2-6.

 北星川ララは今やバンドのボーカリストでありながら、キャンパスのアイドルとしてのアイデンティティも確立している。


 その人気はやはり桁外れで、アイドルサークルに所属する本業キャンパスアイドルたちを廃業寸前に追い込んでしまっているほどだ。


 元アイドルの肩書は伊達ではない。

 ロックファンもアイドルファンもまとめて虜にした彼女は正真正銘のキャンパススターだ。


 北星川ララを抜きにして、昨今のキャンパスにおける音楽シーンおよびアイドル事情を語ることはできない。


 秘密情報部にも、彼女のファンだという先輩部員がいた。彼は東雲雄二という。


 東雲の入部試験のエピソードは部内で有名だった。


 と、いうのも現在三年生の東雲のターゲットは、当時同じく新入生だった湊大学の北星川ララだったのだ。


 東雲は北星川ララと同じロクハンに入部した。


 楽器が上手い男はモテるという信念に基づいて綿密に計画を立て、彼は数か月ドラムを叩きまくった。

 

 来る日も来る日も暇を惜しんで練習した。

 

 その熱量は他の部員を圧倒するほどで、彼は未経験でしかも他大学生だったにも関わらず同学年断トツトップの技量を獲得する。

 あまりの熱血っぷりに、一時は多くの女子から注目の的になっていたほどだった。


 しかし、もちろん東雲の本命は当時既にキャンパスを席巻していた北星川ララただ一人。


 時が来て、東雲はララにアプローチする。結果は、相手にされなかった。


 その時の経験は、東雲にララへの深い愛と熱いロック魂を残した。


 ロクハンを辞めた今でも東雲はドラムを叩き続けており、ララのライブの際には毎回必ず湊大学へ赴いている。


 東雲は明人をスカウトした当人でもあった。


 湊大学の学園祭の日、明人は東雲とともに湊大学を訪れた。


 良い友人を持っている方が人として印象は良い。


 爽やかな見た目の東雲は、人当たりの良い性格が異性からの受けがよく、実はドラムを叩いていなくてもモテる男子だ(ララの場合は相手が特殊すぎただけだ)。

 

 そんな彼との交友関係をそれとなく示し、少しでもえりかからのポイントを上げる狙いと、まりなからの疑惑を払拭する狙いがあった。


 湊まつりの初日に、明人と東雲はえりかの所属する美術サークルABCの展覧会を訪れた。


 えりかのシフトは事前に聞いていた。


 担当として会場に滞在していたえりかに、説明を聞きながら作品を見て回る。

 

 えりか自身の作品は風景画だった。水彩で、えりかの服装と似た淡い色がふんだんに用いられている。

 少しぼかしたようなタッチが、彼女特有の世界観を表現しているようだ。


 明人と東雲は、褒めれば褒めるほど照れて頬を赤くするえりかが最終的に百パーセント喜色に染まるまで褒めまくった。


 混じりけのない彼女の笑顔が放つ光は百人規模の教室を使った会場を幸せのパステルピンクで彩り、嬉しそうな彼女の声を聞いた来場者及び関係者は誰もがその心に希望の光を宿したような顔をした。


 その後、明人と東雲はえりか、そして彼女とともに受付をしていたまりなも連れて四人で昼食を取る。

 

 本当はえりかはシフトの時間が終わっていなかったのだが、明人たちと仲良さく話しているところを見た他の部員が気を利かせてが許可してくれたのだ。


 それを止めにかかったのがまりなだった。

 

 しかし、ことこういったことには長けている東雲がまりなも一緒に誘ってしまい、「賛成賛成!」というえりかの一声もあって、結局まりなも面子に加わる羽目になったのだった。


