5-5.
元々アイドルとして活動していた北星川ララに影響を与えた人物がいるということはあまり知られていない。高校時代、ララには親友と呼べる一人の存在がいた。
彼女の名前はヴァネッサ。アメリカからの留学生だった。
おしとやかな雰囲気を漂わせつつも、その心根は極めて天真爛漫。
ヴァネッサはとにかく音楽が好きで、毎日のように教室にギターを持ち込んでは休み時間中演奏していた。
その自由奔放さは変わり種を嫌う日本の高校の気風には合わず、ヴァネッサは敬遠されがちだったのだが、そんな彼女に誰よりも興味を持ったのが他ならぬララだった。
我が道を行く精神、豪放磊落さではララも負けてはいない。どこか似た雰囲気のあった二人はすぐに意気投合し、どこへ行くにも一緒というような間柄になるまでさほど時間はかからなかった。
見た目によらずロックなヴァネッサに刺激を受けたララは、ヴァネッサに誘われて自身もギターを始める。
それが一年生の終わりごろのことだった。それから一年間、ララはプライベートではヴァネッサとともにギターにのめり込んだ。
そして高校三年に上がるとき、ヴァネッサはアメリカへ帰国した。父親の仕事の関係で日本に住んでいたのだが、大学進学のために戻らなければならなかったのだ。
また一緒にギターを弾こう。そう約束を交わし、二人は別れた。
ヴァネッサが帰国した後も、ララはギターを弾き続けた。そして高校卒業とともにアイドルを卒業し、湊大学でバンドを結成し、その名前にかつての親友の名前を引用した。
大学一年生の夏、ララは同じサークルに所属する衣笠日向からの告白を受け、断ったというエピソードはよく知られている。
元々仲の良かった二人だが、ララに恋愛感情はなかったのだ。ララの返答を日向はあっさりと受け入れ、二人はその後もサークル仲間として良好な関係を築いていた。
ララは定期的にヴァネッサと連絡を取り続けていた。ヴァネッサもララと同じようにアメリカの大学でバンドを組み、あちらはあちらで順調に音楽を続けているようだった。
ヴァネッサのバンドもそれなりの実力派揃いで、ネットに上げられた音源やライブ動画は国籍問わず一定の評価を受けていた。それは日本においても例外ではなく、ララもそのことは前から知っていて、ヴァネッサのバンドの音楽は常にチェックしていた。
しかし、ララは自分の身の回りにも、同じようにヴァネッサのバンドの音楽を好き好んで聴く人がいるとは思っていなかった。
だから、まさかかつて自分のことを好きだと言った、仲の良い男友達がヴァネッサのバンドの曲を知っていると聞いたときは驚いた。
そして、自分の曲よりもそっちの曲の方が好きだと言われたとき、ララは大きなショックを受けた。ショックを受けた自分に驚き、さらにショックは大きくなった。この動揺は全く予想しなかった。
このとき、ララは初めて自分の心の内にずっと存在していた気持ちを知った。
そして、新たに生まれた感情で、自分に失望した。これまでに強固に築き上げた自信は、揺らいだことすらなかったゆえ、一度崩れ始めてしまえば、ララはそれを立て直す方法を知らなかった。
「つまり、ララさんはあろうことか、かつての親友のヴァネッサに嫉妬してしまったんですね。自信とプライドの塊のような人だから、そんな凡庸な自分に気が付いてしまったとき、自分に失望してしまった。衣笠日向のことが好きなことに気が付いて、けど彼には既に別の恋人がいるからその恋はもう叶わない。二重のショックは、堅牢だったあの人の足元を崩すのに十分すぎるほど大きかった、ってなわけなのでした」
市谷キャンパスの傍の遊歩道の柵に寄りかかりながら、明人は愛美と二人で話していた。
飲み会の後、二次会のカラオケで夜を明かした後のことである。始発が動き出したばかりの時間帯だ。空もまだ真っ暗で、何よりかなり寒い。
一刻も早く家に帰ってベッドに入りたい明人だったが、愛美から直々に連れ出されてきてしまってはそんなことを言うに言えない。
「つまりは、自分を見失ってしまったってわけか。ララさんのような人でも、そんな状況に陥ることがあるんだな」
明人の言葉に、愛美が頷く。
「本当にふとしたきっかけでね。プライドや矜持、夢や目標、それまで自分の支えだったものを思いもよらず失って、挫折してしまうことなんてざらにある。それがいつ起こるかなんてわからないし、誰だって例外じゃない。呑気に構えてれば、致命傷にだって成り得る。油断大敵。私たちはまだ一年生。あと三年間、転んでもすぐに立ち上がれるように足腰鍛えとかないと、ですね」
