転機2

 何か話す事などできなかった。この部屋に閉じ込められた夜は、全ての音が死んでいた。壁のポスター、殺風景だからとドロップが勝手に置いたサボテンの鉢。

 押し倒した時、彼女の體を受け止めたベットは大きく軋んで、それきり黙り込んだ。大判のクッションに散った癖のある黒髪はリンドウを責めるかのように艶やかに光り、乱れた前髪から覗く大きな瞳は胡乱な仄暗さで男を注視する。

 心臓が痛い。外し忘れたネックレスが煩わしく、手首に付けたままの腕時計が酷く気になって、動き続ける秒針に堪らずそれを毟り取りたくなった。それでもリンドウはまだ動けなかった。

 静か過ぎる夜にドロップは身を預け、黙ってリンドウを見つめ続ける。そこには共にした数少ない時間で築き上げた絆の崩壊の兆しはなく、リンドウの心は慌てふためき汗を吹き出す。無意識のうちに竦む足が脱力し、バランスを崩した男がドロップの上へ降ってこようとする。

 リンドウは咄嗟に手を付き、よく沈むスプリングに今更驚愕し、その隙に距離は縮まる。視界の半分が馬鹿になる。ぼやける景色の中、場違いのように煌めく光が見える。ほんの少しだけ顔の角度を上げると、その光はドロップの眼球に映りこんだ光だと判った。

 そこへ向かって羽根を広げる夜光虫になりたいと、願う心が叫ぶ。煩く走り出す鼓動をドロップに聞かれたらと思うと気が気ではなくなった。すぐそこにドロップの形の良い鼻梁と唇があった。

 掌いっぱい広げた、親指と小指までの距離だった。きっと夜も更けた自分の顔はそろそろ髭の影も浮かび始めている頃だろうと、この場にそぐわない事が気になってしまう。これから、何がしたい或いは止めようとも何も思い付かなかった。

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溺愛クレッシェンド 狂言巡 @k-meguri

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