第2話
そして、今日も今日とて私は深夜のビルの壁を蹴り、街を飛び回っていた。時刻は3時、丑三つ時だ。東京ならいざ知らず、この所詮『片田舎一の都市』であるこの街はすっかり寝静まっていた。飲み屋街の方向にはまだ明かりが見えたが、私が飛び回るビル街は静かなものだ。窓はほとんどが真っ暗で、街頭だけが寂しく地面を照らしていた。道にも車無し、人無し。動いているのはコンビニだけ。完全に街は機能を停止していた。
私はその上をぽーんぽーんと飛び回るのだ。なんのためかといえば、もちろん、白づくめの男を捜してのことだ。もちろん、私が人間に戻るための行動だ。正直なところ、こうして自由自在にビルの上を飛び回れるという異常性そのものが忌々しくてたまらないくらいである。一刻も早く、この状況から脱出したい。今日こそは白づくめの男に出会えないか、そう思いながら血眼になって下界に目を凝らす私である。
気付けば、この『影のバケモノ』になってから3ヶ月が経過していた。それは、白づくめの男に出会えないまま3ヶ月が経過したということに他ならなかった。
この3ヶ月、私は屈辱に打ち震えながら毎日夜の街を飛び、白づくめの男を探した。一体どれだけ同じ場所に行ったことか、同じ通りを走ったことか、同じマンションの屋上に降り立ったことか。もはや、効率的にこの街全体を回るルートも構築されてしまった。本当に哀しいことに、この体の使い方も随分上手くなっていた。毎日、これ以上無いだろうという最適な動きをしながら、さらに効率化出来ないか模索している。
もはや、私はベテランの『白づくめ男探索者』になってしまっていた。今この街に私より白づくめ男を探すのが上手い人間は居はしないだろう。それくらい、もはやルーチンワークと化していた。頭で考えずとも体が覚えている状態になっていた。
そして、それだけ最善の動きを出来ても、どれだけ『影のバケモノ』の特性を生かせるようになっても、白づくめの男は見つけられなかったのである。
その事実が全ての努力と成果を虚無と変えてしまっていた。
考えずに動けても、腕を縄のように伸ばしてアクロバティックに空中で姿勢を変えても空しいだけである。なんの意味もありはしない。ただただ、現状が維持されてしまっている現実を理解するだけである。
本当に嫌になる。しかし、嫌になっても探さないことには何も変えられない。探さなかったら白づくめ男に会える可能性は0だが、探せばほんのわずかでも可能性は生まれるのだ。
なので、どれだけやる気が出なくても、どれだけ虚無の表情を浮かべても、こうして街を飛び回るのである。
そうして、私は川縁にある大きな商業施設の屋根に降り立った。
ここは我が街の端の方になる。ここから先は住宅街が続き、その先で徐々に田んぼが増えていく。その先は農村地帯だ。田畑の合間に家々が並ぶ地域である。まさに田舎といった景色になるわけだ。良く分からないがそこまで行くことはしない。何度か行きはしたが本当に夜は人気が無いので、白づくめが居るような雰囲気は無かった。いや、なんの確証も根拠も無いのだが。ただ、なんとなく、あの不気味な怪人は人間の多く住む場所にこそ現れそうだと思うだけである。
ひょっして、私にしたような超能力の披露が生きがいならば人の居ないところに行っても仕方が無いだろう。行くなら誰かに出くわすこうした街中なはずだ。
いや、やはり完全な予想でしか無いのだが。とにかく、そんな気がするので私はここを捜索の果てとしているのである。
私はぴょんぴょんと屋根から降りて駐車場の隅にある自販機の前に行く。そして、お金を入れて缶コーヒーを買った。ガコン、という音が人気の無い駐車場に響いた。
長い夜の探索、休憩に缶コーヒーくらい飲みたいのである。
探索コースは日によって変えていて、つまり休憩場所もまちまちだ。
どうでも良い情報だが、休憩場所によって自販機の品揃えは違うので私は結構缶コーヒーに詳しくなっていた。本当にどうでも良い情報だが。
カシュ、という音と共にフタを空け、私は喉にコーヒーを流し込んだ。MOSSのレインボーである。ここ最近のお気に入りだ。味の何が違うのかは良く知らないが、なんとなく美味しい気がしている。
