第6話 茜色の空に響く声

 チョコファミリーの大広間に佇む2匹の蟻。


 モグは少し前に仕事の為、女王の部屋へと向かっていった。そして初めての実戦を終えて心臓の音を強く感じるアスは、その興奮と自分の思いをアロンに伝えた。


「アロン僕はマサキより強くなりたい。もっと強くなって仲間を守りたい。だから蟻酸(ぎさん)を教えて欲しいんだ」

「そうか。それなら丁度良い。さっきアスが言っていたゴミの件だが」


 アロンがそう言うと、アスは侵入者の事で頭が一杯で有った事に気付き、自分の提案(ていあん)の事を思い出すと、瞳を輝かせてアロンを見た。


「女王様の命により、ゴミ捨て部屋を作る事になった」


 と言うアロンに、またまた期待を裏切られてしまった。だが同時にアスの脳裏に疑問が残る。


「それと蟻酸と何の関係が有るの?」

「穴掘りってのはな、まず前足で掻き分け続けるから足が鍛えられる」


 聞きながら、うんうんと頷(うなず)くアス。


「そして硬い土は牙で砕(くだ)く必要があるから牙が鍛えられる。更に、新たに掘った土からは菌が湧くから蟻酸で消毒し、蟻酸の練習にもなる」


 穴を掘る行程で、それだけの効果が有る事に思わず感心するアス。だが実のところアロンが思いつきで言っただけで、そんな効果が有るのかは定かでは無かった。


「よし! 早速始めるぞ!」


 意気込んで言うアスは決して母の事や外に出たいという思いを忘れている訳では無い。戦いの後の熱い思い。そして同じ位の歳であるマサキの背負っているものを目の当たりにして、自分はこのままじゃいけないと感じていた。


 アスが大広間のゴミ山の横に穴を掘ろうとすると、アロンが慌てて止めに入った。


「待て待て、ここに掘るとは言って無いし、まだ蟻酸出来ないだろう?」

「あ、そうか」

「穴を掘るのはこっちだ」


 誘われるがままに着いて行くと、その途中アロンがこんな事を言った。


「大広間は各部屋への通路が多過ぎるからな、これ以上部屋を増やすと脆くなってしまう危険が有る」

「じゃあ何故、大広間に一杯作ったの?」


 アスの質問にアロンはため息混じりに答えた。


「今まで巣作りをしてきたのは女王様だ。あの方はあまり細かい事は気にしない性格だからな。気が付いた時は大広間に穴だらけだ。暇さえ有れば楽しそうに掘っておられたな……」


 妙に納得していあアスにアロンは言葉を続けた。


「まぁ、そういう所も女王様のみりょ……」


 言いかけながらコホンと咳ばらいをするアロンは少し顔が赤い様だ。

そしてアロンはとある場所で足を止めた。そこは大広間と育児室の中間にあたる場所だ。


「さて、これからアスに蟻酸の出し方を教える」


 アスは真っすぐにアロンを見つめた。その顔は真剣そのものだ。


「……とは言え元々蟻は本能的に蟻酸、ヘルプフェロモン、道しるべフェロモンを使う事が出来る。だから教えずとも必要で有れば自然と身に付くものだ。例えばオテモやヤンは教えずともヘルプフェロモンを出す事が出来ただろう」


 アロンの言葉にアスはヤンがヘルプフェロモンを使えるという事実に疑問を抱いた。恐らくアロンの勘違いだろうと考え、気にしない事にした。


「アス、腹の調度下あたり、今までに熱いものを感じた事は有るか?」

アロンの質問に、アスはふと気付いて答えた。

「う……うん。マサキと戦ってた時からずっと下腹部が熱い」

「それが蟻酸の元になるものだ。後はそれを力一杯放出してみろ」


 アロンに言われるがままに体を壁に向け、腹部に力を混めた。…が、何度力を入れた所で何も起きない。それどころか疲労からか腹部の熱は次第に消えていった。

上手く出来ずうなだれるアスにアロンが言う。


「いきなり出来るもんじゃ無いからな。得手不得手も有るし時間をかけて覚えてくれれば良い。消毒は後で俺がやるから掘る事にだけ専念しててくれ。」


 そう言うと、アロンはアスの背中をポンと叩いた。アロンに言われるがまま穴を掘り始めたアス。前2本の足で器用に掻(か)き分けてゆくと、土の表面とその奥とでは土の質が違う事に気付いた。例えるなら掘る前の土は硬く壁として安定した形をとっていたが、掘った先に有る土はパラパラと細かく軽い。その様子を疑問に思っているとアロンが説明を始めた。


