大学の前にある中華そば屋は満席で、俺と水川はカウンターの一番隅に座った。注文した和風醤油ラーメンは大きな海苔が一枚乗せられていて、これが湿気を含んでパリパリ感が失われるのが何とも嫌なのだが、麺と出汁の味がまずまずなので我慢する。


「ねえ」

「食べてる時に話しかけんなよ」

「……ごめん」


 猫舌の水川は蓮華に麺を乗せ、それを散々吹き冷ましてから何とか口に運ぶ。息を掛ける時にくっと突き出される分厚い紅色の唇にはたっぷりとグロスが塗り込まれていたが、そこに絡まり合った麺の塊が突っ込まれ、じゅるり、と口内に吸い込まれる。てらりとしたコーティングが付着したそれは、きっと水川の中を汚すだろう。


「ん? なぁに?」


 そんな俺の視線に気づいて彼女がマスラカの多い目を向けた。


「うまそうだなって」

「花……蜂須賀君のも、同じ醤油味だけど」

「ああ」


 不機嫌になって麺をすする。味なんて感じない。胃袋を満たせればそれだけでいい。熱だけが、体に取り入れられるみたいだ。あまり考えると胃がむかつくから、無心で麺を啜る。嚥下えんげする度に動く喉を、水川が羨ましそうに見つめていた。


「ねえ」

「何だよ」


 麺はまだ丼の中を泳いでいたが、今度は怒ったりはしない。


「なんでキス、駄目なの?」

「嫌いだから」

「じゃあせめてキスマークくらい」

「それはもっと嫌い」


 水川はいつも泣きそうになる。

 ただ怯えた子犬を前にしても俺はきっと素通りしてしまうだろう。泣いたって、同情なんか貰えない。人生そんな甘いもんじゃない。


「……分かったよ」


 何も分かっていないけど、そう言うことで水川は表情が輝く。不気味なマスカラお化けみたいな金髪の女の白い顔で、花びらのように唇が咲く。


「いい?」

「違う」

「じゃあ何」

「教えてやるよ、俺のトラウマ」


 これを話せばまた離れていく。女なんて、そんなもんだ。

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