しなくても良いから、貴方のペースで頑張って」


 ゴマの見せる笑顔に、アスはケマの言っていた強さを少しだけ理解した気がした

シシャモの事が心配だが、あまり盗み聞きするのも悪いと考えたアスは、来た通路を引き返して行った。


「私は仕事に戻るけど、シシャモはどうする?」


 ゴマの質問に、小さく首を横に振ったシシャモ。


「そう……余り考え過ぎない様にね」


 そう言うと、ゴマは部屋から出て行った。卵部屋に一匹で佇(たたず)むシシャモ。ふと横を見ると、4つの卵が有った事に気付いた。


「いつの間に増えたんだろう」


 と言うと、そのうちの1つを前足で持ち上げた。シシャモの目は少しばかり虚ろになっていた。


(あの時見た、まぁるくて光り輝く石はこれくらいの大きさだったかな……)


 トクン、トクン――。


 シシャモの前足に卵の僅かな鼓動が伝わると、我に返り不思議な感覚に襲われた。

 それは以前、とある石を見た時とはまた違った感覚。これから産まれてくるで有ろう生命の鼓動こどうに言い知れぬ感動を覚えていた。


✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝


(居ないなぁ、残るは女王様の部屋かぁ。前に巣の探険して以来だな)


 久しぶりの女王の部屋に浮足うきあし立つアス。途中大広間で種子を運ぶオテモを見かけるが、忙しそうだった為声はかけ無かった。


 女王の部屋に着くと、アロンの話し声が聞こえて来た。


「…丘エリ…サムライアリと…」


 断片的に聞こえて来る声に構わず部屋へ入ると、女王特有のフェロモンの良い香りがしてくる。


「アス!!」


 相当驚いたのだろうか、触覚を立たせたアロンの声が響く。


「どうかしたか?」


 気を取り直して言ったアロン。ピンと立っていた触角も元に戻っていた。


「新しい通路を大分掘ったと思うんだけど、そろそろ部屋を作っても良いのかなぁって」

「穴掘り良いなー、楽しそうで。部屋作りが最後の醍醐味なのよね」


 瞳を輝かせて楽しそうに言った女王に、アロンは小さくため息をつくと、ふと思う。


(まだ掘り始めてそんなに経っていなかったハズだが)


「見てみよう。女王様、話の続きはまた後で」


 そう言うと部屋を後にするアロン。


「アス、休息もちゃんと取るのよ?」


 よく見ればアスの体は泥と傷だらけ。笑顔で頷いたアスは、アロンの後に着いて部屋を出た。


 そして、新たに作られた通路を歩くアロンは、一歩前に進む度に驚きが増した。


 幼いアスに穴掘りを教えて数日、まさかこの短期間でこんなにも深く、綺麗に掘れるとは思っていなかった。壁に前足を添(そ)わせるアロン。


(蟻酸による加工も良く出来ている)


 殆どの時間を穴掘りに費やし、努力を怠らなかった成果がそこには有った。

ようやく奥まで辿り着くと、アロンは口を開いた。


「十分だ。部屋を作ろう」


 笑顔で小さく頷くアス。アロンと共に部屋作りが始まる。

ゴミ捨て部屋を作る為に、前へ、横へ、上へ、下へと掘り進めて行く2匹。


 一心不乱に掘り進めるアスはアロンの無駄の無い素早い穴掘りに、少しばかりの対抗意識を燃やした。


(アロンって年寄りなのに何であんなに素早く動けるのかなぁ)


 心の中で失礼だなと感じつつも思ってしまった事実。気になってアスは口にした。


「アロンは穴掘り結構やってたの?」

「ん? 前にも言ったが、女王しかやった事は無い。初めてだ」


 アスは掘る足を止めるとアロンを見つめる。


『アロンって何でもすぐ出来ちゃうんだけど、教えるのは下手なのよね』


 過去に女王から聞いた言葉を思い返し、なるほどなと納得していた。掘る足を再び動かしたアスは、ちらちらとアロンの掘り方を盗み見ては真似をし、より早く、より工夫を凝らしていく。部屋が完成すると、今まで大広間に貯めていたゴミは全てアロンとアスによってゴミ捨て部屋へと運び込まれた。


 新しく作られた部屋は大広間に次いで広かった。これは大量のゴミに対応出来る様にだろう。そこはゴミが山になっていて汚かったが、アスにとっては特別な場所となった。自分自身の努力と苦労によって、長い時間をかけて作り上げた初めての部屋なのだから。言い知れぬ達成感を覚えるアスは、大きく深呼吸をした。