「掘った後は蟻酸で消毒するだろう?それは同時に土の加工にもなる。そうしないと崩れる可能性が高くなるからな」


 聞きながら黙々と掘り続けていく。慣れない作業に進行は早くは無いが、元々クロナガアリは足が長く、巣作りが得意な種族だ。そして日本で1番深く巣を掘るとされている。幼いながら十分器用なのだ。


 アスが掘り進めていくと、目の前にまるで石の様に硬い土が現れた。早速牙で砕こうとするが全く歯が立たなかった。アスは諦めて後でゴミと一緒に捨てようと脇に放ると、見ていたアロンがその硬い石を牙で持ち上げた。すると……。アロンが左右の牙で挟むと、まるで柔らかい物を切る様に、いともたやすく真っ二つにしてしまった。


 黙々と作業を続けていたアスの足は止まり、アロンのその意外な力に驚きを隠せない。


「アロンってそんなに力が有ったの!?」

「コ、コツを掴めば簡単なんだ」


 アスの言葉に普段慌てないハズのアロンが慌てていた。


「今日はここまでだな」


 アロンがそう言うと、アスは掘るのを止め大広間で休む事にした。小一時間ほどしか掘っていないが、これが中々の重労働、元々の寝不足も有ってか睡魔に襲われ、ハンターの仕事をしている仲間達が帰るより早く眠りについた。


✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝


「ハリアリが攻めて来たぞ!」

「アス、助けて!」


 大広間の中心で気付くアス、回りを見渡すとファミリーが皆ハリアリに襲われていた。仲間達は抵抗する術も無く一方的にハリアリの牙の餌食(えじき)となった。


「ケマさん! ケマさんならこんな奴ら!」


 ケマに向かって叫ぶが、ケマもハリアリに抵抗出来ず地に伏(ふ)してしまった。次々と倒れていく仲間達、アスは仲間を助けに走るが一行に先に進む事は無い。


「アス、蟻酸でハリアリを倒して」


大好きな女王様が悲痛(ひつう)な声で訴えた。アスは蟻酸を使えば仲間を救えるかもしれないと思いお腹に力を込める…が、全く出る気配は無かった。ふと部屋の隅に茶色く小さな蟻が居るのに気付く。


「マサキ!ファミリーの皆を助けて!マサキなら蟻酸出来るよね!?」


アスの声に振り返るマサキ、だがその顔は無表情だった。


「弱い奴は黙って仲間が倒れていく姿でも見てろよ。お前は弱い。お前は弱い。お前は弱い……」


 マサキの声によって聞こえてくるその言葉は次第にファミリーの皆の声が混(ま)じった。そしてアスの視界はグルグルと回りだした…。


「うわあぁぁぁ!」


 悪夢にうなされていたアスは叫び声と共に目を覚ました。


 頭がくらくらする――。


 回りを見るとアロンやモグ達が静かに眠っていた。どうやら無事にみんな帰って来た様だ。眠っているオテモの姿を見ると、マサキの蟻酸を喰(く)らっているシーンを頭に浮かべた。


(僕がもっと強くなれば、仲間達を守れるんだよね)


すると、また下腹部に熱いものを感じた。真ん中の足で下腹部に触れて思う。


(ここに……戦う為の力が有るのに……)


 いてもたってもいられず、まだ夜が明けてもいないうちに作りかけの通路へ向かうと、何度も腹部に力を込め蟻酸を出す練習をした。そして、蟻酸を出す練習と穴掘りを交互に何度も繰り返し続けるうちに外の世界では朝日が顔を覗かせていた。


✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝


「ふわぁーぁ」

 口を一杯に広げながら野太い声を出すと、太い体を支える様に立ち上がるフトシ。

まだ寝ぼけているのか立ち上がったまま動かない。よく見ると目が塞がっている。

少しして腹の虫の音が響くと、ようやく目を開きノソノソと食料庫へと向かった。

チョコファミリーでは食料調整の為に毎日餌を食べたりはしない、担当のアロンがうまく調整して配っていた。


 蟻は三ヶ月何も食べなくても生きていけるとされている為、それでも十分と言えるのだ。


 フトシが食糧庫に着くと、通路から顔を覗かせ中の様子を伺った。中に誰も居ない事を確認すると、コソコソと餌の前まで行く。


(うーん、ほとんどが花の種かぁ……お!肉も有るじゃん)


 見つけた肉を牙で挟んで取ると、無邪気に貪り始めた。


(うぇ、あんま美味しく無いなぁダンゴムシって奴だな。歯ごたえは有るんだけど……)


