第六章

6-1.

 奥の手を使って一気に潰すしかないか、とハルは言った。

 

 十日後にクリスマスイブを控えたこの日。明人の潜入により、花園のパンデミック計画が実行されるのは二十一日だということがわかっていた。インフルエンザの潜伏期間は一~三日。実行されれば、大勢の学生が犠牲になる。

 

 りりなとまりな、ハルと明人の四人は予定が合えばできる限り集合するようにし、対策を練っていた。


 しかし、パンデミックを止めるための案は未だ何もまとまらない。


 大川原の情報も依然として何も掴めておらず、作戦は行き詰っていた。

 

 「奥の手があるの?」りりなはきょとんとしてハルを見やる。

 

 「ハルちゃんのことだから、またどうせとんでもないこと言い出すんでしょ」と、まりなは訝しげだ。

 

 明人もまりなに同調すると、ハルは心外の意をその顔に表明した。

 

 「別にとんでもなくなんか。クリスマスの神性をゲスどもから守るためには実に有効で確実な手段だよ。ただ、ちょっとだけ周囲にも被害が及ぶから、できれば避けたいものではあるけどね」

 

 まりなを作戦メンバーに引き入れる際にも使った市谷キャンパス近くの喫茶店が四人の間でもっぱらの集合場所となっていた。全国どこにでもある有名チェーン。この店は学生たちの御用達である。

 

 「話してみて」と、りりながハルを促した。

 

 ハルは返事をする前にカップのスープを一口飲んだ。飲み放題のコンソメスープでも、彼女が持っていると一級品に見えるから不思議なものである。

 

 「クアランティンって、意味わかる?」

 

 高級レストランで優雅な時を過ごす美女のように、ハルは言った。

 

 クアランティン。隔離。

 

 パンデミック映画のタイトルにも使われたことのあるこの単語は、つまり感染症の疑いのある者を特定の場所へ隔離することを意味する。

 

 ハルの考えた作戦は、この一言で言い表すことができた。

 

 目には目を、歯には歯を。パンデミックにはパンデミックを。

 

 花園の思惑の逆手に取る。

 

 花園の恒例行事と言えば、明人の潜入活動の場でもある学食占拠だ。毎週のようにどこかしらの学食を占拠して、他の学生が昼食を取れないようにする地味な嫌がらせである。

 

 これを利用するのだ。

 

 花園が占拠した学食で、花園のメンバーが一堂に会している学食で、食中毒の感染爆発を引き起こす。


 その間、食堂は自動ドアの故障を装って閉鎖する。


 隔離された食堂内で、嘔吐と悲鳴が飛び交う。そこにいる者は一人残らず細菌に侵される。阿鼻叫喚の地獄。誰もそこから逃げ出すことはできない。

 

 何十台と駆けつけた救急車に全員攫われていく。


 そして、馬込を乗せた車両だけは、赤信号に進入中の救急車に気が付かなかったトラックに衝突され、大破。事故と見せかけ、馬込を暗殺する。

 

 集団感染で注目されたのを機に、反社会的行為を働く彼らに並々ならぬ鬱憤を溜めた一般学生をけしかけ、花園を糾弾する。


 重要な指導者の一人を失って体制が揺らいでいた花園は、一気に崩壊への一途を辿ることとなる。

 

 これが、ハルの考えたプランだった。

 

 確実に、花園を潰せる方法だ。

 

 「……っていやいや、ダメだから! 殺しちゃダメ! 食中毒もちょっとリスク高すぎ!」

 

 りりなに即座に反対され、ハルは悲しそうに肩を落とした。

 

 「……ダメ?」

 

 「私にそんな上目遣い使っても効かないから。ダメなものはダメ」

 

 りりなに一刀両断されたハルは、今度は明人の方を見る。

 

 「……ダメ?」

 

 「いや、二度やる必要ないでしょ。ていうか俺には効くんでやめてください」

 

 再び行き詰まる。ゆったりとしたBGMとともに、沈黙が流れる。

 

 まりながグラスを持って黙って席を立つと、すぐにそのグラスを野菜ジュースで満たして戻って来た。

 

 ごくりと一口飲むと、彼女は姉に向かって言った。


 「大学に訴えるっていう選択肢はないの?」

 

 「あくまで裏サークルとして、隠密に、自分たちだけで何事も完結させるっていうのがうちの主義だからねえ。それに、仮に大学に訴えるとしても、どう説明したものやら。花園っていうサークルがパンデミックを計画しています、止めてください、なんて言っても、私らの方が怪しい団体扱いされるのが関の山でしょ」

 

 「……ララさんなら」

 

 ふと思い浮かんだ人物の名前を、明人は口にした。

 

 ぼそりと呟いただけだったが、しっかりと全員の耳に入っていたらしい。視線が一斉に集まった。

 

 急に恥ずかしさを感じてきたが、これでは言い逃れするわけにもいかない。

 

 明人は続けて言った。

 

 「ララさんの助勢を乞う、っていうのは? あの人なら、大勢の人を動かせる。そうすれば、学校側とも渡り合える。ヴァネッサの協力が得られれば、怪しい団体扱いされて終わることはない」

 

 三人とも、虚を衝かれたようだった。

 

 だが、明人はすぐにあることに気が付いて呟いた。


 「あ、でも、そしたら秘密情報部とKCIAのことを知られることになっちゃうか」

 

 愛美からの依頼でララ救出ミッションを遂行したとき、明人はララを連れ出して市谷キャンパスまで送り届けることを約束したが、どうやってそれを達成するか、その手段についてはほとんど愛美には語らず、また問わないようにも念を押した。

 

 だから、諜報サークルの協力者たちは全員、愛美の中ではただの明人の友達ということになっている(飲み会ではでっちあげの関係性を平然と貫き通したのだから、諜報サークル員たちも恐ろしい)。


 もちろん、少々不自然さを感じられている可能性もあるが……。

 

 何しろ、あのときのミッションの内容はかなり大掛かりなものだったのだ。


 ララの住むタワーマンションの屋上からザイルを用いてララの部屋まで下降し、ブルートゥース機能を駆使してララを部屋から追い出す(これは特殊メイクで扮装した東雲が担当した)。


 その間、この危険行為が人目に触れないよう、周辺で祭りを行って通行人の注意を逸らしたり、近辺のタワーマンションの住人が窓から目撃しないよう火災報知機を誤作動させたりした(このために大人数を要したのだ)。

 

 何より、ララ本人にこの時のことを気にされたらマズかったのだが、そこは愛美が明人の意を汲んでくれているのか、幸いどちらからも追及されたりはしていない。

 

 しかし、今回の件で彼女たちの協力を得ようとするなら、事情の説明は必要だろう。


 何も情報は与えないまま黙って協力してください、なんていうのはいくらなんでも無礼が過ぎる。

 

 と、明人が懸念していると、


 「いや、そうでもない」


 と、ハルが思案顔で言った。

 

 続けてりりなも、

 

 「うん。何とかできるかも」

 

 「どういうこと? お姉ちゃんたちの秘密は秘密のままで、ヴァネッサの人たちの協力を得る方法があるの?」

 

 まりなが不思議そうに問うと、りりなはぐっと親指を立てて、

 

 「そこは私の専門だから、任せて」

 

 自信ありげに言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る