明人は十八年の人生で挫折を味わったことはまだない。自分を見失うだとか、希望を失くすだとか、正直、どういうことなのかよくわからない。
だがそれは、細かな状況は置いておいて、今が希望に満ち溢れた環境にいるからに他ならない。
来年は二年生に進級し、三年、四年と大学生活を送って卒業し、社会へと羽ばたく。今は入部試験のことで頭がいっぱいだが、その先にはさらなる出会いがあるだろうし、様々な経験を通して、自分は人間として成長していくのだろう。
それが当たり前で、当たり前だと思えることが当たり前なのは今だからこそなのだ。これから先、それまで当然だったことがいつ当たり前のことじゃなくなってしまう出来事があるかわからない。
自分に絶対的な自信を持っていたララは、ふとしたきっかけで自分とは無縁だと思っていた感情を抱いてしまった。そのとき、それまで当たり前のように思っていた自分と実際の自分が違うことに気が付き、あっけなく自信を失くしてしまった。愛美の言う通り、自信の塊だったララにとって自信を失うことはアイデンティティの喪失に等しい。そうしてララは大きな挫折を経験した。
ララはそのとき、その瞬間まで、まさか自分が挫折するなんて夢にも思っていなかっただろう。
同様に、これは誰にだって降りかかることだ。
そのことを知っているか知っていないかの違いは、当面の学生生活の中で、きっと大きい。
「とにかく、ありがとうございました。おかげで、無事にヴァネッサの活動は再開できそうです。ララさん、顔出すタイミングを見失っちゃっただけで、思ったよりも元気そうだったし。約束通り、お礼はちゃんとさせてもらいます」
愛美からの依頼を受ける代わりに、明人が彼女にお願いしたこと。それは、『ヴァネッサ』のクリスマスライブの企画だった。
ライブハウスでライブを行うこともあるヴァネッサは、超人気とだけあってチケットも即完売となるのが恒例だ。そこで、ライブのチケットを二枚譲り受け、チケットを手に入れられなかったえりかを誘い、二人で観に行く、という算段だ。
こちらこそよろしく頼みます、と軽く頭を下げてから、明人はずっと気になっていたことを愛美に聞いた。
「ところで、ララさんが愛美に伝えてほしいって言ってきたこと、あれってどういう意味なの?」
確か、こんな私でごめんね、だったはずだ。
これまでの話からして大体の意味は推測できるが、ララが明人を通して、どうして愛美にだけ伝えようとしたのかがわからない。
「ああ、あれね」と、愛美は決まり悪そうに口元を歪め、
「ま、簡単に言うと、私、湊まつりの後、ララさんにめっちゃ怒ったのよ。いつまでもくよくよしてるもんだから、いい加減イライラしてさ。ララさんがそんな調子じゃ、こっちにまで迷惑がかかる。私はいつだってララさんに憧れて、ララさんの背中を追いかけてきた。そもそも、初めに私を引っ張り出したのはララさんの方なの。それなのに、ララさんがずっとそんな顔してるのは、私に対する侮辱だぞ。ふざけんなって、怒鳴り散らした。たぶん、それに対する答え」
「えっ。それならもしかして、ララさんが大学にすら来づらくなったのって、それのせいじゃ……」
明人の言葉に、愛美ははっと目を見開いて言った。
「あり得る」
「おい」
「うは」
いつの間にか、少しだけ空が白んでいた。
自販機で買った缶コーヒーを飲みながらどちらからともなしに日が昇るのを眺めていると、ふと愛美がにやにやとした顔を明人の方へ向けて言った。
「ねえ、えりかのどんなとこが好きなの?」
不意の質問に明人はたじろいだ。急激に顔に血が上り、眠気が爆散した。
それからしばらく明人は愛美からの質問攻めをくらう羽目となる。
清々しい夜明けだった。
愛美は平然としているが、今日もこの後はお互い授業がある。
*
参加者 ○えみり ○るり ○まなみ
えみり:あのことはいつララに話そっか?
まなみ:話さなくてもいいと思う
えみり:話さなくてもいい?
まなみ:うん。少なくとも、今は
まなみ:結果オーライだし、わざわざ話す必要もないでしょ
えみり:確かにそうかもね
まなみ:うん
まなみ:ステージが崩れたのは全くの偶然。私たちの自作自演だったなんてことは全くなし
まなみ:問題ないっしょ
えみり:瑠璃もそれでいい?
るり:ゲームしてた
るり:何の話?
まなみ:湊まつりの事故の真相の話だよ
るり:ああ
るり:任せる
えみり:じゃ、決まりね
まなみ:決まり
まなみ:万一にもこの話漏れたらマズいから
まなみ:今後一切この話題は禁止にしよう
えみり:そうだね
えみり:じゃ、そういうことで
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