第3話
私は川沿いのコンビニの看板の上に降り立った。この辺はまさしく街の中心部だ。駅前から川を渡る大橋に続く大通り、そこから分かれた道に並ぶオフィスビル、大型デパート、映画館や巨大立体駐車場にタワーマンション。これでもかとばかりに都会的な建物が立ち並ぶ、この街で一番見栄を張っているあたりである。ここだけ切り取ればなんとか本当の都会に張り合えるようなそんなエリアである。
そして、立体駐車場の裏にあるコンビニの向こう、道一つ渡ってたどり着く川縁の公園に居たのだ。私が探していた白づくめが。やつは川縁に設けられた手すりに片手をかけて、そして川を眺めていた、ように見えた。とりあえず、体と顔は川を向いていた。動きは無い。ただ、静かに、まるで置物のように立ち尽くして川を見ていた。
私は、フアミリーマートの大きな看板の頂点からそれを観察していた。すぐには降りなかった。とうとう見つけた白づくめだが、しかしやはり改めて目の当たりにするとまず湧くのは『警戒心』だった。
こうして見ると、なんと怪しいことだろうか。見れば見るほど真っ白である。この深夜の闇の中で明らかに浮いている。妖怪か亡霊か、もしくは精霊とも捉えられるような異様な雰囲気を発している。『怪人』、そう形容するのが最も適当と言えるだろう。およそ、人間とは思えなかった。
会ったら一言も二言も言ってやろう、なんなら実力行使に出てやろう。そう思っていたが、いざこの異常な存在を目前にするとそんな意気は急激にしぼんでいった。
関わりたくない、素直にそう思ってしまう。関わったら必ず尋常で無いことが起きる。そんな風な確信を抱くのも仕方が無いほどの怪人だった。
私はそれから数分間、看板の上から白づくめを眺めることになった。
どうするべきかは分かっていた。下に降りて、そして白づくめに言うのだ。「人間に戻せ」と。そして、拒否されたならば実力行使だ。そういう話だ。それだけの話だ。しかし、その勇気がなかなか出なかった。私はふんふん唸りながら、脂汗を流しながら白づくめを睨むことを続けた。
そして、先に動いたのは白づくめの方だった。
やつは、突如としてくるりと振り向いたのだ。体を半分、そして首をもう少し回して。そして、私は戦慄した。その瞳ははっきりと私を見ていたのだから。
それから、
「どうしたんだい。早く降りておいで。私に会いに来たんだろう」
と、白づくめははっきり言ったのだった。
私のバケモノの耳には50m先のその声もはっきりと聞こえた。
そして、私のバケモノの視界は捉えていた。やつは柔和な微笑みを浮かべていた。優しい笑み。敵意など欠片も無かった。
瞬間、私は硬直した。地上十数メートル、コンビニの看板の上でヘビに睨まれたカエルのように。まさに、恐怖したからだった。
私の頭の中はパニックだった。今どういった状況なのか、これからどうすべきなのか。まとまらない嵐のただ中のような思考回路で、じっとりと汗をかきながら考えた。
そんな私に、また白づくめは言葉を投げたのだった。
「恐れることは無い。私は君に危害を加えるつもりは無いのだからね」
信じられなかった。そもそも、こいつがバケモノにする、という危害を加えたことが全ての始まりなのだ。誰がその言葉を鵜呑みにするものか。
しかし、改めて会って声を聞いて気付いたが、この男の声はなんだか人を落ち着かせる作用でもあるのかもしれない。まったく敵意が無いことがそうさせるのだろうか。それとも単に声が良いだけなのか。前襲われた時の記憶も、襲われたにもかかわらずさほどの恐怖体験として記憶されていないのはここに所以があるのか。
つまるところどういうことかといえば、私は白づくめに話しかけられて少しだけ心が落ち着いたのである。
打ち倒すべき敵に変わりは無いが少しだけ警戒が和らいでしまう自分を感じた。頭は徐々に落ち着いていった。
まぁ、どちらにせよ答えは初めから決まっていたのだ。単に勇気が出なかっただけで。
次いつ遭遇出来るか分かったものではないのだ。なら、今日決着をつけるつもりで望むのが一番に決まっている。
私は意を決して、コンビニの看板の上から跳んだ。そして、そのまま川沿いの公園の緑地に降り立ったのだった。つまり、白づくめの正面へと。