 ダンゴムシを食べ終わると、直ぐに部屋から出て行った。もし、アロンに見つかろうものなら大目玉だ。 大広間に戻ると、起きていたアロンに声をかけられ思わずビクッと体の肉が揺れた。


「こんな時間から何処へ行ってたんだ?」

「え!? ハ……ハンター代行とは言っても元々はガードでしょ? だから見回りをしてたんだよ。うん」

「そうか。仕事熱心で良い事だな」

「そ、それじゃ見回りを続けるから!」


 と言って慌てて育児室への通路へと逃げると、途中に見慣れぬ通路が出来ている事に気付いた。 興味をそそられ中に入っていくと直ぐの所でアスが眠っていた。


「こんな所で眠ってる。寝相悪いなぁ。てゆーかアス寝過ぎでしょ」


 フトシがそう思うのは無理も無く、前日からアスが起きている姿を見ていなかった。


「スイーパーの仕事は気楽そうで良いねぇ」


 言いながら土を何度か蹴ると、眠っているアスの上に土が積もっていった。


「さぁーて仕事に行くかなー、忙しい忙しいっと」


 フトシが大広間に戻ると、ゴマ達の姿は既に無い。仕事に出掛けたのだろう。

ダラダラと重い体を引きずる様に外に向かって行くと、暗くジメジメとした土中(どちゅう)からカラリとした日差しの注す外へと出た。


 チョコファミリーから少し離れた場所に有る花壇(かだん)、そこには季節物のボタンの花が白、黄色、赤、青と人の手で順序良く並べて植えられていた。ボタンの花は直径20センチほどにもなり、沢山の花びらを繊細(せんさい)に咲かせていた。


 その根本に辿り着いたフトシは、迷う事無く黄色い花を咲かせたボタンを上り始めた。すると途中に茎から栄養を吸うアブラムシを見つけ、邪魔だと言わんばかりに牙で掴(つか)んで放り投げた。黄色い花の上に到着したフトシは中心に有るめしべの間に入ると蜜をすすりながら目を閉じた。


(昨日見つけた特等席だ。今日も甘い蜜をすすりながら昼寝するぞ。アスだって寝てたしな)


✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝


 そこは大広間と育児部屋を繋ぐ通路の中間点から新たに延びた通路。

元々光りの届かない巣の中に砂塵(さじん)が舞い散るその場所は視界に頼るのは困難で有ろう。その奥には一心不乱(いっしんふらん)に穴を掘り続ける青い目をした蟻がいた。


 アスにはこの穴掘りに三つの目的を見出だしていた。


 ――まず一つ。


 足を鍛え、牙を鍛え、蟻酸を習得し、仲間を守る強さを得る事。


 そして――。


「あらあら楽しそうねー」


 突然、アスに向けて聞こえて来る楽しさと優しさを含んだその声は、女王様だ。


「中々上手く掘れてるじゃない? でも、蟻酸で加工しないで掘り進んで行くのは危険よ」


 女王様の言葉に掘るのを止め俯(うつむ)きながら答えた。


「蟻酸、まだ出来ないんだ」

「……そっか、じゃあ私が教えてあげる」

「女王様が!? そんな悪いですよ。僕、覚え悪いし」


 女王の顔を見上げるアスはどこか自信なさ気で、それを見た女王はニコリと笑うと。


「あなたの覚えが悪い訳ないでしょ。私の子だもの」


 自信に満ち溢れた声で言う女王様の『私の子』という単語に、ビクリと体が揺れ瞳が潤(うる)んだ。


✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝


 ボタンの花が夕焼けに染まり、色とりどりの花は、よく目を凝らさなければ色を識別出来ないほど辺りは暗くなっていた。


 ボタンの花のすぐ下を夕焼けを背に歩く太い蟻は自分の長い影を追い掛ける様に巣へと向かっていた。危険が近づいているとも知らずに。そして、その近くを花の種子を抱え、始めての収穫に喜びを隠せず軽い足取りで帰る蟻が居た。


(昨日は隠れてばかりで何も収穫出来なかったからな。これ見せたらゴマさんと女王様、褒めてくれるかな)


 嬉しそうに走ってはいるが、回りをキョロキョロと警戒を怠らない。それはシシャモだ。


「あれ? あそこに居るのは」


 ダラダラ歩くフトシを見つけると、自分の収穫を見せ様と走りだした。

が、すぐにシシャモの動きは止まった。


 フトシの後ろから敵対心(てきたいしん)剥(む)き出しで駆け寄る一匹の蟻。見るのは初めてでは有るが、シシャモはその蟻を知っていた。お尻から突き出した鋭い針、体の大きさがフトシより少し大きい為、成熟(せいじゅく)したハリアリである事が容易(ようい)に判った。