そして、私はぼんやりと駐車場を眺めた。車はほとんど駐まっていない。違法駐車かなにかっぽいのが2、3台見えるだけだ。当然人影は無かった。
深夜の景色だ。全てが寝静まっている。
私はまた一口コーヒーを飲む。
この後はここから折り返して街の中心地に向かう。夜明けまであと2、3時間。その間に中心街を徹底的に洗うのだ。
それから、自宅アパートに戻って今日は終了だ。夜明けと共に部屋の影に入って、再び日が落ちるまで寝なくてはならない。そして、起きたらまた活動開始だ。
白づくめ男が見つかるまでこの日常の繰り返し。
これだけ、毎日懸命に活動しているのに1円の金も貰えないのは寂しい話だ。
私は白づくめを見つけ、意思疎通が可能ならば人間に戻す意外にも何かしらを要求しようかと思ってる。だって、これが普通の人間相手ならば当然のように裁判で勝利できる案件だ。白づくめが人間かどうかは分からないが、要求することはなんら間違ってはいないだろう。これだけの思いをしているのだから、何かしてもらわなくては割りに合わない。というか、ボコボコにしても良いくらいだろう。実力行使である。この3ヶ月で慣れきったこの怪物の身体能力を存分に発揮するわけである。戦闘シミュレーションは頭の中で何度も実践済みだ。白づくめ男に一泡吹かせるぐらいは可能なはずだった。会うのが楽しみである。
なんてことを考えていると、缶コーヒーは無くなっていた。
私は缶をゴミ箱に放るとうん、と背伸びした。
ここから、今日最後の追い込みだ。気合いを入れなくてはならない。私は跳躍しようと両足に力を込めた。その時だった、
「白づくめの男の話知ってる?」
突如声が聞こえたのだ。それも、私が絶対に聞き逃せないワードを含んだ。
私は瞬時にその声が聞こえた方角を見る。聞こえた感じからして距離は100mほどだろうか。最近気付いたが、影のバケモノは目も耳もかなり良いのだ。なので、この程度の距離なら十分言葉を聞き取ることが出来た。
そして、目を凝らせばその方角に居たのはカップルだった。全然気が付かなかったが、商業施設の前のベンチに二人で座っていた。年齢は十代後半といったところか。世は三連休の二日目。高校生カップルが面白半分で深夜の街を散歩しているといったところらしかった。二人はベンチに座ってただ会話をしているようだった。
私はその内容に聞き耳をたてた。正直、高校生カップルの会話に影から聞き耳を立てるというこの構図は、ものすごく不穏だった。しかし、仕方が無い。背に腹は代えられないのである。どれだけ犯罪臭が漂おうとも聞くしか無い。
「なにそれ。聞いたこと無いけど」
少女に問われた少年は応えた。どことなく、緊張している様子だ。深夜に彼女と二人きりといった状況にどぎまぎしているらしい。
「学校で最近噂になってるんだ。深夜の街を歩いてたら全身真っ白な格好の『白づくめの男』に出くわすんだって」
「怪談かなにかなのそれ?」
少年は今度は別の方向で緊張しているようだった。ホラー映画とか苦手なタイプらしい。私も苦手な方なので親近感が湧く。どうでも良いことだが。
「怪談っていうか、都市伝説かな。そういうやつが出没するんだって。それで会うとね、決まって、『君は望んでいないね』って行ってそのまま去っていくらしいよ」
「なんだそれ。結局なにがしたいのそいつは」
「分からないんだってさ。別に危害を加えてくるわけでも無し、でも、出会ったら必ず近づいてきてじっくり顔を見られるんだって」
「うーん、危険かどうかはともかく気持ち悪いね」
少年は苦笑いだった。少女はそのリアクションにご満悦の様子でニヤニヤとしていた。どうやら、少年はさっきから少女が期待したとおりの反応をしているらしい。二人はなんとなくふわふわした雰囲気をしている。これが初々しいカップルというやつだろうか。私には良く分からん。
少女はそのまま得意げに話を続けた。