距離にして5mも無いだろうか。私と白づくめは対峙したのだった。
私が3ヶ月探しに探してようやく見つけた白づくめ。その表情はまるで友人を見るかのようにひどく優しかった。
しかし、こいつこそが全ての元凶なのだ。
私はこいつと交渉して、場合によっては叩きのめしてなんとしてでも人間に戻らなくてはならないのである。
私は自分を奮い立たせるため深く息を吸い、大きく吐き出した。
決戦である。
しかし、そんな私に白づくめはこれもまた優しい声で言った。
「どうだったかな、人間で無い日常は」
そして続ける。
「素晴らしかっただろう」
その一言で、私の警戒心や恐怖やパニックや、その他もろもろは覆った。消えはしなかったが、それを塗りつぶすように怒りが湧きちぎったのである。
「なにが素晴らしいもんか!」
気付けば私は叫んでいた。
ふざけているのか。誰のおかげでこの有様なのか。誰のおかげで三ヶ月バケモノとして生きたのか。誰のおかげでこんなに孤独で苦しい思いをしているのか。
他ならないこの男のせいだ。
「お前のせいでこうなったんだ。お前が私から当たり前の日常を奪ったんだ! 私の日常を返せ! 私を人間に戻せ!」
私は感情のままに怒鳴るように白づくめに叫んだ。
本来想定していたものよりずっと過激な言い方になったが、これこそまさしく私が白づくめに求めるところである。
人間に戻せ、それこそが私の要求でこの男に求めるものだ。
しかし、白づくめは私の魂の主張を聞いても表情を変えなかった。まるで、聞こえなかったかのように、柔らかい笑顔には何の反応も見られなかったのである。
そして、代わりに言うのだった。
「そうか、まだ分かっていないんだね」
そう口にした。
「分かってたまるかそんなもの。私はこれからどれだけこのバケモノの生活をしても、それを素晴らしいなんて絶対に思わない。お前はクソッタレだ! 絶対に許さない!」
「少しだけさみしいよ。私の思いをまだ理解して貰うことは出来ないか」
「出来ないし、するつもりも未来永劫無い。なにを言ってるか分からないけど詳しく聞く気さえ起きない! なんでも良いから私を元に戻せ!!」
私の両腕、そして両足が真っ黒に変わった。真っ黒な、まさしく影の塊といったような状態に。私はそれらを影のバケモノの能力で変質させているのだ。これで、両手両足は私の思うままに形状も材質も変化出来る。つまり、戦闘態勢。
白づくめはうだうだと訳の分からないことを言うばかりで、私の要求を一向に聞きそうに無い。つまり、もはやぶちのめして言うことを聞かせるしかない。かなりの強攻策だが、私の人生のためにはやるしかなかった。
「力尽くでも戻してもらうからな!!」
そう言って、私は左手を鋭く伸ばした。糸のように細く、そしてなるべく長く。そのまま白づくめにそれを巻き付けた。ぐるぐると巻いてそのまま白づくめを拘束する。そして、勢い良く踏み込みながら利き腕の右手を振りかぶる。積年の恨みを込めて、とりあえず白づくめに一発お見舞いする。
しかし、それは叶わなかった。
私が巻き付けた黒い縄。それは、白づくめによって容易く解かれてしまったのだ。切り裂かれるという形によって。巻き付けた私の腕は、白づくめの刃によってバラバラにされてしまったのである。
私は、瞬時に腕を戻して距離を取った。予備動作は最小限だ。人間の頃の運動音痴な私からは想像も出来ないとんでもない挙動だった。
そして、私は凝視した。目の前の白づくめを。
白づくめはその背中から一対の枝のような羽伸ばしていた。膜を張っていないコウモリの羽、そう言うのが一番近いだろう。それの先端が刃のように鋭く形を変えている。あれが、目にもとまらぬ早さで私の腕を切り裂いたのだ。
それは黒かった。影のような闇の塊だった。
それは私の両手両足と同じだった。
それは明らかに影のバケモノの能力だった。
私は言う。
「やっぱり、お前も私と同じバケモノだったのか」
私は驚いていた。しかし、意外では無かった。なぜなら予想していたことだったからだ。
私はずっとこいつを探していた。しかし、まったく見つけられなかった。それは、こいつがこの街に居なかったからではない。だって、都市伝説になるくらいの目撃証言があるのだ。しかも、私はこいつの目撃証言のある場所に何度も行っているのだ。
