第四章
4-1.
明人が初めてえりかと接触した日、彼が遭遇した『冬枯れの花園』という団体を覚えているだろうか?
これは、薔薇色のキャンパスライフを夢見て挫折した惨めな学生たちが集う『非リア連合』というサークルから分派した過激派サークルである。
その名前は湊大学生の間ではそれなりに有名だった。
湊大学の市谷キャンパスには、階段の途中や廊下など、あちこちに学生用掲示板が設置されている。
これは学生たちがサークルの宣伝などに用いるためのもので、新歓期間にはあらゆるサークルがこの掲示板上でビラを貼るスペースを巡る戦争を繰り広げるのが毎年恒例だ。
その嵐が過ぎた後にはたまに発表会やイベントの告知がちらほらと見られたり、マイナーなサークルが控えめに、しかし根強く勧誘を続けているだけの閑散とした風景になるのが通常、なのだが。
そんな掲示板の牧歌的日常を侵し、キャンパスをゆく学生たちを少なくとも晴れやかな気持ちにはさせない暴虐行為に及んでいるのが冬枯れの花園だ。
キャンパス中の学生用掲示板が謎のビラで埋め尽くされている、というのは市谷キャンパスに通う学生なら一度は目にしたことがある光景だ。
ビラ一枚一枚に異なる不可解な文言とともに『冬枯れの花園』という名前が書いてある。
書いてある内容はよくわからない――『諦めて花園に来い』『ゴミクズ』『地球最後のフロンティア、市谷』『ポテチ好きな女性会員います』『こっち見てんじゃねえよブス』『鼻糞』『真理。大学は一パーセントのリア充と九十九パーセントの非リア充で成り立っている』『真理。入学時に童貞の時点で望みゼロ』『独裁者』『人生諦めて一生花園で暮らそう』『バーカバーカ』『お〇ぱい』……
これはほんの一例であり、キャンパス中の掲示板に貼られているのでその総数は数百にも及ぶ。
この花園の大量のビラ貼り行為は不定期に行われる。
ただの愚痴とも文句ともつかない意味不明なビラが大量に貼られていれば嫌でも目につく。
冬枯れの花園の名がそれなりに知れ渡っているのはそのためだ。
しかし、基本的に多くの学生は掲示板に貼られているビラの内容など意に介さない。
真剣にサークルを悩んでいる学生が気になる団体を見つけたときを別として、そうでもない限りは目に留めたところでせいぜい横目で見ながら素通りされるのが関の山。
どれだけ大量に貼られていようが、その宣伝行為の意図を理解できない不気味な団体のことなど他の事で忙しい学生たちは誰も気にしないのだ。
それゆえに、冬枯れの花園は湊大学において、有名な謎のサークルという認識が多く持たれている。
と、いう前置きはさておき。
さて、冬枯れの花園の幹部である馬込龍斗はこの日、待望のデートの約束の日であった。
相手は同じ湊大学の四年生。柳原りなという名の彼女は経営学部所属。
昨年まで弓道部で部長を務めていた武道家でありながら学業の成績は非常に優秀で有名企業から内定済み。
そんな誰もが羨む大和撫子を誘うことに成功した馬込は有頂天外、地底に溜まりに溜まった負の感情エネルギーとブドウ糖を脳内で化学反応させ莫大な妄想エネルギーに転換し、前代未聞のデートプランの構想を可能にする脳の超高速回転を実現した。
柳原りなの自宅に迎えにやって来たのは馬込の黒塗りセダンであった。
運転席から降りてきたのは馬込ではなく専属の運転手である。
運転手がうやうやしく後部座席の扉を開けると、馬込が登場する。
服装はいつも通りよれよれのシャツとだぼだぼのジーパンだ。
柳原りなは黒スキニーのパンツコーデだ。
セミロングの黒髪が日に当たって艶めいている。
すらりと背は高めで、馬込とは根本的にキャラクターデザインの担当が違うかのようだ。
馬込と柳原りなは挨拶を交わして後部座席に乗り込んだ。
専属の運転手の運転によるドライブデートの始まりだ。
待ち合わせの時間は午前七時四十五分(!)。