 直ぐに知らせられれば、それだけフトシの生存率は高くなる……。それは判っていたが、自分の存在がハリアリに気付かれたらと思うと、恐怖で声が出ない。


 先日のバッタの襲来による免疫か、足は動きそうだ……。だが、恐怖が拭(ぬぐ)えたという訳では無い。混乱し始めるシシャモは、せめて仲間を呼ぼうとヘルプフェロモンを出そうとした。昨日ゴマに頼んで覚えたのだ。


 そうこうしてる内ハリアリはフトシの直ぐそばまで迫っていた。牙がフトシを捕らえる間際(まぎわ)、後方から接近する足音にフトシは何者かが迫っていた事に気付いた。が、フトシの反応は鈍(にぶ)く、抵抗する間も無くお尻に鋭い牙が挟み込まれた。


「鈍い!鈍いぜ!クロナガァ」


 歓喜(かんき)と狂喜(きょうき)を感じさせるその声に血の気が引くフトシ。

ただただ逃げようとするが、体が重い上にハリアリが前二本の足でしっかりとしがみついている為、逃げる術はほぼ無い。


「お前で仲間の恨みを晴らさせてもらうぜ」


 いたぶるさまを楽しんでいるハリアリは、とても復讐(ふくしゅう)の為には見えなかった。その時、ヘルプフェロモンを嗅(か)ぎ付けたゴマがシシャモの後方から駆けて来た。


 シシャモの横に並ぶ所まで来るとゴマが言う。


「シシャモ、怪我は無い?」

「う……うん」

「よくヘルプを出してくれたわ、後は私に任せて先に巣へ帰ってて」


 笑顔で言うゴマだが、その表情は必死で余裕が無いのが見て取れた。フトシの元に駆けてゆくゴマを、シシャモはただ心の葛藤(かっとう)と戦いながら見届ける事しか出来なかった。


 フトシの体を鋭い牙で弄んでゆくハリアリ。お尻に備えられた黒光りした針を使えば一思(ひとおも)いに倒せただろう。だが、それをしないのはそのハリアリの特殊な性格によるものだった。


 あまりのダメージに既にフトシの意識は飛んでいた。その光景に覚えの有るゴマは思わず過去の記憶がフラッシュバックした。


 薄汚い声で楽しそうに笑うハリアリの傍(かたわ)らで地に伏す一匹のメス蟻…。そして過去の記憶と、フトシを襲っていたハリアリの顔を照らし合わせると、とある事実に気付き、叫んだ。


「お前! あの時のハリアリ!!」


 そう言った時は既にハリアリに向かって跳んでいた。一匹の蟻の接近に気付いていたハリアリは、フトシから体を離すとゴマの落下地点から少し距離を置いた。

ゴマは着地すると直ぐにハリアリに飛び掛かった。その表情は怒りに満ちていて完全に我を忘れている。勢い任せに牙を振るうゴマに、ハリアリは牙でそれを受け止めた。

 そしてハリアリは、牙でゴマの牙を押さえたままお尻に付いた鋭い針を頭の上へのけ反らせる。毒針を喰らう訳にはいかないゴマは掴(つか)まれた牙を大きく揺さ振り無理矢理振りほどくと、体を横に一回転させお尻をハリアリの顔へとめがけた。が、ハリアリは直ぐに体を引いた為に空を切った。

サディスティックな性格とは裏腹に、本気の戦いになると慎重で冷静なハリアリ。


「カカカカカ!思い出したぜ!お前、あの時の生き残りのクロナガだなぁ!」


(強い…ゴマさんも強いけど、あのハリアリはもっと強いかもしれない)


 なりふり構わず攻めるゴマに対し、余裕の表情を浮かべるハリアリ。それを見ていたシシャモは、自分の心と戦っていた。


 ――助けに行かなくては。


 ――僕は仲間を見捨てる卑怯者か?。


 ――ゴマの為に命を賭けて戦うと誓ったじゃ無いか。


 ――怖い、恐い、怖い、恐い……。


 一歩を踏み出す事の出来ない苛立ちと恐怖に押し潰されそうになりながら、ゴマの戦いを見守っていた。


 すると突然、夕日の光が何かに反射しシシャモの瞳へと照らされた。光を避ける様に横へ動くと、シシャモの視界にはハリアリ以上の驚異(きょうい)が映し出された。


 ゴマ達の戦っている少し向こう側、以前襲って来たバッタを雄(ゆう)に超える大きさの茶色をした生物がゴマ達を睨みつけていた。


 前方から見るとまず目に付くのは、全身の半分近くを占める程の大振りの鋭い鎌だろう。細くスラッとした体と足からは機動性(きどうせい)に優れている事がよく判った。その生物は俗に言うカマキリで有る。が、そのサイズは異常だ、日本最大と言われるオオカマキリでも8センチ程だが、そこに現れた生物は13センチ程にもなった。