居るのに見つけられない。つまり恐ろしく見つかりにくいということ。
それはまさしく、影のバケモノの特性そのものだ。
そして、私を影のバケモノにしたのだ。本人が影のバケモノだったとしても不思議はまったく無いのである。
そして、白づくめは私の言葉に応えた。
「ああ。私も君と同じバケモノだよ。不老不死の、とんでもない肉体を持った、人間を辞めたバケモノだ。素晴らしいバケモノだとも」
その言葉に私の怒りはまた膨らんだ。
「だから、素晴らしいわけ無いだろうが!!!」
私は再び両手から、今度は鋭い爪を伸ばし、両足を強靱な肉食獣のものに変えて白づくめに突っ込んだ。
私は影のバケモノの身体能力があるからこんな速度でも普通に動ける。しかし、多分普通の人間が見たらまったく残像さえ知覚出来ないだろう。まさしく、怪物の動きだ。襲われた方はひとたまりもない、そんな攻撃。しかし、
「随分、能力の使い方も達者になったものだね」
白づくめはその背中の骨組だけの翼で私の攻撃に対応した。私の全霊の突撃はあえなくその翼の一撃によってはじき返された。
そのまま、芝生の上を転がるが私はすぐさま起き上がる。芝生は大してえぐれない。私は影の塊なのだから。忌々しい事実。目の前の男がもたらしたものだ。
そして、私はそのまままた爪を振りかざして突っ込んだ。
さっきよりさらに深く踏み込み、さっきよりもさらに速く。
しかし、それもまた容易く弾かれてしまった。
私の速度はまさしく電光石火であり、多分銃弾よりも速かったんじゃ無いかと自負している。しかし、白づくめの翼はその私を遙かに超える速度で打ち振るわれたのである。私はまた川縁を転がるしかなかった。
私はまた起き上がり、また挑む。ただただ怒りに任せて。後先なんて考えることも無く。
だが、私の攻撃が届くことは無かった。どんな風に能力を使っても、どんな風に攻め込んでも、私の攻撃は容易く対応されてしまうのだ。
そこから、私が攻め、やつがはじき返す。ただ、その繰り返しだった。
私が右手をムチのように打ち振るっても、大きなハンマーにして叩きつけても、鋭い刃にしても無駄だった。
尻尾を生やして手数を増やしても、同じように羽を生やして空から襲いかかっても無駄だった。
絶叫しながら嵐のように攻撃しても、今までで最高速の最大威力で攻撃しても無駄だった。 何をしてもあの翼の速度にも威力にも届いていなかった。
そして、そんな私を白づくめは少し哀しそうな顔をしながら直立して眺めているのだ。それを見るとますます怒りが湧いてきたが、しかしその怒りが状況を打開することは無かった。所詮感情だけでは何も変えられないのだ。
完全にはっきりしてしまった。
私と白づくめでは『影のバケモノ』としての能力のレベルが違い過ぎるのだ。
「はぁ...はぁ....」
そして、10分程が経過しただろうか。私は肩で息をしながら動きを止めていた。息を切らすのは影のバケモノになってから初めてのことだった。
勝てない。それが実感だった。私はなにをしても、どんな手を使ってもこの白づくめに一撃入れる事さえできないのだ。
影のバケモノの私でさえこれなのだ。この白づくめはおよそ人間の勝てる相手では無いのだ。間違いなく、本物の『モンスター』だった。
しかし、どうすれば良いのか。実力行使が不可能。つまり、この白づくめに私の言うことを聞かせる方法が無くなったということだ。話術でこいつをどうにか出来るとはとても思えないし、そもそも私は人と話すのが苦手である。華麗に手のひらの上で転がして思うがままなんて不可能である。
私は打つ手が無く固まった。
「素晴らしい。三ヶ月でここまで能力をものにするとはね。でも、やはりバケモノの素晴らしさは理解してくれていないようだね」
そして、白づくめが口を開く番だった。
「人間で有り続けようとした君に人間を辞めることの素晴らしさを教えてあげようと思ったんだがね」
白づくめは意味不明のことを言う。柔らかく、優しい笑顔を浮かべながら、私の目をじっと見ていた。
遠くで救急車のサイレンが響いていた。
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