 以前掲げた、この穴掘りに見出だした『3つの目的』。


 アスはゴミ捨ての仕事を再開しつつも2つ目の目的を実行しようとしていた。

毎日巣中のゴミをかき集め、ゴミ捨て部屋へと運んで行く。そして、仕事の合間を見計らいゴミ山の裏側にアスは穴を掘り始めた。もちろん、そんな指示は受けていない。アスの独断だ。新たに掘った通路は他の通路とは作りが明らかに違う。それは目的の違いによるものだ。ただ自分一匹が通れれば良いだけの狭く荒い通路。何故かそれは上向きに掘られていた。無駄をぎりぎりまで省いた事により、瞬く間に掘り進められていく。


 そして翌日……。


 各部屋の掃除をするアスが卵部屋に着くと、一匹の蟻の後ろ姿が目に入る。

声をかけ様か悩んだあげく。


「シシャモ、何をしてるの?」


 ビクりと弾んだ体が振り返ると「アス」と小さく呟く。以前程顔色は悪く無い様だ。シシャモの見てた物が気になって、横へと並ぶ。するとそこには大きさのまばらな4つの卵が並べて置かれていた。


「最近2つ生んだみたいなんだ、こっちの少し大きくなってるのが前に皆で見た卵だよ」


 久しぶりにシシャモから話しをしてきた事に違和感の様な驚きを感じたアス。

しかし、その話している顔に少しばかりの笑顔を見ると、嬉しさが込み上げて来た。


「シシャモは卵を見てるのが好きなの?」


 何か変な質問をしたかなと思いつつも切り出したアスに、シシャモは卵を見つめていた顔をそのままに答えた。


「見てるのが好きって言うか、これから少しづつ大きくなっていずれ生まれてくるだろう?そしたら生まれて来た弟や妹達も同じ様に笑ったり、悲しんだり、悩んだりするんだなって思ったら何だか凄いなって」


 言いながらニコリと笑って見せたシシャモ。


「そうか、フトシはシシャモの唯一の弟だったから……」


 言ってから、しまったと思い慌てて口を閉じた。


「大丈夫、もうそんなに落ち込んで無いんだ。ただ、フトシがやられてる所を助けに行けなかった事実は変わらない。

今度、女王様に頼んでスイーパーにしてもらおうと思うんだ」

「シシャモはそれで良いの?」

「うん、また同じ様な事が有っても一歩を踏み出せる自信が無いんだ。

そんな奴がハンターをしててもまたフトシの様に……」


『シシャモが頑張って餌をとって来ないと、新しく産まれてくる子は育たないね』


 シシャモの脳裏に突然思い返されたフトシの言葉。笑顔の瞳から涙が滲(にじ)んだ。くるりと体ごとアスの方へと向きを変えたシシャモの顔は、悲しみによって

くしゃくしゃになっていた。それでも笑顔を作ってみせる。


「アス、僕フトシの仇を打ちたいよ」


 振り絞る様に言ったシシャモの言葉には本心だけが込められていた。


「よし、じゃあハリアリより強くなろう」

「え?」


 突然言い放たれたアスの言葉の意味を理解出来ず、思わず疑問の声を出してしまった。


「僕達は弱い。だから怖くなるし逃げ出したくなる。だったら強くなれば怖く無くなるでしょ?」


 再び言い放ったのは頓狂とんきょうな言葉だが、シシャモの心は少しばかり満たされていた。


 シシャモは前足で涙を拭き取ると楽しそうに答えた。


「それもそうだね。強くなれば良いんだよね」


 無理矢理な理屈りくつに便乗して納得したシシャモはアスと共に笑った。


「卵の観察でもしながら、もう少し考えてみるよ」


 と笑顔で言うシシャモに、アスはうなずいて部屋を出た。


 通路を引き返して行くと、ピクピクと小さく反応を示す触角。アスには覚えの無い感覚で有った。一つ一つ歩を進める度に訪れる不安。もう少しで大広間という所で、突然触角が前方に向かってピンと張る。ゆっくりだった歩を強め走り出す。


(間違い無い侵入者だ、でもこの数は……)


 まがまがしい匂い。それが一つでは無い。匂いの元凶(げんきょう)が大広間へと飛び込むと同時に、想像しうる最悪の事態が展開された。


 大広間から外にかけての通路。そこから3匹の成熟した蟻が飛び込んで来ると、計画でも立てていたかの如く扇状おうぎじょうに別れていった。そのうちの1匹が真っ直ぐにアスの方へ駆けて来ると、勢いに圧倒されたアスは思わず後ずさりした。


 何せ以前侵入して来たマサキとはまるで違う、自分より一回り大きな蟻が敵対心剥き出しで駆けて来るのだ。戦うべきか躊躇ちゅうちょしている間に、侵入者はアスのすぐ側まで来ていた。


(戦わなくちゃ)


 はち切れそうな程の早い鼓動を、仲間を守らなくてはという強い意志で抑えつけると、腹部に力を込めた。練り込まれていく蟻酸の渦。迫って来る蟻に向けて上体を上げる。


(いまだ!!)


