4-6.

 明人の予想通り、まりなは姉のサークル活動について知っていた。


 自らは直接関わりはないものの、裏サークルと呼ばれる非公認団体が数多く存在していることや、件の非リア連合に関する一連の事件など、りりなによってあらかたの知識を与えられているのだった。

 

 明人の正体も話した。


 りりなと同系統のサークルに入るため、入部試験としてえりかにアプローチをしてきたこと。


 その結果、えりかのことを本気で好きになってしまったこと(というのは、明人の制止を振り切ってハルが勝手に言った)。


 そして、これからの計画。


 明人は湊大学における冬枯れの花園の活動に参加しながら、できる限り多くの情報を収集する。


 その間、万一にもえりかと鉢合わせることがないよう、まりながえりかを引きつけておく。

 

 一通り話を聞いたまりなは、これぞ仏頂面というような顔をして周囲を紫色の不満スモッグで充満させた。

 

 「それってつまり、この人とえりかの関係を進展させるために一役買えってこと?」

 

 これにはハルが答えた。


 「別に手助けをしろと言ってるわけじゃない。手助けをしてくれるのはむしろ彼の方で、条件として私らは彼のミッション遂行に支障が出ないように最善を尽くすというだけ。関係が進展するかしないかは全く別の問題で、つまるところ二人の問題だよね」

 

 まりなはハルのことをハルちゃんと呼んでいる。姉の幼馴染であるハルと昔から交流があったのだろうことは容易に想像がついた。

 

 ハルの言葉に、まりなはさらに不満を募らせた。

 

 「だからって看過できるわけないじゃん! 結果的にどうあれ、えりかはやっぱりずっと騙されてたってことでしょ? 私が協力すれば、それはこれからも続くことになる。そんなの、頷けるわけがない。許せない!」

 

 「つまり、まりなはえりかが騙されていたことを不満に思ってるんだよね。協力してくれないとしたら、どうするつもり?」

 

 ハルの問いかけに、まりなは即答した。


 「えりかに本当のことを話す」

 

 「だろうね。明人君のやっていることは、確かに褒められたことじゃない。それが理屈の上では真っ当な選択肢だよね。でもさ、少し考えてごらん。それが本当に、えりかのためになるのかということを」

 

 「それって、どういう……」


 親友のことを第一に考えているつもりだったのだろう。


 まりなはハルの言葉に狼狽し、言葉に詰まった。

 

 例えばさ、とりりなが後を引き継いだ。

 

 「まりなに好きな人ができたとするじゃん。一緒に出かけたりして、この人と一緒にいると楽しいかもって恋心が芽生えるの。そうなったら、今度はいつ会えるかな、とか、次はあそこに遊びにいきたいなって、きっとたくさん考えるようになると思う。そういう時にさ、まりなの仲の良い友達にその人のこと悪く言われたら、どう? あの人って、本当はなになにな性格なんだよー、とか、実はこれこれこういう面もあるんだよー、とかって」

 

 その質問に対して、まりなは特に考える素振りも見せずに答えた。


 「そんな状況、体験したことないからわからないよ」

 

 「そっか。けど、イメージしてみて。これがまだ、ちょっと気になる程度の段階なら、そこまであっさり冷めなかったとしても、少なからずその人に対して懐疑心が生まれると思う。付き合う前の関係にはかなりの痛手だよね。そうなっちゃったら、恋心って保てたとしても長くは続かない」

 

 それが一つ目のパターン、とりりなは人差し指を立てた。

 

 話の趣旨が掴めないようでまりなは首を傾げている。

 

 妹の怪訝な顔はお構いなしに、りりなは続けた。


 「他の可能性もある。もしかしたら、二人ともすっかりお熱で、友達を疎ましく思うかも。どうしてそんなこと言うの、邪魔しないで! ってね。そうなると、友達が邪魔者にしか見えなくなってくる。友達関係にヒビが入るパターン」

 

 りりなが挙げた二つ目の事例に、まりなは冷静な反応を見せた。

 

 「たぶんだけど、邪魔をしてくるような友達なら、私は最初から友達なんかじゃないと思う」

 

 まりなのこの答えに、りりなは我が意を得たりと微笑んだ。

 

 「うんうん、わかってるじゃん。友達だったら恋を応援してほしいよね。もちろん、相手が訳ありな人で、友達が本当に心配して言ってくれてるのなら別だけどね。仮に思いやりで言ってるのだとしても、友達には悪く見えるような人でも、まりなはその人のことが好きなのかもしれない。だとしたら、友達の思いやりは見当違い。一方的で押しつけがましい。そもそも、賢いまりなは人を見る目くらい持ってる。裏表のある人なんて最初から選ばない。自分で選んだ相手を悪く言ってくる友達なんて、あんまりだよね。距離を置くのが正解だよ」

 

 まりなの表情が少しずつ苛立ちに歪んでいく。姉の言っていることが理解できていないのか――もしくは、理解できたからなのか。

 

 「お姉ちゃんは、何が言いたいの?」

 

 「わからないかな? 明人君のことをえりかちゃんに話せば、まりながその友達になり得るってことを、言ってるんだよ」

 

 その言葉に、まりなはついに堪忍袋の緒が切れたように、声を荒げた。

 

 「馬鹿言わないで! えりかもこの人のことが好きだって言いたいわけ?」

 

 まりなは姉の方へ身を乗り出して詰め寄った。その勢い余って、ソファがガタンと音を立てて揺れる。度々何事かと周囲からの注目を浴び、束の間しんと辺りが静まった。

 