 明人はこれを機に、まりなとの摩擦を少しでも減らしたいと思った。


 この時の四人は、風景に溶け込むの仲の良い男女グループだった。


 東雲と爽やかに言葉を交わし、えりかを楽しそうに笑わせている明人の姿からは好印象が生まれることこそあれ、少なくとも怪しさを感じることなかっただろう。


 まりなは終始つまらなそうにしていたので、その本心はわからなかったが。


 「君の絵も見たよ」どこかのサークルがやっている屋台にえりかと東雲が飛びついていったタイミングで、明人はまりなに声をかけた。

 「絵はあんま詳しくないから、月並みな感想になっちゃうけど。でも、すごく良いと思った」当たり触りのない言葉。


 まりなは口喧嘩で言い負かされた子どものような顔をして目を逸らした。

 「そう。ありがと」と、周囲の喧騒に掻き消されそうなくらい小さな声で呟いた。

 そしてすぐに、えりかたちの後を追っていってしまった。


 今日はミッションのことは忘れて、学園祭を楽しもう。


 明人はいつの間にか、そんな気持ちになっていた。




 事件はその後、学園祭三日目の夜に起こった。


 順調だと思われたミッションの進行に翳りが見え始めたのは、その時からである。



   *



 湊大学の学園祭は『湊まつり』と呼ばれている。


 四日間に渡って行われるこのイベントは延べ二十万人以上の来場者数を誇り、この規模は全国の大学でも最大級のものである。


 その中でも、ミスコンや演劇研究会によるミュージカルといった伝統的な催しは特に注目度が高かった。


 そして、それら目玉イベントと肩を並べ、ここ一、二年で絶大な人気を誇っているのが、キャンパススター北星川ララの率いるバンド『ヴァネッサ』のライブだった。


 『ヴァネッサ』はかなりヘビーなサウンドにララの高らかな歌声を乗せた曲で二年前の結成当時からその頭角を現したガールズバンドである。

 

 ボーカルの北星川ララ、ギターの花月園えみり、ベースの成瀬瑠璃、ドラムスの浦賀愛美の四名でこのバンドは構成されている。


 花月園えみりは湊大学交響楽団に所属するバイオリニストでもある。

 お嬢様のようにしとやかな印象を与える彼女の風貌からは優雅にバイオリンを奏でている姿が容易に目に浮かぶ。

 

 しかし、そんな彼女が『ヴァネッサ』ではエレキギターを豪快に鳴らしまくるのだから、そのギャップによる人気も高い。どちらが本業なのかは未公表だ。


 成瀬瑠璃にはマニアなファンが多い。

 その役柄、控えめな性格も相まってメンバーの中では一番影が薄いのだが、彼女は知る人ぞ知る凄腕ベーシストなのだ。


 ライブ中にはあまり目立つことのない彼女だが、その手元を見てみれば、弦の上を奇怪な蜘蛛が這いまわるように人知を超えた手の動きで彼女が演奏していることがわかる。

 実は既にプロでもあり、ララとえみりが結成した『ヴァネッサ』の音楽を聴いて自ら加入希望したらしい。


 浦賀愛美はこのバンド唯一の新入生だった。

 ララたちの同学年女子にドラマーがおらず、愛美が加入するまでは他のサークル員にドラムスを兼任してもらう形でライブは行われていた。


 そこに、ララ自らの推薦により愛美がメンバーに加わったのだ。

 

 二人の繋がりについては、アイドル時代の後輩だとかララがかねてから目をつけていた天才少女だとか様々な憶測が飛び交っているが、真相は明らかにされていない。

 ララと似ていて小柄な体躯にエネルギーが満ち溢れているタイプの女子だ。ピアノも弾ける。


 ララは歌だけでなくギターも得意で、たまに弾き語りをしたりもする。


 また、えみりと担当を交代するシーンがあったり、えみりのバイオリンや愛美のピアノを取り入れた楽曲があったりと、多才なメンバーによる表情豊かな演奏を見せてくれるのも彼女らの魅力の一つだった。


 ライブ衣装にも凝っていて、メンバー全員が毎回特注の衣装に身を包んでくる。


 ララのカリスマっぷりのみならず、バンドとしても秀でたエンターテインメント性を備えていることで、ヴァネッサは大学生バンドの最高峰を突っ走り続けているのだった。




 今年は彼女たちの三回目の学園祭ライブ。


 成長し続ける彼女たちは今年も大きな注目を集めている


 湊まつりの三日目。

 既に満員御礼状態の市谷キャンパスには、夜が近づくにつれ、加減を知らないボクサーのボディブロー並みに暴力的な人の波が押し寄せる。

 

 満潮知らずの海面が上昇し続けるように構内の人口密度は上がっていき、しかし強固な堤防はその高さにおいて限界知らず。

 この日のための天からの贈り物のような快晴の空から太陽が退出していくのに合わせ、キャンパスはただならぬ熱気に包まれていく。


 誰もがライブを待ち望んでいた。


 特設ステージの設置された中庭、否、このキャンパスの校舎全て、天高く聳えるリベラルタワーの先っぽまでをも圧倒的熱量で震わせるであろう『ヴァネッサ』のライブに期待を漲らせていた。


 伝説的キャンパススター、北星川ララがこの場所に残す歴史を目撃することを、誰もが心待ちにしていた。


 年々上昇している『ヴァネッサ』の人気により過去最大数の観客を動員した『Rocking Hunters』の学園祭ライブ。


 最も期待を寄せられていた最終公演、『ヴァネッサ』のライブはそして。




 出演直前のステージ倒壊事故により、急遽中止となった。

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