 心の中で叫ぶと同時に下腹部に力が入る。しかし……焦りからで有ろうか、練り込まれた蟻酸は容易には出てくれない。慌てるアスのがら空きになった体へ、勢いよく飛び込んで来た侵入者。その体当たりの衝撃によってアスは後ろの壁へたたき付けられてしまった。全身に痺れの様な痛みが走ると、力が入らず、ずるずると倒れ込んだ。


 何も出来ず霞んでいく視界の中、侵入者が卵部屋への通路へ消えて行くのが見えた。


一一ドクン、ドクン。


 卵部屋の隅で卵を背にして震えるシシャモ。その目は唯一の出入り口で有る通路を見つめていた。ついさっき嗅ぎ付けた匂い。それは覚えの有る匂いに似ていて、恐怖を更に駆り立てた。


 突然、シシャモの体がビクリとはねて目が見開く。侵入者が視界に飛び込んで来たのだ。


(あの時の奴じゃない……だけどこの蟻は……)


 その侵入者の姿は以前見たハリアリとそっくりで有った。お尻にハリは見えないもののハリアリだと確信し、足に力が入らない程に震えが強くなる。


 ハリアリの目が部屋の隅でたたづむシシャモの姿を捕らえると、笑みを浮かべ、素早く近付いた。


 動揺するシシャモの目の前まで迫ったハリアリは、横から顔をしゃくり上げ、シシャモの体を勢いよく投げ飛ばした。


 少し離れた場所に落下したシシャモはゴロゴロと転がって倒れこんだ。倒れたまま畏怖いふの目でハリアリを見つめたシシャモ。するとハリアリは、倒れたシシャモから顔を背けると、4つの卵が置かれた場所まで進んだ。そして、その中でも1番大きな卵をひとつ牙でくわえた。


 ――まさか。シシャモの脳裏に浮かぶ、最悪の事態。


 次の瞬間『グシャリ』と耳に残る様な湿った音が部屋中に響いた。


 シシャモは声にならない叫び声をあげた。


 守りたいものを守れない、守ろうとすらしなかった自分が悲しくて、涙が溢(あふ)れ出す。


 あの時の、一歩を踏み出せた勇気がもう一度欲しい。そう強く願うと、力が入らず立ち上がる事の出来ない6本の足に無理矢理力を込めた。そしてシシャモの事など気にも止めず、潰れた卵を投げ捨てたハリアリは、再び別の卵へと牙を向けた。


 突然ピクリと動くハリアリの触覚、つまらなそうに振り向いた目の先には、フラついたアスの姿が有った。


「アス……」


 シシャモがそう口にすると、アスは体中の痛みを押し殺す様に牙をギチギチと噛み締めた。目の前に立ちはだかるのは明らかな格上の相手。それでも青い目で真っ直ぐに敵を捕らえると、勢いよく駆け出した。体をかがめ待ち構えたハリアリは、アスがすぐ目の前まで迫ると足に力を込め体ごと前へ突き出した。鋭い牙がアスに迫る。そう来る事を予測していたアスは前方へと跳びはた。ハリアリの牙を紙一重で避けると、背中の上に着地した。


 以前ケマがマサキにやった事を見よう見真似でやったのだが、乗るまでは上手くいった。…が、思いの他足場が悪く、必死にしがみつくもハリアリは体を激しく揺さぶり、アスは地面へと弾き飛ばされた。


 不適に笑うハリアリ。お尻から鋭くとがった針を出すと、身動きが上手くとれないアスに向かって振り下ろした。目前まで迫った鋭い針に、アスは思わず目を潰る。


 しかし……。


 いつまでも振り下ろされない毒針に恐る恐る目を開くと、ハリアリのお尻を必死に牙で押さえ込むシシャモの姿が有った。


 驚きを声に出そうとしたアスだが、シシャモの勇気を無駄に出来ないと感じると、すぐさまハリアリの首へと牙を立てた。しっかりと首元に食い込ませた牙にアスは出来る限りの力を込める。


 痛みにもがくハリアリは激しく暴れ出すと、首を挟んだアスをそのままに壁に向かって突進とっしんを繰り出した。それでも牙に力を込め続けるアスは、鈍い音と共にハリアリと壁に挟まれてしまった。