 ハルの冷たい声が、その静寂に流れる。

 

 「そのことを一番近くで感じてるのは、まりななんじゃないの?」

 

 関心を失った群衆の中にはざわめきが戻ってくる。


 まりなは一人、静寂の中に取り残された。

 

 自分でわかっていたのだろう、しかし意図的に頭の中から取り払っていた考えが、予想もしていなかった質量を伴って心にずしりとのしかかる。

 

 突然降りかかった苦痛は、無防備だったその身体には辛すぎた。

 

 目の前にいる男を罵りたい、周りにいる全員罵倒してやりたい。


 理不尽な衝動に駆られる。歯を食いしばったまりなの頬に涙が一筋流れた。



 

 サークルがあると言って、ハルは一人キャンパスへ戻っていった。

 

 柳姉妹と一緒の帰り道。喫茶店では、明人はまりなとほとんど直接言葉を交わしていない。二人の間には当分拭い去ることのできないだろう気まずさが漂っていた。


 もしもこの道中、真ん中にりりながいてくれなかったら、明人は地獄のような思いをしたに違いない。

 

 と、思ったら、そんな思いを少しだけすることになった。

 

 「あっ。二人とも、ちょっと待ってて」などと藪から棒に言って、地下鉄の駅の入口手前でりりなが人混みの中へ消えて行ってしまったのだ。

 

 訪れる沈黙。合わせられない視線。

 

 気まずすぎる。

 

 明人はりりなを恨んだ。彼女がこの状況を予想できないはずがない。明らかに意図的だ。何のつもりがあって、こんなことを。

 

 沈黙に耐えることだけ、明人は考えていた。りりなが戻ってくるまで、はあ、苦しい――それだから、まりなから話しかけられることは、全く予想もしていなかった。

 

 「えりかのこと、本当に好きなの?」

 

 心臓が止まるかと思った。

 

 駅に向かう人々の喧騒が遠のいていく。真っ白になった頭の中で、答えが見つかるはずもなかった。

 

 それは、と言いかけた明人を無視して、まりなは続けて言った。

 

 「本当に好きなら、あなたのことを止める権利は私にはない。けど、もし嘘なら、絶対に許さないから。あの子を傷つけることだけは、絶対に……」

 

 人混みを掻き分けて戻ってくるりりなの姿を認めて、まりなは言葉を止めた。そのままそっぽを向いてしまったが、やってきたりりなの言葉にすぐに顔を戻した。

 

 「ほら、焼き芋。買ってきた!」

 

 音を取り戻した世界の中で、交差点の向こう側に焼き芋の屋台が停まっているのに明人は気が付いた。りりなはそこへ走って行ってきたらしい。

 

 半ば押し込まれるように、明人とまりなはりりなが買ってきたほくほくの焼き芋を一口ずつ齧った。同時に「うまっ」「おいしっ」と声が漏れる。はっと目を合わせて、すぐに逸らす。そんな二人を、りりなは満足そうに眺めていた。

 


 

 喫茶店での長い会合の末、まりなは最終的に首を縦に振った。

 

 これから明人は、まりなと協力しながら冬枯れの花園の潜入調査を行うことになる。

 

 どのような結果になるのか、想像もつかない。明人はそれと同時進行で自分のミッションをもこなさなければならないのだ。


 えりかとのデートからおよそ二週間。


 先週にはえりかはすっかり体調を取り戻していた。


 罪悪感を抱かざるを得ない明人に、えりかはいつもの笑顔で気にしないでと言ってくれた。その言葉通り、えりかは一週間前の不幸などすっかり忘れたように振る舞ってくれる。


 しかし、それでは明人にとってはデートそのものがなかったことにされているような気がして、余計にもやもやする羽目になった。


 二人の距離が縮まるはずだったあの日。


 自分は今、万騎が原えりかという女性に一歩近づいているのだろうか?



 ――ここにいる明人君も、まりなの大切な友達のえりかも、あんなにも楽しそうな顔を偽れるほどの演技力はないよ。そのことだけは、確かだ。

 


 柳姉妹との喫茶店での会合で、ハルは言った。

 

 相手からの好意を勝ち取るために、自分から積極的に相手に好意をもっていくことを意識していた。えりかと一緒にいる時は、これでもかというくらい彼女との時間を楽しんでいる自分を演じた。


 没頭するあまり、演じることそのものに楽しみを感じていた。


 いつしか、そんな時間が何よりも楽しみになっていた。


 えりかと一緒にいる時間が、心から楽しかった。

 

 ミッションを成功させるためだけの努力をしていたつもりだった。その目標は今も変わっていない。

 

 変わっていない、はずだった。


 気が付けば、しばらくその目標のことを心の隅に追いやっていた気がする。


 

 それなら、その間、自分は何を考えていたんだろう?

 

 

 えりかの笑顔が、ふと脳裏に浮かぶ。

 

 その瞬間、明人はその答えがわかったような気がした。

 

 心がざわつき出す感覚に襲われて、最寄駅からの家路、明人は足を止める。

 

 「違う」


 ぽつりと呟いて、自嘲するように鼻で笑った。

 

 答えがわかったのではない。

 

 心の中では既にわかりきっていた答えに、確信を持てただけなのだ。

 

 「ハルさん、ありがとう」

 

 夜空に向かって呟く。

 

 いつもよりも少しだけ、星々が澄んで見えるようだった。

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