「それでまた、不気味さが増してるんだよ。これで、実際に誰かが死んだとか、行方不明者が出た、とかだと嘘くさくなるでしょ。でも、近づいてきて話しかけて去っていくだけだとなんか本当に居そうじゃない? 結構、学生の間だと噂は広がってるっぽいよ」
「ふーん、初めて聞いたけど。でも、確かにそういうのって大抵ぶっ飛んだ展開が尾ひれみたいにひっつくのにそういうのが無いのも本当っぽいね」
「でしょ」
「でもそれ、実在したら都市伝説っていうか、普通に深夜に出没するヤバい不審者なんじゃないの」
「.......!」
少年の言葉に少女は表情を歪めた。少年が言ったことが初めてお望みのもので無かったようだった。
「どうしてそういうこと言っちゃうかなぁ。夢が無いなぁ。今日会うかもなのに」
「えぇ....。会ったらまず警察呼ばなきゃなやつでしょ」
少年には夢が無いらしかった。少女は不満げだ。少年はそんな少女の様子に困惑しているようだ。女心は難しいというやつだろうか。正直私も良く分からないのだから、少年は大変なのだろう。だが、少年に同情してばかりもおられない。話を聞かねばである。
「まぁ、多分会わないけどね。『白づくめの男』が現れるのは川沿いの公園だって話だから」
「ふぅん。そこでしか出ないの」
「知らないけど、噂じゃそこだって話だよ。まぁ、都市伝説だからほとんど嘘っぱちかもだけど。......行く?」
「えぇ....行かないよ。普通にヤバいじゃん」
「本当に夢が無いなぁ」
最後の少女の言葉は若干嬉しそうであった。なんだかんだ楽しいらしい。多感なティーンネイジャー精神構造は複雑だ。もはや、二十歳を過ぎたお姉さんには良く分からない。
それに、そんなカップルの一挙手一投足に思いを馳せている場合ではない。そんなことをするつもりでは断じてない。私は変態では無いのだ。ただ、自分の人生の大問題のために情報収集をしていただけである。
とにかく、ここまでの会話を聞き終えて、重要な情報がいくつか出ていた。
『白づくめの男』の都市伝説、そしてその怪人の行動パターン、そして、目撃情報。うら若い少年少女の楽しい会話にこのような重要情報がいくつも含まれていた。
人々の噂は盲点だった。それも学生の間の噂とは。なにせ、こうなってからはまともに会話するのは早紀だけだ。いや、それ以前でも数えるほどしかいないというのは置いておこう。とにかく、そういう事情で、人々の間を行き交う情報についてはノーマークだったのだ。
そもそも、私は勝手に『白づくめ』は私ぐらいにしか姿を見せていないのだと思い込んでいた。妖怪じみた怪人だから、普通の人間にそうそう関わるものでは無いのだと。
しかしその実、白づくめは色んな人に声をかけているようだ。多くはないのだろうが、少なくとも噂になる程度には出没しているということだろう。
それほど出没してもなぜ見つけられなかったのか。これでは『ベテラン白づくめ探求者』の面目丸つぶれである。いくつか仮説はあるが今は置いておこう。まだ、整理しなくてはならない情報がある。
一番分からない話は、白づくめはそうして人々の前に現れるが、私の時と違って何もしていないらしいということだ。それは恐らく確かな情報なのだろう。実際、私と同じようなことを会った人間全てにしているのなら、もっと大事になっているはずだ。私のように姿を隠す者が何人も出るだろう。なんなら、世の中に打ち明ける者も出てくるかも知れない。そうすれば、そういった情報が街に現れるはずだ。ニュースや、今のような噂という形になって。だが、そんな様子は街にも今の噂にも無かった。だから、白づくめが私以外に何もしていないという可能性は極めて高い。
そして、最後の情報。それこそがまさしく今私がこの場を離れようとしている要因だ。一番の有力情報。
『白づくめの男』は川沿いの公園に現れる。
それはそのまま、白づくめの出現場所の情報だった。すなわち、私の問題を解決するために私が行くべき場所が分かったということだった。
川沿いの公園。川とはこの地方都市を二つに別つように流れる一級河川のことだ。日本有数の長さを持ち、河口付近になるこの辺りでは川幅も広い。そして、その河川敷に従って、ずっと遊歩道や芝生が続き、人々の憩いの場所になっているのだ。休日は人で賑わうのである。この街の人間はその河川敷を指して『川沿いの公園』と呼んでいる。