 アスの牙がハリアリの首から離れると、ずるずると床へ落ちた。しかしまだ意識は有った。そうはさせまいとハリアリのお尻をシシャモが引っ張り続けた事で、致命傷は避けられた様だ。


 首元の軽くなったハリアリは体を横に反らすと、ずっと張り付いていたシシャモに噛み付き邪魔だとばかりに放り投げた。そして、倒れ込む2匹を見下しフンと小さく笑ってみせたハリアリは振返ると、卵へと牙をのばした。


 すると、ハリアリの体がビクリと跳ねる。倒れたハズのシシャモが再びお尻に噛み付いたのだ。


「卵は……やらせない!!」


 体中ボロボロのシシャモが言い放った言葉には深い想い、そして勇気が込められていた。怒りの表情でシシャモを睨みつけたハリアリは、牙でシシャモを切り刻み始めた。卵を助けたい想いもむなしく、手も足も出ないシシャモ。そして、そのかたわらには体が言うことをきかずうずくまったアス。


「アス! シシャモ!」


 通路の方から聞こえて来るケマの声。卵部屋に飛び込んで来ると直ぐにハリアリへとせまった。ハリアリも相手が強いと察すると意識半ばのシシャモを横へと放り、体をかがめ構えた。


 アスの時と同じ様に、迫るケマへ体ごと牙を前へ突き出したハリアリ。しかし、ハリアリよりも更に体を低く下げたケマは首元へと食らいついた。アスの牙の比では無い程の強い力で締め付けられ、力づくで持ち上げられたハリアリはお尻の針をケマへと走らせる。


 ブシャアッ!!


 突然、ケマの腹から噴き出された蟻酸によって、ハリアリの鋭い針と腹部はみるみるうちに溶けてただれていく。ひび割れた絶叫ぜっきょうが室内に響くと、やがて静かになりハリアリは動かなくなった。


 ケマの底知れぬ実力にゾクリと背中を震わせたシシャモ。そして、安堵あんどからかアスの意識はゆっくり閉じていった。


✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝



 アスが目覚めたのは翌日。


 起き上がろうとするが、全身に走る痛みに顔をゆが)ませて、止めた。


「ここは……」


 見渡すとそこは見慣れた場所。横には3つの卵。そして卵を見つめるシシャモの姿が有った。見るからに痛々しい傷痕きずあとを体中に残したシシャモ。彼もまたアスと同じく重傷で有ろう。


「シシャモ」


 そう呼び掛けたアスの声に振り返ったシシャモは、みるみる笑顔になっていった。


「アス、良かった。中々目が覚めないから心配したよ」


 2本の触角の間に刻まれた右上から左下へかけての傷痕のせいだろうか、アスの瞳に映ったシシャモは妙にたくましく見えた。


「シシャモは元気そうだね。痛くないの?」

「そりゃ痛いさ、アスみたいに動けない程じゃないけどね」


 楽しそうに話すアスとシシャモ。しかし、あの時ケマが助けに来なかったら、今こうして笑って居られなかっただろう。そしてふと思い出して慌て出したアス。


「そういえば、襲って来た蟻は3匹だったハズ、他の2匹はどうなってんだろ?」

「え? あの1匹だけって聞いたけど」


 アスの言葉に否定の言葉を口にしたシシャモは首を傾げた。

気にはなったアスだが、まずは動ける様にならないと何も出来ないなと溜め息をはいた。


「僕さ、この傷が治ったらまたハンターやるよ。これから生まれてくる弟や妹達の為に餌を一杯集めるんだ」


 その瞳に宿る光りは言葉と共に力強かった。アスもまた、負けてられないなと、青い目を輝かせた。


「そうか、それは良かった」


 通路から現れて、少しばかり皮肉気ひにくげに言ってみせたケマ。目を細めニヤついていた。体が動かせないアスは、ケマの姿が見えなかったが、匂いと声で直ぐに分かった。ケマの元へと歩みよったシシャモは、言うまいか少し悩んで口を開いた。


「ケマさん、僕に戦い方を教えてくれませんか?」


 考える事は同じだなとアスが小さく笑うと、ケマは溜め息混じりに答えた。


「アロンってホント信用無いんだな、最もあいつは自業自得か。

良いだろう、今ヤンに教えてる所だ。それが終わったら教えてやる」

「ありがとうございます!」


 快活かいかつした言葉で答えたシシャモ。それを聞いたアスは慌てて口を開く。


「え、僕は?僕には無理って言ってたのに」

「お前は私が教えなくても強くなるから良いんだよ」


 ケマの言った意味が理解出来ず、不公平だ! と心の中で強く叫んだアス。それから少しして、アスはふて寝した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る