 そして、その姿にはゴマやハリアリも気付いた。二匹は間合いをとり、突然現れたその生物の動向(どうこう)を伺っている。遠くで傍観(ぼうかん)するシシャモは、ふとその生物の口にくわえられた、光の反射の原因を見付けた。


 『それ』は遠くてよく見えなかったが、黄色く小さな丸い石の様で有った。シシャモは思わず『それ』に見とれていた。始めて見たのだが、引き付けられる何かがそれにはあった。


 誘われるかの様に一歩前へと進むシシャモ、その目は何処か虚(うつ)ろだ。次の瞬間、カマキリは背中に隠して有った大きな6枚の羽根を雄大(ゆうだい)に広げると、ゴマ達とは逆の方向へと飛んで行った。


 ちっぽけな蟻に興味が無かったのか、それとも既にお腹が一杯だったのか、その場に居る三匹に知る術は無い。


 そしてシシャモは見た。あのハリアリがカマキリに恐怖して体が少し震えていた所を。よく見れば自分とたいして大きさの変わらない蟻では無いかと感じるシシャモは、さっきの出来事から何かが変わった気がした。


「わああああーー!!」


 叫んだ。ただその場に佇(たたず)んで叫んだ。声になっているのかは判らない。一歩足が前に出た。鼓動(こどう)が早い。足を踏み出せた自分自信に驚(おどろ)き鼓動が早くなる。口に溜(た)まった唾液をゴクリと飲む。

更に足が前に出た。


 駆け出した。叫んだまま駆け出した。シシャモの瞳にはハリアリだけが映っていた。


 ハリアリと数センチ間合いを置いて対峙するゴマは、2匹の蟻が駆けて来る事に気付いた。


 右側からはシシャモが、ハリアリの後ろ側からはヘルプフェロモンを嗅ぎ付けたオテモが駆けて来る。しかし、すぐ右後ろに倒れているフトシを横目にチラリと見るとゴマの心に不安が過(よ)ぎる。


(オテモ……シシャモまで……、ハリアリ相手じゃ二匹とも怪我じゃ済まないかも)


「カカカカ!仲間が二匹来た様だな」


 触角(しょっかく)を振るわせながらハリアリが言った。まだオテモとの距離はかなり離れているにも関わらず、触角で匂いを嗅ぎ付けたハリアリに驚愕(きょうがく)するゴマ。


 たったそれだけの事で実力の差を痛感してしまった。


 だが、オテモとシシャモの事を考えると引く訳にはいかない。何よりゴマにとってそいつは、大切な者の仇で有るのだから。ハリアリに向かって飛び掛かるゴマ、しかし…。


 ハリアリは薄ら笑いを浮かべると、ゴマに背を向け素早く走り去って行った。


「助かった……。そうね、助けに来たオテモとシシャモの実力を、ハリアリが知る訳無いものね」


 安堵からかピンと張り詰めていたゴマの触角は、ゆっくりと下がっていった。そして、フトシの元へと駆け寄った。


ゴマの瞳に映ったフトシは、横向きに丸く纏(まと)まっていて太いハズの体は心無しか小さく見えた。


「フトシ……」


ゴマの口から小さく声が漏れると、オテモとシシャモがそばへやって来た。ずっと走って来たのだろう、オテモは息を切らせていた


「ゴマさん大丈夫ですか!?」

「フ、フトシは?」


 シシャモはゴマへ質問の言葉を口にするが、ゴマはフトシを見たまま動かない。少し震えている。


フトシの体に近寄ったシシャモ。そして…。


 フトシの体中に刻まれた無数の傷痕(きずあと)。ピクリとも動かない丸まった体。見開いたままの瞳。開いた口に呼吸は無い。


「う、嘘だ……」


 それらの意味するものに気付いたシシャモはガクリと体を沈めた。

そして、二匹の様子の変化にいまだ理解の出来ないオテモ。


「僕のせいだ……。僕が、僕がもっと……」


ゴマが声をかけようとするが、声が出なかった。


「うわああああぁぁぁーーーー!!」


茜色の空にシシャモの叫び声だけが響き、消えていった…。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る