しかし、深夜に人など居るはずが無い。不良がたむろすることさえ早々無いだろう。
人気の無い場所、なんとなく白づくめが現れそうな感じがする。私が出くわしたのも深夜の人の居ない高架下だったのだから。
しかし、実のところ川沿いの公園は私の巡回ルートに入っているのだ。なのに、今の今まで出会うことは無かった。やはり、良く分からない。噂が嘘だという可能性も当然あるが、しかしそう決めつけるにはあまりに真に迫った情報が出ていた。下らないと言ってしまうより、ダメ元でも信じる方が良いだろう。そもそも、私に選択肢など無いのだから。藁にもすがる思いで行くしか無い。
私はこの商業施設を後にすることにした。さっさと行かなくてはならない。思いがけず、今日こそが私が望んでいたXデーとなりそうなのだ。
さっきのカップルは今も会話を続けていた。内容はさっきの噂話から移って、今話題のホラー映画の話になっていた。怖い話繋がりかなにかなのだろう。少年が明らかにビビっており、少女はウキウキしながらその映画について語っていた。10代の若者は楽しそうである。世の中から閉め出され、憂いを帯びたおねえさんは静かに立ち去るとしよう。
私は両足に力を込める。そしてそのまま跳躍した。高く高く跳び上がり、商業施設の屋根を越える。カップルの会話がどんどん聞こえなくなった。10代の恋愛関係の男女の会話。今の私から遙か遠くにあるそれ。何故だかひどく温かかった。
しかし、私の頭にはひとつの言葉が反芻されていた。少女の方の言った言葉。噂話の中で出た、白づくめが色んな人に言った言葉。
『君は望んでいないね』
それは、まさしく私のかけられた言葉と同じカテゴリーにありながら、まったく逆を意味する言葉だった。私が言われたのは『望んでいるね』だった。
それはつまり、声をかけられた人々は何かを望んでいなくて、私は望んでいたということ。そして、白づくめは恐らく、その何かを基準にして『影のバケモノ』にするかどうかを判断しているということだ。
一体それはなんなのか。
私にはさっぱり分からなかった。
しかし、白づくめに会って問いただせば分かることだ。
私はびゅんびゅんと建物の屋上を蹴りながらすごい速度で街の中を飛んでいった。時に手をムチのように伸ばし、羽を作って風を受け、街の中を吹っ飛んでいく。
この三ヶ月でこの街の移動には随分慣れたのだ。もはや、目をつぶってでも移動できるほどだ。
夜の街はもはや私の庭であり、こうやって飛び回っていると気分が良いときがたまにある。 誰も居ない街、そしてその全てを私は把握し、我が物顔で跳ね回る。ビルから飛び降り、電柱に降り立ち、電波塔を軸にして急旋回する。その姿はどんどん変わって、明らかに人間で無いバケモノで。それが、真っ暗な景色の中で宙を舞う。
そんな自分の姿を想像すると、なんだかこの夜の街の主か何かになったような、そんな気がすることがある。
これが、早紀の言っていた人間からの解放みたいな話なのだろうか。
しかし、そんなのはいつまでも浸っていたい感覚では無いのだ。まさしく、私が人間でないことをこの上なく示す光景なのだから。
そんなことを考えながらいくつものビルを越え、いくつものマンションを蹴ると、とうとう川に出た。
話に出ていた『川沿いの公園』、それが視界に入った。
公園はいくつかの外灯が光っているだけで、それ以外に光源は無い。向こう岸の外灯が川面に反射し、それは少し眩しかった。
当然人気は無い。誰も居ない。少なくとも人間は。
しかし、私の目は人間で無いものは捉えていた。
私がこの三ヶ月間、ずっと探していた人物。来る日も来る日もその姿だけを追い、血眼になって街を飛び回るハメになった元凶。私を『影のバケモノ』にした張本人。服も髪も肌も、全身真っ白の、白づくめの男が川縁に立っていたのだ。
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