まずは馬込の行きつけの喫茶店で朝食だ。
日曜日の朝一番でやってくる客はあまり多くないが、席は予約済みだった。
二人は色とりどりのフルーツで飾られたパンケーキを食べながら談話し、一時間程ここに滞在した。
五千円弱の会計は馬込の全額支払いだ。
再び車に乗り込み、ドライブ再開。
なんと、早くも話題が尽きたようで、車内では馬込の口数が少なくなっていた。加えて、柳原りなも喋らなくなってしまった。
馬込が何とか話題を見つけ出して話しても、柳原りなは素っ気ない返事しか返さない。
彼女は仕舞いには窓の外の方へ視線を固定し、うんともすんとも言わなくなってしまった。イライラしているようにも見える。
彼女の態度の豹変に、馬込はしどろもどろだ。
「おい、ルートが違くないか? 次は代々木公園で食後の散歩だ。どこへ向かってる? おい、運転手! 返事をしないか!」
馬込は運転席に身を乗り出して運転手に怒鳴るが、黒スーツで身を固め、深々と帽子を被っている運転手は眠っているように反応がない。
「何してるんだ! 車を停めろ。デートが台無しだ」
怒りが絶頂に達した馬込がどすの利いた声を出す。
と、その時、地を揺るがすように低い声がどこからともなくした。
「女をこんな朝早くに起こしておいて何がデートだ。初デートで集合時間が朝八時前だあ? 近所のコンビニに酒のつまみを買いにいくんじゃねえんだぞ? 仮にもデートに出かける女の準備にどれだけ時間がかかると思ってやがんだてめえ。こちとら朝何時起きだと思ってやがんだ。眠くてデートもくそもありゃしねえ。こんなもん最初からデートなんかじゃねえわ。義務教育からやり直しやがれ」
馬込はどこからその声が聞こえてきたのかわからなかったようだ。
聞いてはいけないものを聞いてしまったかのような顔をして辺りをキョロキョロと見回す。
しかし、車内には運転手とデート相手と彼の三人しかいないし、窓も全部閉まっている。
一体、今の声はどこから?
恐れおののく馬込の隣で、外の景色に見入っていた柳原りなが振り返って言った。
「と、いうわけでデートはこれでおしまいです。短い時間でしたがありがとうございました」
「や、柳原さん……?」馬込は眉をひそめる。
馬込の知っている彼女の愛らしい声ではなかった。
どちらかというと、先程聞こえてきたおぞましい声を思い起こさせる低い声。と、いうかその声。
柳原りなは自分のセミロングの髪を鷲掴みにし、引き抜くように腕を振るった。
黒髪セミロングはウィッグだった。
下に隠れていた黒髪ショートが現れ、彼女が懐から取り出した赤縁眼鏡をかけると、そこにはきりりとイメージの変わった彼女がいた。
「私は柳原りなではありません。本当の名前は、柳りりなって言います」
ひとたびパンツスーツを着用すればできるOLに一転しそうな彼女、柳りりなはまっすぐな瞳で馬込を捉える。
「柳、りりな……? どこかで聞いたような」と、馬込はぼやいた。
元々老け顔の彼だが、ショックのあまりさらに十歳老けたような顔をしている。
「聞いたのだとすれば、あなたの所属する組織、冬枯れの花園のトップである大川原雅史からではありませんか? ちなみに、私は湊の学生でもありません。港南学院からやって来ています」
港南学院……港南学院……と呟いて、馬込ははっと思い出したように声を上げる。
「KCIAの柳りりな!」
柳りりなは、自信ありげなその顔に不敵な笑みを浮かべた。
「思い出されたようですね。その通り、私はKCIAの捜査員として、港南学院から逃亡し湊に潜伏中の大川原雅史の行方を追って潜入活動を行っていました。さて、花園の幹部さん。デートは終わりですけど、もうちょっとだけお付き合いいただけるかしら?」
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